「こうあるべき」という思い込みが、人を苦しめもするし、成長のきっかけにもなったりする。

鴻上尚史のほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋

評価★★★★★5つ:
(僕的主観:★★★★★5つ)

いつも「鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい『世間』を楽に生きる処方箋」読んでいて、回答への鋭さと人間理解への深さに、グッときます。大好きで読んでいます。こういう一般的な質問に対して答えるのって、凄く難しくて、どうしても当たり障りのないものになってしまうんだよね。質問者の文脈や背景がわからないので。もしくは「自分の文脈」に引きつけすぎていて、質問者意図を無視している「自分の信念の信念の場」になってしまいやすい。こういう回答で鮮やかなのが、出口治明さんなのですが、彼の回答は時々鋭すぎて、質問者に「なぜその質問をしたか?」というメタ的な問いを迫る場合が多いですが、よほどの「考え抜かれた背景」がないと、そういう切り替えしは、相手に嫌われてしまいます。今でも覚えているのですが、「世界中旅行したところで、どこが一番良かったですか?(出口治明さんは、世界中に物凄い旅行をしている)」という定番の質問をしたら、「質問自体が意味をなさない、どういう条件で、誰と行くかという条件がはっきりしないと答えられません。」と、ストレートに切って捨てられました(笑)。これ、適当に言葉を吟味しないで、条件反射で定型文の質問をしている人間に、考える前提を常に問う姿勢なんですよね。でも、これは、出口さんが好々爺としていて、物凄く厳しい人(苦笑)なのに、「きつく全然見えにくい雰囲気」で、かつ彼自身が、その問題について「考えに考え抜いている」からこそ、返せる業で、世人にはなかなかできません。こういう一問一答形式で、これは!と思うのは、岡田斗司夫さんと鴻上尚史が、最近では好きですねー。

では、恋愛は一般的にはどう始まるのでしょうか?

 ぶっちゃけて言うと、恋愛はなかなか始まりません。

 なかなか始まらないから、一目惚れの代表ドラマ、『ロミオとジュリエット』なんてのが、今この瞬間も、(間違いなく)世界中のどこかで上演されているのです。

 もし、街中に一目惚れが溢れていたら、誰も、『ロミオとジュリエット』なんて見ないのです。だって、みんながほいほい一目惚れしていたら、一目惚れは全然、ドラマチックじゃないですからね。

 一目惚れだけじゃないです。テレビや小説、映画、芝居には、激しく燃え上がる、ぶつかり合う、切なく求め合う恋愛が溢れています。それは、そんな恋愛は現実にはとても少ないからです。

 現実の私達は、ドラマのような恋愛にはなかなか出会いません。

 たいていは、だらだらと、ぬるぬると、ちょぼちょぼと、じつに中途半端な恋愛を経験する人の方が圧倒的多数だと思います。

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さて、いろいろ思うのですが、ちょうど昨日読んで、いい話だなーと思ったので、感想を。僕、日本で働いていたころ、よく後輩とか部下とか若い人から、「どうすれば結婚できますか?」とか「どうすれば女の子(いい男性)と出会えますか?」というような質問をよく受けました。たぶん、ぼくはおっさんや疲れたサラリーマンにしては「家庭が凄く幸せそう」に見えて、どうしたら、そういう風に幸せになれますか?ということを聞きたいようでした。男女問わず聞かれたので、というか、女性の方に多く聞かれた気がします。特に、僕は共働きですし、奥さんもキャリアを追求しているように見るし、しかも双子とかを育てていて、僕自身も結構ハードに仕事をしていたので、不思議に思われたようなんですよね。ようは、そんなのが、両立するのが不思議に見えたんだろうと思います。まぁ日本的な問いだろうと思います。えっと、問題意識には2つあって、


1)忙しすぎて女の子(男の子)と出会えない、社会人になるとなかなかいい恋愛でに出会えない


2)結婚の決め手と、いろんなものを両立していても夫婦関係が破綻しない秘訣は?


