これ以上市民にもっとやれっていうのか?っていつも思う。しかし民主主義が参加の義務を失っては機能しないというのも建前であっても事実なんですよねぇ。ふぅ。

何なんだよ日本。

一億総活躍社会じゃねーのかよ。

昨日見事に保育園落ちたわ。

どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。

子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?

何が少子化だよクソ。

子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。

不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。

オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。

エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。

有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。

どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。

ふざけんな日本。

保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。

保育園も増やせないし児童手当も数千円しか払えないけど少子化なんとかしたいんだよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。

国が子供産ませないでどうすんだよ。

金があれば子供産むってやつがゴマンといるんだから取り敢えず金出すか子供にかかる費用全てを無償にしろよ。

不倫したり賄賂受け取ったりウチワ作ってるやつ見繕って国会議員を半分位クビにすりゃ財源作れるだろ。

まじいい加減にしろ日本。

追記

https://twitter.com/hoikuenochita

「保育園落ちた日本死ね!!!」
http://anond.hatelabo.jp/20160215171759


先日、この文章を読んだ。僕も保育園に入れなくて、妻と地獄を見た人なので、この気持ちは凄くよくわかる。なんだかその後の話は、いろいろ迷走して、よくわからないイデオロギーの話とかに発展している感じなので、忙しい社会人にとっては、いちいちそんなの読んでいられないのですが、この叫びには確かにぐっと来た。僕は、こういう脊髄反射にはなるべく反応しないで、自体が終わってから結果のみ見ようといつも思っているんですが、いやぁこれは見た瞬間、凄い同感しましたねぇ。うちは双子で、さらに地獄を見たので、、、、。一人でも入れないのに、二人って(苦笑)。あのときを凄く思い出しました。うまく保育園には入れても、ぜんぜん違う遠い場所に双子が別々に入るのとか当たり前なんですよ。。。。気でもくるったか、と思いましたよ、そんなの。僕は奥さんに働いてほしい人なので、というか働く才能がある人が社会で働かないのは人生の損失だと思って、全力でいろいろ調べたりしましたが、日本社会は、女性に働いてほしくないんだな、としみじみ思いましたよ、あの時。社会の仕組みがそうなっている。・・・・・そういえば、考えていなかったが、アメリカで、保育園に入れないなんて、聞いたことねえな。そもそも。ベビーシッターとか、選択肢も多様だし。まぁ、アメリカの場合は、すべてが金次第のところがあるので、それはそれでいろいろ問題はあるんですが、それでも選択肢が多様なのは、やはり自由を感じますよ。

 また、自治体に対しては、とにかく文句を言うべきです。
自治体の職員は、待機児童を解消できなくてもクビにはならないので、騒いでも効かないですが、市民の怒りを買って職を失う人たちはいます。

 それが、首長(市長や区長)と地方議員です。
彼らに対し騒ぐのです。声を届けるのです。

 数年前の「杉並保育園一揆」では、ママたちがベビーカーで区役所前でデモをして、その絵が面白いこともありメディアが食いつき大炎上。杉並区の認可保育園増設を大きく加速させました。

 「保育園落ちた日本死ね」と叫んだ名も無きあなた、見てますか。僕も心はあなたと共にあります。あなたがネットで叫んだように、それをネットでも、リアルでも、あなたと共に何万人がやっていって、無関心な政治をこちらに向かせるしかありません。でないと本当に、日本は緩慢に死んでいくことになってしまうだろうから。

2016年2月17日

「保育園落ちた日本死ね」と叫んだ人に伝えたい、保育園が増えない理由
http://www.komazaki.net/activity/2016/02/004774.html


僕こういう時事問題には、あまり口を挟まないようにいつもしているんですが、これは、凄い思うところがあったので。ちなみに、なんで口を挟まないかといえば、結局、ちゃんと勉強して調べて、ずっとかかわる気が無ければ意見に意味が無いと思うんですよね。ちゃんと長く「それ」にかかかわっている人がしゃべるべきだし意見を言うべきで、それ以外は、変えられもしないのに意見を言ってどうするっていつも思ってしまうんですよ。声を上げる意味自体は否定しないけれども、僕はできないこと、実際に本気で取り組まないことにあまり意見を言うのは、凄い人生の無駄に感じるんですよねぇ。生産性が無いもの。それにちゃんとかかわって知識が無い場合は、感情的な反射は社会の害悪になることが多いような気がするんですよねぇ。


