『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』庵野秀明監督 1995年から2021年の27年間をかけて描かれた日本的私小説からSFと神話までを包含する世界最高レベルの物語(1)

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評価:★★★★★星5つマスターピース
(僕的主観:★★★★★星5つーちょっと評価付けらんないくらい最高)

3/14、米国からエヴァのために緊急帰国しました。政府の非常事態宣言が続き、2週間の検疫期間があり、次々に新しく対応しなければならない陰性証明などの過酷な条件をはねのけて。「やるしかない」、それが僕の思いでした(NHKのドキュメンタリー風)。人生には、自分の思いを示さねばならないときがある、と思い決断しました。妻には「あんた、バカァ?」といわれましたが、むしろそれはご褒美です。1995年3月27日のTV版、26話「世界の中心でアイを叫んだけもの(Take care of yourself.)」から、9502日(てきとー)待ちました。27年待ちました。検疫14日間明けの、3月31日に池袋グランドシネマサンシャインの12番IMAXシアターで見ました。これだけの長い時間をかけて、エヴァに関わったすべての人、もちろん待っていたファンである我々も含めて、すべての人にありがとうがいいたいです。日本に住んでいなければ、日本語が分からなければ、この時代に生を受けなければ体験できない思い出です。これこそが記憶の唯一性。「そこに、その時に、生きる意味」だと僕は思う。僕たちの青春が、一つ終わりを迎えます。

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一言でいうと、、、、、映画を見ている間中、この言葉が、頭の中をリフレインしていました。


100点満点だよ!



この物語を庵野監督の私小説として解釈すると、ああ、幸せになったのですね・・・・と感無量な気がしました。物語のエンドを振り返ると、ナディアやトップでやりたかったこととほぼ同一の構造なので、王道の王道なんですよね。そもそも「これ」がやりたい人なんだなぁと感慨深かったです。いいかえれば、血を吐くような思いで27年ここまで行きつけなかっかったのは、時代の要請があったということですから。このように終われて、本当に幸せな物語でした。



ちなみに、ネタバレかつ長いです。本気(バカ)です。とにかく初見の感動を描写しておこうと、舌足らずで、あとでひっくり返るかもしれないですが、今日の感想です。

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■1995年から27年間待ち続けたキャラクターの物語のオチをつけてほしい願い

エヴァが終わる。それは、すなわち、作品全体の評価を、自分がどう理解したかを、最終的に決められる時。27年かかった。

その前に、僕が『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』に臨むものは何か?を設定しておきたい。何かを「深く理解する」には、自分なりの仮説がなければいけないと、と常々僕は思っています。「それ(自分の妄想)」と「現実(他者の妄想)」を突き合わせるところに、物事の理解の深みはあるといつも思います。

www.youtube.com

なので、何も知らないまっさらな状態でこのYouTubeに感想を残してあります。様々な分析の積み重ねではありますが、究極、1995年のTVシリーズの終わり、旧劇場版のアスカのつぶやき、それらを体験したペトロニウス少年というか青年は、何が「その先」に見たかったのか?といえば、


「キャラクターたちの時間を取り戻して彼らのドラマトゥルギーを全うさせてあげてほしい」


です。当時、僕は「物語を終わらせてほしい」という言い方をしていたのですが、その時のニュアンスは、人類補完計画などのSFのマクロテーマを終わらせてほしいというようなニュアンスが色濃かったのですが、今回、TVシリーズ、旧劇場版、新劇場版・序・破・Qをすべて見直して、ああ、実は、SFのテーマは、既に語られつくしている、と感じました。これは、別に語ります。なので、終わってていないのは、唯一、キャラクターたちのドラマなんだ、と思いました。


だから、僕が、パリのシーンが終わった後に、第三村のシンジやケンスケたちの「第三新東京市のクラスメイト達との学校空間の14年後の世界」に接続したときに、感動は、なんといってよいかわかりません。Aパート。庵野秀明監督はさすがだと涙が出る思いでした。この村のシーンだけで、見ているだけで「27年前の止まってしまったあの時間がまた動き出した!」と、胸が躍る気持ちでした。そして、初めて知りました。自分の心の中でエヴァの物語は、27年も止まったまんまだったんだ!と。


YouTubeで、いいたかったことは、非常に単純です。アスカは、幸せになれるんでしょうか?、ケンスケやトウジ、ミサト、委員長たちは、その後どうなって、幸せになったんですか?ということ。それにつきます。その単純なお話が、まだ終わっていなかったんです。どんな形になるにせよ、僕はそれが知りたかった。


本来、この「それぞれのキャラクターのその後」というのは、構造的には、すべて物語が終わって、数年後とか数十年後という回想シーンで、語るべきエンディングシーン的なもののはずです。実際に、シン・エヴァの最後においても、「その結果」が描かれています。けれども、これをAパート(NHKのドキュメンタリーを見ると、これが最初に構想として前提だったことがわかります)というこの映画の導入部に持ってきているところに、監督の「この物語を終わらせる」という気合を感じました。このAパートの機能が、全体のシナリオにおける「転換点」となって、シンジの動機(言い換えれば観客の心理転換)の要になっているからです。


それを順次語っていきます。


■理解するには、SF・神話としてのテーマと私小説としての解決を二つに分けてみるといい

この検疫14日間、公開から友人たちがもりあがっている祭りの熱を受けて、僕は、中田敦彦さんの解説動画、その他、岡田斗司夫さんら解説動画を、順次集中して見続けていました。その結果、体感したことがあります。それは「人類補完計画」をメインとする物語の神話・SF構造については、既に論理的に整合性が取れている、と。これは構造で理解するのあたりであとで解説します。が、一言でいえば、SFとしては、既に結論が出ている感じがしたんですね。



「この理解体感」は、不思議な感覚を僕にもたらしました。



一つは、いまいちわからなかったQが、見事にわかるようになったこと。全体の単語や構造が理解できると、驚くほど精緻に論理的に作られています。あの難解で、意味がわからないといわれたQがですよ!。わからないと思う人は、参考動画一覧を全部聞いてからぜひとも見直してみてください。(あとでどっかにあげときます)。


ちなみに、庵野秀明監督は、エヴァにおいて、「物語の省略」を徹底して行っています。なので、前提として、1)繰り返してみている、2)何年も待ち続けている、3)考察を読み解いているのが前提に作られていると思うのです。演出上、だからこそ、徹底してエンターテイメントとして、見ている観客の体感に寄り添うように作るられているように感じました。さすがに、ここまで「幸せな物語」はそれほどありません。観客が、そこまで一心不乱に、物語の世界を「理解して深く没入しよう」と事前に勉強してくれることなんてふつうないですから。なかなか、興味深いのは、「そうした事前勉強」を前提としているからこそ、物語が省略演出で来て、「余計な枝葉を語らない」ということで、逆に物語が分かりやすくシンプルに主観に感情移入できるという、「私小説」的なシンクロをしやすい構造になっているのも、また興味深い。


二つ目は、上のシンクロ(主観没入)しやすいというのと関連するのですが、キャラクターのドラマという抽象的な言い方をしましたが、もっとわかりやすく具体的に集約しましょう。SFのテーマなどが、「事前に深く理解されていて省略されている」からこそ、キャラクターの心情に、その後に寄り添える。


もっと具体的にいうと、たとえば、僕は、シンを見るにあたって、アスカに救われてほしい、とい命題を立てました。


それが、とてもクリアーに体感できたんです。世界の謎なんぞ、どうでもいいわ!という気持ちに、ある程度全体像が分かっているからこそ、思えたのです。僕の命題は、アスカの話でしたが、物語はすべて絡まっているうえに、最終的には、シンジの内面の私小説なので、そこに見事にフォーカスできた。


■人と対等になり自立するということは、自分が必要ないことを認め、本当に相手の幸せを願えること

2つのシーンが、今も胸にくすぶる。一つは、シンジが、自分を無視してアスカを救うシーン。もう一つは、第三村にアスカの脱出したエントリープラグが乗り捨ててあるシーン。このシーンの後に、アスカが、ケンスケの胸に飛び込んでいったのは、想像に難くありません。


なんか、物凄い納得と癒しが訪れたんです。自分に。


アスカに救われてほしい、というのは、たぶん僕の体感感覚は、シンジの最終的な感覚と同じなはず。「自分(シンジ)がアスカを救う=アスカに自分(シンジ)が救われる」ではなくて、アスカ「に」救われてほしかったんだよ。この助詞の重要な感じが伝わりますでしょうか。


アスカが救われるならば、自分自身については、度外視だと言っているんです。


それとね、アスカ自身の成長についても。14年の年齢を経て、彼女自身も、「自分自身が救われることがない」ことについて折り合いをつけていると思うんです。彼女が、世界を守るために、躊躇なく自分の使途との封印の眼帯を外すこういうが、それを物語っています。


僕的な用語でいえば、シンジもアスカも、覚悟ガンギマリ(笑)なんです。


「自分自身の内面の心の問題」をいったん置いておいて、それでも、必要な責任をなすと決断できることが、大人の条件だと僕は思ってます。それを、覚悟ガンギマリといっています。


そして、実は、自分の内面をいったん外に置いておいて、それでも、世界を、他者を思いやれたときに、、、、言い換えれば「自己愛ではなく他者を愛せたときに」、はじめて、自分自身の内面への救いが訪れるものなんだというこの世の真理を突いていると思うのです。


そう、アスカも、シンジも、最終場面で、「自分自身の自己愛(=自分自身が救われたい)」というエゴを超えて、相手を思いやれているんです。


シンジの視点では、アスカが他人のものになる(=シンジとは結ばれない)というところが、また、見事に素晴らしい。


これは、アスカに、「女の子に自分を救ってほしい」と叫んで、「気持ち悪い」といわれた旧劇場版のラストから、明らかな心理的な変化を感じます。


それでも、自分に関係なく、共依存から自立してしまったとしても、それでも、アスカに幸せになってほしい。なんていじらしく、素敵な男の子になったじゃないですか、シンジ。