みたいな2つに分かれると思っていました。(2)は、いつも同じ答えです。信頼の貯金残高を増やすしかないです。信頼の貯金残高というのは「ほんとうにやばい時、この人は逃げない、助けてくれる、深い愛情がある」というのを、危機の時や普段から積み重ねておいて、トラブルが起きるとき(長い人生、必ず頻繁に起きます)にぶちぎれてしまわないようにするしかないです。はっきりいって結婚生活とか、子育てとか、人生の危機の連続みたいなもんで、お互いが譲ってカバーして、ボロボロになりながら何とか生き延びる逃げ切るぐらいしか方法はないと思うんですよねー。けど、両者とも、ぎりぎりまで追い詰められると、どっちかが譲らなきゃいけないです、どの道。これをケースバイケースで考えるのは、凄くしんどい。専業主婦でも専業主夫でも、役割を分けてしまうと楽なのは間違いなくて、それをしないなら、物凄く覚悟と根性がいります。まぁそんなマクロ環境だから日本は少子化になるんでしょうけど。でもまぁ、マクロの話を、「今この時の自分たち」のミクロの話とリンクさせてもどうにもなりません。与えられた環境で戦うしかないんです、普通の人は。なので、全力で「この人は信頼できる、本当にやばい時に逃げない」という確信を持ってもらうしかありません。そしてこれは「普段の実績」「過去にやったこと」にリンクします。もちろん、どっちか片方がやってもダメです。両方が、お互いに対して献身的になるしかないです。


とここまでくると、じゃあ「お互いに自己犠牲ができるほど献身的になれるか?」という話になるんですが、これ、僕、実際不可能だと思うんですよ。人生はしんどいことの連続で、すぐ追い詰められて、人生奈落の底に落ちそうになる危機がよくやってきます。僕は、いつも普通の人って、どうやって普段の生活しているんだろうと、不思議な気持ちになります。ただそれなりに普通に生きているだけで、ほとんど死にそうになるくらい夫婦でボロボロになるのに、こんなこと普通の人?というのは、こなせるんだろうかって。僕自分で結構仕事できる人だと思うんですが、そんな僕でも、毎日の作業とか引越の手続きでも何でもいいのですが、ほんとしんどい。疲れてちょっとでも手を抜くと、てきめんに、すべてのことがマイナスにはねかえってきます。はっきりいって、3年もすれば、パートナーとの関係なんて生活になって、キラキラした思い込みや幻想は消えます。なので、ごまかしがきかない「生活のリアル」ばっか押し寄せてきます。共働きの時は、お金でごまかすことがやろうと思えばできますが、、、、これに子供が生まれたりすると、もう破滅です。なんというか、お金でもごまかしきれない、様々なもの押し寄せてくる。こういう時は、お互い精神状態も健康もボロボロなので、、、ついは特に双子の子育てだったので、もうあの頃の数年間は記憶にほとんどありません。苦しすぎて。その期間、睡眠薬が手放せなかったし、もう鬱でおかしくなっちゃって家庭崩壊かな、と、奥さんと二人で、いつももうだめだ、もうだめだ、と嘆いていました。保育園もはいれなくて、ボロボロだったし。。。日本の社会環境は、本当に子育てに向いていません。夜泣き酷かったんですよね、、うちの子供。


まぁ個別事情は置いておいて、その時に支えるのは「相手への愛情」なんだろうと思うんですが、「これ」が、さっきもいったように、3年もすれば消えるもんなんで、、、、あ、えっと、ここでいう愛情というのは、キラキラ感があって、その他のマイナスが掻き消えちゃう恋の幻想のようなものとしていっています。そういうのは、持続させるのが、物凄い難しいです。せめて、そういう「愛情」みたいなものが背景にないと、仕事のパートナーみたいなもんなんで、相手が仕事をしてくれないことにイライラしっぱなしになって、関係がズタボロになるんですよね。これは仕事なので、と割り切るようなことができればそれも解決方法の一つなんですが、、、めちゃうるおいがありません。。。


んで、(1)の質問に戻るんですが、生活の壁や過酷さがあっても、それを超えて「相手に献身的になれるような恋愛」にどう出会えるか?という質問を実はされているんだって思ったんですよね。



ようは、「キラキラ感」が、生活の過酷さを超えても持続する方法は二のか?、そういう「特別な相手」とどう出会えるか?と。



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ここで書いた問題意識ですねー。なつかしい。あっ、やっぱり「ここ」は、ずっと僕の問題意識なんだなーとしみじみ思う。えっと、プラクティカルに言うと、



そんなの偶然であって、ほとんど無理!!!!