でも、この上記の記事は、読んでいて、瞬間的に凄い腹が立ったんです。ただね、言っていることは正しい、言っている人自体も、非常に紳士なんで、何でこんなに腹が立ったのか?と不思議になったんですよね。うーんとね、駒崎弘樹さんという人を僕は良く知らないので、これもやっぱり印象論になってしまうんですが、僕はこの記事を読んだ限りにおいては誠実にちゃんと分析していて、非常に有意義かつ価値のある意見だな、と感じました。人間としても、他の意見をしらないのでなんともいえないのですが、きちっとしている人だと思いました。けど、この最後の結論の部分は、ほとんどの社会問題の結論というのは、論理的帰結としてこうなるのは、凄くよくわかるんですが、、、、それでも、非常に腹が立つというか、むっとくるんですよね。この結論は、正直言ってこれ以外の結論が無い、まさに正しい意見なんですが、、、、でも、そもそも、そんなこと普通の市民にできるの?って思ってしまうんですよ。


例を出すとですね、僕が仕事が凄く忙しかったときに、風邪がどうしても治らなくて、点滴を打ってもらったときに、医者に、凄い怒られたんですよ。毎日たっぷり9時間以上寝て、三食なるべく野菜をよく食べて、ストレスが内容に暮らし、運動をしてくださいというんですよ。もちろん、正しい意見ですし、これを無視したら過労死したりするのは自分なので怒るのは筋違いなんですが。。。。でも、やっぱりこう思うんですよね、それができないから、こうしてきているんじゃないか!!!って。このときは、確か、ビタミンCなどの錠剤をどんなものがいいか聞いたら、そんなものより野菜をって怒られたんですよ。もちろんそれは正しいのですが、そのときはお昼を食べに行く余裕も無かったり、夜も深夜まで働いていてコンビニがやっとだったから、その限界の中で、どういう風にやりくりできるのか教えてほしいといったんですが、そもそもそういう生活が間違っている!と上から目線で起こられたので、切れたというか、、、、それができないから、次善の策でどうすればいいのか?、最後のぎりぎりの線はどのへんか?とかそういう有用な意見がほしいのに、そんなゼロか100がの話をされたら、結局のところ医者の意見なんかどうにもならないと思って無視することになってしまうじゃないですかって、いったんですよ。理想論は、大体のところわかっているんですが、それがどうにもできないときに、それでもどうすかという現実的なプラクティカルな意見がほしかったんですよ。


正しいのはわかっているんです、それを否定することもできないのも。民主主義では、いかに政治家を動かすか、そして政治にかかわって動かし、投票をする。それ以外ないんですよ、結論は。でも、そんなこといわれちゃうと、そもそも子供を保育園に入れて共働きしようなんて家は、分刻みで人生を生きているんですよ。ましてや子供が一人を超えて2-3人になったら、ストレスで気が狂いそうになり、常時殺伐として生きているもんなんです。だって、日本の社会は、特にビジネスの世界は、そういう同調圧力が前提なんだもの。ましてや、子供と子育てする母親にも父親にも常時圧力と抑圧がかかっている社会なんです。そこを、ぎりぎりの思いで何とか生きている人にとって、これ以上何をやれっていうんだっ!!!!て思うんですよ。もう無理ですよ、へとへとで。


市民の義務として、政治を変える。投票を行う。政治家にコンタクトして、社会運動をする。。。。。これって、暇な人にしかできないことなんですよ。もしくは、その領域に人生がかかわるという風に決めた人にしか。なぜ共産党支持者にお金持ちが多いのか、独立自営業の人が多いのか?っていうのは、社会運動を行うには、そういう人にしか余裕が無いからだと思うんですよ。サイレンとマジョリティの話ですね。もちろん、社会を、世界を変えてきた人々は、こういう殺伐とした地獄の中で、自己犠牲を省みずに献身した人たちであることもわかっています。でもねぇ、そんなの簡単にできる?って思いますよ。


