『流血女神伝 砂の覇王・暗き神の鎖・女神の花嫁・喪の女王』 須賀しのぶ著 神の観念を描くこと〜君のそばに宗教は真摯にありますか?

流血女神伝 砂の覇王1 (集英社コバルト文庫)

評価:★★★★★5つ 傑作マスターピース
(僕的主観:★★★★★5つ傑作)

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アメブロが見にくくなっているとのことで、再掲を。丁度、うれしいことに、kindle化してくれているので!。ぜひ買いましょいう。これは僕の人生の読書体験の中でも、最上位に位置する、時代を超える傑作です。少女小説のカバーだからといって忌避しないでぜひとも読んでみてほしいです。ペトロニウスの名にかけて、超ド級の傑作です。『十二国記』や『精霊の守り人』『獣の奏者』級の世界に誇れるファンタジー小説です。僕は、須賀しのぶさん、心からの大ファンです。2007年なので、・・・・え、10年近く前の記事?。。。。




2007年12月17日記
■人間にとって「大いなるもの」や聖なるものとは何か?〜認識をしにくいもの

以前サルベーンが、人間が神鳥リシクを見なくなった理由を教えてくれた。リシクは死と、いままでの生活を根底から覆すような変化を知らせるもの。たとえその変化が、より成長するためのものだとしても、一度全てが壊れてしまうと知ってなお平然とその時を迎えられる人間は、多くはない。恐怖に心が潰れてしまうとことがほとんどだから、人はリシクの声そのものから耳を塞ぐようになったという。


p162 流血女神伝 暗き神の鎖(中編)

流血女神伝 暗き神の鎖(前編) (集英社コバルト文庫)

この作品は、人間にとって抗えない大いなる歴史の流れ・・・・大きなマクロの外部環境の強烈に描くことにより、それを描写する装置として「神の概念」を呼び出した、と以前書いた。なにもこの作品に限ったことではなく大河ロマン・大河ドラマ・・・・「大河」と呼ばれるものには、滔々の流れる、無力な個人の小賢しい思いでは抵抗することのできない、大きなうねりを表現しているので、そう呼ばれるのだと思う。それを、たぶん人類は、「神という観念」で読んでいるような気がする。もちろん神学論争をすれば、そういったマターナルな黄金律的なモノと異なり、真の神、「父なる神」というものは人類存在の系の外部にあるという意見もあろうが、そこは議論の本質ではないので、置いておく。


この黄金律、大河ロマン、歴史の必然性、神・・・なんでもいいのだが、「こういったもの」の存在を、ちゃんと念頭に置いておくと、小説が面白くなるような気がする。どんなものにも、より深く感得しコミットするには、それなりの解釈力が必要なものなのだ。人間は、言葉が概念が違うものは、感受し得ないのですよ。


この話は、大江健三郎の作品群で書いたことがある。『宙返り』だと思ったが、ある架空の新興宗教の内輪の話が延々と書かれているのだが、そこにおける神や共同体の発生の議論は、ちゃんと宗教的概念を勉強していないと、意味不明の抽象語を話しているとしか、普通の人には受け取れない。これは現実に宗教をしている人と話す時も同じです。ある概念群を共通ベースにしないと、言葉が通じなくなってしまうのです。
 
宙返り 上  講談社文庫 お 2-9

というのは、僕は中学ごろから好きで大江健三郎ドストエフスキーなどを読んでいたが、ある程度、神の概念、神学や宗教心理学などを色々な本を読み解きながら齧るようになって、「おお!」と理解するときが来たからだ。最初に読んでから5年くらいたっていたと思う。そういったものをちゃんと理解していないと、読んでいてもたぶん????なのではないかな、と思う。


カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)



それではおしい。人類の英知は、神の観念や宗教を深く真摯に追求している。僕らが生きる金に支配される資本主義社会の世俗社会では、そんなものはあまり必要ないようにシステムはできているし、不必要にそこに足を踏み入れると人生を壊しかねないので、あまりおすすめはしないが、それでもやはり人類存在の豊饒さに触れることなく人生を生きるのはもったいないとも思う。

