『冴えない彼女の育てかた』 亀井幹太監督 丸戸史明 脚本・シリーズ構成  ハーレムメイカーの王道 - あなたは誰を一番に選びますか?

冴えない彼女の育てかた 1【完全生産限定版】 [Blu-ray]

評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

いま8巻を読んでいる。アニメがあまりに面白くて、小説を一気に全巻購入。予算で追い詰められているこの時期に、全力で消費するという、社会人どころか経営者にあるまじき所業(これ書いているの2015年の11月ごろです)。もう学生じゃないというのに、何をやっているだ俺、という気持ちを抱きながら、むしろそれが誇らしいと感じてしまう自分のあほさ加減に、へきへきしつつ。。。いや、ダメだろ、これ、と思うが、わーん、こういう時こそ逃避しちゃうんだよーーーという自分が語りは置いておいて、、、、僕は困っていました。


最近、『甘城ブリリアントパーク』『アルドノア・ゼロ』『冴えないヒロインの育てかた』『白銀の意志アルジェヴォルン』とかを連続で見つつ(twiiterで見ている人は、凄いスピードで消費しているのがわかったはず(苦笑))、一応ブロガーなわけで、批評っぽく描いているわけで、何を軸にこれらの作品を評価しようか?と考えていたんです。すると、凄く困ったことがあるんです。みんな、最近のほとんどすべての作品に共通しているのは、基礎的な土台のレベルが凄い高いんですよ。アニメーションは特に。どれも、見事な技術が投入されていて、標準をすべて超えてしまっているんです。なので、どの作品に対しても、面白いんです!!としか言いようがなくて、大きな欠落がない分、語り口がよくわからなくなってしまうんですよ。でも、大きな文脈につなげて考えるってのは、相当深く読み込んで、クンフーをためないと、そう容易に出てくるわけではないわけで、なかなかに困っていました。特に上記で挙げているのは、LD教授よりお薦め頂いたもので、どれも一流の作品でもあります。

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それだけでなく、特にこのハーレムメイカーもの的な、日常系との土台を共有するラブコメへの回帰について語ろうとすると、特に難しくなってしまうんです。僕は『冴えないヒロインの育てかた(2015)』のアニメーション見ていて、感心してしまいました。あまりの出来の良さに。ずっと胸がキュンキュンいっていました。でも、これ、困ってしまいました。ハーレムものの王道というか僕が見た中では最高傑作レベルに完成度が高くて、「よくできている」以外の語り口が思いつかないんですよ。


たとえば、その完成度を具体的にいってみます。各ヒロインの造形、テンプレートともいうべき記号的な配置が典型的であるにもかかわらず、全然ヒロインの魅力が減じない、見事な演出の積み上げ。たぶん、ヒロインの性格が、造詣がテンプレなのに、かなり複雑に泥臭く作られているからだと思うのですが、凄い存在感ありますよね、みんな。丸戸さん、さすがにうまいなー。とはいえ、えっと具体的に言うと、澤村・スペンサー・英梨々って、ツンデレ、金髪、ツインテール、幼馴染と、もうなんというかそれを描いちゃーもうおしまいじゃない?というような典型的な記号キャラですよね。比較して、霞ヶ丘詩羽先輩っの積み上げって、先に彼女のターン(第2巻の彼女が創作者としての可能性をつかんだエピソードですね)が来ていることもあるし、小説家という内面を描きやすいキャラクターでもあるんですが、彼女との関係性の方が、ぼくは凄い重く感じます。ハーレムメイカーのポイントは、女の子の最も重要なポイントを救済しているかどうか?でした。その場合、詩羽先輩のような、内面の自意識の問題を抱えていて、それを小説という形で消化するパートナーとしてのポジション、彼女がセカイに意味を持たせる入り口を作って、これからも一緒に生きていける主人公の安芸倫也くんは、絶対に必要な存在だと思うんですよ。それにくらべて、英梨々は、典型的噛ませ犬としての役割が安定的だぜ幼馴染キャラ!というようなまさに記号のキャラです。幼馴染キャラは、そういえば、『俺の彼女と幼なじみが修羅場すぎる』の春咲千和ちゃんのエピソードもそうでしたが、傍にいる分だけ家族的なポジションになり、主人公の存在を救済する、もしくは主人公の生きていく自信の根源だったりする形が多いです。けどこれって、家族だよね!という落ち着きが生まれてしまい、ドラマチックで劇的なドラマトゥルギーを持つ、あとから出てきた女(笑)に負けてしまいやすいんですよね。だって、家族が、異性に変わるのって、よほどのエピソードがないと難しいんだと思うんですよ。もう少し分析的に言うと、救済のベクトルが、逆方向なんですね。

