『かわいいひと』 斎藤 けん著  自意識と対幻想のその先へいってほしいなぁ、、、、

AneLaLa かわいいひと  story01

評価:未完のため未評価
(僕的主観:★★★☆3つ半)

ひさびさに偶然見つけて、読んだのですが、とてもよかった。『かわいいひと』って、とてもよかった。斎藤けんさんは、暗く重く文学の馥郁たる香りがするようなえぐい話のほうが、はるかに深く面白いので、ギャグ系の軽めの話になると、個人的には魅力が減じるなぁと思っていたのですが、これは、よかったです。ちなみに、なんかタイトルが対極なので思わず買ってしまった『さみしいひと』というのがあるのですが、これ読むと、実は暗い話のほうが好きで書ける人なんだなというのがよくわかると思います。でも、ほっと癒されたい人は『かわいいひと』おすすめです。とても出来がいい。読んでいてすごい幸せな気持ちになります。けれども、そもそもが世界を暗く厳しくとらえる人だというのがわかっているので、それが背後にあると想像するだけで、ぞくぞくしちゃうのは、、、、僕って、暗い人なのかなぁ(笑)。アダルトチルドレンとか、トラウマが癒えることなく疼き続けるのが、人生と思っているところがあって(笑)、そこからの解放はどうやったらなされるのか?、という自意識の病からの脱出がメインテーマにあるこのブログの文脈(笑)からは、どんなに幸せな物語を見せられても、、、その背後には、、、と想像してしまうのは悪い癖ですね、てへっ。まぁ、ぼくの人間理解の基本は、そんな幸せに人間生きられるわけがない!という身も蓋もないところからスタートするので(笑)。

さみしいひと (花とゆめコミックス)

ちなみに、斎藤けんさんは『花の名前』でデビューなのか、最初出てきた人だと思うのですが、2006年に記事を書いていますが、この記事は、僕の少女漫画の理解がどういうものであるか?ということが余すところなく書かれてしますね。いま2016年ですから、、、、えっ、、、10年も前なのか、ブログを書き始めて1年か2年目ぐらいのまだ初々しい頃だったような記憶があります。いやー懐かしい。


僕は、人というものは、他者を、他の思考回路を、自分が経験したり理解できないものの文脈を感受することは、非常に下手な生き物だと思っています。ぶっちゃけ、凄い難しい。なので、たとえば、僕は男性ですので、基本的にそりゃあ女性の気持ちは理解できません。この延長線上でいえば、少女漫画なんぞ、理解できるはずもありません。けれども、人間には、想像力とか、理解力とか、いろいろな武器があるんですよね。岡田斗司夫さんが、少女漫画を、少女の気持ちを理解するためにオカマエンジンを発動するというようなことをどこかで書かれていたのですが、なんというのでしょうね、理解できな異質なものは、相当の覚悟と工夫とか、頭をひねりまくっていろいろやらないと、理解できないんだって思っているんですよ。ようは、かなりの一ひねりする意識と覚悟が必要ということ。僕は、頭に偏る人なので、では、ちゃんと言葉にして、構造で理解しようとします。では僕にとって、少女漫画はどういうものなのか?の一つの設定が、以下の記事になります。重要なポイントを抜き出してみたので、まぁこのブログを長く読んでいる人は知っていると思いますが、まぁ読んでみてください。ちなみに、同時に少年漫画の理解とも比較されています。この差が、その後の、僕の作品分析の大きな土台となるものなので、この意味不明なブログを理解しようと思う人は、試験に出るポイントだと思って読んでみてください。ここまでいちいち分解して説明することって、最近もうめんどくさくなって、しなくなってしまっているので。復讐です。じゃなかった、復習です。

正統派少女マンガとは、ようは物語のドラマツルギーのピーク(絶頂点)が、内面の納得に来ることなんですよね。



えっ?わかんない??



これは、少年マンガと比較すると分かりやすいのですが、少年マンガは、成長すること、勝つことに重きがおかれます。


これは、


『ある目的・に・向かって』直線的に向かう感覚


で、この目的が、常に物理的外面的基準になりがちです。ぶっちゃけていうと、オンリーワンではなくて、常に、競争の中でのナンバーワンが目指されるのです。これをよく、ビルドゥングスロマンとか、直線的時間感覚と僕は呼んでいます。

けれども、少女マンガには、分かりやすい目的はありません。

目的LESSといってもいい。

だからこの作品のように、時間が回帰的で止まったような静謐な感覚が生まれやすい。


これは、少女マンガの物語のドラマツゥルギーが内面の納得にあって、精神的な納得は、物理的外部的な基準では凄く分かりにくく、


どこで達成されたか?、


終わったのか?


