『ゴブリンスレイヤー(GOBLIN SLAYER!)』Japan 2018 蝸牛くも著 尾崎隆晴監督 神々に、サイコロを降らせないというのことが、僕らが最後にできる唯一正しい回答

ゴブリンスレイヤー(1) (ビッグガンガンコミックス)

評価:★★★☆3つ半
(僕的主観:★★★★4つ)

アニメーションとしての出来がとてもよかった。きれいにまとまっているし、ゴブリンというこの中では天災的な位置づけですね。それに、人生と世界を壊されてしまった少年の復讐の物語。そして、復讐心が、ちゃんと癒しに結び付いていく。復讐心の癒しですよね。主軸は。軸がしっかりしているので、見てて非常に楽だった。


けれども、客観評価が★3と普通なのは、これは日本のファンタジー文脈の多様性の中の一つの系。ルーツの展開なので、これ単体で見て、傑作とわかるわけではないな、と思ったからです。僕の客観評価は、★4-5クラスは、たとえば、アニメーションを普段見ていない人が、その作品を見ても楽しめるか?とか、現代日本の物語文脈に慣れていない人が見てもちゃんと物語を理解すれば素晴らしいと感じるか?とか、もう一つは、たとえば萌えアニメ的なもので明らかに男性向けのセクシャルな視点が入っていてさえも、むしろ女性もこれ見たら面白いんじゃないか?とか、その逆も、明らかに女性向けであるのに、これ男性が見てもぐっとくるんじゃないか?などの、コンテンツそのもの、そして受け手の、属性やテーマなどの教会を超えても、ちゃんと見れば楽しいかどうか?というポイントが入っているからです。主観は、単純に好きかどうか。または自分のもつ固有文脈に位置づけられるか。



ゴブリンスレイヤーの魅力は何か?といえば、ファンタジーのお約束の中で最弱的な位置づけの、冒険者の練習みたいな敵である雑魚キャラのゴブリンについて、まじめにその位置づけを考えて物語を展開したこと。



「だと考えると」、日本の他のファンタジーものをたくさん知って経験しているという前提に立った、ある種のマーケィングの王道を外してきている、その「外し」を楽しむ部分が大きいので、これ単体で、物語に大満足することはないなぁとおもったからでした。


とはいえ、弱いゴブリンとはいえ、群れると新人冒険者などは簡単に殺され凌辱されること、繁殖が凄いので数は増がどんどん増えること、みたいな、、、あっと、もともとゴブリンの日本おファンタジーでのお約束の持つポイントは、(1)弱いけど群れて襲われるとやばい、(2)繁殖力が高い、とかなので、これをまじで考察すると、たぶん冒険者のような金で動くものにとっては対峙する価値が非常に低いので、かなりほっとかれる傾向があるはず。また、女性を、繁殖の道具として群れで使用するなど、エログロ設定は突き詰めればどんどん深刻になるはず。


けれども、そもそも数が多くて弱くて、という構造は、「勇者が魔王を倒して世界を救う」という物語のメインストリームの部分にとって、ほとんど必要がなくなります。なので、これ単体で物語を作るのが、凄い難しいはず。だって、動機を主人公に持たせるのが難しいじゃないですか。


だけど、ここで天災のように、目の前で家族を皆殺し、なぶり殺しにされて、帰る故郷を喪失したという少年の、復讐心の物語にしたのは、うまい。


そして、じゃあ、ゴブリンを殺せば、いいのか?というと、ゴブリンは数がいる天災と同じ位置づけなので、これを倒すには、どうやって家族を殺した自信と戦うのか?というような、途方もない目的にならざるを得ないところに落とし込んでいったのは、いやはや素晴らしい。ゴブリンスレイヤーの復讐を求める気持ち、愛する姉を奪われた怒り、自分がそれを成し遂げられるほどの勇者でも英雄でもないことへの恨み、苦しみ、無力と怒りなど、何度も何度も繰り返されて素晴らしく感情移入できる。


