フォレストガンプと大統領の執事の涙を同時に見よう!

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先日、町山智浩さんの映画塾を聞いていて、フォレストガンプの評価がとても興味深かったので、お勧めです。フォレストガンプのモヤモヤしていたところが、すべて取り払われたような気がして、とても面白かった。



1950年代:順応主義・コンフォーミズムの時代


1960−70年代:カウンターカルチャーの変革期


1980年代:レーガノミクスに代表される保守派の巻き返し




こんな風にアメリカはとらえられるのですが、ロバート・ゼメキス監督は、バック・トゥ・ザ・フューチャーで1980年代の壊れた家族を修正するには、1950年代に帰れという物語を描きます。

これが、80年代のレーガノミクスの思想と親和性が高く、プロパガンダにも使われた

ゼメキス監督は、60−70年代の価値評価が空白だったのだが、それを、フォレストガンプで明確に示した

カンターカルチャーの体現者のジェニーが、どんどん不幸になって、貧乏になり、最後に病気で死ぬのは、カウンターカルチャーが、米国を悪くした元凶であったという思想的表現

本来あるべき、キング牧師らの公民権運動が全く描かれていない


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このあたりは、なるほどと唸りました。というのは、本当にすっぽり公民権運動のキング牧師の話が抜け落ちていて、この価値選択を描かなければ、その後の米国社会がどう変化したかが描けないからです。それを無視したかった、もしくは悪いものとして否定している、というのは、明らかに自覚的ですね。たしかに。


しかし、町山さんも唸っているのは、思想的には極論の映画だとしても、物語として、映画としては、素晴らしい出来なんですね、さすがのゼメキス監督。こういうことは、よくある。町山さんがよく上げる『国民の創生』『アポカリプス』なんか典型的です。


フォレストガンプは、60−70年代のカウンターカルチャーが、新しいアメリカを作るために、規制の保守的な価値を破壊して解体した運動であるのは間違いありません。そして、その解体の悪い部分がたくさん出たために、保守派の巻き返しがあったのも、サイレントマジョリティなどに代表される、そこに参加しなかった人々の叛旗が翻されたのが、この時代でもあり、その視点を中心に再構成しなおすというのは、まぁ、ありうるものだと思うんですよ。


では、これに対してどうすればいいのか?というと、もちろん批評家などの人が声を上げるのも、重要ですが、より重要なのは、僕は物語には物語、だと思うのです。


なので、明確にフォレストガンプで描かれなかったものを、すべて描いたという『大統領の執事の涙』は、見事な返歌というかアンサーになっていて、これはいいなと唸ります。


これは双子のようなもので、同時に見見るべき物語だともいます。どちらも視聴後の感触が素晴らしくよく、わかりやすく、しかも米国の現代史を一覧できて、素晴らしいので、ぜひセットで見ることをお勧めします。ちなみに、町山さんの説明も聞くと、より深く楽しめます。


ちなみに、さらにいうと、フォレストガンプは、60−70年代の旧来の価値解体に関して、80年代が過去に戻って保守的価値を再構成すべきという文脈で物語が描かれています。80年代以降が、リベラルな価値で、人々の古いタイプの絆や家族などがずたずたに壊されて、その負の側面が噴出した時代だからです。


同時に、90−2010年代の現代は、いったん解体されて崩壊した絆や家族の在り方が、60−70代的なリベラルな価値観をベースに置いたうえで再度作り直されている時期のものになります。なので、大統領の執事の涙では、ただ壊すだけだったカウンターカルチャーの担い手たちが、長い時をかけて、絆やコミュニティの再生に向けて努力しているさまが意識されています。その果てのオバマ大統領の登場なわけです。


そして、、、、その次の時代は、トランプ大統領の登場です。



アメリカというのが、定期的に極端な価値の振り子をしているさまがよくわかりますね。ちなみに、凄く単純化していうと、フォレストガンプ大統領の執事の涙は、共和党民主党、保守派とリベラルの視点から世界を眺めると、どうなるかって感じですね。もちろんそうは単純ではないですが、差の「大きさ」がどれくらいかは、これを同時に見るとすごくよくわかると思います。




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