僕は、アスカに物凄いれこんでいた、『電波男』の本田透さんや、『RETAKE』のきみまるさんらが、これをど受け止めたのかとても知りたいです。悲惨な目にばかりあってきたアスカ、、、彼女に出会い、癒されて、深く彼女を愛してきた人たちは、たくさんいます。時代を代表するヒロインのひとりですもの。でも、その彼女に「あなたは必要ない(好きだったけど、違う人を好きになった)」といわれても、彼女の幸せを願えるでしょうか?。そこに、時間の流れの試練が隠されているように思います。



■ケンスケとトウジの14年の重み~人として大人になることの魅力

しかしながら、きっと、第三村のAパートが、機能していないければ、こういう風な体感は訪れなかったんじゃないかと僕は思っています。

実は、ケンスケの描写を見ていて、最初から、なんだか、驚きっぱなしでした。出た登場初回から、色っぽいんですよ。艶やかで、大人の魅力にあふれていて、なんだか、ヤバいくらいかっこいいんですよ。実は、アスカと結ばれるとは思っていなかったので、なんでこんなにかっこよいのか???というのがよくわかりませんでした。今考察してて、その理由は、痛いほどわかるようになってきました。


ちょっとその話をする前に、伏線でトウジの話に戻ります。トウジ、かっこいいですよね。彼は、最初からかっこよかったので、男の魅力にあふれる14年たったあとの責任感あふれる成熟した大人の魅力を見せられても、「ああ延長だな」と思っただけでした。ただ、


「家族のために人には言えないこともしてきた」


と、ニアサードインパクトの終末世界を生き抜いてきた彼の言葉に重みがありました。この「当たり前の好きな女の子と結婚して家庭を築いて娘を愛する」というものを成立させるために、彼が払った犠牲と苦しみの14年を考えただけで、頭が下がる気がしました。そして、その深さを感じさせる「強度」を僕は、とても感じました。医者になるような勉強なんかとてもできないだろうし、この小さな村の人の中でリーダー的な存在になるのに、どれだけの内ゲバや内紛があったでしょう。僕らは、終末世界の、共同体再建の物語を、たくさん見てきています。それがどれだけの地獄かは、『ウォーキングデッド』『マッドマックス』『チャイルドプラネット』でもなんでも、すぐ想像がつくと思います。その地獄を生き抜いて、トウジは、あのやさしさを示せるんですよ。家族を守り抜いて。


14年のニアサードインパクト後の世界。


これが、311以後の世界のメタファーであるのは、指摘する必要もないと思います。わからずとも、日本に住み体験した人は、実感するはずです。こののちに解説したいですが、第三村は、日本エンターテイメントの位置づけでは、異世界転生、並行世界、災害ユートピアとしての、「人生をやり直し装置としてのメタファー」になっていると思うのですが、この「311以後の共同体の再生」についての強度とリアリティを獲得するには、生半可なことでは、単なる「機能としてのメタファー装置」という書き割りの舞台(繰り返しから抜け出れない)になってしまいます。そもそもが本質的には、「そういうもの」ですから。NHKのドキュメンタリーで、カットに異様にこだわり、アニメの制作方法をそのものを全く新しい形にこだわって庵野秀明が作った理由を感じます。


この第三村のリアリティのある強度と実存感覚を観客に伝えなければ、その後のシンジの心の変化への説得力がなくなってしまうからです。


さて、その話は、あとで深く語るとして、ケンスケに戻りたいと思います。


映画を見ながら、彼が「かっこよく魅力的に見える」理由が、よくわかりませんでした。いくつか見てて疑問に感じました。


「なんで彼は、村の周辺部の外れに住んでいるのか?」


「なんで結婚していない一人ものなのか?」


ただ、最初のシーンから、アスカって、服着てないじゃないですか。ノーブラで。え、ちょっとまって、しかも「生産する人間じゃないから、村にはいれない」といっているんだけど、でもだからといって「なんでケンスケの家(しかも孤立している)にいて、しかも彼のベットで、そんなにリラックスしててゲームしてて、ノーブラなの?」って、思いませんでしたか?(笑)。


僕は、、、、あ、これは「ヤってるな・・・・」と思いながら見ていました(笑)。だって、シーン全部に、親密さがあふれているんだもの。ケンケンとか、なんでそんなに親しそうなの?って思うでしょ、普通。


でもそうすると、もっと不思議なことをケンスケとアスカの関係性に、感じました。


ケンスケのセリフを見ていると、本気でシンジを思いやっていて、まったく嫉妬やアスカへの独占欲などの感情が、まったく感じないんですよ。だから????ってなりました。


精密に当時の感覚を振り返りましょう。


ケンスケとアスカこれは、ヤってる(笑)これは事実だな。しかも、アスカは、この村に来るときに、ずっとケンスケを二人で暮らしてる。


なのに、ケンスケには、アスカに対する恋情や、独占欲は感じない。


・・・・・・・そこで思い立ったのが、14年もたっていることです。


そうか、、、、このカップルは、もう長いこと付き合って、肉欲の関係も過ぎて、それで別かれているのだな、、、、と。歴史が、重いんですよ、二人の。シンジがまだどこかにいるだろう、、、ニアサードインパクトの過酷な世界を、14年も、生き抜いてきたんです。いろいろあったんだろうな、と。そして、アスカは、自分が使途を封印している身で、エヴァの呪縛で年を取らないことも、普通の生活を選べないことも知っている、いつ死ぬかわからない傭兵として14年生きてきているんです。つきあっても、どうにもならないじゃないですか。


だから、お互い思いあっていても、恋情で動く時期は過ぎてしまったのでは、、、と思ったんですよ。
(ちなみにこの分析に数分で行きつきました、見ている最中(笑)←どれだけ本気やねん)


ケンスケにもう一つ不思議なのは、彼にはサバイバルの知識があり、第三村を率いるリーダー的な存在だったのは間違いないです。そうであればこそ、彼がヴィレやその外部機関の組織のメンバーにならなかったのが不思議なんです。だって、ヴィレなどの組織との「つなぎ」をやれるほどの立場にいるわけですから。性格や能力的にも。


そうか、、、、なんで「村に入っていって」生産する立場のリーダーにもならなければ、「村の外に出て」ヴィレなどの組織に入らなかったのかは、アスカの存在を考えるとよくわかるんです。


アスカに会うために、アスカの帰る村を守るために、アスカが戦闘で苦しんで休むひと時の休息のために、彼は、あそこに住んでいるんですよ!。


たとえ、アスカとの未来はなくとも、それでも。。。。。。


覚悟ガンギマリです。


ケンスケ、、、、、そりゃ男の魅力あふれる色っぽさを感じるはずです。彼には「覚悟」がある。いつ滅びるかもわからない第三村を守るため、戦うのではなくて、「その機能を維持するためのインフラをチェックする」という仕事に身をささげているのも、アスカのひと時だけでも帰る場所を守るための覚悟があるんですよ。


既に、ケンスケは、アスカから見返りを期待することすらなく、ただ単に、彼女のために。そして、彼女のためと、第三村のインフラを守るという「社会人としての仕事」を両立させています。これ、責任ある大人の男の振る舞いだと思うのです。外へ出て、みんなを守るために戦う戦士である彼女の帰るところ守る。なんて、素敵な大人になったんだ、と思います。



■物語の主人公でなくても、成熟した人には魅力があり、本当の意味でヒロインを救えるんだよっ!


物語の主人公出ないモブキャラでも、ヒロインを救えるんだ、と叫ばれているような気がしてなりませんでした。


ずっと僕らがアズキアライアカデミアで話していた最前線の物語分析。90-00年代の脱英雄論のテーマですね。世界を救うのは、ヒーローだけではできない。


いまだ、ケンスケは、モブキャラです。だって、ヴィレのメンバーでもないし、人類補完計画をめぐる物語のわき役にすぎません。けど、モブキャラだって、人間です。人間は生きているんです。そして生きているところには、世界が社会がある。14年、、、、物語のメインテーマからすれば、「生き残ったその他の人々でくくられるモブキャラ」たちで、物語ドラマトゥルギー上の意味もありません。


けど、シンジよりも、早く成熟した大人になって、人生を積み重ねています。なぜならば、物語の主人公じゃないから。そして、その成熟は、傷ついたヒロインに「帰るところを用意できる」ほどの器になっているんです。


ケンスケの魅力は、そうした成熟の魅力、限られた手持ちの条件で、それでもなお果敢に時間を積み重ねてきた大人の魅力だと思います。そしてこの大人の魅力の器は、他者を愛し守り愛しめる器になれるんですよ。



■承認欲求の混じった子供の恋を超えて

アスカの視点からすると、なぜケンスケを愛するようになったか。というのを考えると、やはり14年の成熟の重みだなと思います。


アスカの物語を見直そうと、きみまるさんの『RETAKE』を読み直したのですが、そうすると、アスカとシンジって、やっぱり好きあってたんだなと思いました。少なくとも、アスカは、シンジを好きだったんだろうなと思います。同人誌の可能性の世界線も含めたすべてを考えて。


当時(特に破を見ている頃)、僕は、なんでアスカはシンジを好きになるんだろう?って、不思議に思っていました。いや、クローンはすべてサードチルドレンを好きになるように調整されるとか、そういうの抜きにして。なぜ疑問に思うかというと、この関係性を、突き詰めていくと、きみまるさんの『RETAKE』みたいになるんですが・・・・僕の感覚でいうと、あまりに先がない、二人が不幸になる未来しか想定できなかったからです。


いま、考え直すと、この理由はよくわかります。「子供同士の恋」なんですよ。「承認欲求」と「恋情」が絡まっていて、明らかに幸せになれないやつ。


同人誌などの「アスカをめぐる物語」が、すべてこの「彼女の満たされない承認欲求=愛されなかった子供時代」を癒してあげたという思いに貫かれています。似た者同士の恋なんですね。


でも癒すことはできません。


理由は簡単です。「愛する側のシンジ」もまた同じことを目的にしているので、承認欲求がループになってしまうんですよ。子供の恋ですね。僕は、「それが悪い」とは思いません。子供の恋だって、恋です。けれども、絶対に幸せにはなれない。


そして、14年の年月の積み重ねの中で、アスカは、物語の主人公ですらないモブキャラ(=エヴァパイロットではない)が、必死に生きているのを、まじかで見続けることになります。ケンスケとトウジです。