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ここでは、英梨々の場合は、幼馴染→主人公になっていて、あとから出会った異性であるは、詩羽先輩の場合は、主人公→異性というベクトルです。ようは、救われるか(受動的)?、救うか?(能動的)の違いです。物語類型としては、能動的の方が話が動くんだろうと思うので、救われるか(受動的)<救うか?(能動的)になりやすい傾向を感じます。まぁ、こまけーことは、いいんでぶっちゃけると、でも英梨々かわいいよね???、詩羽先輩に負けていないよね???ってことが言いたかったんです。これって凄いことだと思うんですよ。これだけ記号キャラってのは、昨今のとるてあこと『True Tears』かあたりから始まる、記号を排除する複雑な演出でヒロインの造形を作って、記号に感じさせないという傾向からすると、真逆です。なのに、負けていない!って。それだけ、小さな演出、いいかえれば積み上げが丁寧なんですよ。

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ここで最初のハーレムメイカーの王道だという言葉に戻るんですが、ハーレムメイカーというのは、たくさんの女の子を登場させて主人公に好意を持たせていくとき、どうしても、一人に絞ることなく等距離に距離を作る形で物語が止まってしまうという構造がありました。この構造の一つは、鈍感系主人公といわれるように、はがないこと『僕は友達が少ない』でその欺瞞を告発されたように、えっ?聞こえない、というふりをして、物語を進めないことでした。ハーレムを作る時に、どうしても、この「誰か一人を選ばない」部分に、物語が止まっているような、かつそれが倫理的に卑怯のような印象を与えるというのが、この物語類型の持つ本質的な問題点でした。赤松健さんの『ラブひな』のような、藤島圭介さんの『ああっ、女神さま』のような、明らかに記号ともいえるキャラクターが主人公に根拠がほぼなく、当分の距離で、誰も選ばれることなく配置されている永遠の日常が、終わることなく続いていく物語類型は、90年代から00年代に至る20年近く君臨したラブコメ類型の到達点の一つで、いまだ継続する巨大な類型です。僕が、これを見出したのは、『とある魔術の禁書目録』の上条当麻でした。上条さん、ぱねっす。ハーレムメイカーの問題点は、主人公が好かれる根拠が薄いのに、次々にみんな女の子が好きになって、気持ち悪くねぇか?って思ったいた疑問に、上条さんが、左手のすげぇパワーですべてをねじ伏せてくれた時でした。まじで、上条さん、スゴイっす。ぱねっす。つまりは、女の子の最も大事なポイントを、救済してしまった場合は、その子は、主人公以外選ばなくなるというのは、非常に納得です。最初の登場時の上条さんは、またハーレムものかよって、いらいらしながら見ていたんですが、、、、あまりに彼のヒーローとしてのかっこよさに、、、、もう抱かれてもいい!!!と思うようになりました(笑)。

