『同居人の美少女がレズビアンだった件。』 小池みき著  僕の一番の感想としては、著者の小池さんが、すげーこの子いい子!というか、魅力的で、いいなーって全編思いました。

同居人の美少女がレズビアンだった件。 (コミックエッセイの森)

評価:★★★★星4つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

僕は、レズビアンというかセクシャルマイノリティについては、まったくわからない。自分にそういう嗜好が全くないせいもあるし、そういう友達に出会ったこともほとんどない。なので、さっぱりわからないし、そもそも特別に興味もない。自分に関わらない限り、そもそもよくわからないのだ。むしろナルシシズムの病というかアダルトチルドレンというか、自分のことで精いっぱいだった若い頃(いまもかな?)は、そんな他のこと考えている余裕がそもそもなかった。まぁ、唯一少し変な部分があるとしたら、小説家の栗本薫さんが好きすぎて、BL黎明期に3ケタレベルの小説を読み込む小中学生であった(笑)ということと、凄い量の物語を読んだ結論としての最も美しい愛だなと思ったのは、栗本薫さんのBLの男同士の愛だった(笑)っていうことぐらいか。なので、現実にぶつかったことがないので、自分に偏見が強くあるのかないのかすらも、そもそもよくわからない。


なので、この漫画のことを特にうまく記事がかけるわけでもないんですが、、、、一番に思ったのは、p142あたりの話が、凄い僕には胸に響きました。というか、主人公である牧村さんよりも、それを眺めているというかそばにいる著者の小池さんが、いいなー、この人いいなーって、凄い思いました。このシーンはね、結局「なにもない」小池さんに比べれば、牧村さんって、凄い恵まれている「持っている人」なんですよね。別に、セクシャルマイノリティだろうがレズビアンだろうが、、、ただ単に彼女がうらやましい、と吐露する小池さんは、正直だと思うんです。僕も大変だというのはわかるけど「何も持っていない自分」から考えれば、若い頃ならば、絶対そんなドラマチックな人生に、うらやましさと嫉妬を感じただろうと思う。けど、、、あーーーって叫んで、クリスマスイブにこんなのは嫌だといって、牧村さんたちにワインを買って、プレゼントするんですよね。僕、胸がキューーーってなりました。この子なんて、いい子なんだ!ってぐっと来た。これって、ナルシシズムを壊す瞬間なんですよ。自分、自分、っていっていてもしゃーないじゃないか、まぁ、そこはぶった切って、ワインでもプレゼントしとくか、クリスマスだし!と思える、比較級の嫉妬の世界を、たった1Pの葛藤で、ぶっ壊せる。僕、こういうのが、正しい生き方というか、真っ当なものだと思うんですよねー。僕は全編で、ここが一番ぐっと来たなー。この漫画を、小池さんが書くからこそ意味があるものになると思うとあとがきで書いている牧村さんは、見る目あると思う。すごくよかった。


海燕さんが絶賛していた『百合のリアル』の方は、まだkindleになっていないんですよねー。これ、絶対読みたい。というか、漫画でも牧村さんが言っている「言葉の暴力」・・・・・言葉というものはカテゴライズして、レッテルを張ってしまう暴力性があって、あるがまま、でみることができないものなんですよね。このことに凄く自覚的なのは、僕は凄いイイなぁと思いました。僕は、「何者でもないパンピーな自分」「何の物語も発動しない普通の人生を生きる自分」が心底さびしく悲しく悔しく思って生きていた人なので、僕らの世代の頃のフェミニストでもヲタクでもレズビアンでも何でもいいのですが、権利を主張する第一世代の人々の「声高な様子」だけで、げんなりしてしまって、もう聞く気が失せてしまうんですよね。中身がどれほど意味があったとしても、おれが!おれが!!私が!私が!!!と自意識をぶつけられると、凹むというか、疲労するというか、、、、。自分の内面だけでも、それを飼いならすのが大変なのに、人のことまで聞いてらんないって思ったんですよねー。けど、牧村さんがどういう人かは、まだ本もに読んでいないので、この漫画だけで軽々しいことは言えないのですが、「なにかになりたい」わけではなくて、自分自身になりたいのですよね・・・・ああ、僕らの(僕は40台です)下の世代の発想だなーって、凄い読んでいて、等身大でナチュラルで、いいなって思いました。時代は、ここまで来たんだって、なんとなくホッとしました。『百合のリアル』これは、ぜひともよまなきゃです。