14歳の女の子と、28歳の世界の不条理さと苦しみを抱きしめて責任を背負う覚悟のある女性では、魅力に思う相手が違うのは当然です。


そして、エヴァパイロットとして、サードインパクトに関わる罪を背負い・・・・言い換えれば「自分が行ったことでもない罪」の責任をとらされて生きるとき、物語の本筋に関われずサードインパクトという地獄を受け入れ抱きしめ、それでも、何とか生き延びるために必死で自分を「小さな役割を引き受けて全うしようとする」ケンスケらの姿が魅力的でなかったはずがありません。だって、覚悟ある成熟した人の重みをめちゃくちゃ感じるもの。


そして、大人の恋を手に入れて、承認欲求を覚悟によって封じ込めた=成熟したからこそ、「子供時代の傷つけあうであろう恋」を認められるようになったんだと思います。だから


「あなたのこと好きだった。ごめんね。大人になっちゃった。」(うろおぼえ)


というセリフにつながる。ちゃんと過去を清算して前に進むためにも、「好きだった」というのを伝えるのも、大事な終わりです。これは、14年たって、20代後半になって、過去の幼い恋を思い出すことなのです。


めちゃくちゃ余談ですが、この辺りを、最近見た最高の傑作、岩井俊二監督の『ラストレター』で感じました。



■アスカに救われてほしいという物語は、見事に昇華されていた

最初の命題で、「キャラクターたちの時間を取り戻して彼らのドラマトゥルギーを全うさせてあげてほしい」という仮説を立てました。その具体例で、気になっていたアスカを取り上げました。


僕には、大納得です。


アスカ、そんなみじんも振りを見せていないのですが、最後の脱出したエントリープラグがケンスケの家の隣に落ちてからだったシーン。あの後、駆け出していってケンスケに抱き着きに行ったことが、脳内で補完されました(笑)。


彼女の時がやっとはじまるのです。


アスカはアスカだよ、それだけで十分さ(うろおぼえ)


ありがとうケンスケ。彼女を幸せにしてくれて、ありがとう。よかったね、アスカ。


■Aパート第三村の実存性を上げるための試行錯誤

3/22に放送した、NHKのドキュメンタリー『庵野秀明スペシャル! 「プロフェッショナル 仕事の流儀」』を見ていた感じたのは、監督が、絵コンテがないほうがいいとか、アングルにこだわってプリビズのアングル撮りすぎて鶴巻監督が、わけわからなくなっているのを見ていると、個人的にはなるほどなぁと思った。

というのは、この部分のこだわりをどうとるのかは、いろいろ解釈もあるだろうし、映画やアニメ制作の工程や技術に詳しくない僕が考えるのは的外れかもしれないんだけれども、実写映画製作とアニメ制作で最も違うことの差異の一つに、実写映画は、つねに偶発性にさらされているというのがあるんですね。そしてアニメーション制作の特徴的なのは、この偶発性が排除されていて完全に工程が管理されていること。偶発性の良さと悪さっていうのは、例えば実写映画だと、現実を切り取るんで「天気の良さ悪さ」や「役者の体調」とか、監督が作家主義的にコントロールしきれない部分の余剰が常に映り込むんですね。その余剰部分が、世界に奥行きを与える。しかしながら監督のコントロールの意味でいうと、意図しない要素が入り込んでしまうという欠点でもあるわけです。絵コンテで作成するというのは、厳密な工程管理で、集団作業を統合するわけで、この余剰部分・・・・偶発的に入り込む世界の奥行きが失われるわけです。逆を言えば、作品世界を、厳密にコントロールできる。


これを排したい、というのはどういうことかな?と考えると、やはり、シンの世界に対して、偶発性を取り込みたいということだろうと思うんですよね。マリという鶴巻監督的な、いいかえれば庵野秀明的でないキャラクターの投入とかもそうだけれども、庵野秀明私小説の「内的世界」をどのように壊すのか、変化させるのか、、、、重要なのは、そこから「外に出るのか?」という仕掛けに物凄く凝って、苦しんでいる。


もちろん、この実写映画の偶発性の取り込み、制作過程の導入などが、どうかんがえても、『シン・ゴジラ』で培ったものが反映していることが分かります。また内容的考えても、『シン・ゴジラ』の脚本が、夢の世界に妄想で入り込むアニメーションではなくて、集団で、組織で、過酷な現実に立ち向かうという構造が反映していると思う。


えっと、なんでこのことを指摘するかというと、Aパートの実存性を上げないと、この後の、シンジが動機を取り戻すというこの作品のコア中のコアの転換に対しての説得力が与えられないからだと思うんですよ。


■シンジが動機を取り戻すきっかけは何だったのか?

本作のアフレコ前には、初めての経験をしたという緒方。「ある日『シナリオについて相談したい』と連絡をいただいて、スタジオカラーさんに伺ってミーティングをさせていただきました。『:Q』の最後で言葉を発せない状態になってしまったシンジが、どうやったら復活すると思うか、君の意見を聞かせてほしい』と言われたので、『庵野さんが決めた通りにやります』とお話ししたのですが、庵野さんは『いま僕は、シンジよりゲンドウに近い感覚になってしまった。いまのシンジの気持ちを理解しているのは、緒方と(総監督助手の)轟木(一騎)しかいない』と(笑)」。

続けて「今回のシンジは、ただ拗ねて黙っている状態ではありません。自分が覚悟を決めてやり遂げようとしたことが、なにもなし得ていなかった。それどころかたくさんの人たちを巻き込んでしまい、なぜだかわからないけれど、周囲のみんなもまるで知らない人のようになってしまったという状態です。そのなかで唯一、自分と話してくれた友人を目の前で失くしてしまった。さらに『槍を抜いたら元に戻る』と言われたから必死でやったのに、もっとひどいことになってしまった。そういったすべてを背負ったうえで、シンジはしゃべれなくなってしまったんです。シンジの気持ちを私の感じたままお話しして、整理しながら『それらを乗り超えられる状況が整えば、どうにでもなると思います』と意見を交換させていただきました」と述懐。
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エヴァを見るうえで、ペトロニウスが常に、注目してきた点は、シンジの動機です。「エヴァには乗りたくありません」と、世界を救うことを拒否したヒーロー、主人公が、それでもなお、物語に復帰するポイントをどう描くかということだからです。これまでの物語「乗らない・乗れない理由」は、これでもかと描かれていました。


物語を終わらせるには、「乗る理由」を描かなければなりません。


www.youtube.com


ちなみに、「動機を取り戻す」ために必要な、それぞれの問題意識のレイヤーは、この配信の52分ごろ図解しています。


放送終了直後の庵野本人のインタビューなど読みどころ満載の『庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン』(太田出版、1997年)所収の「庵野秀明“欠席裁判”座談会(後編)」で、メインスタッフや同書の編者らはこのように語っている。

竹熊(健太郎):逃げちゃダメだとか、なぜロボットに乗るかという動機づけは、まだ成功しきってないと思うんですね。(略)そこをちょっとアクロバティックにやっちゃったなという感じはありますね。実際には乗るわけないんだから。リアルに考えれば。

貞本(義行):文字づらでは、これは乗らないでしょうと、僕は思いましたけれどもね。

摩砂雪:ダメでしたよね。シナリオ見て、全然ダメだと思って。なんとかなるのかって。

こてんぱんである。これに続いて、富野由悠季の代表作『機動戦士ガンダム』(1979年)の第1話を参照して、主人公のアムロ・レイガンダムに乗るまでの完璧な流れを「絶対超えられない!」と、庵野が悩み苦しんでいたエピソードが紹介される。このとき正しい答えが見つからないまま、大人たちによる恫喝によってシンジを初号機に無理矢理乗せてしまったことへのリベンジがかたちを変えてくり返され、おおむね失敗してきたのが、エヴァの26年の歴史の大半であったとすら言ってもよいだろう。


『シン・エヴァ』評「反復」の果てに得た庵野秀明とシンジの成熟(CINRA.NET) - Yahoo!ニュース

この少年の夢としての「男の子の動機」をめぐる解釈は、物語三昧の基礎のような視点なので、過去の記事なり配信なりをぜひとも見てみてください。一番的まとまっているものの一つは、上記のアージュさんのところでお話させていただいた資料ですね。






■Aパート第三村は、シンジ、レイ、アスカの3人の物語の結論~働くこと、共同体で価値ある位置を示すことが、自分の居場所

あまりに長くなりすぎると、書き終わらないので、とりあえずメインのアスカの具体例は書きました。Aパート第三村は、シンジ、レイ、アスカそれぞれが、これまでのエヴァンゲリオンの「子供だった時代」を乗り越えていく「きっかけとして機能しています」。アスカについては、話しました。レイ、黒綾波(仮)については、明らかに具体的なシーンを積み重ねているので、彼女の体験による心の動きが、彼女を「人として成長し自立していく」プロセスが描かれていると考えて問題ないと思います。


何が描かれたのか?


トウジ、ケンスケもそうなのですが、第三村で描かれているのは、ずばり


働くことの価値


です。ここにいる人は、ニアサードインパクト以後の、廃墟になった世界を再建している人々です。彼らは、生き延びるために、、、、言い換えれば、自分も、村も、生き延びるためには、「自分にとって」と「みんなにとって必要なこと」を、ちゃんと為さなければなりません。働くことというのは、そういうことです。自分にとっても、みんなにとっても意味あることを、ちゃんと行うこと。


僕は、様々な物語分析で、00年代以降が「お仕事モノ」へ回収されていく様を分析してきました。


その意味が、ここでようやく腑に落ちました。自分の自己愛の世界に閉じ込められているときに、どうやったら抜け出ることができるのか?