というのが、僕の最終的な答えです。もちろん。恋愛の過程や、様々なその人の「他者とのコミュニケーションのスタイル」とかによるので、要因分析はできるし、ある程度、「こういうプロセスを経れば」というような、と考えたんですが、、、でも究極的な答えは、偶然だよな、、、と思うんですよね、、、アラフィフになって思うのは。ただただラッキーだった、としか言いようがない。僕は好きな人と出会えて、破綻もしなくて、ほんと運後良かった、、、と思うだけなんですよね。というのは、再現性がある要素に分解できない感じなんですよねぇ。


たとえば、格言風に言えば、僕が常にモットーとして考えているのは「相手が他人の意見を耳でなく心で聞く人」を選ぶ、というのを肝に銘じています。これの含意は、「人の話を聞いたときに、聞くだけで終わらずに、常に行動を変化させる」人という意味です。ちなみに、僕は人生でこういう人は、凄く少ないんだと思っています。体験的に。またこれがとても再現性がない。というか一般化できない。というのは、僕は奥さんに対しては、比較的「耳でなく心で聞く人」だと思うのですが、その他の人には、全く聞く耳もちません。なので、「どうしてその人だけにそうなるか」が、よくわからない。「そういう人に偶然出会った」としか言いようがない。それと、僕は、たぶん男女関係の夫婦の理想として「対等であること、、、相手が尊敬できること」というのが、物凄く重要な人みたいなんですよね。僕が妻にいつも思うのは「なんて尊敬できる女なんだ」という打ちのめされ感がいつもあります。これ、恋の「キラキラ感」とほぼニアリーイコールなんですが、ほとんど幻想だと思うんですよね。結局のところ、何らかの「錯誤」が大本の土台にあって、それがなぜだか「消えない」という事実性があるだけな感じがするんですよ。なんかこういうのって、アドバイスにならないと思うんですよね。


えっと、長々書いているけど、要は何が言いたいかっていうと、「うまく自分の心にキラキラ感みたいな錯誤を継続してもてる」相手に出会うための方は、ないな、ということなんです。偶然、かな、と。身もふたもないけど。


なので、(1)のどうすれば幸せな結婚継続できるような相手と出会えますか?という質問に対して、僕の答えは「わからない」「偶然です」になってしまうんです。



唯一できるアドバイスというと、「偶然の確率を上げる」ことくらいかな、と。



んで、やっと、鴻上尚史さんのアドバイスに戻るんですが、これって、そもそも「恋愛ができる」というのは、「ありえないくらい珍しいこと」であって、それに期待しすぎると、何もできなくなって人生終わっちゃうよ、と言っているんだと思うんですよね。これ、めちゃ納得。

でも、「交際の始まりには、まず、しっかりとした恋愛感情があるはずだ」と思っていると、間違いなく、何も始まりません。

 最初に、そんな強烈な、迷いのない、くっきりとした恋愛感情がある場合は、ものすごく稀です。森永のチョコボールを買ったら、3箱連続で金のエンゼルが出たぐらい稀です。ね、どれぐらいめったにないか分かるでしょう?

