何かが終わった感じがする2017年

人生を面白くする 本物の教養 (幻冬舎新書)

2017年が終わりました。2017年を振り返ると、ひたすら遊びまわっていて(笑)楽しかった。とにかく、動きまわった年でした。2017年最も大きかったのは、尊敬する出口治明さんの歴史講義を受けて、講演会にいくつも行き、著作をがんがん読んで、凄い学びがあったことですね。僕は「この人は!」と思うと、著作を読みまくり、なるべく会いに行くようにして、継続的にモニターするようにしているんですが・・・・だいたい3年くらいすると底が見えてきたり(と、偉そうにも自分が感じて飽きてしまったり)、尊敬熱が冷めるもので、なかなかロールモデルと思えるほど思い詰めて好きになる人は、長期間ではいなかったのですが・・・・・いやはや、この人は、凄かった。もう、やばいほど尊敬していて、心底感服というか、、、、こんな凄い人がいるんだ!と、知れば知るほど、近づけば近づくほど思える人で、この年齢になって、この驕り高ぶってけっこうそれなりに人生も成功して後半戦に入りつつあるときに、、、もう心底、叩きのめされるほど、凄い!!!と憧れというか、こんな風になりたい!と思える具体的なロールモデルに、現実的に、具体的に、目の前に、身近に出会えたことは、僕の人生の中でも最大級の収穫の一つだろうと思う。まだまだ、先があるんだ!!!、成長できるんだ!!!と、40代にもなって、毎日がわくわくするような気持ちになってきました。

子供のころ、栗本薫さんに心服して・・・・そしていまだその思いは色あせることなく続いているのだが、それと同じような衝撃を感じ。いやはや、本当に僕は運が良かった。そして悔しい。おこがましいと思うけど、悔しいです。もっともっと本を読んで勉強したい!と思わされました。そして、どこにいようが、日本的な古い組織に属していようが、ベンチャーを起こそうが、それこそ海外に行こうが、どんな状態でもできるんだ!(出口さん、この全てやった上で、さらに大学の学長までなるんだもんなーーーー)そこにいいわけはないんだ!と、心底打ちのめされました。でも、やるんだ!、出来るんだ!と、物凄いワクワクするような気持ちになれいました。ほんとに、素晴らしい人に出会えました。普通、自分の「足りない部分」を見て、あるべき理想と今の自分のギャップを見るときは、自分のダメさに打ちのめされるものなのですが、、、、本当に身近で具体的なロールモデルを目の前で鮮やかに見せられると、人は、わくわくするんだ!!!と驚きました。単純に、尊敬できる大人が、前を走っている先輩がいないだけなんだ、ということが、心底よくわかりました。具体的なものを見ると、悔しいという思いの後に、「俺はできない」というあきらめではなくて、こんな可能性が満ち溢れているんだ!こんな風にもなれるんだ!と、凄いドキドキするってことが、よくわかりました。みなさん、大事なことは、具体的なロールモデルを探すことなんだ、その人に直接会うことなんだ!と、いやはや痛切に感じますよ。

人類5000年史I: 紀元前の世界 (ちくま新書)

あとは、数字、ファクト、ロジックと、出口治明さんは言うんですが、本を読んだだけでは、逆に、ファクトばかりで、いまいち実感がわかなかったんです。けど、直接何度も、講演会に行ったり、歴史の講義を長々と受けていたら、ものの見方、考え方みたいなものがうっすらわかってきて、、、分かってきた今では、この人の持つ世界観や思考の軸の凄さに打ちのめされて、今までの自分がいかに「自分の頭でものを考えて」いなかったのか、と恥ずかしくなるような思いがします。いやはや、勉強は、続けないと、積み上げないとだめなんだなーとしみじみ思いました。なんなく、枠組みというか、外側から見た表面は理解できていたし、それはそれで間違っていなかったのですが・・・・・その奥に何かあるとくらいついて、数年いろいろ読み続け考え続けて、、、、最近、エウレカ!とでもいうような、「つながり」が見えてきて、、、、いま、マジで、震撼しています。そして、賢しらに表面だけでわかったつもりになるのは、いかに自分が受け取る能力が、深さまで到達する能力がなかったのか・・・・と、しみじみ思います。みんな、勉強しようぜ!積み上げると、こんな凄まじい面白さが待っているんだ!と、ほんとに本当に思いました。



ちなみに、ずっと出口治明さんを読んで追っていて、やっぱりそうか!!!と、自分の直観に自信を凄いもてたのですが、それは、


日本の未来は、凄い明るい!!


って、ことです。直感で、ずっと言い続けていたし、その分析をしていたのですが、やっぱりそうか!と、確信するようになりました。いやはや、考え抜くって大事ですねー。まぁ、この辺は、話すと長くなりすぎるので、今日はここまで。



さて閑話休題



Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.

