『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』 武内 宣之監督 岩井俊二原作 終わらない夏休みを描いた傑作リメイク

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? (角川文庫)

客観評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★星5つ)

■自分の目で確かめたら、傑作の映画でした。

ネットでかなり評価が分かれていたが、自分の目で確かめてよかった。素晴らしい傑作。ペトロニウスの名にかけて、傑作。終了後、久しぶりに打ち震えた、極上の映画体験だった。映画館で見るのが正しい作品。ただし、見る姿勢を問われるとても極端な作品で、予告の作り方、プロデューサーの川村元気さんの流れで、どうしても『君の名は』的なエモーショナルな、意味のはっきりわかる作品を求めてみてしまうはず。それだと、凄まじい肩透かしと、理解不能感が襲ってしまうだろう。岩井俊二の作品群と本質的に同じで、物語の筋を理解して考えようとすると、面白さがさっぱりわからない。彼の作品の本質は、匂いや空気の刹那のきらめきを「感じ取る」姿勢で見なければならないといつも思う。でないと、この映画体験は、不発に終わってしまうだろう。

昔、岩井俊二の『四月物語』の記事で書いた記憶があるのですが、どこにあるか見つけられなかったので、描いてないかもしれません。この脚本が典型的で、これは松たか子が、東京の大学に出ていくお話なんですが、まさに、「大学の新生活の物語かこれから始まる!」というところでもの物語が終わります。「始まりの予感」だけで映像化した作品。これを見ると、岩井俊二監督が、映像で何を取りたいのか、というのが如実にわかります。物語的な文脈に慣れていると、えっ!?物語はじまっていないじゃん、と凄い肩透かしを食らってしまう。なので、なにを求めて映像を見ているかが、凄い問われてしまう作品だと僕はいつも、岩井俊二さんについて思います。なので、姿勢が凄い大事。この映画もまさにそうだった。

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これ、ネットではどちらかというと不評ですが、僕は確かに好き嫌いはかなり激しくて人を選ぶと思うが、傑作の作品だと思います。傑作の意味は、自分が好きだ(笑)ということと、制作者の意図が非常にクリアーにわかって、その難しい意図が成功しているからです。どれくらいの興行成績になるか、とても気になります。たぶん中堅マイナー狙いなんじゃないかと思うのですが、もしそれで意図どうりの売り上げをたたき出したら、素晴らしいと思う。ビジネスとして、素晴らしくよくできてるし、同時にクリエイターのわがままというか使い方が凄くうまい。こういう幸せな仕掛けはなかなかできないと思う。本作は、やはり、オリジナルの奥菜恵の超絶美少女ぶりと、あの年齢のアンバランスさを極限まで映像化した岩井俊二監督のレベルと比較すると、そこまではいっていないとは思うのですが、しかし、そういう視点とは別に、素晴らしい映画だと僕は思います。海の上を走るまるで千と千尋のシーンのような風景などは、アニメーションでなければできなかったもので、詩的な幻想で境目がわからなくなってしまうような表現は、アニメーションの良さを最大限に使っている。


岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(1995)オリジナルの本質をどう料理したか?

岩井俊二監督の『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』(1995)オリジナルの本質をどう料理したかというリメイクの観点で見ると大傑作だ、と僕は思う。川村元気新房昭之、武内宣之、大根仁らが、才能あふれる天才の仕事だった。オリジナル作品は、当時の奥菜恵の超絶美少女ぶりを堪能する作品であり、女でもなく子供でもない「美少女」の自意識あふれる瞬時のきらめきを、小学生の男の子たちから眩しく見る視点から描くという、複雑な情緒を見事に映像化した作品だった。故に、アニメ化にあたって、設定が中学生になっている点というのが重要だと、僕は思う。それは、この作品が、なずなというキャラクターの「美少女ぶり」どう表現するかがポイントで、奥菜恵はあまりに美少女すぎて(僕は別に彼女を好きではないですが、当時の岩井監督の映画を見たら、わかるほどの超絶ぶりです)年齢を低め(小学生)にして、そのアンバランスさを表現していたのですが、アニメーションでは、この魅力を出すのに年齢設定を少し大人に上げなければならなかったんだと思う。なので、アニメのナズナの方が、ちょっとセクシーに描かれている。ちなみに、岩井俊二さんは、こういう「その時しかない瞬時の空気」を切り取るのが凄いうまくて、いくつもそういう仕事をしていますよね。AKBのドキュメンタリーなんかもまさにそう。

