『妹が痔になったので座薬を入れてやった件』  落花生著  とってもさわやかなでトラウマのない兄妹なので(笑)、とても安心して読めました!

妹が痔になったので座薬を入れてやった件 (美少女文庫)

評価:★★★☆星3つ
(僕的主観:★★★★4つ)


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妹が痔になったので座薬を入れてやった件 作者:落花生



これ、面白かった。僕は基本的に、近親相姦ものって、だめみたいなんですよね。ほんとは。でも、これガッツり、妹との近親相姦モノでしょう?。なんで、楽しかったのかなぁ?。前に『うさぎドロップ』の記事で書いたんですが、これ結論が気持ち悪くて、受け入れられなかったんです。


僕は、フィクションは、どんなものでもフィクションとしてとらえる人なので、女性がモノとして食いものにされるような漫画はだめだ!とかいう気はさらさらありません。この辺りは難しい議論があると思うのですが、少なくとも、僕は現実と線引きがあると思うので、あまり気にしていません。別に、何でもありだろう?創作なんだから、と思うんです。どんな出来事でも、現実の差別構造や問題点と結び付けて語ることは可能です。しかし、表現の自由とまでいかなくても、関連性が薄いことを無理やり結びつけて、批判のための批判の根拠にすることは、僕は世界を良くするとは思えません。本当に社会改良をするのならば、もっと優先順位があると思うので、こういう息苦しい空気だけを作るためのような批判は、無駄だと思うんで。あともうひとつ言うと、だから、BLとかもぜんぜんありだと思います。なんでもありだと僕は思います。


そういう議論とは別に、趣味嗜好の点、また、受け手がどのように感受するか?という点において、やっぱ、いろいろあるよなーと思うんですよね。『うさぎドロップ』の話がまさにそれで、この主人公のりんちゃんが、自分を育ててくれた男性に恋をして、最後は結婚して結ばれるまでは、物語としては、十二分に納得的で、ドラマトゥルギーもみごとに成立していると思うんです。なので、これで感動とまではいわなくても、そうか、りんちゃんは、こういう決断をしたんだね、と思わなければいけないんですが、、、、僕は、どうしても拒絶したいくらい気持ち悪かったんですね。別に、こういう紫式部から伝えられる源氏物語の若紫のような、娘を自分色に育て上げて、嫁にするという欲望や物語類型は、よくわかる話で、僕もぜんぜん嫌いじゃないんですが、、、、。

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当時、僕は、圧倒的に主人公のりんちゃんではなく、育てた父親の側に感情移入して、だめだった、といっています。僕に娘が生まれて、子育てをしていなかったら、こうは感じなかったんでしょうねぇ。娘と重ねた、というわけじゃないです。まぁ、こういう物語は、シュチュエーションが整えば、ありだと思う人なので、そんな条件反射に、創作物に反対意見は持ちません。そうではなく、たぶんね、おしめをかえたり、ご飯を作ったり、病気のときにはらはらして病人に連れて行ったり、夜寝かしつけたりということをずっと経験していると、その女の子を、異性という対象として見れなくなるのが普通なんだなぁ、と思うんです。この辺は刷り込みなんでしょうが、、、、なので、りんちゃんのお父さんのように、子育ての期間的な部分、、、子供がまだ動物に近いときに世話をした時間があると、それを、異性としてみるのって、凄い難しいのじゃないか?とおもうったんですよ。実際、りんちゃんに押し切られた形で、彼は、うーんこれでいいのか、となんとなくもやもやしているのが伝わってきます。りんちゃんのドラマトゥルギーはわかるんですよ。絶対変わらない家族がほしかったんですから。ようはファザコンのパターンだと思うんですよ。けど、男のほうは、これ、なんか凄い、がっかりしちゃうんじゃないかなぁ、と思うんですよねぇ。うまくいえないけど。たぶん、おしめかえたりとか、動物だったころを見ていると、幻想が抱けなくなるからじゃないのかなぁ、と僕は思っています。


まぁそういう風に、なんらか、これがだめ!というようなものがある場合には、個人の中に理由があると思うんですよ。『俺の妹がこんなにかわいいはずがない』において、僕が黒猫一択だったのも、自分に妹がいるので、妹らしい関係性を表現されると、たぶん異性のスコープから外れちゃうんだと思うんですよ。大体において、家族は、競争相手だったり、近すぎて幻想がはたらなかなくなるんだと思うんです。僕は、妹モノが好きなんですが、妹を愛でるって感覚は凄いわかるんですが、たぶんSEXの対象には見れないんですよねぇ。たぶん、妹といちゃいちゃするときは、僕は後輩もの的な視点で見ているような気がします。妹と肉体関係を持つ話を見ると、まぁべつにエロ漫画やこういう小説では、それ自体忌避するわけじゃないんですが、、、話が続くと、このままでいいのかよ???って、凄い心配になってきてしまうんですよね(苦笑)。