 じゃあ、みんな、なぜ交際を始めているのかというと、男性の場合は、つきあいを始める90%の理由は、性欲です。(わははははっ。言っちまったい)

 驚きましたか? 呆れた? でも、よし子さん、嘘だと思ったら、周りの男性に聞いてみて下さい。正直な男性はこっそりと、または開き直って認めるでしょう。

「なんとなく好きだけど、それより、とにかく、エッチしたいんだよね」が、交際をスタートさせる動機の90%です。残りの10%は、「勢い」と「手料理が食いたい」と「その他(人に言えない)」です。

 女性の場合は、僕の観察だと、「淋しさ」と「見栄」で90%です。

「好きというより、独りが淋しくてたまらないから交際を始める」というのと、「周りのみんなが交際していて、自分は独りでみじめに思われたくないから、または、周りに自慢したいから、そんなに好きじゃないけど交際を始める」です。

 残りの10%は、「将来性」とか「冒険心」「その他(人に言えない)」とか、人によって色々でしょう。

 でね、僕は「性欲」とか「淋しさ」「見栄」が交際を始める動機で全然、良いと思っているのです。


目からウロコ!「恋愛をしたことがない」25歳女性に鴻上尚史が勧める恋愛の始め方 (1/6) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

これとかもめちゃくちゃ納得の「実際的なアドバイス」だと思うんですよね。ようはね、人生を縛るのって、「こうあるべき」という思い込みと、それに対する落差だよなって思うんですよね。実際、社会が役割をかなりかっちり決めていた20年ぐらい前までは、一度しかトライできない失敗できないものみたいな感じで結婚が想定されていたので、理想に対する思い込みを強く持って、その目的に邁進するみたいな行動は、まぁ一般的だったと思うんですよ。でも、社会が寛容度を増している(と少なくとも僕は思う)現代日本社会で、あまり「こうあるべき」という期待値が高いと、人生を踏み出せなくなって、失敗しやすくなっていると思うん。えっとね「偶然の確率を上げる」というのは、ようは、あまり期待せず、いろいろ動いてみたほうがいいよぅて話になるんですよね。


えっと、長々書いてて、何か書いているんだって感じですが、(1)のどうすれば幸せな結婚継続できるような相手と出会えますか?という質問に対して、いや、そもそも「恋愛」なんて出来るのはめずらしくて、特異なことなんで、あまり思いつめないほうがいいよ、と思っていたのが、言葉にしてくれたからなんですよね。さすが、鴻上さん。いまの時代だめならさっさと離婚すればいいいし、1回目より2回目の方が人生うまくいっている人は、なんだか周りに増えてきた感じがするんですよね。たぶん「自分のことがよくわかる」ようになるからだと思うんですよね。他人とガチで生活をシェアするから。実際、晩婚でも、幸せそうにしている人たくさん見るようになったし、、、、なんだか、20-30年前よりも、ぐっと社会がリベラルの度合いを増したと思うんですよね。えっとリベラルになったというのをどういう意味で使っているかというと、「なんでもあり(笑)」になってきた、ということ。


とすると、実際的なアドバイスとしては、まずもって「相手がいなくても充実できるように好きなものを探し育てよう」ということと「それを支えられるだけの経済力をぎりぎり(沢山は無理(笑)もてるように努力しよう」ということになる。ようは、長い人生偶然を期待して生きると、何があるかわからない。唯一できることは、自分の人生が過酷なことがあっても、失敗しても、何とか生き延びれるだけの「自分一人でコントロールできる変数」をなるべく、育てようということ。


とはいえ、「こうあるべき」という思い込みが、成長のきっかけにもなったりするので、まぁ、それ自体は、それでいいんでないの、とも思うようになりました。アラフィフのおっさんが、行き着いたところは、ここだなーと。いや、なんかずっと、若い人に切実に「どうすれば結婚できますか?」とガチ相談されて、いつもなんて答えればいいか、よくわからなくて、、、。鴻上さんの説明に仕方は、納得性が高くてプラクティカルで、めちゃくちゃいいな!と思ったのでした。



あっと、これすべて現代の日本社会を念頭に置いているんですが、20-30年ぐらい先をいっているアメリカ社会を念頭に置くと、「愛情によって核家族を維持する」という考え方は、僕の感覚では、次のようになっている感じがします。


「個人間の愛(恋のキラキラ)を大事にする」ので、それが「なくなった」とか「思い違いであった」ということが分かった瞬間、離婚します。もしくは、そもそも対等のパートナーで「法的に結婚しないで」、愛がなくなれば離れます。


