『アゲイン!!』 久保ミツロウ著 どこまで行っても確実に人生失敗しそうな団長が、大変魅力的で、かわいかったです(笑)

アゲイン!!(1) (週刊少年マガジンコミックス)

客観評価:★★★☆3つ半
(僕的主観:★★★★☆4つ半)

久保ミツロウさんの『アゲイン!!』の魅力ってのは、どこにあるのだろう?

僕の中で久保ミツロウさんの『アゲイン!!』は、ずっと謎な作品でした。


たくさんの友人がみな同じ感想を言うのですが、「結局何が言いたかったかがわからなかった」と。実際、僕の感想も、ずっと何度か読んでいたのですが、結論的には「意味不明」だったんです。全体を通して、何が言いたいのかを、本質を言い当てることができなかったんです。それはいまでも同じ。しかしながら、「にもかかわらず」、面白くて面白くて、何度も読み返してしまって、、、、これだけ読み返しているにもかかわらず、やっぱり「何が面白さのコアなのかが意味不明」だったんですよ。

もう一つは、宇佐美良子団長(本作のヒロイン?なのかな?)が、何とも不思議な魅力を感じて、、、僕的には、なんかかわいくて、かわいくて仕方がないなぁーと思うんですが、、、、このヒロインの魅力が全く分からない。久保ミツロウ作品らしく「根本的な自信のなさがゆえに、何度もドラマトゥルギーに乗りかけながらも、すぐ後退してうじうじしてしまう」ことですべてが悪い方向に行く、といったダメ人間系の造形なんですが、本当にダメな人だと思うんですが、なぜか凄い魅力を感じるんですよね。僕の中で胸がキュンキュンする。なんでだろう?って。僕は、マブラヴの煌武院悠陽とか典型なんですが、頭が良くて責任の重みがわかっている気高い女性のリーダーという造形に弱いようで、団長と正反対にタイプが好みなんですが、なんでか、団長のこと悪く思えないんですよ、、、、これがなんでなんだろう?ってのがずっと自分お中の不思議で。。。。

■アンチドラマトゥルギーの物語を理解する手がかり~個々キャラクターのドラマがリンクしないで存在する

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今回、読み直してみようと思ったのは、「アンチドラマトゥルギーの物語」というパースペクティヴを、LDさんからもらったからです。個人的には、尺を引き延ばして、日常のコメディーにする傾向が多い週刊サンデーの物語には、この傾向が強くて、「ここのドラマのエピソード」と「全体を貫くドラマトゥルギーの主軸」が、ずれたり、別々になったり、交わらなかったりすることが多い気がします。なので、僕はサンデーの昔の作品が、結構読めなかったんですよね。一つには、一気にすべて読もうとすると、たとえば畑健二郎さんの『ハヤテのごとく!』の52巻とか、長すぎて、全巻買いなおすにはお金がかかりすぎて躊躇する(笑)んですよねぇ。この作品も、ヒナギクが好きで好きでたまらなかったんですが、結局のところ彼女はわき役でしょう。三千院家に伝わる9つの王玉そして「王族の庭城」の謎、最終的には後継者をめぐる争い、というのがこの物語の「主軸のドラマトゥルギー」だったはずですが(笑)、この作品は、この「本筋」が異様につまらなくて(笑)、且つそこと何の関係もない日常のコメディーや個々の、さらに関係のないキャラクターのサブエピソードの方が、はるかに面白いという不思議な作品でした。なんで「不思議」というかというと、僕は、「主軸のドラマトゥルギー」だけを評価する傾向があるから、それ以外の部分がいかに面白くても「作品全体としては駄作」という評価を下すのが基本の感性を持っている人だからです。

ハヤテのごとく!(52) (少年サンデーコミックス)

でも、今回のcovid-19の世界的なロックダウンとか屋内待機勧告などで、サンデーのアプリでいくつか全巻無量になっていたので、一気に読みなおしていて、こういった作品を「どのように読んで評価するのか」という視座が見つかった気がしたんですよね。『ハヤテのごとく!』の畑さんって、主軸の本筋の骨太ドラマトゥルギーを描くのがものすごい下手な人だろうと思うんですよ。基本的に全然面白くない。なのに、作品自体は、超メジャー級の面白さを感じるってのが、凄い僕の評価軸ではわからなかったのです。


実は、まだうまい言葉が見つかってはいません。けど、この機会にサンデー系の作品とか、本筋の意味がわからないけど、個々のエピソードがべらぼうにおもしろい作品、というのをいくつも一気に読んでいて、その手掛かりをつかんだ気がしているので、メモメモです。


特に「つかんだ!」と思えたのは、『結界師』を全巻読み直して、LDさんの「アンチドラマトゥルギーの物語」の概念が、自分なりに読み解けてきたからだと思います。

結界師(1) (少年サンデーコミックス)

たぶん『結界師』は、「アンチドラマトゥルギーの物語」の極北の成功例なので、すべての作品を「これ」で説明してしまうのは、できないと思います。けれども、ここでの気づきは、

