『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』(Battle of the Sexes)USA 2017 Jonathan Dayton, Valerie Faris監督 当事者たちが何を抱え、何を考え、何のために戦ったのかを感じられる素晴らしい映画

バトル・オブ・ザ・セクシーズ (字幕版)

評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)

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バトル・オブ・ザ・セクシーズ』(Battle of the Sexes)2017年のアメリカ映画。めちゃくちゃよかった。Emma Stoneが演じるビリー・ジーン・キングが、なかなかいい味を出していた。去年(2018)の、大阪なおみさんとSerena Williams(セリーナ・ウィリアムズ)さんのUS Openの決勝戦の出来事以来、ずっと見たかったのだけれども、やっと見れた。ビリー・ジーン・キング(Billie Jean King)とボビー・リッグス(Bobby Riggs)との試合を描いたもの。

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■女性の差別との戦いの歴史


はっきり言って、全然知らない話だったので、自分はほんとものを知らないなぁとしみじみ思いました。企画自体は、MeTooムーブメントより前らしい。そういう意味では、とても時代的な映画。

Women's Tennis Associationの設立の背後にこんな、厳しい戦いがあったとは、、、驚きました。映画の中で、ショーとして、道化として確固たる意志を持っているボビー・リッグスより、むしろ、裏で、システム的に、男性優位の構造をゆるぎなく維持しようとする運営の人間に「お前たちの方が本物の敵だ」的なことをキング夫人がいうのが、とても興味深かった。たしかに、ショーとして「男性優位主義者のブタ」と高らかに宣言するボビーの方が、まだくみしやすい、分かりやすいもので、陰に隠れる構造的なものの方が、はるかに陰湿かつ手ごわい敵だったんだろうなぁーとしみじみ思いました。もちろん脚色はあるにせよ、当時の雰囲気が、いまと全く違うので、とても文脈が興味深かったです。

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Billie Jean King: The Best Tennis Player Ever - Documentary & Biography


Billie Jean King On ‘Battle Of The Sexes’: Bobby Riggs ‘Was One Of My Heroes’ | TODAY


■セリーナに対する主審の判断について~現代はこの問題は、複雑な様相を帯びている

9月8日にニューヨークのビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニスセンターで行われた決勝戦。問題の場面は、大坂が6-2で先取して迎えた第2セットで訪れた。

 第2セットの第2ゲーム。大坂のサービスゲームでセリーナはコーチから指導を受けたとして、最初の警告を受けた。その後、セリーナはいらだちを隠さず、第5ゲームで大坂にブレークバックされるとラケットをたたき折り、2度目の警告で1ポイントを失った。第7ゲームで再び大坂にブレークされた直後。コートチェンジするときに主審に怒りをぶちまけ、「私から得点を奪った。私に謝れ」と猛抗議。「盗人」と発言したことで3度目の警告を受け、罰則として自動的に1ゲームを失ったのだ。