流血女神伝では、何度もリシクの夢を主人公カリエは見る。またオル神やタイアス神など、様々な国で多様な宗教が信じられている。ましてや、このシリーズのコアであるタイトルは、「流血女神伝」。これはザカール民族の信仰するザカリア女神のことだ。この夢の内容や宗教についての問答などが、実はこの作品の根底に流れる思想や、カリエやエディアルド、バルアンたちの選択に深く関連付けられている。ほんとは、「そこ」がわかっていないと、この本の面白さは半分もわっていないと思う。もちろん。素晴らしいエンターテイメントは、それがわからなくても十分楽しいというのが凄いんだけれどもね。


流血女神伝 女神の花嫁(中編) (集英社コバルト文庫)


あとがきで書かれていたが、この作品を支配する神という存在(=予定説)と人間の自由の本質というヨーロッパが追い続けるある観念がバックグラウンドにあって、『暗き神の鎖』という上中下のザカリア女神編とサルベーンとラクリゼの幼少から青年期にかけての外伝は、読者の中でもかなり人気がなく(まぁティーンの少女には理解できなわな!)この方面は極力抑える方向で書いたと作者が書いているのですが、なるほどしかりです。けれども、そういう対象マーケット顧客がいたからこそ、この難解で迂遠なテーマを本質に絞り切って描くことができたのではないか、僕は思いました。


ただ物語とカリエの人生の変遷を追って、それをドキドキワクワク楽しむだけで、人間存在にとっての自由とは?、人間に自由意思というものはあり得るのであろうか?というフィリップ・K・ディツクをして自殺にはしらせ、『ヴァリス』や『アンドロイドは電気羊の夢を見るのか?』という作品を生み出させた「あの巨大なテーマ」を実感することができる。


ヴァリス〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

これは、凄いと思いますよ。


■神の観念を描くこと〜君のそばに宗教は真摯にありますか?


1月に友人にこの本はお勧めだよって薦めていて、実は、一言で言うと「何が」面白いのか?というのをシンプルに説明できなくて困った。その人は、少女小説をまず読まない人だったので、そのパッケージだけで、そもそもよほどの食指が動く状況を作らないと、手には取らないだろう。それでもなお、読め、手に取れ、と言い、思わせるには、それなりの訴求力を持たないと、人の心は動かない。


この作品が、他の作品と一線を画す点とは何か?と言えば、それは、


神の観念を物語の中核に据えて描きながら、抽象性に堕することなくエンタメの次元で描ききれたということ


に尽きると思う。

ロシアなどの中欧の歴史文化を下敷きにしているからこそできたものだと思うが、興味深かった点は二つ


1)ロシア的なものの存在を前面に押し出している


2)同じ神の観念が土地によって異なった展開を示すことを示唆している


こういう点が描かれて、深く念頭に置かれているところが、僕には新鮮であった。とりわけ、同じ神が土地によって、多神教化したり一神教化したりする「分化」の次元を、ここまでわかりやすく物語として描けるのは、秀逸だ。少女小説でコバルトという敷居はあるが、これは第一級の作品で、パッケージを変えれば、絶対売れ続けることが可能な名作です。『十二国期』なんかにとても似ている。NHKでアニメ化してくれないかな・・・。いい監督で。

     
主人公のカリエは、フランスの山奥で生まれて、中東で奴隷になり、イスラエルに誘拐されて、ウクライナあたりを経て、ロシアにたどり着いて、最後はイタリアとギリシアの間に永住する・・・というような感じ(世界は架空上の国々です)の流転をしますが、それぞれの土地の神の観念に翻弄される様は、なかなか興味深かった。。無宗教で、まったく世俗の極みみたいなカリエが、様々な体験を真摯に考え続けるうちにこの神の観念の変遷を理解していく様は、いやー一本!と思う。特に、帝政期のロシアがモデルであろうユリ・スカナの宗教(これはたぶんロシア正教徒土俗の宗教がモデルなのだろう)を理解していく様は、いやー見事だった。
 

このへんは、ぼくもまだうまくしゃべることができない、もう少しわかりやすくできるように、考えてみるつもりだ。


ただいまいえることは


読め!