が判断しにくいのです。


えっと、具体的に云うとね、


少女マンガの王道は、両思いになること、だとする。


それの中身は、たいていが、


(1)相手の心を理解する(したと自分自身が納得する)こと



(2)相手から自分が理解される(されたと自分自身が納得する)こと


となる。



とすると、個人の心の中での「納得」というのは、はっきりとした判定基準が分かりにくいですよね?。



だって、どんな思い込みでも、本人が納得していれば、それは納得なので、物語のピークでありエンドなんですよ。



その納得の心理的・精神的過程を描くのが、少女マンガだといえます。

(いまさっき思いついたので、・・・・たぶんですが(笑))



これは、分かりやすいトーナメントで一番強いやつを決めよう!とか、すげー強いやつを努力して倒す!とかいう、少年マンガの分かりやすい、ともすれば陳腐で、そして力強いドラマツゥルギーの構造とは、対極に位置します。


だから、


(1)そういった目的LESSの心の納得のプロセスに興味があり、


かつ


(2)その作品のもつ複雑怪奇な関係性(70年代以降の少女マンガは一気に関係性が複雑化している)の中での、非常に繊細なコミュニケーションそのものを追っていく感覚がない人には、


少女マンガは読めません。


そもそも作法が難しい。作法とは、そういった心理的プロセスを描写する表現技法が、日本少女漫画は、徹底して鍛え上げ複雑なバロックと化しているので、「その表現技法」に慣れていないと、意味不明なのです。


少女マンガが読めない、というのは


この


そもそも(1)と(2)に興味があり、かつ、(3)非常に様式化し、複雑化した少女マンガの表現技法(いきなり内面のモノローグにはいる吹き出しとかセリフなどなど)自体に慣れているという条件がいるのです。


もし、少女マンガが読めない!、という人がいたら、この①〜③のどれかが、性に合わない、できていないためでしょう。



『花の名前』 斉藤けん著  正統派少女マンガは、内面の理解を求める
http://ameblo.jp/petronius/entry-10011107277.html

10年も前の記事ですか、、、懐かしいです。ここから時間感覚の差異によって、少年漫画と少女漫画がどのように分岐していくかをずっとはるか遠くまで追い続けているのを考えると、いやー土台の部分は、しっかりしてたなーとしみじみ思います。というか、考えているテーマにブレがない。ここでは、この二つの漫画の世界観の違いに、目的のある・なしをポイントに置いています。そして、目的がある場合は、勝つこと成長することという直線的な時間感覚が導入されていくこと、目的がない場合には、微細な関係性を丁寧に読みとっていくこと、その関係性が複雑化していくこと、を語っています。その後の物語の類型の展開どうりですよねぇ。


ちなみに、これは少女漫画や少年漫画を読み解くときのベースの部分で、では、これに基づいて『花の名前』をどう考えたのかというと、


さて、少女マンガが、相手を理解する・されることの納得のプロセスを描くもの、と仮定します。


そうすると、このマンガの主人公である蝶子と京は、とてもけなげな恋愛です。


というのは、お互いに深い闇があるので、距離が縮まらないまま(お互いの背景をほとんど言葉で説明しない)というディスコミニケーション状態で、



相手のことを理解しよう



とする、ことを志向しているからです。少女マンガの王道は、納得のプロセスにあるので、それが故に、王道の様式として


うる星やつら』や『めぞん一刻』で様式美が極まった



すれちがい、勘違い



が多用されます。


お互い深く愛し合っているのに、勘違いや、情報不足による事件の発生です。主人公たちが、本当は愛し合っているのに、表面的なディスコミュニケーションですれちがったり、勘違いで傷つけ合う様に、読者(=全体を見渡せる神の視点)は、はらはらドキドキするわけです。