もう少しプラクティカルに、参加できる方法を教えてもらうか?、もっと違う形でマクロ構造を変える現実的な方法を示してほしい、と僕はいつも思います。僕は、社会改良の話で、最後は、投票せよという結論は、正しいのですが、思考の停止だと思っています。そこからもう一歩何かをいわないと、現実社会で生きている人には、何の動機も喚起しない。まさにここで書かれているように、当事者である時間が過ぎるのを何とかやり過ごすことだけを考えます。マクロを変えられても得をするのは次世代で、自分だけ生き残って逃げ切れれば、その時期は過ぎ去るのならば、たいていのひとがそうしちゃいますよ。マクロを変えるなんて膨大な熱量、エネルギーなんか個人には無いもの。


僕は市民の態度を考えるときに、ずっと昔に聞いた、社会学者の宮台真司さんと評論家?の岡田斗司夫さんの話を思い出します。理論的には、この話が一番、現実的だよなーって。それは、、、、って僕の解釈なんで一字一句同じではないと思いますが、ようは現代社会というのは、社会のシステムがそれぞれのクラスタごとに独立して完結している。政治だったら、政治のクラスタで完結している。サラリーマンだったら、サラリーマンの世界で完結している。各クラスタが、それぞれに独立していて、好き勝手なことやっていても、それなりに全体が動的安定を保つようなシステムになっている「べき」なのが、現代社会。もちろん、こういう平時を越える非常時が想定されるので、そこはまた政治的論争のポイントなんですが、それ以外に関しては、基本的に近代社会は分業をベースとする社会なので、それぞれがかかわらなくても、それなりに回るべきであるというのが基本。岡田さんは、たしか最低限キャラクターによって政治家を選んで、だめだったら、それを変えるというようなことを繰り返す以上に、政治やそうした社会改良にコミットするのはできないだろう、普通の人はといっていたのを思い出します。


僕も実際のところ、大きな選挙で一票入れるのが、精一杯の活動だろうと思うんです。なので、少しでも楽にコンビニエントに投票ができ、1票の格差がゼロであることなどは、前提であるべきだと思います。でも、それ以上は、無理だと思うんですよね。ヨーロッパでもアメリカでも、どんなに進んだ民主主義の国でも、それなりにポピュリズムによって政治が動くのは、どうしようもないんだろうと思います。あとは、その国の歴史と伝統が、どういう憲法的な統治権力への監視の文化を持つのか?とか、社会階層がイギリスのように貴族を残して動的安定を維持するとか、アメリカのように2党による独裁を許容するとか、100年単位で具体的なシステムを積み上げていくしかないと思うんですよね。

「保育園に入る子もいれば落ちる子もいるのは当たり前だ」という批判があるが、保育園に「落ちる」とはどういうことか。大学ならわかるが、保育園は子供の能力で選別しているわけではない。親の納税額で選別し、保育料も所得に応じて決める社会主義的な割り当てになっているから、高額納税者の子が落ちるのだ。

この納税額は、サラリーマンの場合はガラス張りだが、自営業者の所得捕捉率は低いので、高所得者でも納税額ゼロという人はいる。サラリーマンの家庭が高価な「無認可保育所」に預ける一方、保育料の安い公立の保育園に親がベンツで送迎しているという風景は珍しくない。

幼稚園の場合には、落ちるということはほとんどありえない。需要が供給を上回れば、新たに幼稚園ができるからだ。ところが保育園の経費の90%は補助金だから、簡単に増設できない。経営主体も社会福祉法人なので、「商業主義」の保育園の新規参入を妨害するため、需要に見合って供給が増えない。

供給不足のときは、市場経済では料金が上がり、保育サービスに高い価値を認める人が高い保育料を払うが、社会主義だとそういう資源配分ができないので、物不足が起こる。昔のソ連では、パン屋に長い行列ができた。保育園に落ちるのは、保育サービスの供給が足りないだけでなく、価格メカニズムが機能していないからだ。