そういえば、この人を等身大に、あるがままに見るってのは、僕がずっと中学生の頃から、どうあったらそうあれるか!と考え続けてきたんですが、まぁ、なかなか難しいのですが、これを意識できること、言葉がどれだけ暴力があるのか、その限界を知り、それを道具としてどこまで使うのか?と思える人は、それだけでだいぶ等身大に近づけるようなので、そこはいつも意識したいと思います。ちなみに、この「あるがままをみる」って、やらねばならん!!と使命感に燃えたのは、栗本薫さんの名探偵伊集院大介シリーズですよねー。なつかしい。あれつながりで、西田幾多郎純粋経験まで、すべて読みましたよ(笑)ぼくわ。でも結局、偏見の色眼鏡なしの、あるがままなんて、不可能なんですよね。最初は、色眼鏡を取ることをがその手法かと思っていたんですが、、、違うんですよね。たくさんの物語(=現実と他者)に触れて、自分でない何者かに少しでも触れる経験を、多様な軸で、たくさん積み重ねていくことで、自分の自我の牢獄から脱出して自由になって行けるようになるんです。僕には、レズビアンとして生きる人生も、フランスに住む人生も経験していないので、よくわかりませんが、でもこうして物語で追体験させてもらえると、へーそんな人生もあるのか、ありえるのか!とドキドキします。いやー面白いマンガでした。


早くkindle出てくれないかな、、、、。


百合のリアル (星海社新書)


追記


・・・・・本人が読むとは想定していなかった(笑)。こういってもらえると、なんだか恥ずかしいですが、本人に伝わるというのはうれしいです。凄い良かったです。



昨日の夜、海燕さんが、『百合のリアル』を絶賛している記事を見つけて、これは読んでみたいなと思ったんですが、kindleがなかったので、とりあえずマンガを読んでみようと、期待せずに手に取った(というかAmazonぽちった)のですが、本当に良かった。寝る前に3回ぐらい読みなおしたので、中身が良かっただけではなく、楽しかったんだと思う。



いまどきエンタメ解剖教室
モテるためにはどうすればいい? あるレズビアンの答え。
http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar964870



他の人は、どうなんでしょうか、、、僕はこの漫画を全編、どうも牧村さんが主人公なのではなくて、「それを眺めている著者の小池さん」に感情移入して読んでいたようなのですね。なので、一番感動して心に刺さった部分は、小池さんの独白の部分でした。決して、このエッセイ漫画は、牧村朝子という特別なキャラクターの物語になっていないところが、素晴らしかったんだと思います。


えっと、わかりにくいので、もう少し敷衍するとですね、このエッセイ漫画は、著者の小池さんのニュートラルで、どちらかというと、特執着しない、冷めたともいえるような、冷静な視点で、対象を「眺めて観察している」という距離感のある視点で描かれています。彼女とあまり仲がいいわけではありませんでしたという途中の小池さんの説明は、非常に納得できるものでした。


たぶん、小池さんは主人公ではないので、背景が語られていないのですが、ちゃんと若者らしく孤独もあり、いろいろやるせない思いもあり、いろいろな人生の背景があるんでしょう。でも、そんな「私のことを見て!とアダルトチルドレンみたいなこと言ってもしゃーない!」という割り切りというか、凄くさっぱりとした感じを、著者の振る舞いから見て取れます。僕は、物凄くこういう人に好感を持ちます。だって、大人じゃないですか!!!。大人っているのは、「おれがおれが!という自分が主人公になりたい!!」と叫ばないで、それはいったん脇に置いておいて、やらなきゃいけないことやるってのが、大事なことだと思うんです。でも、難しいですよね。でも、そうやって、主人公の座を他者に譲り渡して生きる人生は、ちょっと寂しくもあり、せつなくもあるんです。そういうのを抱えて、みんな、血反吐を吐くように生活のために働くもんなんですよ(←経験から(苦笑))。金は、降ってこないですからねぇ。