 試合後の記者会見で、セリーナは、ポルトガル人の主審、カルロス・ラモス氏を痛烈に非難。ラモス氏には男女差別の意識があり、自分への違反判定につながったと訴えた。

【アメリカを読む】セリーナ・ウィリアムズVS審判 「性差別」と訴えた女王に米国人は賛同か幻滅か(1/5ページ) - 産経ニュース

セリーナ・ウィリアムズといえば、現代アメリカの英雄の一人。その業績は、凄まじい。


とても興味深かったのは、彼女のふるまいに対して、無礼だとか、スポーツマンシップにもとるというような言い方をしているのは、たくさんあったのですが、個人的には、日本語の方が目立った気がします。量は同じくらいの比率だったと思うのですが、日本語の方は、彼女にも理由がある(要は女性差別だ)という風にいうよりは、声のトーンが高いように感じられました。まぁ、僕の個人的な感触なのですが。いいたいことは、日本の方が、アメリカ的な文脈である、アフリカンアメリカン、そして女性に対する差別克服の戦いがの歴史が、まだまだ弱いので、一足飛びに「マイノリティが権利を獲得した後の、アイデンティティポリティクスのようなリベラル、左翼、マイノリティ側の、実は「正義の御旗のもとに様々な公平さや正義を踏みにじっている卑怯なふるまい」に文句を言うフェイズに、すぐ飛びつきやすいと思うのです。そこには順番が実はあって、いきなり、マイノリティを責めるのは、非常に差別的なのですが、日本では、そういうステップの一団飛ばしが起きやすい感じがしました。


でもここで言いたいのは、そこではなくて、アメリカでも、セリーナのふるまいは、そうは一いってもひどいんじゃないか?という意見があって、セリーナの振る舞いそのものは真偽がわからないし、テニスには女性差別はかなりずっと構造的に言われている問題なので、きっとセリーナに対する差別はあったんだろう、「という前提」に立つのが常識として動いているので、「それに違反する」、つまりは、ポリティカルコレクトネスにいはする発言が全くできない、という無言の圧力がある。だから、セリーナ自身の振る舞いというかマナーは、だいぶひどいんじゃないかと過去からずっと言われているが、それを注意できる空気が、人がいない。注意すると、女性差別主義者だからだ!と、社会的立場を失ってしまうので、一切触れられない聖域になっている。今回は、相手側が、大阪なおみさんという、ハイチ系でもあるし、日系でもあるマイノリティなので、いや、それは、だいぶひどいんじゃないという「それでもまだ言える空気」になった、みたいなことを、ちょこちょこ発言したりコメントしている人がいたんですよね。

一方で、大会から数日がたってから、セリーナの主張に異議を唱える意見も出始めた。四大大会18勝の記録を持つ元テニス選手で、同性愛者のマルチナ・ナブラチロワ氏は、ニューヨーク・タイムズ紙(9月11日付)に「セリーナが間違えたこと」と寄稿を載せた。

 ナブラチロワ氏はテニスの世界に限らず、性差による二重基準はあると言及しつつも、「『男子なら許されることは、女子もそうあるべき』という基準を当てはめるのは適切な考えとは思えない」と指摘し、こう続けた。「それよりもわれわれが問いかけるべきは、スポーツに誇りを示し、対戦相手にも敬意を表す正しい振る舞いとは何であるかだ」

【アメリカを読む】セリーナ・ウィリアムズVS審判 「性差別」と訴えた女王に米国人は賛同か幻滅か(3/5ページ) - 産経ニュース


そして、女性の側に立つ人々の中でも、世代によって、ビリージーンキングさんとナブラチロワさんの意見の違いの鮮明さが際立った。


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事実を調べてもいなし、すべてが僕のテレビと周りに「見た聞いた」レベルの話なんで、これが事実だといいたいわけじゃなくて、こういうアファーマティヴアクションとポリティカルコレクトネスと、何が正しいことなのか?、本当にマイノリティは、この厚いベールの中でスポイルされていないか?とかいう構造が常に隠れているってこと。


あっ、えっとね、構造にはレイヤーがあるといつも思うんだよね、抽象的に書くの難しいので、このテニスのケースを例にとろう。


1)男性とマジョリティ(ここでは白人)側が、女性とマイノリティを構造的に差別しようとする圧力が昔から常にある。これは、この映画を見ると、そのあまりのひどさにため息が出る。


2)それに抵抗してきた、ビリージーンキングなどの闘争の歴史があり、権利を獲得してきて、アファーマティヴアクションのような、そもそも差別されやすい構造に対して、厚い保護をする仕組みができた。例えばセリーナ・ウィリアムズは、大阪なおみのあこがれだったけど、それは、彼女が差別される苦しい異世界で、ずっと戦ってきたことを、誰もがに示してきたという実績があるから。