前にサトウナンキさんが書いた、『イチゴの学校』が、女の子をモノとして扱うとき、年下のこの場合は、彼女ったちの未来を奪って、盗んでしまっているんだ、ということが、ホラー的に表現されていたけど、僕もこの感覚のほうが、しっくりくるんですよねぇ。なんかね、たぶん、妹側、女の子側の自由意志ってどうなの?って思うんですよ。自由意志っていうのも、難しい問題です。『イチゴの学校』とかって、ようは女の子のほうも男にほれているんだから、いいじゃないかという理屈でスタートするのですが、でも、それさー男性が社会経験もあって、この先の時間軸も理解しているときに、その情報の非対称性というか、そういうのって、どうなの?って思うんですよ。なんかね、しょせんそれって普通の恋レベルじゃない?というレベルの物語だと、そのために、その子の人生を搾取していいの?って思うんですよねぇ。

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僕は何も、一般的に物語としてそれがすべて成り立つとは思いません。搾取だろうがなんだろうか、それをぶっ飛ばして、大きなドラマトゥルギーが発動することはままあるからです。少女マンガの『Oh!Myダーリン』とかぐらいなら、まぁ、確かに恋に恋している話であるとしても、ここまでいきゃーこれは本物だよなーと思うので、教師が生徒に手を出しても、まぁここまで本物の覚悟と結果を見せられると、それはそれいいんじゃね?的には思うんですよ。でも、「そこ」までいっていないと、おいおい、その程度でやっちゃうの???っておもうちゃうんですよねー。

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それに、性的嗜好ってのは、それがどんな歪んだものでも、その人の人格なものなわけで、なかなか抑圧できるもんじゃないし、それこそが、自由なんじゃない?って部分もあるわけで。そこを抑圧するのは、なーって思うんですよね。


性愛英語の基礎知識 (新潮新書)



これ読んでいて、凄い面白かったのですが、たとえば、黒人男性と白人女性がカップルになったりするのは、公民権運動の時代に凄くあったそうなんですね。というのは、なんというか、左のリベラリズムを信じている人にとって、ほらこんなに自分分はリベラルだ!って証明に、そういう風になってしまうみたいな多分に頭でっかちなところはあったんだとは思うんですが、、、でも、理由がどんなものであれ、一旦、性的嗜好が出来上がったり、それにしか性的な魅力を感じなくなったら、それが批判されるものであれ、仕方がないじゃないか!と著者が書いていて、ああーーーそれはそうかもー。と、なんかうならされました。性的なものは、搾取がともなうと最悪ではあるんですが、そうでないならば、両者が合意しているならば、何を文句言われる筋合いがあるか!というのは、そうだよなーと思います。


って、話がずれまくったんですが、この作品がいいなーって思ったのは、妹ちゃんは、変態じゃないですか(笑)。なによりも、自分が変態なことに、まったく影がない(笑)。何かのトラウマとか、そういう付帯事項がまったくない。態度や振る舞い見ていても、ああーーそのまんまな人なんだんぁというのがわかります。あっそうか、、、、僕はトラウマなどの「根拠」があると、自由意志がないように見えていやになってしまうんですね。トラウマがある人とか、近くにいてほしくないと、とても切実に思いますもん。たとえば、そういう女の子に好かれても、トラウマを癒してあげられているから、その癒しの道具として必要なんじゃないの?って思ってしまうんでしょうねぇ。僕はそう考えちゃう。すぐに。


同時に、彼女の恋人って、女の子じゃないですか(笑)。しかも兄貴の恋人(苦笑)。もうなんだそれ、という感じなんですが、3人とも、なんだかんだいって受け入れちゃってて、ああーこれって、秋里さんの『BBB』の最終回を凄く思い出したんですよね。

THE B.B.B.(1) (フラワーコミックス)

エピソード的には、兄貴が、恋人になる女の子に、そんで条件として妹とHしないこと!といわれました。まぁ、そりゃそうだけど(苦笑)。これはあとで勘違いだってことがわかるんですが、、、、って、その妹ちゃんとHしたいので、兄貴も自由にいいですって話になるんですが、、、、ともあれ、断腸の思い(笑)で、兄貴は妹とHするのをやめるんですよね。これ読んでいると、ああ、自然と、この妹も兄貴も、普通の常識はあるんだなーって、思うわせるんですよ。しかも自由意志があって、それぞれをみんな尊重しているので、誰かが辞めたい!といったら、その場で終わる話なんですね。なんにも、強制性とか、依存による逃げ道になっているとか、そういうのがない。ただ「楽しい」から、自由でやっているだけなんですよね。これが、いいなーと思うんですよ。なんで、読んでいて気持ちが良かったんですよね。


そうか、、、、わかった、、、僕は覚悟と確信がある人が好きなんですね。トラウマがあっても多分、その場合はいいんだ。自覚して、こうだ!って思えるならば。『あすなろ白書』に出てくる、秋葉社長が、惚れ惚れするなーって思ったのも。わかっててやっているからなんですよね。わかって、確信を持っている人間が、かっこいい人間なんだ!と僕は思うのです。僕は、覚悟というと、よく柴門ふみさんのこの作品を、すごく思い出すんだよなー。


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