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あっと、話がずれ過ぎてきたんですが、つまりは、この最初の原点の魅力に戻るように、『冴えない彼女の育てかた』は、登場する魅力的なヒロインたちがみんな、主人公のことが好きなんです。これって、リアリズムを最も最悪のケースを真実をしてとらえたがる!という観点から見ると、なんわけねぇだろう!!といいたくなるのですが、その説得力に、主人公が、どれだけヒロインを救ったか?の救済の度合いを見るようになったんですね。



twiiterの実況中継で、ぼくは、主人公の安芸倫也くんの話ばかりしていますが、これは、ようは女の子から見て、彼が好かれるに値する根拠があるか?ということを問うているんだと思うんですよ。そこに説得力があると、ハーレムものは、受け入れやすくなるんからなんです。


そう考えると、もう、根本的なハーレムメイカーの問題点である倫理的告発もある程度安定的に回避されていて、いやもーうん、良い作品じゃねぇ。って感じよく、ハーレム的な女の子のかわいさを堪能できるんですよね。そう思うと、もう完成している作品なんです。


あとは、個々のヒロインたちの魅力を、どう表現できるか?ってことだけ。けど、ツートップでかつ記号的で、非常に勝ち目が薄そうな、且つ手垢にまみれているヒロイン記号のツンデレ金髪ツインテール幼馴染なんてキャラクターでさえ、超魅力的だっ!!っていうんだから、さあ困った。


もういうことなく、完成しているハーレムもので、なんもいうことがないんですよ。


ほんと、8巻読むまで。物凄く好きなんだけど、何がいいかわからなかったんです。何がいいかわからなくて、全体的な演出力基礎力が高い作品というのは、実は、駄作なんです。これ『甘城ブリリアントパーク』『白銀の意志アルジェヴォルン』の記事を考えていて、、、、うーん、なにもいうことないなぁ、アニメーションとしては、水準を超えるんだけど。結局、水準を超えて面白いものってのは、超ド級にバランスが悪いけど突き抜けているっていうものには、劣ってしまうんだろうと思うんです。だって、心に刺さらないに、何かの解釈を要求したり、そういう刺激物がないもの。もちろん、それを駄作というのかは、難しいところです。だって、素晴らしい技術で、高いモチヴェーションで作られた良作なんですから。なので、見る価値がない、とかは言えないです。でも、初心に戻ってこのブログの存在意義である、文脈を読みをしてみよう!とか、境界を超えるような作品を探そうという観点からすると、ちょっとダメなんです。僕は、物語に人生の重要な部分を捧げようという決心が、LDさんの背中を見ているうちに固まりました。けれども、その僕のLDさんと異なる部分は、僕がカバーしようとするジャンルの範囲が、だいぶ広いってことなんです。アメリカ映画や、本格的な小説なども射程に入っているので、日本のサブカルのエンターテイメントに絞っているわけではないので、どうしても、制覇の仕方が大雑把になってしまい、深く網羅するよりは、広くが優先になってしまいます。だとすると、まぁ、ぼくは人生かけている部分があるし、愛しているので見ますが、ブログのポリシー的に、これこそ★5つ!絶対誰でも見てください!とは言えない。星5つ級を探すことが、僕のブログの旅の目的です。


だとすると『冴えない彼女の育てかた』は、まぁそのジャンルが好きな人は見ても損はないよ、という★3つ級なのか?というと、非常に悩ましい。僕が、客観と主観を分けているポイントは、客観は、より僕のブログのポリシーから極論で切って捨てるためで、主観は、それだけではない何か?僕の今も手持ちのつーつでは見えないなのかがある度合い、を図るためのものでもあります。


なぜ、悩むのかといえば、特に語るポイントがなかったからです。いい出来だ、ということを除いて。どれもが見たことがあるものの、最高度に洗練された作品。ハーレムメイカーの問題点は、何一つ踏み越えていない。文脈的に、最高度の洗練さは持つが、特に特筆することがない。その極端な表現として、上で語ったように、ヒロインの誰かが、最高だ!というような、ハーレムメイカーの物語の寸止めを突き抜けるポイントがないことでした。