自分にできること、したいこと

みんなが必要なこと


のバランス点を見極めて、それをこつこつ行うことなんです。魂も何もなかった黒綾波が、毎日の「労働を通して」世界を体感していく様は、働くことが、世界とつながるための重要なカギなのだということ、まざまざと伝えてくれます。上で、第三村の実存性が、重要として執拗に表現を磨いたのは、この「労働をとして額に汗する感覚」の積み重ねともいえるべき感覚が、ちゃんと伝わらないと、この第三村という世界が、ただのイリュージョン、妄想の逃げ込み場になってしまうので、そういう「逃げるだけの幻想としての記号」としての世界が滅びた後の共同体ではないように表現することが重要だったのではないかと思います。


みなさんは、黒綾波の、魂の癒し、自己再生を感じられたでしょうか?。少なくとも、僕は感じました。


『RAIL WARS!』 末田宜史 監督 お仕事系というキーワードで - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

『冴えない彼女の育てかた』11-12巻 丸戸史明著 ハーレムメイカーの次の展開としてのお仕事ものの向かう方向性 - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために



異世界転生、並行世界、災害ユートピアとしての第三村ー自己再生は、本当の自分なのか?


しかしながら、、、、やはり、まだ一回しか見ていないので、正しいかわからないが、シンジが明示的に動機を取り戻した理由がよくわかりません。ただ、第三村で、黒綾波と会っているうちに、彼は気力を取り戻したように思えます。それは、上記の「働くことの価値」を通してでした。それ自体は、なぜそう庵野監督が思いついたのかは、別に説明します。


が、しかし、シンジは?。彼は、特に働いていません。シンジが、この後のB、C、Dパートで、ゲンドウとの対面を果たす、、、のは先に行きすぎなので、最初に説明した、アスカを対等な存在として「彼女自身の幸せのために」と考えるには自立しなければならず、この自立が、なぜ起きたのかに体感がなければ、このシナリオは成立しません。

この前に指摘していますが、第三村が、現在のはやりの、というか2000-2010年代に特徴的な日本のアニメや漫画、ライトノベル異世界転生、並行世界のシナリオと同じ機能を持っているのは、明らかでしょう。

しかし、この「転生して違う共同体で自己再生する」という物語には、強い批判が存在していました。

それは、一つには、現実から「逃げていいのか?」という問いです。これについては、現実でもう一度生きる勇気を獲得するためには、幻想の世界で一休みするのは、とても有効な方法だということが分かりました。この系列の物語類型は、たくさん話してきましたね。魂の癒し、依存からの自己回復には、「時間がかかる」のは大前提なので、猶予時間を獲得するというのは、重要な戦術であることが分かりました。


しかし、もう一つあります。これのほうが本質的なのですが、災害ユートピアではないのか?という問いです。レベッカ・ソルニットの『災害ユートピア――なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』を見るとわかるのですが、311など特別な災害が起きると、選択肢が限られるため、人々は疑似共同体をつくりあげ、そこで満たされます。

災害ユートピア(さいがいユートピア、英語: disaster utopia)は、大規模災害の後に一時的な現象として発生する理想郷的コミュニティを指す呼称[1][2]。アメリカ合衆国著作家レベッカ・ソルニットが提唱した概念で、多数の犠牲者を出し、一部地域に集中した悲劇を目の当たりにした社会では、人々の善意が呼び覚まされて一種の精神的高揚となって理想郷が出現する、とする[1][2]。

ソルニットによると、大規模な災害が発生すると、被災者や関係者の連帯感、気分の高揚、社会貢献に対する意識などが高まり、一時的に高いモラルを有する理想的といえるコミュニティが生まれるが、それは災害発生直後の短期間だけ持続し、徐々に復興の度合いの個人差や共通意識の薄れによって解体されていく[2]。


災害ユートピア - Wikipedia


これって、「本当の自分なのか?」という問いです。過去に、薬害エイズ問題を扱った小林よしのりの『新ゴーマニズム宣言スペシャル脱正義論 』(1996)も思い出します。ようは、災害が起きて、疑似共同体が立ち上がっているところに、ボランティアなどで駆けつけて、「そこで必要とされている」と感じて充足を得ることは、明らかに欺瞞じゃないか?、自立していないただの依存の甘えじゃないか?という問いです。


これはシンジに強く響く問いです。つまりは、世界の終わりや使途との戦いといった「非常事態に巻き込まれて」、自分の本質と直面もせず、ただエヴァパイロットとして「巻き込まれていれば」、それで充足を感じられる・・・・というのは、欺瞞だよね?ということですから。


僕は、シンジ君が、立ち上がろうとしないのは、非常によくわかりました。自分が世界を壊してしまった罪の意識もあるでしょうが、同時に、ここで簡単に働き始めて、居場所を得て、癒されてしまっていいのかというかたくなな気持ちが生まれたのは、とても共感できます。


アスカには、14年の歳月がありました。


綾波には、魂と記憶がないので、背負うべき罪や責任がありませんでした。


彼女たちには、そうしたアドバンテージがあったんです。


それを、シンジ君は、どう乗り越えたのか?



シンゴジラが描いた組織を通して世界とつながること~組織でつながるのは働くことなんだ

シン・ゴジラ』(英題: GODZILLA Resurgence)』 2016年日本 庵野秀明監督 もう碇シンジ(ヒーロー)はいらない〜日本的想像力の呪縛を解呪する物語(1)
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20160823

シン・ゴジラ』(英題: GODZILLA Resurgence)』 2016年日本 庵野秀明監督 もう碇シンジ(ヒーロー)はいらない〜日本的想像力の呪縛を解呪する物語(2)
https://petronius.hatenablog.com/entry/20160909/p1


次の2で語ろうと思っているのですが、この物語が、庵野秀明監督の私小説であり内面世界からの脱出で作られているのは、言うまでもないこととして皆さんには周知されているでしょう。このラインから、シンジ君の内面の成長、というか転換を考えてみたいと思います。いきなり物語の外に話が飛躍するのは、私小説ということもあるのですが、それ以上に、エヴァンゲリオンが作成されたオリジナルの設定から抱えている構造的な欠陥ともいえるべき問題点があるからです。


それは、僕が、マヴラブの分析をしたときに、「男の子が動機を取り戻すにはどうすればいいのか?」という問題意識を持つと、各レイヤーごとにちゃんとした自分なりの結論を出して、それを統合して「手を汚す覚悟」というのを持たなければ、善悪が判らない世界で、それでもなお戦うという、立ち上がるという動機にはつながらないと書きました。この分析は、僕は今でも正しかったと思っています。


しかし、シンゴジラの分析をした時に、またマヴラブのクーデター編を分析した時に、「日本という視点」がすっぽり抜け落ちているので、ここを埋めないと、前に進むことができないはずだと書きました。日本のエンターテイメントは構造的にこの部分の欠陥を持っているので、正義の味方としての「組織」を描くと、ネルフのような人類のための組織になってしまい、目的があやふやになってしまいやすい。自分、家族、友人と人類とをつなげていくためには、その中間に組織、国家の意識がないと、何かあいまいなものに命をささげるような、いわくよくわからない感じがしてしまい、コミット感が薄れるのだと思います。

だから、庵野秀明は、この物語、日本を描いた『シン・ゴジラ』を作らなければならなかった。


でなければ、エヴァQの先を描けるはずがないんです。


2016年9月9日

当時、シンゴジラを、吉宗鋼紀さんと一緒に見に行って、興奮してこのことを話したの今でもはっきり覚えています。


■鈴原サクラの意味~物事には両面があって、それはよいことでも悪いことでもあるー善悪二元論を超えて意志を持つこと


シンのヒロイン誰?と聞いたら、たぶんほとんどの人が、鈴原サクラってこたえるんじゃないかなってくらいの、チョイ役なのに一番シンジを思いやっている子です。僕は、絶対、マリとのエンドの先に、サクラちゃん出てくると思っていますよ!(笑)。えてして、自立した後に必要な相手は、全然違う人なんですよ。


彼女矛盾したことを言っていますね。態度も、凄い振れ幅です。


これが何が言いたいのか?


サクラの言っていることは、シンジが行った罪=は、ニアサードインパクトを起こして、世界を滅ぼし彼女たちの家族を殺したと同時に、なんとかサイードインパクトを防ぐためのぎりぎりの手段でもあった。しかも、本質的に、彼女たちの日常を家族を殺したのは、ゼーレであり、ネルフであり、ゲンドウであって「憎むべき相手はシンジじゃない」のはわかっているんだろうと思います。何かお行えば、世界には、様々な影響があって、それはポジティヴなものとネガティヴなものが同時に起きる。NHKのドキュメンタリーで庵野監督が、作品を作ると、いい影響ばかりじゃない、とすぐ反応を返しているのは、この世界の両義的な側面が、めちゃくちゃ重くのしかかっているんだろうと思います。エヴァのおかげで僕は、最高の物語体験をさせてもらって幸せですが、同時に、旧劇場版とかを見て人生悪い方向に崩れた人も多くいたんではないかと思います。でも、それ責任取れと言われても困りますよね。作りては、やむにやまれない衝動でものを生み出しただけで、責任を考えて作っているわけじゃないでしょうから。


90年代の大きなテーマで、善と悪の対立を煽って、悪を倒し続けてきた時に、「悪の側にも悪の理由があって」という風に深堀していって、何が正しいかわからなくなったというのが、善悪二元論的なヒーローもののおおきな構造的問題点でした。このことは、クリントイースウッド監督の『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』で一度語ったことがあると思います。単純な善と悪の二元対立の視点は、シンプルで人の感情移入を誘いますが、それでは到達できない領域があって、そこに到達できなければ、絶滅するまで憎しみあって殺しあうしかなくなるんです。この構造を何とか抜け出したいというテーマを、一次元具体的に落としたのガンダムサーガの「この地球上から戦争をなくせないか?」でした。このへんは、長くなりすぎるので、僕らの書いた「物語の物語」その系譜を追ってください。


けど、「何が正しいことかわからないと」、何もできない、というのは子供です。


答えは、「自分の手を汚す覚悟を持て!」なんです。これマヴラブの解説で散々しましたね。男の子の動機が失われた世界は、何が正しいかわからない世界。その中で何かをなすってことは、「悪を為す」覚悟を持つこと。物語マインドマップでは、悪を為す系として、反逆のルルーシュを上げていますが、大義を超えて、個人的なレベル(僕の用語でいうとミクロの次元)で手を汚す覚悟を持つことは重要です。