この作品を見るときの重要なポイントとして、「主人公のドラマトゥルギー(義守)」と「主軸のドラマトゥルギー(世界を守る+母親守美子)」が、交わっていない、関係ないところにポイントがあると僕は思っています。この世界を眺めるときの特徴として、通常の物語の類型では、この主人公の視点と、物語自体のメインテーマが、一致していないと、「何を言っているのかがわからない」意味不明の物語になりやすい。だから、本来は、ずれてはいけないんです。ところが、それが、非常に関連づけられない形で、物語が描かれている。母親が世界を救うという、ガンギマリの覚悟で、世界をガチで救っちゃうのに対して、主人公も、その兄も、何一つ無力で、意味がない。細かく義守の力が必要とかそういうことではなく、母親の守美子のさんの「自分を犠牲にして世界を守る」という救済プランに対して、何一つ影響力を与えることができなかったという意味で、言っています。伝わるでしょうか?。要は、この世界を救うという物語のメインテーマに対して、主人公格のキャラクターたちが、全く関われないし、何もできなかった、という物語なんですよ。これ、物語の主軸で、「何が本質か?」と考えると、意味不明になっていますんですよ。


なんですが、ようは、必ずしも、個々のキャラクターの持っている動機の物語(=キャラクターのドラマトゥルギー)が、作品全体の本質の主軸とリンクしていなくても、それがそのまますぐに駄作で、意味不明な物語になるわけではない、というポイントです。僕の批評の評価ポイントは、キャラクターの動機と、その世界の謎や主軸のドラマトゥルギーが、「どのようにうまく交わったのか?」で評価するので、この逆の観点で、傑作になる物語が「ありうる」という明確な言語化は、僕の中で、物語理解の感受性の幅を一気に広げた気がします。


■『アゲイン!!』の魅力は、アンチドラマトゥルギーの物語なのか?~たぶんそうじゃない

『アゲイン!!』を理解する参照ポイントに、上記のコンセプトが凄い有効でした。が、かといって、『アゲイン!!』の物語が、アンチドラマトゥルギーの物語かといえば、そうでは全くないと思います。『結界師』の評価ポイントは、「世界がそのようにある、ということは、個々のキャラクターの動機や物語とは何の関係もないところに厳然と「ある」」という世界そのものの多様さを感じさせてくれるところでした。うーむまだ、難しい言い回しになりますねぇ、、、。この点は、LDさんも同感のようで、作品理解の手掛かりには大いになるが、そのものかというと、そうじゃないといっています。


けれども、この久保ミツロウさんの作品の魅力のポイントが、高校生活をやり直して充実するために「ループしてやり直して、強くてニューゲームをやりたい!」という物語類型から導かれる「基礎命題」が、何度も裏切られて、成立しないところに、「おかしみ」があるのだと僕は思っています。えっとどういうことかというと、本来、今村金一郎という男の子が、高校生活をやり直す(=アゲイン)というのが、タイトルからも言える、この作品の最も基礎的なドラマトゥルギーの本筋です。

つまり、この作品の結論(=魅力)は、今村金一郎が、高校生活をやり直して、充実して行く過程と、そして最後に、同じ時間まで(卒業)到達した時に、なんて俺は充実していたんだ!ということ喜ぶというところにドラマトゥルギーの収束快感ポイントが「なければならない」のだと思います。当然のことながら、今村金一郎のドラマへの圧力は、「そこ」へ向かうように、常に動いていきます。ダメならば、再度、人生をやり直すぐらいに、この「圧力」は働きます。そして、基本的にこの快感原則のもとに物語は進んでいますし、最終的に、「そこ」に到達していますよね。何御勘当もない、友達と交わることもない高校生活から、一転して、「本気」にまみれた、深い友人たちとのかかわりが、素晴らしい充実した高校時代にしていく、、、というドラマトゥルギーで評価できると思います。今村君はね。


■宇佐美団長のドラマトゥルギー(物語)のポジティヴな方向に乗れない人ののおかしみという人間理解

ところが、本作のもう一人の主人公で、ヒロインの宇佐美団長は、この今村君が積み重ねていく、本気になって、応援団を復活させて、人生が充実していくという成長サクセスストーリーにしてビルドゥングスロマン(成長物語)に真っ向から、対立するというか、全く乗ろうとしても「乗れない」ことを繰り返します(笑)。そうそう、対立はしていません。彼女はもともと、ずっと、最初から「本気の本気で生きて」います。成長物語の主人公にふさわしい、本気の熱をもった人なんです。「にもかかわらず」、今村君のループというチート技による「本気のドラマトゥルギー」が発生しても、全然そこに乗れない、かすりもしない(笑)ところに、彼女の、非常に残念なところがあるのです。


これ、一見すると、非モテの議論や、救いようのない層をどう救えばいいのか?という、これまでの物語三昧の議論と重なるような気がします。ようは、基礎的な成長への「動機が壊れている」人は一定数いるわけで、そういう人の、「動機がない=物語に乗れない=ドラマトゥルギーが展開しない」という、動機が壊れている人をどうすればいいのか?という議論。非常に似ているんですが、僕はこれとは違うと、団長を思っています。