「明日死ぬと思って生きなさい、永遠に生きると思って学びなさい」


ずっと心にあったのは、こういう感じの言葉。ジョブスではないですが、「いまこの時しかないんだ」と思いながら、やれるだけやっておこう!という感じで、なんだか切迫した気持ちで、2017年は、遊びまわっていたのですが(笑)・・・というか、人生何があるかわからないので、やれるときに、やれることはすべてやろうという気持ちで、頑張っていました。いやーまぁー人生ほんと、何が起きるかわかりませんからねぇ。でも、おかげで様々なことができた気がします。ああいう切迫感って、大事だよなーって思います。出口さんの「悔いなし、遺産なし」も素晴らしい言葉だと思っています。


ちなみに、UQ HOLDER!の言葉ですね(違う(笑))


UQ HOLDER!(15) (講談社コミックス)


ちなみにラジオでもいったんですが、ハーレムメイカーの極地であり極北の一つであるネギまが、明確に「誰を選ぶか」ということに着地点を出したのは、時代が変わったなぁとしみじみ思いました。この辺りは、2017年の物語類型の終わりについて話しているので、おすすめのラジオです。

ネト充のススメが、面白くて見ているのですが・・・・・何が面白いかっていうと、これって、ただの「すれ違いラブコメ」ですよね。えっと、ラブコメのコアは、すれ違いなので、要は王道のラブコメっただけです。ハーレムメイカーという言葉は、女の子がたくさん出てきて、そのだれもを「選ばない寸止め状態」のウハウハ状態が続くことを指すとすると、その終わりは、「誰か一人を選ぶ」ということになり、それはすなわち、古典的なラブコメへの回帰なんですが、その傾向ってはっきり出ているなーと思うんです。『冴えない彼女の育てかた13』で、文句なしにヒロインを一人に絞り込んで、単一のルートで、含みなしに終わりました。時代の傾向がはっきり出ているなーと思います。

TVアニメ「ネト充のススメ」ディレクターズカット版Blu-ray BOX

それに、オタクという言葉、リア充爆発しろ、というう言葉が、完全に過去のものになってしまったな、という感じです。『ネト充のススメ』にせよ『ヲタクに恋は難しい』にせよ、もうリア充と非リア充の対立や、オタクを特別視する視点が、完璧に消えています。ああ、もう、オタクってのは、一つのセグメントというか、サーフィンが好きとか、そういう類のものと同列のジャンルの一つにすぎなくなったんだなというのが、最近痛切に感じます。ようは、相対化されたんです。昔は、オタクの差別は裏返せば選民としての「選ばれた」という自意識が強く存在していました。その自意識を裏付けたのは、「世間から差別されている」という非リア充意識などの、世間からの白い眼差しでした。でも、もうそんなものは、どこにもなくなったんですよね。だから「選ばれた」という自意識の肥大もまた起きない。本当に、時代って、変わるんだーーーと驚きます。もう明らかに、サブカルチャーというかエンターテイメントの領域に、そういった自意識による痛さは、全くなくなってしまいました。もちろん、常に、そういう自意識を抱えた人は一定数いますが、もう時代の支持を得るものでは、まったくなくなったのは、数々の作品の到達点を見ると、よくわかります。この後、どこへ行くんでしょう、、、、わくわくが止まりません。

ヲタクに恋は難しい (1)

まだ読んでないので、はやく読まなければなら異のですが、俺ガイルも、もすぐ終わりですよね。

先日も記事で書きましたが、ベイビーステップの終わりも、えーちゃんが、成長やランキングトーナメントの勝ち負け思考から自由な成長を求める人で、ルサンチマンがなにもなくて、上へ向かっていけるという、、、そういうスポーツ漫画が描けることを描いた稀有な作品で、それが、終わるというのにも、時代を感じました。

スポーツ漫画として、やはりこの作品が特異なオリジナルな部分は、トラウマや欠落をベースに、強烈な上昇志向による「勝ち負け至上主義」、僕は日本的ランキング・トーナメント方式といっていますが、そうではなキャラクターの在り方を軸に成長が描けるんだ、ということを描いたことだと思うんです。僕は、ランキングトーナメント方式に勝ち登っていく・・・・典型的なのは、「甲子園を目指す」というような物語ですが、そういうものの動機の在り方を成長(勝ち上がっていく)ことに対比させて、成熟という言い方をしていましたが、もうこういった高度成長期の残骸とでもいうようなランキングトーナメント勝ち上がり形式は、one of themになってしまっている現状では、まだまだ物語の類型としては大きな府という骨太のものですが、既に中心の幹で、他を支配するという構造ではなくなっていると思うんですよね。なので、もう、わざわざ成長という言葉に対比させて成熟という意味が失われているように感じます。スポーツ漫画の物語において、このような在り方が可能なんだ、ということを、しかも高い人気と長い連続性を備えて世の中に打ち出したことは、とてもエポックメイキングなものだったと思います。

http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20171228/p1

ベイビーステップ(47) (週刊少年マガジンコミックス)


冴えない彼女の育てかた13 (富士見ファンタジア文庫)


なかなか思考がまとまり切っていないのですが、2017年は、何かが終わった年でした。一つの思考の類型が、終わりを迎えた感じが凄くします。それがなんだったのか、そしてどこへ向かうのか。わくわくが止まりません。