まだ言葉になっていないので、感想がてらにメモメモを。というのははですね、『冴えない彼女の育てかた』を見ていて、あまりの完成度の高さに腰が抜けるほど、楽しかったんですが、、、、ラブコメでハーレムメイカーな要は女の子がいっぱい出てくる作品なんですが、しかもメッチャクチャかわいいんですが、、、、、不思議な印象を受けたんですよ。それは、好みのヒロインがいなかった、ということなんですよ。 『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』って、ぼく死ぬほど好きなんですけれども、これはもう明確にはっきりとむちゃくちゃに、黒猫一択で、愛しているんですよ(笑)。それ以外ないだろうという形で、自分の心が決まっているんです(←だれも興味ないと思うけど・・・・)。けど、、『冴えない彼女の育てかた』もこの 『エロマンガ先生』も、凄い凄い、根拠とか文脈とか抜きに、読んでいて幸せになる感じの、すっごく引き込まれるのに、特定の誰かが、いいって思わないんですね


エロマンガ先生 (5) 和泉紗霧の初登校』 伏見つかさ著  伏見さん上手いなー。すごい好きです。
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20151121/p1

エロマンガ先生 妹と開かずの間<エロマンガ先生> (電撃文庫)

たとえば、ハーレムメイカー的なものを、メタ的にぶっ壊してくれたのは、戦場ヶ原さんでした。明らかにヒロインとして羽川翼がいるのに、それに気づいて(何とメタ的!)そっこーあららぎ君を口説きにかかり、ハーレム構造を作らせませんでした。そういうものに、僕は、すげぇ!!というような、最高の賞賛を与えたい。あれって、完全にメタ的にハーレム構造を意識して、前倒しで、動いてきましたよね。ヒロインが(笑)。それは凄い。

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なぜならば、それは、ブレイクスルー。いまあるものだけでは我慢ができないクリエイターの、より高みを目指す、何かがキラキラ光っているから。






そして、、、8巻で僕はそれを見つけました。





なるほど、「ここ」を起点に考えれば、この作品が、ハーレムメイカーの先を目指す苦悩の作品であることがわかります。


ようは、8巻でメタ的に話しているモノづくりの話と、同じ話です。同じくらいにドラマトゥルギーを持ったヒロインたちを押しのけるヒロインを育てたい、、、誰かを一人を選ぶ、方法を見つけ出したいという、その葛藤をそのまま、物語にメタにしたんです。いいかえれば、正妻が、正妻のポジションを取り戻す物語!!!(笑)ヒロインが、もう一度、特別なヒロインという玉座を取り戻す、物語の再構築なんです。それは、ラブコメに置いてヒロインが絶対的な王の座にあった過去に戻るという単純な物語ではありえません。なぜならば、既に、僕らは『ななか6/17』で、圧倒的な権力の座にあったヒロインを、サブヒロインが玉座から追い落とす姿を見、そして、ハーレムメイカーという形でサブヒロインたちが、正妻のポジションにあった特別なヒロインの座を革命によって打ち倒す姿を見てきました。そして、ヒロインたちは、ヒロインたちの逆襲という形で、ヒーローのポジションさえも奪っていく姿さえ見てきました。一度起こった革命は元に戻りません。サブヒロインたちが得た、特別なポジションを平等に分け合う仕組みは既に、起こってしまったことなのです。

ななか6/17 1


そこで、どのように、ヒロインは、ヒロインの玉座を取り戻せるのか?。


それは、ヒロインたちの意識だけにとどまらず、もちろんのことをの制作者たちであるクリエイターたちの、深い悩みでもあります。その悩み自体をメタ的に、同人ゲームの作成という、物語の作成というテーマを通して、同時体験させるのです。この時代に、なぜ、ライトノベルの作者たちに、自分と同じ職業の登場人物を多く頻出させるかの理由がわかってきた、と僕は思います。それは、ヲタクの自意識の言及という作法の在り方が、浸透し、一般化し普遍化して、ヲタクが特別に、差別され、特別に輝きを持った時代が失われてきて、、自己言及さえも差別化ができなくなってきた過程と重なります。