そして有力な冒険者になってさえも、ゴブリンを殺し続ける狂気を見せることで、彼の動機の深さがとても伝わる。


そうした時に、このアインディア勝負の物語に、終わりの落としどころ見つけるには、予測として二つくらいしかない。一つは、誰も助けてくれなかった、守れなかったという本人の公開を昇華させるようななにかの体験をさせること。それは、幼馴染の女の子を、姉の代りに守ることや、誰も助けてくれなかったことの代償に、自分が助け、そして仲間が助けてくれること、、、、って、そのままアニメーションのメインストリームの演出になっている。これ、きれいにまとめていると思う。



もう一つ、これが、こういうエログロというかグロテスクな、現実に過酷さをたたきつけられる物語が受けた背景には、2018年は、まだまだ新世界系の影響下があるんだろうと思う。



物語マインドマップ 9. 新世界系の登場~新たな竜退治へ

物語三昧ラジオ/雑談+物語講釈+新世界系+オルフェンズ 2017/10/01

物語三昧ラジオ/けものフレンズと新世界 2017/06/02

物語三昧ラジオ/新世界のビルドゥングスロマン+快楽線 2015/06/28

物語三昧ラジオ/PACTとセカイと新世界 2014/10/12


新世界系を一から話すと長くなるので、この辺で暇な人は予習してください(笑)。


けど、勇者じゃなくて、勇者の背後を守る名もなき戦士の話って、渋すぎ。こういうのができる、日本のアニメ、ファンタジーは素晴らしいなー。勇者が、僕らが守った街が滅びにやったら、困るもんね、というセリフが、ちゃんとあるのは、よかったねー。神々に、サイコロを降らせない、というのはいい。これって、ファンタジー作品を、たくさん読んでいると、「この問題意識」がどんどん深堀されているのがわかって、集合知というか、群で考えるというのは、凄いことなのだなぁ、といつもしみじみ思います。ちなみに、この問題意識の思考の流れは、下記のあたりがいい記事なので、もしよかったら、読んでもらえたり、ラジオ聞いてもらえると、理解が深まりまっせ。

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まおゆう魔王勇者 「この我のものとなれ、勇者よ」「断る!」(1) (角川コミックス・エース)

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ちなみに、この問題意識というのは、英雄だけに頼るのは、まずもって人間として卑怯ではないか?という問い(=他人に責任を丸投げしつつ、安全なところ?から眺めることの卑怯さ)と、それにプラスして、英雄=一人の個人が世界を救うことができないほど世界は複雑なので、マクロを変化させるには時間と、一人の人間ではない集合知が必要というも問題意識が重なっていると思うのです。

魔法騎士レイアース 新装版 (1) (KCデラックス)

このあたりの問題意識が先鋭的にエンターテイメントの世界に現れてくるのは、CLAMPの『魔法騎士レイアース』や橙乃ままれの『まおゆう』の頃だと思います。この二つは、ちょっととんでもないレベルの傑作です。既に、1970年代には栗本薫が、グインサーガの序章?というのかなぁ、グインサーガの時代を「まだ個人が英雄たりえた時代」というような言葉を描いているので、この問題意識は、それなりに教養というか知識がある人々の中では、既に常識化していたのだろうと思うのだけれども、エンターテイメントとして普通の受けて、消費者が人気によって支持するようなエンターテイメントの領域まで理解し、受け入れられ、そのさまざまな可能性が物語として展開するような、引き返せなきくさびにはなっていなかった、と思う。けれども『ガッチャマンクラウズ』『まおゆう魔王勇者』『魔法騎士レイアース』のような、時代の楔になった作品群のみならず、このへんは、小説家になろうの作品で『勇者のお師匠様』『ゴブリンスレイヤー』『異世界再建計画』『異世界コンサル株式会社(旧題:冒険者パーティーの経営を支援します!!)』など、もうこの問題意識が、空気のように当たり前に展開するようになっているんだなーと、読んでいてしみじみ感じます。日本のエンターテイメント業界は、どんどん教養深まってるぜ!と、感心します。戦争は、極端なイノヴェーションをもたらすけど、やっぱり長期間の平和の爛熟って、めちゃめちゃいろんなものに、深みと広がりをもたらしてくれるので、日本人としては、このWW2以降の長い期間の平和って、素晴らしいよなーって、しみじみ思います。あと、自分もうすぐ四捨五入すると50歳のおっさんで、30年以上もエンターテイメントの世界を、本気で眺め続けてきた蓄積があるからこそ、「この大きな悠久の流れ」が感じられるのだと思うので、生きててよかったーとしみ字も思いながら、物語を楽しんでいます。