こういうと、だから離婚率が上がるんだ!、家族が壊れている!と短絡的に反応する人は、アメリカでもたくさんの保守的な政治家が言いますが、実際のところ、社会的にリベラルになっている状態だと、「夫婦がすぐ離婚する」割に「すぐ結婚というか、家庭をつくる」ケースが容易に思えます。えっとね、ようは、離婚率も高いけど、再婚率も高いって感じがするんですよ。この辺は、ちゃんと数字を探してみたいなーと思うし、僕が住んでいるカリフォルニアは、めちゃリベラルなので、その差異もみないといけないんだけど、、、えっとね、こちらで家族ぐるみで付き合うと、「連れ子同士の再婚」の組み合わせが多すぎて、なんというか、「愛がなくなったら離婚して当然でしょ」という感覚と「でも愛があったら何回結婚してもいいし」「それを阻む社会的な「こうあるべし」」というのがほとんどない、感じがするんですよね。実にあっけらかんと、そのあたりの話を、みんなする。もちろん、家族が壊れたり、新しくできたりする「流動性の高さ」は、本人にも子供にも、プレッシャーがあって、そういう負の問題は、日本よりも激しくあるのが隠れているんですが、、、、


ここで言いたいのは、アメリカの社会に生きていると「愛があるかどうか」について、その都度判断して、「なくなればわかれればいい」し、「あると思ったらすぐ再婚でも連れ子がいても何でも、すればいい」という前提がある気がするんですよね。リベラルさが進むと、こういう社会になる感じ。


日本は、「最初の結婚に失敗する」と、「二度と再婚できない」とか「子供が不幸になる」とかいうプレッシャーがかかっていた(今、2019年はそうでもないと僕は思う)ので、それによる「ずっと我慢しなければいけない」という負の側面があるので、どっちが社会的に正しいかというのは、なんともいえないのですが、、、少なくとも、「個人の幸せ(=愛を感じるかどうか)」をベースにするならば、家族の流動性の高さに向かうのは、ごく当たり前の流れだと思うのですよ。


そして、「一回目の核家族の結合」つまりは、「最初の恋のキラキラが生涯二度と変わらない永遠の愛になるという前提」は、はっきりいって、無理がありすぎて、どうなんだろうというのが、上記の僕の思考の流れなので、やっぱり、「離婚も容易だけど再婚も容易」という社会の方が、「確率を上げるしか方法がない」という前提に立てば、正しいと思うのです。もちろんのこと、結婚とかに全く興味がないという層や、ゲイやレズビアン同士のカップルで、子供を持つ持たない(まわりでは養子は普通にあるように僕は思う)も、選択自由にすれば、問題ないじゃないかという気がします。ちなみに、社会の再生産、成長を正しいと仮定して、こうした選択自由度の高さと、家庭の流動性の高さを前提としても、出生率って、あまり影響しないんじゃないの、と僕は思います。フランスやアメリカ見てると、そう思う。えっと、要は離婚を道徳的に認める?と、出張率が下がるんだ、とか核家族が壊れるんだという意見は、僕はあまりリーズナブルじゃないなーと思うんですよ。あんまり道徳とか、人々の選択の自由をあげたところで、負の相関がないんじゃないかなと思うん。もっと、即物的な、お金や保育環境や女性の権利の問題のような気がする。この辺は、やっぱりもっとフランスのケースを勉強してみたいなーと思う。


とはいえ、やっぱり「個人の選択肢の自由度をあげる」という大前提を覆すほどの問題は、全体ではないと感じるのがアメリカで暮らしていて思うこと。離婚は増えたけど、再婚も増えている。同性同士が子供を持つケースもよく見かける。移民の増加という先進国の中の特殊事情はあるにせよ、別に家族が壊れているという風には全然感じない。「家族の絆の形」というのは、少しづつ移り変わっているけれども、親密圏を維持したいという社会的な再生産は、継続していると思う。つまり「家族の絆」の中身の微妙な変化は、社会の再生産には、あまり影響を与えないと思う。。。まぁ、この辺は、データで見ていないので、個人の感触にすぎないけどね。


まぁ、とかとかでした。