そして、、、、ただ単純に、メタ的に物語の中で、ヒロインの復権を探していくモノづくりの過程を物語にしただけ、などという抽象化をしているわけではありません。



僕は、加藤恵を、ディレクターに、自分と一緒にモノづくりをするパートナーに選んだことに、非常に感慨を覚えます。



それは、僕が物語のラブコメを考える時に、最初に考えたのは、僕は男性なので、男の子がのぞむ最高の彼女、一番欲しい女の子は(まぁ同性でもいいんですが・・・・)どんな人なんだろう?と、少女漫画を読み見続けていて(笑)、悩みこんだことを思い出すからです。同時に、僕自身も、自分の大好きな女の子に、本当の本当に、何を求めるのだろう?何を求めていくのだろう?と考えた時のことを思い出すからです。


それは、自分が守られたい(癒されたい)のか?、自分が守りたいのか?


という問いから始まりました。でもこれは、いいかえれば、征服欲と庇護欲と言い換えることもできてしまいます。


能動か受身かと問うならば、その中間である、、、、論理的に考えれば中間である、平等であることはどういうことか?という問いになります。


しかし、恋愛における、もしくは愛における、男女の関係における平等とは何か?


実際の現実では、ほぼ平等は成り立たないと僕は思います。権利がイーブンなところに、特別な愛着が生まれるとは僕は思えないからです。性欲や愛情というのは、関係がいびつな方が、非常に強く生まれキープされるものなのです。なので、僕は、いわゆる男女平等とかそういう理念は、まぁ理念は理念なので大事ですが、正直興味がありません。人と人の「ほんとう」の関係は、論理や正しさで割り切れるわけがないと思うからです。そう考えたときに、パートナーになりうる人?、自分の「ほんとうに大事なもの」をシェアしたり、一緒のものを目指すことができることが、たぶんこの答えに近いことは、ずっとこのブログでも書いてきています。もちろんそれは、権力が伴うので、これは非常に成り立ちにくい。ちゅーか、平等って、確率的にありえないレベルなんだよねー。そもそも現実的じゃないんだよなー。ぼくは、人間というのは、リーダーとフォロワーの関係が一番安定しているって思うんです。何か強い動機があって追い求める人には、それをサポートした人がマッチするものなんです。いまは、それが、男性が主で従が女性という形になるから問題なのであって、逆のパターンが一般化すれば、やはりその中身を問えば、そうなるんじゃないの?って思うんですよ。けど、、、栗本薫が、権力の逆転劇を書いた『真夜中の天使』の長崎のシーンで、、、、僕は、これに近い真理を見た気がします。恋愛における愛における、最も美しい形。この場合は、男性同士でしたね(笑)。けど、性別は、この場合、どうでもいいのです。魂の本質に関する話をする時に、性別はあまり変数にならないと僕は思います。

真夜中の天使1 (文春文庫)

そうすると、物語として、、、、もっとも本質に近い恋愛の愛のパターンを描くのならば、それがいろいろないびつな関係性の問題点を克服する形で、非常に継続して成り立ちがたい形であるとはいえ成り立つ瞬間があるとすれば、、、、それは、同じ能力、同じ立場、同じ世界解釈で世界を眺め、一緒に何か目的に向かって、パートナーとなる時なんだと思うんです。まぁ、まずそんな特別には出会えないので、まず無理な話ですが、現実的には(笑)。『ベイビーステップ』のえーちゃんとなっちゃんが、この理想一直線の感じすけどね。この二人あまりに理想的で、それに対して、揶揄する気も起らない眩しさに満ちていて、、、、すげぇなって思います。いやまじで。ほんとうにいい感じで、眩しいです。

ベイビーステップ(37) (週刊少年マガジンコミックス)