シンエヴァは、このシンジが動機を取り戻すのに必要な「自分がやって来たことに対して自覚とを持つ」という告発のパートが、基本的にQだったんだろうと思います。


ということで、態度と言葉で、この両面にストレートに言及しているサクラは、これはダークホースだ!と思ったのですした(笑)。あとから出てきた後輩ちゃんキャラですね。親友のLDさん、ヤンデレ好きが、めちゃくちゃ推しておりました。



■災害ユートピア共同体(ガイナックス)としての第三村から、アソシエーションとしてのスタジオカラー(大きなかぶ)へ

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ちょっと戻ってみたいと思います。シンジ君の依存からの脱却の理由は、組織を通して働いている姿を見ることでした。僕は、ここが感情的には、すっきりするのに、今思い出してみると、はっきりとした具体的エピソードを思い出せません。


ここは重要なポイントだと僕は思っています。それは、きっとこのエヴァシリーズのオチを、第三村という田園的共同体の回帰や、父親との葛藤を直視して、大人になることだという陳腐な物語に回収することで、「つまらない終わり方をした」という批評家がたくさん出るのではないかと思いました。構造だけ取り出すと、必ずそういう風にしったかぶりに解釈をつける非常化がたくさん出るだろうなと思いました。新海誠監督の『天気の子』についても、そうした社会還元論私小説の側面を自己啓発セミナー的にとらえて、イデオロギーで陳腐な終わり方をしていて最低だとかいう、つまらない解釈をする人はたくさんいました。


『天気の子(Weathering With You)』(2019日本)新海誠監督 セカイ系の最終回としての天気の子~世界よりも好きな人を選ぼう!
https://petronius.hatenablog.com/entry/2019/08/31/054906

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そういう人たちは、物語を、キャラクターたちの人格を、ちゃんと追っていないんだなと、いつも思います。自分のイデオロギーを語りたいがために、作品を利用しているだけに思えてしまう。



とはいえ、だからこそ「誰もが見た瞬間に容易に思いつく」この批判について考えなければいけないんだろうな、と思うのです。ようは、庵野秀明監督の私小説的側面で、「壊れた自我、動機」を取り戻すというのが、自己啓発セミナーの「家族との関係を相対化して大人になりなさい」とか、共産主義の良く向かう到達地点での「田園共同体への回帰」すれば癒されるって、、、、そういうのじゃない!ってのを、いいたいんですよ。いや、なんというか、とても王道で、陳腐な収束地点なんですよ、確かに抽象化すると、ことばでいうと、このとおりなのですが、、、。


でも、僕はそうは感じないんですよ、、、まだうまく言葉になっていないんですが、まずこれに対して、庵野監督の「私小説的側面」なんですが、ここまで心を切り開いて、血をどくどく流すように生々しく追及し続けて・・・・27年ですよ。これが維持されて、それについての答えが出ているものを、陳腐なものとしてとらえるのはおかしいって。まだ自分がどこに行くか、わからずに書いてますが、まず見ているずっと頭をよぎっていたのは、安野モヨコさんの『大きなかぶ』の映像です。


これって、庵野監督が、テレビ版のガイナックス以後にカラーを立ち上げて作品に結実している過程を描いていますよね。庵野秀明さんのエヴァンゲリオンシリーズは、彼の内的世界を描くという私小説的に理解するのが間違いないと思います。その場合、庵野秀明の個人史の中で、この破壊と癒しと再生…いいかえれば、依存と自立というのは、どういう風にとらえればいいのかと言ったら、僕は、タイトル的に感じました。


先ほど言ったのですが、個人の私小説的なレベルはいくらその悩みを考えても、ひたすら孤独に落ち込んでいくだけで、人間存在が、人間の実存が、他者と分かり合えない「孤独」なのだという構造的なものに行きつくだけです。それを超えるのに、僕は、組織が描かれなければならないと思っていました。


けど、組織を描くって、どういうことだ???


それが、具体的にはわかりませんでした。シンゴジラ喝采を上げたのは、「一人では為し遂げられないこと」を、「たくさんの人の思いを重ねて達成する」という構造をポジティヴに描いたことでした。


そこで凄く感じたのは、つい最近のカラーとガイナックスとの関係です。


素人に寄せ集めで何が何だかわからないままアニメを作っていた、自然発生的で覚悟ない、才能だけの共同体ガイナックス
(共同体は無自覚にできるものだから)


それが崩壊していく過程。


そして、そこで得た知見を活かして、ちゃんとした株式会社・・・・自覚ある個人の集合体であるアソシーエーション(目的を持った組織)になっていく株式会社カラー。(アソシエーションは、目的合組織)


これが成長していく過程。


これって、ネルフとヴィレを連想してもおかしくないですよね(笑)。このありさまは、安野モヨコさんの『大きなかぶ』に余すところ描かれています。この人、やっぱり天才すぎます。カラーって、ヴィレだったのか!って(笑)。


まぁそんな無理を比喩として重ねなくてもいいのですが、何を言いたいかというと、一人で生きてきた、才能だけで生きてきた、庵野秀明という個人が、ここで初めて「組織というものと直接に相まみえ、その格闘をし・・・・・そして、組織を成り立たせるものは何かをしっかり直視してきたん」だろうということは、僕らには現実世界を見ればわかります。


組織・・・・・人が集まるところでは、個人の思いだけでは、どうにもなりません。人も分かり合えません。一つ間違えば、ガイナックスのように、めちゃくちゃになります。あれだけ素晴らしいソフト持っていながら、ガイナックスは、崩壊するだけでしたよね。僕もよく知っているわけではないので、勝手な言い草かもしれないですが、この時代を代表する傑作を生みだしたガイナックスのその後の末路はひどすぎますよね。ナディアの映画とか、本当にひどかった。経営が、以下に全くコントロールされていなくて、目的や指揮官がないものが、いかにめちゃくちゃになるのかは、結果を見ると、感じると思います。あのまま庵野監督が、組織をどういう風にゼロから作り出すか、反面教師として、考え、行動に移さなければ、そもそも僕らは、エヴァンゲリオンの続きも、この結末も見ることができなかったんです。


では、彼は、いったい具体的に何をしたのでしょうか?。


■会社(アソシエーション)の経営者として、指揮官としてジブリを超えろ~セカイがどうなっているのかを見通せなければ世界には到達しない

庵野秀明監督が初めて語る経営者としての10年(上・下)
https://diamond.jp/articles/-/107910
https://diamond.jp/articles/-/108195


この記事が素晴らしかった。僕も一時期ヴェンチャー企業の経営に携わっていたのですが、この「創造のものづくり(=個人のエゴを貫く)」と「組織としての集団作業と利益」のバランスのとり方が、あまりに素晴らしかったので、腰が抜けました。いきなりキャッシュフローかよっ!って、関心を通り超えて度肝を抜かれました。


これは、経営者、庵野秀明の苦闘の歴史です。シンエヴァを見る前に、ガイナックスとの関係、その末路、そして彼がスタジオカラーと会社を、組織をどうしだててきたのかは、ぜひともこの記事ぐらいで十分なので、知っておきたいところです。


僕は、ここでどうしても、スタジオジブリとアニメーターの構造的給与の安さなどを思い出さずにはいられませんでした。ああ、もう一つおもったのは、『HUNTER×HUNTER』の冨樫義博さんです。誰もが分かるともいますが、歴史に残るような傑作を、時間をかけて、本気で作るには「立場の構築力」も含めて必要で、才能だけでどうにでもなるわけではありません。


庵野秀明社長?(なのかな?)の経営する株式会社カラーを見ると、これがちゃんと貫かれていることに感心します。もちろんいろんなことがあったんだろうと思うし、内情を知らないので、良い面だけを言うわけにはいかないですが、細かいことはどうでもいいんです。エヴァンゲリオンが、最終回まで迎えられたこと。経営が破綻しなかったこと。それだけで、これは大成功なんですよ。


スタジオジブリの設立契機には、それまでの宮崎駿高畑勲らの労働組合や、制作の経営にまつわる話を抜きには語れないように、この部分を抜きに、彼が明らかに経営者として、エヴァを制作してきたことは、私小説上の庵野秀明の成長や葛藤とシンクロするのは当然です。


自然発生的に人が集まって行くときに、「そこに指揮官」がいなければ、そして「目的がなければ」、ガイナックスのように迷走して、おかしなところに行ってしまうものなんです。自然発生のままの共同体でいれば、無限に母なるものにくるまれたいと思うわがままどもを癒しつづけるか、無限に父なるものとして厳しき指導して支配するようになっていくしかないじゃないですか。



■傑作『未来少年コナン』のハイハーバーの共同体としての欠点を超えろ!(もののけ姫のたたら場でもいい)

いろいろ思うところはあるのですが、知ったかぶりもよくないので、とにかく「組織を経営する」という側面を、ただ一アニメーターやクリエイターを超えて庵野監督が戦ってきたことが、彼の組織間に大きな影響を与えていると感じるのです。


そこで、ああ、、、、とずっとおもっ感心したことがあります。


委員長に子供がいることです。トウジの父親も生きていますよね。身体壊しているのか、たぶん、あまり働けない感じがします。第三村には、労働の側面だけには収まらないさまざまな共同体があります。宮崎駿の原始共産主義的な側面、才能あるものが集う結社(アソシエーション)に常に抜けていることで批判されてきたのが、子供が、家庭の描かれ方が甘いことだと思うのです。特に『もののけ姫』のたたら場には、子供がいません。つまり再生産がないんですよね。なぜならば、才能だけで目的に結集している場合は、そういうものがあると足かせで邪魔になるからです。子供がいると、共同体になってしまうので。あ、このあたりの共同体VS結社の定義は、調べればすぐ出てくるので、前提で話を進めます。


僕は、この第三村の実存感覚の描かれ方に、物凄いエネルギーを叩き込んでいるさまをとても感じました。たぶん、ヴィレやその下部組織を通して、様々に孤立して生き残っているコロニーがあって、交易ができるようになっているとも思うんですよ。これ、ハイハーバーの構造と同じでしたね。ハイハーバーも牧畜部分と農業の交易が成り立っていました。他の共同体との交易ができなければ、未来がないからです。


