『ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険』(2017 Japan) 監督 高橋敦史 時間と空間の謎解きでSFマインドを掻き立ててくれる秀作

評価:★★★☆3つ半
(僕的主観:★★★☆3つ半)

声優が変わってから初めて映画館に見にいった。友人が、というかてれびんが、最近のドラえもんでは断トツの面白さ、というので。読後は、期待していたためか、まぁ普通の良作だった、という印象。僕自身最近のドラえもんの最近の映画を見込んでいないせいか、評価がこれでいいのか、自分の中にしっかりとしたロジックがあるわけではないので、何とも断言しきれないですが。考えてみると、7作目の『のび太と鉄人兵団』以降、映画は見ていない。今回見に行こうと思い立ったのは、子供に物語の経験をたくさん得てほしいと思っていて、色々基礎的な(と僕はが思うもの)を見せているのですが、やっぱりドラえもんは、必須だよな、と思って。適齢期に、時代に即したものを見続けていると、その後の人生がとても彩るに価値があると思っているので、こういうベタなのは、できる限りリアルタイムでいったほうがいいと思うので。アメリカでもスターウォーズ見に行ったしね。子供って凄い吸収するので、息子が、地球温暖化の話と、この地球自体が寒くなる話と、それで世界が滅びちゃったりすると『未来少年コナン』(僕的子供が見るべき必須作品で、スケジュールを組んで昨年見せました(笑)。ちなみに、うちの子たちは現在小学3年生。)みたいになるんだよねという話をしているのを聞くと、おー素晴らしくいいイメージがつながっているなと感心します。こういう科学で世界を、時空をとらえるリテラシーとイメージが、宝箱のように詰まっているドラえもんは、本当に素晴らしい。いや、それだけではなく、日本のアニメーションの広がりは素晴らしいです。

TVは、いろいろなところで見るんですが、やっぱりドラえもんの真骨頂は、映画だと思うんですよね。ドラえもんの素晴らしい点は、やっぱりSFマインドを日常にビルトインしてくれるところ。あまりに日常になっていて、SFとすら感じないような「当り前さ」を、子供に届けてくれるこれらの物語群は、本当に素晴らしいと思う。今回の映画も、スノーボール、カンブリア大爆発、10万年の時の流れが地球をどう変えるか、南極の氷はどうやってできたのか?とか、普通では話さない、発想しないようなことを楽しく物語で見せてくれる。やっぱり、ドラえもんは素晴らしいと思いました。特に、映像のレベルが段違いに上がっているので、これを恒常的に見れる現代の子供は本当に幸せだな、と唸ります。飽きるまでは、数年、子供を毎年連れていこうと思っています。SFマインドは重要なんですよ。人類の進歩を信じる感覚と具体的なイメージ形成能力を養ってくれるので、イーロンマスクなどのイノヴェーターは、基本的にSF好きなんですよね。みんな。科学と歴史は、知識のレベルが深く広ければ深いほど、世界を認識する力が高まりますよね。

イーロン・マスク 未来を創る男

ちなみに、★3つ半と低いのですが、水準は十分以上越えていて、映画として見に行って、ダメだったということではないんです。てれびんくんの言うように直近の映画群と比較したらもしかしたらすごくいい出来なのかもしれないので、、、、僕のブログとしては、平均レベルになってしまう点でいいのかというのは悩むところですが、でも、大人の自分が、子供がいなくても見に行きたい!見に行って価値があった!と思えるかどうかを基準にすると、やはり★3半ですね。見て損はないけど、特筆して見に行け!というレベルではないという感じ。少なくとも藤子・F・不二雄先生脚本の、僕が子供のころに見た7作品のレベルは、いま見ても、号泣ものレベルなので。のび太と鉄人兵団や魔界大冒険謎は、その謎解きや世界の広がりなど、信じられないレベルの傑作ですよね。旧版でも新盤でも、脚本が基本的に凄いので、傑作ですよね。、もちろん、こんな超ド級の脚本が早々できるわけではないので、酷な要求かもしれないのですが。

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SFの謎解きという部分では、微妙にいまいちだった気がします。子供向けということで、なかなか複雑なSFの謎解きにはできないにしても、うーん、どうなんだろう。子供はどういう風に感じるのでしょうか。でもやっぱり、10万年の時を隔てているという部分が、キーだとしても、謎解きの演出がもう一歩何か欲しかった気がする。それを探していく過程(=リングを探す過程)が、地理的に様々な知識がないとわからなくて、それをミステリーの様に追っていく部分は凄く面白かったのです。が、時間を超える部分が、単調な感じで一直線に答えに向かっていってしまって、演出的に単純に感じてしまった。子供をどう感じるのでしょうか。子供にはこれ以上複雑なのはわからないのか、演出が甘かったのか判断に苦しむところです。