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勇者様のお師匠様 I


『勇者のお師匠様』『ゴブリンスレイヤー』『異世界再建計画』『異世界コンサル株式会社(旧題:冒険者パーティーの経営を支援します!!)』あたりは、この辺りのファンタジー群でも珠玉の作品群なので、とてもおすすめです。問題意識云々いう以前に、エンターテイメントとしてとっても面白い。けれども、どれも、大きな文脈や、小説家になろう的な異世界転生(でないのもありますが)フォーマットに、いくつもの大きなひねりを与えて、この問題意識に答えを出そうとしていて、その素晴らしさやアイディアに涙というかため息が出ます。


記事があるものは読んでほしいのですが、『勇者のお師匠様』は、勇者が救った後の世界をがどうなるかを描くこと、戦後処理を度するかの難しさを背景に淡々と描いています。また、実はこの世界では勇者がキーではありません。勇者が愛する一人の男の子が、めちゃ無力なのに(笑)、戦略核兵器このボタンを押せる人のごとく、権力闘争の中で、それをどう位置づけるかという話になっています。


また『ゴブリンスレイヤー』では、世界を救う勇者の背後で、日常を守っているのはだれか?という問いを突き付けます。勇者が世界そのものを救っても、その間に零れ落ちる普通の人々の無念をどうするのか?という話。


異世界再建計画』では、チートな勇者が世界を救ったがゆえに、そのずっと後の時代に世界がめちゃくちゃになっていく問題が描かれます。チートの能力で、貧困と食糧問題に苦しむ世界に、勇者は、白米と稲作をもたらします。。。。これ自体は、善意であり価値があったのかもしれませんが、、、、その結果、その後の時代には、脚気が構造的な病気として埋め込まれてしまいます。日本の歴史を見るまでもなく、脚気の死者はすさまじい。これは、戦争で死ぬ数と比較してもはるかに多い人間を死に追いやるでしょう。。。チートで世界を変えることについて、この世界の神様(監視員)は非常に懐疑的ですが、それはこういう破局が生まれやすいからですね。主人公はその世界の修理を依頼されて異世界転生するのですが、彼は、勇者=くそやろう、と呼んでいて、うん、凄いわかる、、、とこのプロットに唸りました。

異世界再建計画 1 転生勇者の後始末 (レジェンドノベルス)

読むたびに泣いてしまうのですが、『異世界コンサル株式会社』では、すわコンサル設定の異世界転生か!ってその通りなんですが、、、、それが本質の一つではあるのですが、それだけでは、言い表せない素晴らしい問題意識が物語の本質に埋め込まれています。この世界の、冒険者たちが、貧困の若者がバタバタ死んでいく構造的に弱いものが食い物にされ死んでいく構造そのものを何とかしたい、と志した主人公は、なんと靴!を作るメーカーを作ることを志します。。。。ああ、まおゆうの、世界の殺し合いを何とかしようと思ったときに、そうだじゃがいもの栽培を広めよう!と思いつくのと同じですね。このへんの、世界をよりよくしていくこと、社会改良を、するにはどうすればいいかというエンターテイメントの世界での問題意識の深まりに、僕はほんと、いつも感動します。これ意識としては、僕の中では、高橋和巳さんの『邪宗門』から連なる問題意識なんですよねー。ちゃんと進んでるじゃん!現代社会!といつもいい気持ちになります。こういう問題意識が、一般に共有されている社会の、なんと凄いことか。いや、ほんと、面白い物語がたくさん。幸せです。

邪宗門 上 (河出文庫)


異世界コンサル株式会社 (幻冬舎単行本)