『転生したらスライムだった件』 菊地康仁監督 ビルドゥングスロマン(成長物語の古典的な枠組み)で評価しないで見たいのだが、それが何なのか考え続けている。。。

転生したらスライムだった件 1 (特装限定版) [Blu-ray]

評価:★★★★☆4つ半
(僕的主観:★★★☆3つ)

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いまだ大きな疑問点としてこの作品について、わからない、、、と首をかしげている。だけれども、なんだか「自分が理解できない」ポイントに、時代の境目というか、大きな重要な、現代を理解する何かが隠れている感じがして、ずっと、何なのかなーと考え続けている。というか、まわりに、これを好きという子供、、、が多いんだよね。自分の子供も含めて。けど、僕の評価ポイントである「成長を通して自分自身になる」という古典的なビルドゥングスロマンで評価すると、どうしても「ほとんど何の障害もない」ように見えるドラマの設定は、駄作というか、面白くないいものとして評価してしまう。実際、かなりポジティヴに言っているが、YouTubeでの僕の評価も高くない。けど、、、、実際は、内心の評価は、高いんだよね。実際。24話?で、この起伏のなさで、僕はちゃんと全部見切っているのも、何かがあるような気がしてならない。たぶん、僕がおっさんで、頭が固くなって、自分の物差し(成長物語の古典的な枠組み)でしか見ていないので、取りこぼしているところが、あるように思えてどうすしようもない。それが何なのか?を、ずっと考え続けている。


逆に考えればいいのではないか、と思っている。


というのは、古典的な成長物語の物差しで、自分が「引っかかる」部分というのは、俺TUEE的に、主人公のリムルくんが、なんの内的葛藤や、厳しい試練を超えるわけでもなく、ひたすら相手の能力をコピーするということで、「様々に起きるイベント」をクリアーしていく様は、「それは成長じゃないんじゃないか?」という、部分みたいなんですよね。これは、僕の感情の部分だけではなく、物語の障害がチートというか、より深いレベルでの葛藤や苦しみをもたらさなければ、物語の起伏が生まれず、平坦なドラマトゥルギーになってしまい、ドラマがドラマとして成立していないのではないか?という疑問です。けどね、子供の話を聞いていると、「まさにそこがいい!!!」(笑)というようなことを言うんですよ。戦争もおきているし、いろんな大変なことおきてるじゃないか!と言われてしまって。。。なるほど、、、、と。ちなみに子供は小学五年生。ちなみに、うちの娘の小学校の同級生の女の子が、これが面白しろくてたまらん!と言ってたと娘が言ってて、、、いや、どうやって見てるんだろう???、、、全く日本語分からないアメリカ人なのに、、、。ちなみに、うちの娘は、その子に紹介されて、見たい!と言い出した。何か方法があるみたいなのだが、、、ネットフリックスかなにかでで字幕のやつあるのかな?。マジでリアルタイムで見てるみたいなので、いやはや世界は変わったなーとしみじみ。


どうもね、、、、古い枠組みで考えると、安易に「ドラマの起伏がなく(=成長のための障害がないのは卑怯)」というような感情的、論理的評価になるんですが、、、、この物差しが成立していない気がするんですよね。最近の作品では。古い物差しで「最近の若いものはだめだな」みたいなのは一番ダメな老害パターンだと感じるし、、、何よりも、僕のアンテナが「ここには何か掘るべきものがある」感じがして仕方がないんです。なろうの作品や、このすばの議論もすべてこれでしたが、あの時は、まだ古い物差しが、ある程度は機能している感じがした気がするのですが、この作品はそのハードルを超えている気がして、、、「それ」が何なのかまださっぱりなんですが・・・・。


ただ少なくとも、新しい世代は、何か違うものを見ている感じがしてしょうがない。自分の物差し(成長物語の古典的な枠組み)は、物語の重要な評価軸として、メインの一つであり続けるとは思うのですが、それに匹敵する同時代性の何か?がありそうな気がして、、、最近、しきりに考えます。



ちなみに、4月は、一個もブログの更新がないところだった。これを見ると、ほんとに忙しい時とそうでない時が、一目瞭然にわかる気がする(笑)。一月に一度も更新がないのは、さびしすぎると思って、とりあえず書いてみました。


転生したらスライムだった件(1) (シリウスコミックス)