もう一つは、のび太の勇気の部分。やっぱり映画版のドラえもんの素晴らしさは、ジャイアンなどの様々な日常のキャラクターが、たとえばジャンイアン=いじめっこ・ガキ大将という役割を超えて、勇気や正しさを示すろことにその物語の「特別感」があったと思うんです。通常のマンガ、アニメでは、ドラえもんの日常が描かれるのですが、夏休みの冒険は非日常。非日常で試されるのは、普段、日常で行っていることの踏み越えることができるか?、もしくは、日常で流されていってしまっている本質を、本当に理解しているかどうか?ということ。今回の脚本では、その役割はのび太。偽物のドラえもんを見破るところにあるのですが、「なぜ見破れたのか?」がいまいちわかりません。なんというか勢いで説明てて、物語の筋とリンクしていない。しているように感じさせてくれない。なので、基本的に、のび太が、いいやつで、本質を見極められるヒーローになってしまっている。それは、のび太じゃない!(笑)って思いました。藤子・F・不二雄の映画で描かれるのび太たちの勇気とは、本当は出来ないような弱虫であったり、本当には仲間を助けないような横暴なやつだったりする奴が、それを葛藤の末乗り越えて行くところに、ドラえもんの日常と非日常の差異を際立たせる部分があったと僕は思うのです。逆にいうと、そこがブラックでシニカルであるところ。そして、そういう皮肉が効いているからこそ、さらに勇気をふり立たせるのび太のかっこよさが際立っていたんです。でも、この高橋監督ののび太は、そういった葛藤以前に、ナチュラルにいいやつで、芯があるやつですよね。。。。


でも、うん、そっちの方が現代的、というのもまた事実な気はする。前回『龍の歯医者』の記事で宮崎駿以降の押井守さん、庵野秀明さんは、正しさが、動機が信じられなくて、悶々と悩んだり信じられないと竦んでしまうというのがありました。庵野さんの次の世代位置づけるのかな?鶴巻和哉監督なんかになると、そういった「疑問自体」を持たないで、あっけらかんと世界に対する姿勢を持つようになる。この時に、さして根拠もないし、意味も考えないんだけど、主人公の姿勢は前向きなの。理由は、たぶん単純で「生きている」から。そこからスタートしてて、なぜ生きているか?とか哲学的な問いに振り返らない。「生きている」んだから、前向気に生きる以外ないでしょうという、「そこ」からスタートする感性。いやまぁ、見も蓋もなく言えば、そうなんですよ。生きているんだから、生きるしかないでしょう、というのは。世の中が回っているのは、世界が腐ってる!と復讐ばかり考えている人よりも、世界はあるんだから、前向きに快感原則(=自分にとって」気持ちの良いこと)を追求して生きていこうという人の方が多いから。それは、多文端的な事実。なので、物語的な、使い古された、ビルドゥングスロマン(=成長物語)に戻ってどこが悪い、と。今の時代は、一周して、「そこ」に戻ってきたところ。ヱヴァンゲリヲン新劇場版で、シンジ君に対して、世界に対する向き合い方が違うと書いたのと同じ話ですよね。そこに、世界の不条理に対する問いや、自意識の叫びは、入らないのが、現代的だと思います。


この文脈でいうと、藤子・F・不二雄さんは、最後まで、一度もすくむことがなかった人です。それは、やはり最初からターゲットが大人は一切念頭になく、ひたすら子供だけを相手にしていたからだろうと思うのです。とはいえ、そもそも世界観は、非常にブラックなんですよ。だからこそ、ぶれないで、子供に最後は正しさを信じさせることが言えたのではないかと思います。きれいなだけのものを描いていると、胡散臭いです。のび太は、いじめられっ子で、やっぱり性根がだいぶ腐っている(笑)、けれども、だからといって、決断の時に、行動まで腐るとは限らないんです。人間は。その二重性。善悪や正しいことと、悪いことで割り切れないところが人間であるところは、やっぱり日本の子供向けの物語だと思います。


ちなみに、藤子・F・不二雄のSFの広がり深さ、そのブラックさ、そして美しさは、いろいろ見ていると、しびれるものがあります。僕は、『ひとりぼっちの宇宙戦争』が、ずっと忘れられない傑作です。


藤子・F・不二雄少年SF短編集 (1) (小学館コロコロ文庫)