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3)しかしながら、時間がたってきて、現代(最近2019ぐらい?)になると、その厚い保護のブランケットの中で、スポイルされていないかどうか?、つまり、マイノリティだから女性だからって、既得権を振りかざして、他者に攻撃的になったりするのは、本来は批判されなきゃいけないものが、過去に虐げられていたという言い訳で、許されてしまっていることに増長しているんじゃないの?。セリーナの態度がかなりひどいのは昔から言われているけど、ぜんぜんなおんないじゃん、と。


4)けど、さらにひっくりかえって、それを批判するふりをして旧既得権益の差別主義者が、3)に飛びつく構造もある。左翼やリベラルがまたアイデンティティポリティクスで、正義(ポリティカルコレクトネスやアファーマティヴアクション)をを振りかざすのを批判する「振り」をして、実際は、1)の男性やマジョリティの差別意識を肯定しようとする保守や右翼の隠れ蓑にしている。セリーナの話も、これは差別やマイノリティ差別とは違うんだ!、個別にケースバイケースでひどいものには、ちゃんと意見を言おう!という「振り」をして、実際は男性原理主義や差別を助長してる。


と、こうなってくると、もう外から見ているんじゃ、ほとんどよくわからん、という風になる。


よくわかんない場合は、極論的に「どちら側に立つの?」という話になる。そうなると、通常は、リベラル用の立場に立つことになる。なぜならば、アメリカでは、そういう常識という空気が、根強く形成されてきた、、、、言い換えれば、女性やマイノリティの権利獲得に、物凄い時間が費やされ、1960-70代に遺産が作られてきているから。生半可な危ない発言すると、立場を失ってしまう可能性がある。特にメディアは、リベラル、左翼よりなので、そういうリスクが凄い強い。


なので、人々は、多少、おかしいな?と思うことがあっても、臭いものにはふたをするという感じで、何も言わなくなってしまう。



その結果、どうなるか?。


2019年のアメリカで、その結果は、一つは、口に出さないけど、はっきりと投票しちゃう(笑)。ということで、メディアの予想全く裏切って、本音を、嘘だろうが何だろうが、ガンガンいうトランプさんを選んでしまった。もう一つは、やっぱり、保守、右翼層の激しい台頭をまねいているんだろうと思うよね。ティーパーティーでも、なんでもそうだけれども、このリベラルになってきた先進国で、それはないんじゃない?というような赤裸々な本音が、表立って支持をうけるようになってきている。



というような構造は、日本でも、ヨーロッパでも、アメリカでも、共通の構造だと思うんですよね。



これ、難しいなーとしみじみ思います。だって、上の4つの構造を考えただけでも、どっちの立場に立てばいいのか、よくわからなくなっちゃう。思考停止で、そはいっえも「とりあえずリベラルにしよう」と考えると、現実には、マクロで激しんリアクションがエネルギーを得てしまう。かといって、じゃあ「中道で行くか」と考えると、そもそも経済が最悪なので、みんな既得権益の奪い合いをしているので、とは争いが凄いので、中道は、日和った、と見えてしまう。うーん、、、みんな同じ構造。


と考えると、少なくとも、ここ数年は、保守、右翼のターンだろうなぁ、と感じてしまう。だって、世界中が、そうでしょう、いま。


西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム


なので、こういう当事者じゃない人には、「よくわからなくなる」出来事に関しては、その時の様々な立場の人の意見を、公平に聞く、だけじゃだめで、時系列的に「過去にどういう経緯があった、そうなってきたのか」という歴史軸をみないと、その時のトレンドで判断してしまいやすい、と僕は思います。なので、こういう過去の、大きな出来事を、主観的に理解しやすい物語に再構成して見れることは、とてもいいなーと思いました。いっきに理解と共感が深まったもの。


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■ビリージーンのだんなさんが興味深い

この話は、また別途どこかに関連して書きたいなーと思う。ビリージーンキングの旦那さんが、とても興味深かった。


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