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というのは、宇佐美団長は、「動機自体は全然壊れていない」人だからです。


彼女は、最初から、熱血成長物語にふさわしい、「空気の奴隷にあるような同調圧力の地獄」にあっても「自分」を譲らない勇気ある、「自分」がある人なんです。それは読んでいれば、痛いほど伝わってくる。彼女の動機は壊れていないんです。


にもかかわらず(笑)、彼女は、全然「自分のいる場所を豊かにして広げて成長していく」ということができないんですね。それどころか、今村君が現れて「ループによるによる強くてニューゲーム」という物語が始まってさえ、「それに乗れない」んです(笑)。いや、もうなんというか、どんなにがんばっても三輪車さえこげないみたいな(笑)。


■『アゲイン!!』というやり直しのループモノが使われている効果


全巻を今回購入して一気に読みなおしていたんですが、いやもうとんでもなく面白い、この漫画。やっぱり好きだなーと思うと同時に、団長が、もうかわゆーて、かわゆーて(笑)。この人、本当にダメな人じゃないですか(苦笑)。僕、非モテの議論は、いつもとても気持ちが良く無く眺めちゃうんですよね、、、どうしてかというと、、、そもそも「自分で救われたがっていない人を救う必要なんかあるのか?」という右翼というか、ネオリベラリズムというか自己責任論者(よくこうやってこの意見は批判されます(笑))というか、そういう感覚を感じちゃうんですよね。でも、宇佐美団長は、、、、、なんというか、そういう露悪的に「おれは救われなくていい!とかひねくれている」わけでもないし、「動機が壊れていて何も感じなくなっている」わけでも何でもないじゃないですか。でも、どこまで行っても、彼女は人生をうまく生きれない人なんですよ(笑)。


ここで、ループによる人生のやり直しという強くてニューゲームの主軸ドラマトゥルギーが、「走っている」にもかかわらず、宇佐美団長のキャラクターは、乗ろうとしても、乗ろうとしても、乗れない、、、ことが描かれています(笑)。


これは自意識の痛さ、ですらない。悲しいことに(笑)。


というのは、宇佐美団長は、「自意識が痛いから空転して」人生がうまくいっているわけではなくて、そもそも自意識(=自分で気づいている)わけではなくて、「素の状態」で、だめな人だからです(笑)。・・・・す、救われねぇ(笑)。


このドラマトゥルギーの「交わらなさ」がコメディになっているんだと僕は思うんです。


■物語に乗れない、、、主人公になれない体質の人は、たくさんいるし、そういうことはしょっちゅうおこっているのが僕らの世界!


そして、、、、、、ここが重要なのですが、、、、宇佐美良子団長はかわいい!じゃないですか!!!


かわいいというのは、造詣が、ではないです。僕は、いやはや、、、本当にダメな人だなぁ、と見ていてため息つきますが、でも、好きか嫌いかでいえば、圧倒的に好きですし、好感を持ちます。非モテの議論は、たいてい言っている人が「好きになれない」ようなひねくれている(素直になれない)嫌な人が多いですが、団長は、違いますよね。そして、正直いって団長の「この物語にうまく乗れない不器用さ」というのは、とても見ていて、「おかしみ」を感じちゃいます。バカにしているのではないです、あざ笑っているのでもないです、、、、、なんだか、分かるなぁ、、、という共感です。


みんな、そんなに物語の主人公にもなれないし、何度も何度も「勝利の女神が現れているのに前髪をつかみ損ねる」ものじゃないですか。


それって、本当によくあることだと思うんですよ(笑)。


僕は、この作品を見ると、いや、久保ミツロウさんの世界を見ると、、、いつもそういう「物語にいつも乗りそこねる不器用さ」があふれていて、「にもかかわらず」みんな懸命に生きている世界を見れる気がして、凄いポジティヴな、気持ちがいい気持ちを感じます。非モテの議論って、いつでも後味が悪いじゃないですか、、、、救われない「人間的に好きにもなれないやなやつら」をどう救うか、愛するか?なんて議論は、面倒くさいに決まっています。関わりたくないといっただけで、見捨てるのか!とか強者だ!とか告発されるけど、付き合うにしては、相手がイヤなやつ過ぎて、うんざりしちゃいます。でも、世界って、そうじゃなくて、、、、すげぇいいやつなんだけど、不器用で何度も何度も失敗しちゃうし、けど、不器用に生きているってのの集まりのような気がするんですよね。これは極端ケースですが、僕ら普通の人が生きるってのは、「こういうことの繰り返し」の中で、苦笑しながら、まぁがんばっていくかーと、足を踏み出すしかないじゃないですか。ちなみに、『MUSICUS!』の金田君のお話も、同じように感じます。


などということを、思ったのでした。


団長、好きです。『アゲイン!!』大好きです。


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モテキ(1) (イブニングコミックス)