たぶん、この漫画を少女漫画として考えるならば、牧村朝子さんは、主人公なんですよね。常にすべてにスポットライトが当たっている。そして、それを見ている脇役Bぐらいが、著者の小池さんの立ち位置。けど、僕がこの少女漫画で、誰が一番魅力的かって考えたら、この脇役Bの立ち位置のヒロインのサポート役の子です。少なくとも、僕にはそう見えた。こっちの物語ぼくに見せて!!と思うんですよね。なぜならば、主人公にはドラマトゥルギーがあるので、戦って生きていく必然の理由があります。けれども、脇役には、それがさほどない。その中で、自分をきちっとバランスを持って、嫉妬を吐き出しながらも、笑顔でそれをぶったぎって、主人公の祝福できる、、、これが、こんな、ええ子いないわっ!!!!って、思うじゃないですか(笑)。



はぁはぁ、熱くなった(苦笑)。まぁそれは置いておいて、エッセイ漫画というのは、対象をただ単に書いて、対象が面白ければ成り立つものではありません。漫画の書き手の視点の視座セットされていないと、つまらないものになります。いいかえれば、対象が全く大したことがなくとも、著者の独自の切り取り方で、とても芳醇な香りを放つ物語に変わるんです。



なので、この作品は、牧村朝子さんというドラマを、外から冷静に眺める小池さんという視座がセットされて成り立ったもの、素晴らしい出来なっていると思いました。それは、やはり読者にとっては、レズビアンや、そもそも芸能人である牧村さん、フランス人の恋人とフランスで暮らす彼女に対しては、感情移入はしにくいはずですし、それこそ、対象が「特別な存在である」というある種の切り離しの効果を持ってしまうのが普通です。いや、実際、どう考えても、僕らパンピーからすれば、特別ですよね。けれども、それを、等身大の僕らと同じ、しかも特に深くレズビアンなどメッセージに共感するでもない、小池さんが、適切な距離を持って、特別な存在としてではなく、等身大の一人の人間として友人として少しづつ関係が深まっている様を見ていくと、、、、これって、普通のパンピーである僕らが生きる生活とのリンクを感じさせてくれると思うのです。なので、このエッセイ漫画、凄いい出来だ!!と思いました。まさに、小池さんでなければ書けない距離感だったと思います。



ちなみに、僕は40台のおっさんなので、この20代の若者たちの話を聞いていると、いやーすっげぇー若いなーと思うんですが、、、、なんか読んでいて、凄いうれしかったです。なんというか、凄い大ざったぱなんですが、やっぱ日本いい国なんだな、日本って未来に希望が持てるんだなって思ったんですよ(笑)。だって、こんなにもナチュラルに、等身大に「自分自身になる」ことを、ちゃんと目指す若者が、いっぱいいるんだって思ったんですよ。小池さんと牧村さんの関係って、いいなって思いますよ。適度に距離があって、お互いの人生の物語に対するリスペクトがあって。ちゃんと自立したやりたいことがある同士で、出会えてよかったと思えて、、、、



僕は10年ぐらいこのブログ書いていますが、90年代から00年代にわたっての、ナルシシズムの檻に閉じ込められた大量の自意識の病のテーマを分析したんですが、いやー最近、そういうのがどんどん弱くなっている気がするんですよね。ああ、いい時代になっているんだ、と凄く思うのです。日本は、貧乏になっていますが(笑)、でもずっと豊かになっているんだ!って実感します。



別に人間のいる世界は、どこも変わりません。社畜リーマンとして、日本でボロボロになりながらアニメと漫画にまみれて生きていくんだなぁ、まっ、それでもいいや、楽しいから、とあきらめていた僕が、なぜかアメリカで暮らしていたりしてみても、こう数年住んでいると、どこの国にも良さと悪さがあって、結局、大事なことは「自分自身になる」ことで、それを本当の自由と呼ぶんだろうというのはわかってきました。どこにいても、何者でも関係ないんですよね。Be yourself。はやくにそれに気づいた人の勝ちです。人生は。



なんとなく意味不明の追記になったのですが、いやーなんか昨日の夜記事書いた後さらに何どこ読み返してて、なんか、いやーこの漫画いいなってしみじみしちゃいました。いやー漫画に出会えました。