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■なずなのような美少女の残酷さを、かわいいととらえるか、女の嫌な部分ととらえるかは人によると思う

またこのなずなというキャラクターが好きかどうかは、その人の女性観にもかなり左右されるはずで、まだ女になっていないが、自分が明らかに可愛いと周りから思われている「美少女」の自意識による、周りへの圧倒的な優越感や、振り回してもいいんだというわがまま感を、かわいいと感じるか、女の嫌な部分と感じるかというのは大きいと思う。僕は、最初に不思議ちゃんなのかなと構えてみていくうちに、何もかもわかって、どうにもならないことをわかって動いているんだというシーンで、彼女が年齢相応の普通の女の子なのだという実感がわいて、とてもかわいいと感じました。こういう女の子のコケティッシュというか小悪魔的な部分を、かわいいなと感じるには、そういう小悪魔的に振り回されるのが好きなマゾ的な人か、もしくは、背伸びしている自意識の強さを「かわいいな」とかなり上からの視点で見れる人のどちらかだと思う。最近娘を持っているからだと思うのですが、女の子の「かわいさ」への理解度というか、種類に対して耐性というか、広がりが出てきた気が凄いします。おっさんになるというか年齢を経ると、感情とか磨滅していく感受性なと思っていたのですが、意外に感受性の幅が広がっている気がして、老成も意外に悪くないな、と思う今日この頃です。全編、このなずなの「かわいさ」の雰囲気を堪能すること、また、この「かわいさ」「へ」の視点が、観客の視点(年齢が上)ではなく、中学生(原作は小学生)の男の子の視点であるというのも要注意。友人のノラネコさんが、なずな(奥菜恵)のような超絶美少女に好きといわられたらまったく迷わないと言っていたのは僕も凄い同感で、ある程度年齢がいった男性から見たら、こんなかわいい子のアプローチがあってライバルを出し抜かないなんてことはありえない(笑)。けれども、あの時代の男の子は、異性よりも男の子の仲間内の世界が9割であって、そうはなれない思春期の微妙な気恥ずかしさと葛藤がある。その雰囲気、空気もまた極上なんです。岩井俊二監督の原作は、この子供時代の匂い、手触り、空気を見事に閉じ込めている。


■if(という分岐の世界)を描く並行世界の物語類型は、日本のアニメクラスターの凄まじい蓄積がある

アニメ化にあたって何が素晴らしかったかといえば、きっと制作陣は、なずな(奥菜恵)の神々しい美少女ぶりに、勝ることができないとわかったのだろうと思う。だからこそ、if(という分岐の世界)を見せるにあたって、原作にはない典道の意志を込めた。岩井俊二マニアともいえるような原作に忠実な再現から、はっきりと、典道が「なずなと二人の夏休みの今」が終わってほしくない、と意志するところから物語は変わります。ここからは、日本のアニメーションが蓄積してきた「並行世界の物語」の類型にステージが移ります。はっきりと、僕は、押井守監督の映画『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』や『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』を連想しました。並行世界の物語の基本構造は、「この楽しい夏休みが終わってほしくない」という動機で世界が繰り返して、閉じ込められることです。そして、この世界の繰り返しが、なずなと離れたくない典道の意志によって為されていたが、ラストのなずなのセリフ「今度会えるのどんな世界かな。楽しみだね」(オリジナルのもう会えないとわかっていてなずながいう「今度会えるの二学期だね。楽しみだね」からの改変)という部分で、この繰り返しが、典道となずなの共犯関係になっていることが描かれています。いいかえれば、これは既に純愛という恋愛であって、こういう「意志が込められた二人の閉じた関係」は、たしかに小学生はあり得ないし、オリジナル化からのはっきりと逸脱、決別です。だから中学生なんです。