もう典型的な少女マンガですね。

このディスコミュニケーションに満ちているけれども、愛が溢れているという状況が、この作品のポイントである孤独な小説家の周りに「花が満ちている」という描写ですね。とても文学的な感じがするのは、この花が増えていくこと、咲き誇っていくこと、その描写の中に京(主人公である小説家)が埋もれていく描写が少しづつ増えていくのは、蝶子の中に生まれた孤独からの解放が愛に転嫁していて、それを具体化したというか形に表したのが花なんですね。そしてそれに埋もれていくことで、京が救われていく、愛に気づいていくという形をとっていて、この言葉で説明しない抽象的な表現が、文学の香りが、とか僕がいっているやつですね。即物的に言葉や行動で表現させないで、こう迂遠な形でやる感じが、文学ですね(笑)。

花の名前 1 (花とゆめコミックス)


ただね、いま読み返すと、僕はちょっと思うところがある。というのは、この二人は本当に救われたのだろうか?という点です。


アダルトチルドレンという言い方がいいのかわからないのですが、子供時代に極端なトラウマを抱えて底に穴が開いてしまった人は、その傷がいえることも、穴が埋まることもありません。幸せになるためには、違う強度で上書きして忘れるか、そちらの方向を見ないようにするだけです。まず解決するようなことはありません。解決することこそ、ファンタジーであって、現実には僕はほとんどないと思っています。そのために、人間は長い時を生きられるんだと思っています。ちなみに、このトラウマが大きくなりすぎて人生を支配してしまってアダルトチルドレンになった人がどう救済されるのかは、たくさんのパターンの物語類型がありますが、僕は少女漫画には大きな答えのタイプが二つあると考えています。羅川真理茂さんの作品と津田雅美さんの作品を比較してこのことを考えています。ちょっと長いのですが引用してみます。

■壮大なオペラのような津田雅美さんとの比較

同じ『負の現実』を継続的にテーマとして追っている人は、津田雅美さんが思いつく。


津田さんの短編などにもよく出ているが、彼女も、過去というものの闇を抱えることを凄く重視している人で、物語の設定にかなり抜きがたい負の側面を持ってきます。親に捨てられたと思っており、子供時代にDVの虐待を受けた有馬くんとかね。これは『彼氏彼女の事情』ですね。その他『天使の棲む部屋』では、18世紀のイギリスの炭鉱でボロボロに働く少年の話で、誘拐された女の子を偶然拾い育て・・・その子の存在が救いとなったところで、彼女が病気にかかり、どうしても彼女を手放さなければならずになり、愛を知り、自分がいかに孤独だったかに気づいた時点で、全てを奪われる・・・という厳しい設定になっています。

天使の棲む部屋 (花とゆめCOMICS)

いやー厳しいですねぇ(笑)。ただ、津田雅美さん作品を、読んだことある人は、それがオペラのような壮大な解決へのステップになっていることが分かるはずです。有馬くんは、最高の幸せを手に入れるし、天使の棲む部屋も最後の最後で心が冷え切った主人公は、自分が愛した少女と出会うことになります。


つまり、津田雅美さんは、現実は戦って変えることができる!!!と信じているんですね。


だから壮大なオペラのように、凄まじい負があっても、その負が多きれば大きいほど、その逆の癒しや解放も素晴らしく大きくなるんです。だから、現実の負の側面が苦しければ苦しいほど、逆に、聖性を帯びた解放が、その最後に待ち受けているという物語上の期待感が盛り上がるのです。


逆に云うと、「めでたしめでたし」のご都合主義ともいえます。この「めでたしめでたし」のカタルシスを作り出せる作家こそを、僕は物語作家、と呼びます。


そういう意味で、僕は彼女の作品構成をオペラ的だと思っている。劇中に『アルジャーノンに花束を』を思い起こさせる鋼の雪という演劇の話が出てくるが、この話などまさにその感を強くさせます。

アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)

さて、津田雅美さんの「負の側面」の設定が、克服すべき、戦って変えるべきもの、という考えている、とすると・・・・


羅川真理茂さんは、克服できない、戦っても変えることのできないもの、というあきらめ感を非常に強く感じさせるのです。



だから、読んでいて、物凄く苦しい。


が、、、先ほど書いたように、作家であるかぎりは、エンド=終着点をつくりださなければなりませんし、そうでなければただのリアリズムで、読者を共感させられません。羅川さんがほとんどが長い巻数を重ね、このしゃにむに至っては、23巻ももの巻数を重ねていることからも多数の読者の共感を得ていることが、連載レベルですらあるということを示しています。細かいネタについては、ネタバレになるので置いておきますが、どの現実の苦しい設定・・・・ひなこがどんなに好きでも二度とテニスはできないことや、滝田の性格などはとにかく「変えようがないもの」として、厳然として存在します。たぶん未来も変わらないでしょう(笑)。『赤ちゃんと僕』も結局は、母の不在という側面は、最初から最後まで事実としてしか存在しませんでしたし。そのための解放を描いた、というドラマツゥルギーも存在しません。