なぜ保育園に「落ちる」のか
池田 信夫
http://agora-web.jp/archives/1671945.html


ちなみに、はっきりと他の国に例があるわけなので、これができていないのは、本当はおかしいのです。ようは既得権益が、権益を維持しているからなんだろうと思います。

補助金を供給側(施設)から需要側(利用者)へ。子育てバウチャーの導入を

では具体的にどのように施策を展開していくかというと、
保育所をつくる・運営するために出している補助金を、利用者側に転換していくだけ。
まるまる新たな財源を創りだす必要はありません。

認可保育園というのは、本来利用者が負担すべき金額を
行政が施設側に補助するから安く使えているわけで、
保育園に入れない人たちはこの恩恵に預かれません。

見方によってはこれほど不公平な制度はありませんので、
冒頭の記事の中でも

>保育園増やせないなら児童手当20万にしろよ。

という一文がありましたが、
保育・子育て関連のみに使えるバウチャー(クーポン券みたいなもの)を
子育て世帯に一律で給付すれば良いのです。

保育所に当選した人は、そのバウチャーを保育料に使えばいいし、
ベビーシッターを利用する人はシッター代に充てることで、
誰もが安価に保育サービスにたどり着くことができます。

バウチャー利用を見込んで、新規の保育事業者の民間参入も加速するでしょう。
さらなる利点として、バウチャーを利用できる事業者を登録制・認可制にすることで、
不安視されているベビーシッターの質を担保・高める効果も期待できます。

バウチャー導入は待機児童問題を解決するとともに、
共働きで高額納税している人ほどなぜか保育園に入れないという、
「受益と負担」の不公平を是正することにもつながるのです。



http://otokitashun.com/blog/daily/10445/ おときた駿
「保育園落ちた日本死ね!!!」って言われたけど、むしろ東京都は保育園をつくるべきではない理由

けれども、よほどのことが無い限りは、たぶん団塊の世代が社会から完全退場していくまで、そういでなくとも、一票の格差が大きい選挙システムのままでは、民意は物凄くゆっくりしか反映しません。なので、まぁ、僕の孫の代ぐらいは、少しはまともになっているんじゃないかな?というのを期待することがせいぜいです。だいたいにおいて、社会改良を目指して、その改良のベネフィットを享受できるのは、次か次の世代なんですよね。



社会改良、、、、社会を少しづつ良くしていくということは、本当に難しい。




ただし、日本の社会の高度成長期のような社員拘束型の仕事のやり方が変わらなければ、そもそも市民が少しだけでも社会にかかわる動機や余裕は生まれないでしょう。30年後ぐらいに、日本はちゃんとそういう社会に向かっていくれるのでしょうか。、、、ああ、なんかうまく表現できていない気がします。なんか、駒崎さんの政治を、政治家を動かさないと、そこに声を届けないというのは正しい道なんです。それが、忙しい普通の市民にはできないといってしまうと、それもまた思考停止で、良くないことなんです。けど、なんというか、解決方法は、もう少しさまざまな多様性というか、ひとひねりがないと、どうにもならないと思うんです。なんか、その「もう一ひねり」がないと、個人にとって、そんなこといわれても、、、となって、自分のことで精一杯になってしまうんだと思うんです。社会改良や社会運動に携わる場合は、その一ひねりを提案してイノヴェーションできなければ、市民にもっと参加を!と呼びかけるのは、とても高踏的だと思うんですよね。社会運動の仕方、普通の忙しい市民を参加させるような手法のイノヴェーションは、この領域に非常に望まれている変革なんだろうなぁ、といつも思います。ほとんどデモなどの動因は、昔の洗脳型や先導型とまったく変化が無く、右翼にせよ左翼にせよルサンチマンの利用ばかりのような気がして、なんだか建設的ではないと思います。それに、若年層が少ない逆ピラミッド型の人口構造では、たぶん、若者が動きにくいし、動いてもたいした動きにならないので、運動が終息しやすくなっているんでしょう。何か、その先が無いんでしょうかねぇ。。。