かな(笑)。


でも、考えてみるとこの手のテーマというのは、「神の概念」や、宗教というものが身近にある人であると、よくわかる言葉なんだと思う。こういうのは、身近にあった方が思考や人生が豊かになると、今の僕は思う。


けれども、僕は子供の頃からなぜか宗教が嫌いで、、、それも反吐が出るほど嫌いで・・・・別に特別な体験があるわけでもないし、親も無宗教だし、なんのフックもなかったのだが、とにかく嫌いだった。それはなぜかといえば、


なによりも


1)「宗教を信じる人の弱さ」(=自分を信じられない意思の薄弱さ)


2)「人の弱さを組織する宗教組織の堕落」(=世俗化し組織化すると純粋な宗教性が消失する)


この二つが、ゆるせなかったんだと思う。。なによりも、僕は「自分を信じ、自分が世界を変える」という人の自由を信じたい人だったのだったと思う。自立していない人間は、人間ではない、、、ただの奴隷だ、という観念が強く存在していたんだと思う。この世界の過酷さを知らないが故の思い上がりではあると思うが、、、、しかし、すくなくとも人類の英知に、科学に、家族に守られたたくさんの人間は、きっこう思うと思うんだ。僕は、アフリカや中東の内戦や貧困で苦しむ、明日をも知れない地獄に生きているわけではない。・・・だから、これほど恵まれた豊かな立場いる自分が、より苦しむ人たちが幸せを獲得できるプラットフォームを作るよう志し、彼らの分以上に幸せにならなければ、許されないんだ、、、と小さいころから思っていました。特に、本当に最貧国や紛争地帯に旅行(しょせん旅行)したり友人が出来たりした経験で、その実感は確かなものになりました。


これをうまく描いていたのが、『十二国記』の話かなぁ。


図南の翼 十二国記 (新潮文庫 お 37-59 十二国記)


いまなら、これがノブレス・オブレージの似たような形態の心の姿勢だとわかります。


なぜそういう気持ちが生まれたのか?


それはわかりません。個人史を追えば、いろいろ思いつくことはありますが、少なくとも僕は子供の頃から、「自分で物事を自立して解決する」ということに強い高貴さと誇りを見出していました(もちろんそれを自分ができているというわけではありません(笑))。けど、この気持ちの裏返しが、①「宗教を信じる人の弱さ」(=自分を信じられない意思の薄弱さ)というものへの嫌悪感につながったんだと思います。何かに依存する気持ちこそ、唾棄すべきものだ、という思いがったんでしょうね。いまでも、僕は依存する人間に対して、強い嫌悪感がある。・・・・もちろん、理想どおりにはいかない。人間なんて依存の塊だし、人間関係というのもなんらかの依存をベースにしているものだ。けれども、それでも、自尊自立していこうという意思なくして、その人間を本当に「人間」と呼べるのか?って僕は思ってしまいます。福沢諭吉先生がいったことは、やはり凄いね、と思う今日この頃です。

学問のすすめ

文明論之概略 (岩波文庫)


ほんとうは、神と人間の自由が二元的に対立するこの思考方法こそが子供だったと、今は思うけれどもね。でも、頭でわかっても、やっぱり嫌いなものは嫌いだな。自立した思考を破棄した人間は、僕は嫌いですから。


そしてもう一つは、2)の組織の問題。


地上とは、堕落の塊だ。神の純粋な観念は、わかる。が、それを地上に、複数にもたらそうとするときには、どうしても、堕落する。地上うに楽園を、王道楽土を建設することは難しい。なぜならば、「組織」を維持するということは、まさに世俗の塊で、世俗の論理を集約したものにならざるをえないからだ。たとえば、集まる場所一つでも土地や施設にからむ権利やお金の問題がすぐさま発生する。それを長期に維持しようと思えば、世俗的な組織論や金銭管理ノウハウは確実に高いレベルで必要となる。それが、純粋な教義・・・その宗教の存立意義の本質と両立するとは、僕にはとても思えないのだ。これは、高橋和巳さんの『邪宗門』や大江健三郎さんの『洪水はわが魂に及び』などを読むと強く思います。ローマ帝国時代のイスラエルの反乱を描いた『ユダヤ戦記』なども、同じですね。


邪宗門 上 (河出文庫)

洪水はわが魂に及び(上)(新潮文庫)


ユダヤ戦記〈1〉 (ちくま学芸文庫)


そもそも、小乗仏教プロテスタント神学などの基本は、神と人間の一対一の対置にあるのであって、ある種のエリーティズムを前提としている。それは、神の観念を感得するには、救済を獲得するには、個人でなければなされえない・・・と思っているのではないかな?と僕は思う。僕の常識的感覚としてもそれは合致する。だって、抽象的に神の観念・・・・マクロの次元を理解するには、よほど体感感覚に優れている人を除けば、知でそこへ到達するためには、相当の労力と才能がいる。この世の中に、抽象的な次元やマクロの次元を考えられる人間が、どれほど少ないかを考えれば、それはわかるはずだ。人間は基本的には動物だ。だから、快不快の次元で生きているものだ。それ以上のものを感じられるのは、人間の特異性だと思うが、ベースに快不快があることは否定できない。