赤ちゃんと僕 1 (白泉社文庫)


そう、羅川さんは、悲しみや苦しみを




受け入れて抱きしめていくもの




と、認識しているんだと思います。そして、本当に解決できない現実とであった時・・・・たとえば、最愛の人の死に出会ったときに、人間ができることは、「これ」だけなんだと思います。




つまり物語のドラマツゥルギーをエンドに持っていく行き方が、




(1)津田雅美さんは、負の現実を克服して変えて行くこと、




(2)羅川真理茂さんは、負の現実を受け入れて昇華して行くこと




を、最終ポイントに持ってくる点で異なるといえます。


だから、羅川作品は、どこまで言っても、物語上の、登場人物たちの「悲しみや苦しみ」という基調低音は、まったく解決されません。ただ、静かに受け入れて、それを噛み締めて前へ進んでいくだけとなります。物語ですし、青春を描いているわけなので、もちろん前向きに成長して行きますし、その悲しみを受け入れて乗り越えては行きます。が、津田雅美さんのように、解決して、解放された!という印象を僕はまったく受けないのですね。だから作者は、悲しみは、解決するものではなく、受け入れていくものだ、と認識していると、思っています。


しゃにむにGO』 23巻 羅川真里茂著/悲しみの受け入れ方
http://ameblo.jp/petronius/entry-10013996319.html

しゃにむにGO 01 (花とゆめCOMICSスペシャル)

ちなみに、この二人の作家は大御所も大御所の上に、物凄く素晴らしい物語を描くので、超おすすめです。カレカノは当然で、『しゃにむにGO』は、現在完結しているテニス漫画では、テニスの魅力を最も美しく描いた作品だと僕は思います。両方とも、★5MAXのマスターピース級。そして、どちらも救済という観点からは、人生の負の側面を抱えてしまった場合に行きつく到達点まで描き切っている人なので、僕は、本当に大好きです。ちなみに紹介ですが、『カルバニア物語』のTONOさんも僕は津田雅美さん的な感じを受けます。これもいいですよ、凄く。タニアのお母さんとの関係の物語、素晴らしいと思います。彼女が、母親を法廷で告発する話が、本当に素晴らしかった。7巻を読むと、いつも僕は落涙します。


タニアの幼少時代のお話〜弱さに負けない誇りを持つこと
http://ameblo.jp/petronius/entry-10051638748.html

カルバニア物語 1 (アニメージュコミックス キャラコミックスシリーズ)

さて、『花の名前』に戻るんですが、どちらかというと、何かが解決したわけではないことを考えれば、羅川作品の悲しみを受け入れて昇華させていく方向性を感じます。けれどもね、本当に?本当に受け入れている?、次に何かまたアダルトチルドレンの傷がうずき出すように、時間がたって問題化しないって言える?この二人は?。ほんとうに蝶子と京は、最後まで到達しているのか?というと、僕はそう思えないんですよ。たぶん当時は思わなかったんですよね。

たしかに蝶子ちゃんは、お祖父さんの死を受け入れることができています。それは、その愛がきちっと示されて覚悟を持って死と向き合えたというのもありますが、京がいるからですよね。彼女の内面の変化は、庭の豊穣さに比例しています。庭の花が増えていけば行くくほど、そしてその花の名前をはっきり覚えていけばいくほど、彼女の内面は豊穣にかつ自覚的になっていきます。それはすべて、京に向ていますよね。京は、いってみれば、家族から捨てられたこと、父親が不在であったこと、が大きなトラウマとなっていて、最後は、自分の家族、ここではその象徴が兄貴ですよね、それを切り捨てることで、やっと自由になれたという描写になっています。構造的には、これで完結していると思います。彼らはトラウマから自由になった!、と。。。。。。。