この第三村は、311の巨大災害のメタファーであって、仮設住宅生きる人々が強く連想されてしまいます。では、そこに生きることはどういうことか?、ということが、様々なレイヤーで描かれています。


この世界を守る最前線で戦うヴィレや、この世界の再生を担う研究、実行、支援部隊のそれぞれの役割が、余すところなく書かれています。この世界は、人類の生き残りの最前線なんですよ。そういう全体の位置づけ、組織間の構造などがうっすらでも感じれれば、ケンスケがその「狭間の仲介者」として意味ある仕事をしていることや加地リョージがL結界密度の浄化…これはストレートに世界を汚してしまった放射能の除染を、『風の谷のナウシカ』を思い出させます。


こういう共同体と結社の「様々なレイヤーのつながり」を実感できると、人類にとってこの未曽有の大災害、危機にさして、人類が生き残りのための総力を挙げて仕組みを作っていることが感じられます。そこに、単純にユートピアとしての田園社会が生き残っているわけではないんです。アスカの「私は守る人」という言葉にも、自分の役割が、様々なグラデーションになって、この世界を支え守っているとだ、という意識が強く垣間見えます。


僕は、胸が熱くなりました。


そして、単純な災害ユートピア=一時的に安楽に逃げて帰るところではないのだ!!!という強い実存感覚の立ち上がりを僕は感じました。だからこそ、「そのさまざまなレイヤーの責任と役割の連なり」の中で、確固たる存在を占めているケンスケ、トウジ、委員長、リョウジたちのほんの一瞬の小さなセリフ態度の重さが輝くのです。


この世界の複雑さは、経営者として、「すべてはつながっていて」「すべての人に役割と責任がある」ということを見通す力がなければ、描けなかったんだと思うんです。この感覚がなければ、ケンスケたちが、深く価値ある個人として「大人になった」という感覚を受けなかったと思うのです。これは、経営者や上に立つものでないとわからない視点です。一クリエイターとして従業員であったら、わからないと思うんですよ。少なくとも、この第三村に関わる登場人物たちの何気ない言葉が、この共同体を成立させているのが、『至難の業に近いぎりぎりのものである』ということが、僕には迫ってきました。まだ世界は滅びつつあり、その日常をギリギリで守るためには、命を懸けるくらいの努力がいる。当たり前のような日常は、紙一重の非日常と隣り合わせに、人々の極限の努力と責任意識によって運営されているものなんだ!と。


僕は、最初に、この第三村、Aパートは、シンジの動機の転換点になるのですが、それは陳腐とは言わないですが、もうすでに王道としてパターンとして出尽くしている「異世界転生・並行世界」に回収できない実存感覚をどう作り出すか?ということについて、この部分を僕は強く感じました。


僕は、311での被災では、東京にいましたから一晩、子供たちに会えなくなった程度ですが、、、あの非日常に切り替わる一瞬は今もまざまざと覚えています。大きな災害を経験すると、胸に突き刺さるものがある、と僕は思っています。


それは、日常と非日常は、簡単にひっくり返る。


もう一つ、しかし、日常と非日常は、隣り合わせで、ちょっと距離的に遠いところに行っただけで、いきなり非日常が隠れてたり、日常があったりします。紙一重なんですよ。僕は、先日、南カリフォルニアの山火事に直面して、緊急避難区域に巻き込まれたのですが、、、あんなことがいきなり起きるなんて!と、今思い出しても信じられません。会社で会議をしてたら警察官が踏み込んで、避難してください!って。アメリカは地震が少ないので、自然災害少なくて安全とか思っていた自分がいかに甘かったか痛感した時でした。


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だから、「ぬるい態度」「官僚的な態度」「世界がこうであることに対して疑問を持たない単純な視点」に対して、たとえようもない嫌悪感を持つようになりました。


だって、世界はいつ何時、どんな風に壊れるかわからない。また、壊れたとしても、すぐ隣では、豊かな繁栄の日常が続いてたりするんです。


この世界が、さまざまな滅亡の可能性のあるギリギリのセカイと隣り合わせで、いつ何時そのバランスが壊れるかわからない。そのぎりぎりで、みんな生きているんだ、ということ。


僕は、今回のシンエヴァにさして、テレビ版からすべての作品を見直しましたが、この「人類補完計画(人類の進化・旧人類の切り捨て)」というマクロ的SFの視点の大災害に襲われる「僕らが住む世界」がいつ何時、ぶち壊される変わらないんだ、ということをまざまざと感じました。そして、にもかかわらず、人間は、その中で組織を作り、生き残りに、自分たちの大事なものを守るために、必死で動く、と。


第三村に、それを支える組織、ヴィレに下部組織KREDITの連携、そしてそこで自分の人生をかけているケンスケやトウジたちの14年の生きざまを見せられて、僕には、ああ、そうか、、、、この人は、「人が孤独を抱えながらも、人のつながりの中で生きていき、そして人はちゃんと組織を作って、生き残りのために目的を持ち責任を作り出して果たしていく」という大きな「私たちの住む社会」というものを、感じているんだな、と思いました。


「そこ」で、シンジが、動機を取り戻すのは、僕はおかしなことではない、と。そして、これは災害ユートピアの一時的なお祭りによるごまかしでもない、と、そう僕は思いました。


■働け、大人になれ、まっとうな人間になれ????といっているわけでは全然ないと思う~答えは「それしか生きる方法がない」んですよ、それでいいじゃないですか!


この作品は、庵野秀明さんの私小説になっているので、個人史を追うと、物凄くつながるんですよね。NHKのドキュメンタリーは素晴らしかった。


プロフェッショナルという言葉が嫌い、というのは、とてもわかる。これまさに、答えだなと思いました。というのは、このシンエヴァの終わりを受けて、「働け、大人になれ、まっとうな人間になれ!」という陳腐なありきたりなメッセージとしてとらえて、つまらないところに着地したなと感じる人は多いんだと思うんですよ。あ、いや、なんというか、批評家的な読み方をすると、そういうことを言う人は多いんじゃないかなって。でも、絶対見た人には、伝わっていると思うんですが、僕は「そうじゃない」と思っています。もちろん、構造的に、シンジが動機を取り戻すのに、第三村の機能があって、

・ケンスケやトウジの14年の成熟を通して働くことの価値を感じる
・黒綾波の労働を通して自己の価値を知る
・アスカを通して、相手を大事だと思うことは対等なものとして、自分と切り離して相手を思いやることが必要
・第三村の成り立ちを感じることによって、「社会の中の自己の位置づけ」を知っていく


という風になっているのは事実だと思うんですよね。それで何を悟ったかというと、


・自分が意図してやったことでなくても、その行為の結果の責任は取らなければならない
 (ケンスケもトウジも、自分が起こしたことでなくとも、その事実を受け入れて、戦っていますよね)


このことが、アスカ自身が大事なものを守るために躊躇なく命を投げ出すし、シンジが、アスカを助けるときに、自分ではない人を愛しているアスカの未来を願えていることなど、他者との距離の置き方・・・・「自分と相手は違う人間なんだ」ということを、体感しているから起きることなんですよね。


でも、どうでしょうか?この作品を見てて、「働け、大人になれ、まっとうな人間になれ!」と言っていると思います?。


僕は、そうは思いません。ただ単に、働いて(みんなに貢献し)、大人になって(自分がなした罪でなくとも責任を引き受けて)、まっとうな人間になる(=他者を対等な存在として見て受け入れること=相手にとって自分が必要でなくてもそれを認めることができること)が、正しいからやりなさいと言っているようには聞こえませんでした。


僕には、「それしか生きる方法がない」のなら、それを受け入れる以外にはないじゃないか、ということに感じました。


もう少し敷衍していえば、ただ単に「生きていく」ためにすら、これほどの凄まじい困苦と重荷を背負わないと、人はまっとうに生きていくことすら難しいんだ、ということを告発しているように見えました。お手軽なワンクールのアニメではないんですよ。27年の重みがあるんですよ、僕ら受け手にとってすら。それが、正しい道徳や倫理を行えば、幸せになれるなんて言う自己啓発セミナー的な、単純な「気持ちの入れ替え」「見方の変化」だけで世界は変わるなんて言う、ありきたりの甘いものであるはずがないじゃないですか。


シンジの血を吐くようにして空を飛ぶ鳥のような思いをして、人は生きていく。


これは、「我々は血を吐きながら、繰り返し繰り返し、その朝を越えて飛ぶ鳥だ」というナウシカの言葉を思い出しました。


この狂った人間存在、壊れたラジオの受信機な人間存在を、まともに電波をチューニングできるようにするには、「働き、大人になり、まっとうな人間になる」しかないのだけれども、それは、シンジ君が踏破してきた道のりをすべて乗り越えるような、苦しく、つらく、重く、不可能にも思える坂道なんだ、ということ。そもそも、普通のことのように思えるそれらが、どれくらい不可能に近い難しいことなのかを、僕らは全然わかっていないのかもしれない。


そして、だからこそ、「その苦難」を乗り越えた、その先にある成長は、美しく素晴らしい。往々にして、届くことはないし、届いたと思っては、元に戻る繰り返しではあるけれども。ビルドゥングスロマン(成長物語)の不可能性を描けば描くほど、その道の美しさに、凄みを与える、素晴らしい作品だと僕は思いました。




その2に続く。半分くらいしかいってねぇ。。。つーかこれだけ書いても、話しているのはAパートの第三村の話だけ。。。疲労困憊(苦笑)。後でリライトなり清書なりするかもだけど、とりあえず初見、その1です。今、その2書いてる。その2のメモ。書けるかなぁ、、、。リアルタイムの勢いがないと、表に出せないので、未完成の雑感メモですが、下に挙げておきます。頑張れたら書く。けど、(1)のこの3万字ちかくを、この2時間ぐらいで書いたの凄くない?(笑)。