そうすると、


組織を維持することは、すなわち宗教存立の本義としては嘘をついている


と、僕などは思ってしまうのだ。これは、僕が、個人ベースの救済以外信じない、宗教意識の持ち主であることを示していると、今の僕なら分析できる。子供のころは、何で、宗教を毛嫌いするのかわからなかったけれども、個人の救済を本義とする世界観を持つ人からすると、組織を維持するだけでももうとんでもない大嘘つきに見えてしまうんですよね。ああ・・・カルヴァンとルターの気持ちが良くわかるよ(苦笑)。僕は、大乗的な発想は、ありえないと思っているのでしょう。・・・・僕は、たぶん大いなる存在を信じている・・・というか、なんか「ありそう」と思っているけれども、宗教が大嫌いだった理由は、この辺にあるのかな、と思う。また神と個人の関係性をベースに持つ宗教感は、往々にして、エリーティズムと結びつくというのも、僕の社会・文明観とも一致すると思う。


だから、


2)「人の弱さを組織する宗教組織の堕落」(=世俗化し組織化すると純粋な宗教性が消失する)


に対する偏見が強くあるのだと思う。


いまだ、組織を持つ宗教については、基本的には存在意義について懐疑的だ。もちろん、たくさんの人に呼びかけること、入口に誘うことを否定はできないが、それの弊害の大きさの方が僕は感じてしまう。大衆を、知で神を理解できない層を、宗教で救うことに合理性が見いだせないのだ。


なぜならば、その層は、科学と文明の力で救うべきだと思うのだ、僕は。


そういう意味で、僕は、基本的には科学教の信者なのだと思う。資本主義のシステムを信じているし、近代的な文明の力を、信じているもの。

後藤新平―外交とヴィジョン (中公新書)

楽園の泉 (ハヤカワ文庫SF)
ちなみに、僕は宗教者は嘘吐きのお金儲けばかり考える堕落した人々と「思わず思ってしまう」悪癖は抜けないが、それでも、ああ・・・真摯に考えている人がいるのだな、と思ったのは、この本を読んだ時だ。キリスト教神学で有名な宗教者とダライラマの対話です。


年齢を経ると、いろいろなことを経験し、合理性だけでは、純粋さだけでは、救えないこの世の中の過酷さが深くわかるようになり、いまさらながらに、「それ」を真摯に考え続ける・・・さまざまなアプローチで考える人類の知に、僕は安堵を覚えます。


なんだか、変な方向にむかいました(笑)。


ちなみに、いまガンダム00を見ているのですが、これって、本当はこのテーマを描くのならば、本当はこういった神と人間の自由にまつわる思考をもう少し深めた方が良かったと思うけれどもなーと思う。高河ゆんさんの絵柄大好きなんで、毎回、鼻息荒く見ていますので、しかも脚本も悪くないので…どうしてもす思ってしまう。ましてや宗教国家で洗脳された少年兵だもんなー。


機動戦士ガンダム00 MEMORIAL BOX 【初回限定生産】 [DVD]



これ、2007年ごろに書いた記事です。とにかく良い小説なので、流血女神伝、おすすめです。


喪の女王〈7〉―流血女神伝 (コバルト文庫)

参考記事

『女神の花嫁』『暗き神の鎖』 神の観念を描くこと〜君のそばに宗教は真摯にありますか?
http://ameblo.jp/petronius/entry-10066704797.html

流血女神伝 喪の女王』 須賀しのぶ著 この物語に出会えて本当によかった!
http://ameblo.jp/petronius/entry-10062996940.html

流血女神伝 砂の覇王』 須賀しのぶ著 神と神話の描きかたが秀逸
http://ameblo.jp/petronius/entry-10059887838.html

誘拐・監禁・調教です(笑)…その上、奴隷になってハレムに行きます(苦笑)
http://ameblo.jp/petronius/entry-10059683245.html

カリエかわいいぞっ!。器量が十人並み(笑)というのがまたさらにいい(笑)
http://ameblo.jp/petronius/entry-10059589889.html

流血女神伝 帝国の娘』 須賀しのぶ著 おおーこれは、物語だ!好きです!!
http://ameblo.jp/petronius/entry-10059567235.html