でも本当に?。僕はね、ちょっと、そうは思えないんですよね。特に京のほうが、甘い。津田雅美さん的な作家じゃないから、ドラマトゥルギーを前回に展開してドラマチックに問題を解決して乗り越えていくような描き方はしません。では、羅川さん系の、ちゃんと受け入れて抱きしめて昇華できるか?がポイントだと思うのですが、僕は、まだいまいちこの男性が、悲しみを受け入れきっていない気がするんですよ。単純に、蝶子ちゃんの包容力に逃げただけなんじゃないの?という気がするんです。だから、この二人には、とても対幻想的な、自己愛による自意識の牢獄からは出たんだけど、自己を承認する相手にに依存しあって他が見えなくなる対幻想の匂いが強くするんです。それは、それで美しい、とは思います。セルジュとジルベールとの愛が美しかったように。

風と木の詩 (第1巻) (白泉社文庫)

ちなみに、この悲恋で終わったジルベールとの愛の物語が、その先の話である、小説で、まさに津田雅美的な展開で、凄い美しい展開を遂げているのを知っているでしょうか?。僕この小説物凄い大好きで、なんども読んでいます。作者は、こちらこそ本当は書きたかったんだけど、この話を描くための前日譚として『風と木の詩』を書いたそうです。わかる人にはわかるんですが、救済が、その当人たちには訪れなくて、その次の世代につながっていくところは、まさに、まさに、これしかねぇよ!的な、素晴らしいものでした。

神の子羊〈1〉

あと、幻想的なものの中に逃げて混んでしまった例は、やっぱり美しくて涙が出そうだった『Papa told me』ですよね。僕は凄い好きで、癒されたけど、でもこの物語は「どこにも行けない」時間が止まった物語だと思ったよ。だから主人公のちせちゃんは、大きくならないままなんだもの。これは永遠の日常が、自己愛の檻もしくは対幻想の中で止まった時の静謐感をよく表している素晴らしい作品だと思います。そしてとても癒される。確かにどこにも出て行けないけれども、美しく、そして穏やかな時間。

Papa told me (26) (ヤングユーコミックス)


話がずれた。


えっと、僕は、『花の名前』を今回読み直して、うーん、これはまだもういっちょ足りないなーと思いました。前も書いたんですが、こういう閉じ込められた自意識を打ち破るのって、性愛しかないんだけど、そこまで行っていないっていうのも、弱いなって思うんですよね。ちなみに、『かわいいひと』は、ヒロイン、前のめりじゃないですか!これ、いいなーと思うんですよね。この雑誌でどこまでそういうのが書けるのかとかはあるんですが、ああ、この子は、幸せになるなと思うんですよ。男にだいぶ嫌悪がありそうですが、好きな人ともっとイチャイチャしたいって、ぐいぐい前に出れるのは、ああ、これはしあわせになれるなって(笑)。性愛のその先にある彼らの家族、新しい家族まで行きつかないと、やっぱり対幻想に逃げて二人だけで閉じこもる話に、、、、美しいので、それはそれでありなんですが、そう見えてしまいます。もちろん、救いはあって、唐澤くんや秋山くんという、一人にしない、ほっとかないでかかわってくれる人がいるので、構造的にバランスはとれているんです。けどねぇ、それじゃあボーイズラブ的な方向に行っちゃうよって思うんですよ(笑)。だって、明らかに、京って、秋山くんの存在によって救済されてて、現実に引き留められているんだもん。これ、構造が悪いんじゃないかなぁ、、って。ボーイズラブに行くのならば、これでいい出来なんですが。というか、蝶子とちゃんと秋山くんで、京を取り合う三角関係が、これは正しいな(笑)。


一言でいうと、斎藤けんさんは、まだ自分の中にある物語のコアを描き切れていない気がするんです。その最後まで。ほとんどの作品を見ているんですが、射程がそこに届く前に失速してしまう。たぶん、暗すぎて、打ち切りになるか人気が出なくなるんじゃないかと思います。なので、編集者さんなのか、本人なのかわかりませんが、『プレゼントは真珠』のような、ギャグというかコメディーを描いて、作風の幅を広げようとするのは、非常にわかるのです。この人、これがかける人なんだもの。

プレゼントは真珠 第2巻 (花とゆめCOMICS)

だから、失速しない短編で描くと、この作家さんのいいところが凝縮していいものが生まれます。アイディアも素晴らしくいい。


『亡鬼桜奇譚』 斎藤けん著 閉じ込められた世界からの脱出〜他者の深さを理解した時に世界の残酷さを知り、世界の残酷さは人に優しさを教える
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20091009/p1