シンゴジラ・マブラブオルタネイティヴで問われていたすべての答えが、ここに

エヴァンゲリオンシリーズ全体を通しての全体像を理解するための三層構造での理解

■面白いものはすべてこめた~トップをねらえふしぎの海のナディア

■戦後日本的エンターテイメントの究極構造~私小説の世界とSF神話の結合というセカイ系の極大点~その欠落を補うためのシンゴジラ

■100点満点の答えとしてのシンエヴァンゲリオン

■ゲンドウ(父)とシンジ(息子)の対比構造から、父もまた「別の他者」であることに気づき

■シナリオは、TVシリーズと同じ構造~面白いものをすべてぶち込んだ、しかしただ一つ足りなかったもの「外部」

安野モヨコという特異点~なぜマリだったのか?~新海誠の到達したセカイ系の結論との比較
 自分の「外部=他者」と出会い家族を作ることによって

式日で母を問い、シンエヴァンゲリオンで父を問う~誰が悪かったのかという不毛な問い~彼氏彼女の事情を連想する

■日本的な「私小説」の物語としての宇部新川駅の現実風景

■日本映画の正統なる後継者として~家族の崩壊から再生を通して自己の自立を描いていく日本的物語の到達点

■システムの奴隷である「セカイに閉じ込められた自己」からの解放~セカイ系の終着地点のその先に
 どこまでも逃げていくにしても、どこへ逃げればいいのかという問い

■人類の進化による旧人類の切り捨てという50年代SF大家たちの星を継ぐ者への後継者として~どこまでも日本的でありながら、世界へつながる壮大なマクロとミクロの物語

■答えは、現実に戻れ?だったのか? また大人になれということだったのか?~虚構と現実の対立の「その先」という外部へ
 この「外部」が、感じられたかどうかが、この物語の最後の評価ポイント。


■参考資料

petronius.hatenablog.com


『RETAKE』『ねぎまる』ドラゴンクエストの同人誌など  きみまる著  この腐った世界で、汚れても戦い抜け。楽園に安住することは人として間違っている。
https://petronius.hatenablog.com/entry/20100309/p1

風立ちぬ』 宮崎駿監督 宮崎駿のすべてが総合された世界観と巨匠の新たなる挑戦
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20130802/p1



www.youtube.com

【AzukiaraiAkademia2021年2月ラジオ】マンガのあり方は、ジャンプ黄金期の500万部を誇った紙帝国による流通支配の構造から解き放たれて、マンガ本来のポテンシャルを、全力で追及するフェースに入っている!

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マンガ・ジャンプ+俺にはこの暗がりが心地よかった+Webマンガ

一言でいうと、マンガの最大ポテンシャルが発揮されて、マンガがエンターテイメントのメインストリームに復帰する兆しを感じる!というお話。


ちなみに、最初は、ツイッターとか表現の自由アメリカの話が枕になって言うので、本題は、第二部で、約40:00過ぎたところからこの話は始まります。


2月のアズキアライアカデミアの配信は、個人的には重要な考察の回だったと思う。この数年、大きな文脈として「新世界系」の次の次世代の物語は、何か?と問うてきました。どうやら「新世界系」という文脈で物事を見る時期は、既に終わりつつあり、「結論が描かれ」「その先」の新しいものにシフトしている感触があるというのが僕らの感触でした。けど、まだ「それが何か」具体的なキーワードで、示すことができていない。すでに文脈が「変化してしまっている」感じは受けるのですが、「それ」が何かまだ明確にできていない感じです。


なのですが、この数年にわたって、次世代の物語を考えるときに、「考えるべき土台(=インフラストラクチャー」が、まったく変化して変わってしまっているよ、ということを、ずっとLDさんが指摘してきました。


これまでは断片だったので、いまいちそれが「総合的にどういうものなのか?」が分からなかったのですが、今回、ババババっと、すべてが統合された感じがします。もちろんこれは「僕の理解の仕方」なので、同じものを、LDさんも、LDさんの言葉ですべて説明しなおしているので、興味がある人は、ぜひともじょうきの2020/2013のアズキアライアカデミアの配信を聞いて勉強してください(笑)。いや、「この視点」は、頭に叩き込んでおいて、絶対損はないと思いますよ。単純に物語を楽しむだけではなく、エンターテイメント産業の今後を考えるときに、欠いてはならない視点だろうと思いますから。


結論を言ってしまえば、今時代は、「ジャンプ+」のWebマンガが重要な見るべきトレンドだということ。マンガの楽しみ方、あり方は、ジャンプ黄金期の500万部を誇った紙帝国による流通支配の構造から解き放たれて、マンガ本来のポテンシャルを、全力で追及するフェースに入っている。そのフロントランナーが、「ジャンプ+」だということ。その具体例の展開で、『彼方のアストラ』(2016-2017)『サマータムレンダ』(2017-2021)『地獄楽』(2018-2021)が、宿題に出されて、どのように新しい時代の構造が、物語に、マンガに展開しているさまを解説していきます。ああ、これを見ると、ブレイクが起きたのは、2018-2019ぐらいですね。

shonenjumpplus.com


LDさん的、ペトロニウス的視点では、以下になります。


面白さの最小単位(LDさんの用語)


ドラマトゥルギーのピークをどこに設定するか?(ペトロニウスの用語)


この「面白さの最小単位」の話は、LDさんがここ数年こだわっていたものです。すぐ見つけられないのですが、せっかくなんで参考に「魔女集会」の時の漫研ラジオを置いておきます。結論だけではなくて、常に重要なのは、「ものを考えた過程」と「どういう概念の組み合わせで結論に至ったのか」です。この過程を自分で作り出す力がないと、「自分が面白さを独力で感じ取る」ことができないんです。結論だけわかってもだめなんですよ。「自分で考える力」が養われないから。「自分で、自分の頭で考える」ことができるトレーニングは、自分が好きな人の思考プロセスを、すべてトレースして暗記することでしか養えません。ちなみに僕は、尊敬する評論家の中島梓さんの本を丸写しの写本とかしてましたよ中学時代に(笑)。プロセスを暗記しなければならないんですよ。2-3人やれば、自分オリジナルになるもんなんですよ。あ、これ「物語三昧」の目的が、「物語をより深く楽しむ方法」を伝えたい、考えだしたいということがあるので、それている脇道です。

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話がそれたけど、Twitterの魔女集会で会いましょうとか、LDさんが指摘していたのは、『疑似ハーレム』とかですよね。『疑似ハーレム』も、これを最初から単行本で見てしまうと、Twitterで出てきた時の「感覚の新しさ」が分かりません。ようは、Twitterの短い閲覧で、「一目見て」「ドラマの起伏と落ちが分かる」という感覚ですね。起承転結でいえば、いきなり「結」があって、その「結(落ち・ドラマのピーク・物語の一番おいしいところ)が、表現されてしまっている状態を、「面白さの最小単位」と呼んでいます。角度を変えれば、長編の物語も、「この核」を軸に、その前後の起承転結などを広げて、展開しているにすぎません。たとえば、少女漫画で仮にピークが、「告白して結ばれる」ところだとしたら、「そのラストシーン」だけを切り取るというような感覚です。

疑似ハーレム(1) (ゲッサン少年サンデーコミックス)

魔女集会も、魔女が「捨て子を拾ったら」、次のコマではすでに成長してかっこいい男の子になって、「守っていたはずの男の子に愛されて守られる」に展開している。ドラマの起伏が、ほんの数枚、下手したら一枚絵で、この共同幻想は成立しています。よく、男の子向けのHな漫画で、女子高生を拾ってHをするとか、育てるというような、ロリータ的な話の類型があるじゃないですか。あれの、逆バージョンのプリミティヴな形だと僕は思っています。『私の少年』とかのイメージですね。これを、魔女という設定にしただけで、物語の「種」というか、「何に人が萌えているか」というのか、その種、原初、コア、ドラマトゥルギーのピークがよくわかるものです。魔女集会は、検索すれば山ほど出てきますので、見てみてください。かつて中島梓が、人には、保護欲(=何かを愛し守り支配したい)と被保護欲(=何かに愛され支配されたい)が原型(物語のドラマトゥルギーのコア)にあって、それが権力で入れ替わるさまが、この世界の真実の姿というようなことをいっていたのですが、それを思い出します。

https://www.pinterest.com.au/pin/679762137497506678/


私の少年(1) (ヤングマガジンコミックス)


まぁ、この物語類型個別の話は、さておき、ここで指摘しているのは、これまでは週刊誌のような500万部も誇る「席の限られた出口」の配分によって、物語の世に出る量は限られていました。また、紙による印刷というテクノロジー上の、産業上のエコシステムの仕組みによって、一度売れてしまったものは、できるだけ長く引き伸ばして投資金額を回収するという圧力がかかりました。これが、支配的な構造だったわけですね。

集英社週刊少年ジャンプのアンケート至上主義というのは、「週刊誌自体を売る」ことと新人を育成して新陳代謝を進めるというメリットに適応しているわけです。逆に、この仕組みだ、「毎週の面白さ」に最適化してしまうので、小学館のサンデー系の長期連載系を目指す編集方針が対抗で出てきたりましました。その週刊誌をベースに、コミックスを販売するという構造ですね。LDさん的な言い方でいえば、物語のピークを10年後に持ってきてもかまわない、ということです。市場が寡占、独占状況だったからできたことですね。だから、新規の育成ができなければ、どんどん物語長期化していくことになります。一度売れたものを、ひたすら「引き延ばして売る」ということが最適解になるからです。これだど、さらに新規参入が、クリエイター側も、消費者側も、難しくなって、産業が先細ります。

この典型例が、小学館の『週刊サンデー』ですね。いろいろな理由があるのでしょうが、見ていて思うのは、「アンケート至上主義」というシステムではなくて、長期連載による物語の面白さを追求する小学館の方式は、編集者という個人の「目利き」にたよるために、成功の再現(=新人の育成)が難しいことにあるのだろうと思います。会社としては、「アンケート至上主義」集英社のほうが、属人性が低い。なので、組織として、個人を超えて、再現できる仕組みを考える癖があるのだろうと思います。どっちがいいかは簡単ではないです。だって、あだち充さんとか、高橋留美子さんとか、小学館の方式が生み出した作家の凄さってとんでもないですしね。ここで典型的な現在の作品を、田中モトユキ先生の『BE BLUES!〜青になれ〜』を挙げていますが、この方式がだめになったわけではないと思います。

とはいえ、携帯、SNS、携帯ゲーム、Youtube、ネットフリックスやHulu、アマゾンプライムなどの登場で、エンターテイメントが消費者の「限られた時間の奪い合い」になった時に、「席の限られた出口」だった週刊誌の紙媒体以外の、新しい「出口」が広範囲に出現してきたのが今のわけです。この新しい媒体(=消費者への出口)では、媒体の特徴や、それによって形成される産業のエコシステムが全然違うものになるわけです。「それに新しく適応した仕組み」を作るのが、だれか?という競争をしているのが現在なわけでだと思います。なので、システム的なアプローチをする組織のほうが、これに適応しやすいのは、自明だろうと思います。


■ジャンププラスの運営方法は、注目だよ!