恋愛に性別の変数を問わないとなれば、最愛の人と、ほぼ同一に、親友も重なることになります。そこに異性を見出せば、それを分けるだけです。とすれば、なぜ、最近のライトノベルなどが、一緒の職業であり、モノづくりを目指すパートナーとしてのテーマを、見出しているかは、よくわかるはずです。そういうの多い気がします。まぁ、それも答えとしてはずらしなんですけどね。恋人じゃなくて友達がほしいというのと同じ話。ようは、性愛的なものや恋愛的な愛を、同志愛にずらしているわけだから。とはいえ、それも一つの愛の形。その観点からいえば、『冴えない彼女の育てかた』は、様々な仕組みが、本当に良くねられている。たとえば、契約と再契約の話。この一度得たハーレムメイカーとしての特権を、二度目に本物にするために帰さなければならな、そうでなければ倫理的に卑怯になるというポイントを、7-8巻では見事に描かれています。えりりとうたは先輩が、サークルから抜けて、彼女たちの持つ才能を自分が使うことができなくなる、、、もしそこに到達して対等になりたければ、自分がそこまで登らなければならない、という厳しい突き付けがされています。

冴えない彼女の育てかた (7) (富士見ファンタジア文庫)


そして、そこで、何もないところから、戦って、もう一度、自己を取り戻す戦いに、恵みと主人公は、駆り立てられます。


二人とも、同じ目的ですが、本当の自己のテーマは違います。



1)恵 ヒロインの玉座を取り戻す戦い


2)主人公 自分がもう一度ヒーロとしてヒロインにふさわしい力を取り戻すこと



このふたつが、ちゃんとセットされている。ただ、なかなかこの作品が一筋縄ではいかないのは、やっぱり恋愛を描くのがうまい作者さんなので、ハーレム候補の女の子たちとの魅力と関係性を、がっつり深く描くんですよね。なので、にっちもさっちもいかない(笑)。でも、僕は、やはり小説は、物語は、タイトル(テーマ)に支配されると思うし、ヒロインを育てていくという物語になるべきだと思うんで、その主軸がクリアに見えるという点で、この作品はとても楽しみな物語です。小説なので、恋愛ゲームのような、マルチエンディングにはできません。誰かを選ばないと、この物語って終わらないと思うんですよ。


はがないは、誰も選ばないという道を選択しました。それは、タイトルにもあるとおり、友達を探す旅だったからです。たぶんそのほかの物語も、テーマ自体は、恋人を探すたびから、友達を探すたびに変わっていますので、ほぼそういう流れの話にシフトしてきています。


そういう意味では、ガチに、ハーレム状態になったほど根拠がある女の子たちとの出会いで、だれを実際に選ぶのか?というテーマを追求したケースってないんですよね。みんなずらしている。けど、、、9巻とか見ると、えりりの、幼馴染キャラの最強的展開じゃないですか。うたは先輩も、最高のヤンデレえぴそーですよね!。まぁ、、、ああ、このあたりの細かい話はまた今度。とにかく、最終的に選ばれる構造をした正ヒロインの加藤恵みの主軸がありながら、敵対する二人のサブヒロインの魅力のすさまじさ、作者の本気度合いって、すさまじいですよねー(笑)。

冴えない彼女の育てかた9<冴えない彼女の育てかた> (富士見ファンタジア文庫)

とにかく、僕は、ハーレムメイカーの先が見れるような気がして、楽しみなんです。しかも、全然逃げていない。作者本気っす。だって、友達がいいといっても、いろいろな愛の形があっても、それでも、主軸のメインとして、好きな異性に出会って結ばれていくという王道を、やっぱり見たいですよ。だって、それが一番王道だから。ぼく自身もノーマルな人なので、もっと普通のぼくらの代表も見せてよ!って思うんですよね。


今度のラジオで話すと思うので、とりあえず、あげときますー。


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