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というように、まるで宮沢賢治の世界でも見ているような、時が止まった、繰り返される世界の幻想的な、繰り返す夏休みの情緒を「感じ取る」というのが、この映画の醍醐味です。それは脚本構造からも、絵的な構図からも、すべてが大成功を収めていて、制作陣の意図からすると、大成功だと僕は思います。そして、このある種、難解で人を選ぶ作品を、『君の名は』的な宣伝で人を誘い込めばきっと不満も大きかろうと思いますが、僕のように、ハマってしまい何度も見たい人はきっと一定数いるいはず。そこから逆算すれば、まさに制作者の意図どうりの興行成績も見込めると思う。川村元気プロデューサー。『君の名は』のような大ヒット作は偶然運で作ることはあり得ますが、その次に、このような渋い作品を手掛けるセンスと力量に、脱帽です。次の時代の日本のエンターテイメントを担う逸材ですね。感動しました。素晴らしい映画をありがとうございました。


■誰にこの物語を届けるんだという問題はいつもありますが、まぁいつでも、そんなの後付けのお話だよね

あとちょっと思ったのは、この作品を見に行く動機というものは、どういうものだろう?と最初に思ったんですよね。きっと3つぐらいしかなくて、1)宣伝が「君の名は」見たいだったのでカップルで見に行く、2)そもそも岩井俊二が好きで、見比べてやろうと意気込む、3)「物語シリーズ」やまどかマギカが好きな新房監督を見ようと思うようなアニメクラスター層。この作品を企画として立ち上げる時に、どうやってお金を引っ張ってこようか、と思うと1)の『君の名は』みたいなもしもの並行世界です、と企画するのが一番金がとれるはず。よっぽどことがない限り、ここで話がスタートしていると思うんだよなー。企画というのは、志じゃないので、スタートはそういうもの。偉い人は、年寄で、そもそもコンテンツなんか好きじゃないので、そういう人に耳障り良く、入り口を作るのが企画というものだ。こういうのはいやらしいんだけど、大事なことで、それは素晴らしい作品というのは、「そのコンテンツを確実に見るであろう人」を超えてどう広げられるかという視点がないとだめなんだろうと思う。それは、どんな形であれ、産業全体にもいい価値を残す、と僕は思う。なので、1)のトライアルマーケティングの罠に引っかかって(笑)見に行った人がいれば、それは大成功。その中に、これは!と新たにこちら側の世界に目覚める人は、決して少なくないから。母集団の形成というのはそういうもの。じゃあ、その肩透かしを食らった悪感情は、というと、そういう人はすぐ忘れて、そもそもその系統のコンテンツの担い手にならないので、無視していいと僕は思う。僕も、肩透かしに感じたら、正しい反応は「二度と見ない」だけだもの。商売というものはそういうものだと思う。少なくとも、この作品を見て、裏切られた(笑)と思うほど怒り狂うことはないと思うしね、そもそも。そういう挑発的な露悪趣味もないし。誰も損しない。もちろん、悪い動員の伝統ができちゃうのはよくないんだけど、この場合は、コンテンツの素晴らしさは僕は超一流だと思うもの、どんな手段でも、人にアクセスしたいとするのは、正しいよ。まぁ、すべてがきれいでなくちゃいけないとか、みんなが満足しなきゃいけないと思うような人は、どこにでもいるもので、そういうのは、たぶん相手にしていたら、なにもできなくなってしまう。なんでも、アクションなんだよ、と僕は思う。なので、この『君の名は』のタイミングで、これをもってきたプロデューサーの力量に脱帽。


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