亡鬼桜奇譚 (花とゆめCOMICS)

けど、やっぱり、その先、にまで到達していない。僕は、津田さんと羅川さんが、長い長期連載の作品を描き切きって、自分の出せるすべてを出した後での広がりがすごい好きなんですよ。作家は、やはり「いけるところまで」いかないとだめなんだなって。カレカノ描き終わった後の津田さんの『eensy-weensyモンスター』や『ちょっと江戸まで』での円熟の技術の惜しみない投入とか、こんな小作品なのに、その中に世界があるような見事さとか、マジで半端ないっすよ。

ちょっと江戸まで 6 (花とゆめコミックス)

なので、斎藤けんさんにも、頑張ってほしいなーと思います。ちょっと構造的には物足りないところはあるけれども、『かわいいひと』は、とてもバランスがよくていい作品なので、これでどこまで行けるか?ですよねと思います。この人、凄い惜しいところまで行っているんだもの『花の名前』で。

かわいいひと 1 (花とゆめCOMICS)

いやーでも、まじで、花園くん、かわいいよね(笑)。ほんとうは、こんな不思議な恋愛をするくらいだから、日和さんってもっと大きなトラウマあっていいと思うんだけど、でもたぶんそうして今しまうとこの作品のコメディ風な、温かさが消えてしまうので、ダメなんだろうなー。だって、まぁ、そちらに行かなければ深くはならないけど、日和さんが花園くんを好きになる気持ちはわかるよ。たしかに、花園くんかわいいもの(笑)。これはこれで十分説得力がある。ただ、もうお互い分かりあっちゃっているので、話は、ここより進まないんだけれどもね。

AneLaLa かわいいひと story06

ちなみに、この現実の負の側面を、童話というか昔話的な、もっと大きな視点で、ぐわっと描くのは、戸田誠二さんとかが素晴らしすぎるほど素晴らしいです。これらのアイヌの話とか春香伝とか、本当に短編なのに読んでいて震えます。おすすめです。


『化けの皮』戸田誠二
http://ameblo.jp/petronius/entry-10003235034.html

化けの皮 (Bunkasha comics)

先日、『ヴィンランドサガ』の新刊を読んでいた時に、人が救われるにはどうすればいいのか?、償いようのない犯した罪はどう償えばいいのか?って、凄い思いました。ああ、本当に素晴らしい物語に、満ちていますねぇ。この世界は。

ヴィンランド・サガ(17) (アフタヌーンコミックス)


■参考記事

『カルバニア物語』 9巻 マクロの物語が動き出す時〜ビジネスを通した世界の変化
http://ameblo.jp/petronius/entry-10053955379.html
『カルバニア物語』 TONO著 関係性と物語の違い
http://ameblo.jp/petronius/entry-10051898410.html
『カルバニア物語』 TONO著 女の子の自立の物語
http://ameblo.jp/petronius/entry-10050813630.html
タニアの幼少時代のお話〜弱さに負けない誇りを持つこと
http://ameblo.jp/petronius/entry-10051638748.html
エビアンワンダー』 素晴らしいっ!!!!これは読まなきゃ損!!!!!!
http://ameblo.jp/petronius/entry-10030635050.html
梨木香歩著『裏庭』と上橋菜穂子著『精霊の守り人』を読んで〜始まりは嫌悪感から①
http://ameblo.jp/petronius/entry-10032012251.html
しゃにむにGO』 25巻 羅川真里茂著  もう感動で胸がしめつけられます…
http://petronius.ameblo.jp/petronius/entry-10027625077.html
『しゃにむにGO』 27巻 羅川 真里茂著 負パワーを正のパワーへ
http://ameblo.jp/petronius/theme-10004579561.html
『しゃにむにGO』25巻 本当に大事なものは、なかなか見えないものだ、けれど人生は美しい②
http://ameblo.jp/petronius/entry-10028227071.html
『しゃにむにGO』25巻 本当に大事なものは、なかなか見えないものだ、けれど人生は美しい①
http://ameblo.jp/petronius/entry-10028227026.html
彼氏彼女の事情津田雅美/繰り返すものからの脱却
http://ameblo.jp/petronius/entry-10002092598.html
『ヴィンランドサガ』 幸村誠著 まだ見ぬどこかへ〜なにを幸せと呼ぶか?
http://ameblo.jp/petronius/entry-10027058894.html