そのフロントランナーが、ジャンププラスなんだよ!というお話。という文脈を考えて、以下のインタヴューを読むと、さすがーーーーとうなります。

www3.nhk.or.jp


news.infoseek.co.jp


では、その結果出てきたものはどんなものか?


で、『SPY×FAMILY』『彼方のアストラ』『地獄楽』『サマータイムレンダ』などを、見ていこうというのが、今回の配信のコアです。


■地獄楽とサマータイムレンダは、行こうぜ!
www.youtube.com

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力尽きたので、ここ以降はまた今度(笑)。


■俺にはこの暗がりが心地よかった【書籍化&コミカライズ決定しました!】
作者:星崎崑
https://ncode.syosetu.com/n7820go/

www.youtube.com


この媒体の変化によって、出てくる物語のパターンが変わっているというこそ文脈で、サイトの「小説家になろう」を見たいものです。そして、最近の一押しが、これです。


■ベストのマンガのピークは、12巻説!

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炎の転校生』(1983-1985)全12巻-118話


『がんばれ元気』(1976-1981)全28巻


六三四の剣』(1981-1985)全24巻


ちなみに、LDさんが興味深い指摘をしています。「速度論」で、ベストのマンガの巻数は、12-13巻だ!と。その完成系は、『炎の転校生』だといっています。これも聞いたことがあったけど、まったくわかっていなかった。物語を分析するときには、12巻ぐらいがベストのピークを示せるという話なんですね。それを、倍くらい24巻ぐらいしたら、もう大大河ロマンになる。「これ以上」はやりすぎなんだろうと思います。


もっといろいろ話したこと敷衍したけど、時間がないので、このあたりの書き散らしで終わります。


今回の2月のアズキアライアカデミアは、凄い展開した回でした。

The Road to 2024 - 米国政治を見ていくうえで背景として押さえておきたいことのまとめ-トランプ支持の7400万票の意味を問い続ける必要性(2)

petronius.hatenablog.com

前回、(1)で会田弘継さんの記事を紹介した。2022年の中間選挙、2024年の大統領選挙、そして、現代アメリカ自体を眺めていくうえで、「どういう構造を抑えておくと」情報が摂取しやすいのかのスキームはなんだろうか?。また、現代アメリカのイシューは何か?ということをハイレベルで考えたときに。「適切な問いは何か?」というのを考えていて、出てきたものです。

構造で意識すべきは、

1)グローバル化が進んでいくことによる格差の拡大(wealth inequality)と中間層の没落に対する恐怖と抵抗が人々を駆り立てている。

2)1)が米国ローカルの文脈に接続されると、2大政党制が4つのグループに分けて考えられる。アメリカの政治システムは、第三政党を生み出すことができない構造なので、第三の勢力が、大政党を各々乗っ取る形で表出してきている。共和党のトランプ。民主党のバーニーサンダース。


A)Trumpian Republican

B)Party Republican

C)Biden Democrats

D)Sanders-Warren Democrats


まずこれです。


そして、「適切な問いとは何か?」と問うたときに、なぜトランプさんが登場したのか?と問えば、それはオバマ政権の反動なのは明白。オバマ政権までの、民主党の中道リベラル(及び共和党中道)が目指してきた、グローバル化と、GAFA(Google,Apple,Facebook,Amazon)-m(Microsoft)(個人的には、既にマクロソフトは復帰していると思う。GAFAの定義は、個人情報をビックデータで集約して使うことによるプラットフォーム提供情報企業だとすれば、クラウド化に乗りおくれたMSは、今復帰してきていると思う。むしろネットフリックスを入れてもいいのではないかと思っている。)への傾斜によって、労働者の味方をやめて、切り捨ててしまった民主党中道派リベラルへの嫌悪と拒否が、その根底にあるともう。もちろん、これは、共和党の宗教(福音派)政党化に対抗してなので、常に原因と結果は連関ループしている。そして、今のターンは、あまりにもおごったリベラル中道派が、切り捨てられる層を無視し続けて、今もまだ無視し続けていることへの対抗として、「共和党、、、、保守思想の再編が迫られている」ということがあると思いうのです。


なので、適切な問いは、保守思想が次に何を目指すのか?、それが少し具体化して、共和党は、上記二つのどちらの層をその基盤とする政党になるのか?、もっと具体的にいくと、ポストトランプ、トランプの後継者はだれか?ということになります。一番下で、Marjorie Taylor Greeneなどを追っているのは、「トランプ減少を支える基盤を引き継ぐ次世代の共和党、保守層のリーダーはどんな人なのか?」「その基盤の支持層はどんな属性があるのか?」という疑問が僕にはあるからです。


ようは、上の理解で考えると、A)Trumpian RepublicanがGreeneさんいなります。それで、B)Party Republican(僕はレーガンデモクラット的なるものだと思っていますが)Mitchell McConnellやLindsey Grahamなどの共和党重鎮派になります。この二つを追えば、共和党が、A)を志向するのか?、それともB)を志向するのかが、わかると思うからです。ニュースはこういう風に「文脈」と適切な仮説、疑問を持ちながら見たいと、断片的になってパニックになってしまうと思うのです。


それと、今回の(2)で問いたいのは、この保守思想の再編が行われれていくなかで、その支持者の中に、驚くほど激しい陰謀論が浸透していきます。この理由は何なのか?、。どうしてそういう類型のものの味方に人がひかれるのか?それへの対抗策は?などなどを、考えてみたいと思うのです。もちろん今回で結果が出るわけではなくて、僕の疑問の文脈です。適切な問いは、既に答えだと僕は思っているので、イシューを特定したいのです。


という、背景の考え方の文脈があって、なんちゃってアメリカウォッチャーを続けていきます!。


共和党マージョリー・テイラーグリーン下院議員(46、ジョージア州選出)は、トランプさんの後継者候補の一人?(ではないとおもうけど(苦笑))

この人は、追っていると興味深い話一杯です。911陰謀論として否定したり、フロリダのマスシューティングはディープステイトの陰謀だとか、特に、クリントン一家(イタリアのマフィアのイメージで書いていますね)がJFKJrを殺した!とか。マジで!と思うようなネタがたくさん。JFKの息子を殺したという陰謀論は、昔、ブッシュ大統領が殺したんだ!という民主党側の陰謀論だったんですが、いつの間にか逆転してる!。面白くて見ているドキドキする。この人の有名な、Youtubeは、フロリダの銃撃事件のDavid Hoggにストーカして、「お前は、嘘つきだ!」と叫んでいるやつですね。2018年のフロリダ州ブロワード郡パークランドのマージョリー・ストーンマン・ダグラス高等学校 (Marjory Stoneman Douglas High School) での銃乱射事件の生き残りの人ですね。こういう人に対して、共和党上層部か強く出れないのは、下院議員がたくさんトランプ支持者で当選氏は共和党員がいて、かつまだまだトランプさんに敵対すると選挙に負ける可能性が高いからですね。なので、共和党自体が、「どこ」へ向かうかの指標になる。

www.nytimes.com

Marjorie Taylor Greene to speak at the American Priority Conference Dec 6-8th AmericanPriority.com - YouTube

www.bbc.com

www.youtube.com


■Qアノンビリーバーのディープステイとによる子供売買の話はどこから来たのか?

アメリカのローカルな文脈の知識がないと、Pizzagate conspiracy theoryとか、意味不明で???となってしまいますよね。ディープステイトとかも。背景を理解するには、この辺の陰謀論の「世界観」は基礎知識として必須だと思うので、Wikiにとても詳細なまとめがあるので、この辺りを流し読みしてみましょう。香ばしいキーワードがあふれているので、これに耐性がないと、いきなり聞いたら、信じてしまうこともあるかもしれません(苦笑)。中学生の子供にせつみしたら、「そんな真実が!!!」と驚き始めたので、いや、全部嘘だから、気おつけようね、と注意する羽目になりました。なんというか、この社会がある種のスキーム、構造で組み立てられているという背景知識がないと、「わかりやすく世界の謎を解説する」ので、おお!となってしまいやすい。これって、物語でいうと、善悪二元論だし、ラスボスがすべて悪いの、そいつを倒せば世界がよくなるという、とても典型的なドラマトゥルギーです。ちなみに、物語三昧の読者は、漫画やアニメ、映画が好きなはずなので、このあたりの陰謀論を勉強していると、「次の世代の物語」の類型に、このあたりの話がすごい出てくること間違いないですので、ぜひとも調べておきましょう!。だって、現代社会で、凄く大衆が、普通の人々が望む世界観、物語、ドラマトゥルギーなわけですから。ディープ・ステートやカバール(陰謀団)とか、中二心をくするぐる素晴らしいネーミングセンスです。

Qアノン[† 1](キューアノン、英: QAnon、発音: [ˌkjuːəˈnɒn])は、アメリカの極右が提唱している根拠のない陰謀論である[1][2][3][4][5]。この陰謀論では、世界規模の児童売春組織を運営している悪魔崇拝者・小児性愛者・人肉嗜食者の秘密結社が存在し、ドナルド・トランプはその秘密結社と戦っている英雄であるとされている[1][2][3][6][7][8][9]。この陰謀論で仮定されている秘密結社は、一般的にディープ・ステート(英: deep state、影の政府)やカバール(英: cabal、直訳で「陰謀団」)と呼ばれている[2]。アメリカの検察官の中には、Qアノンについて「一般的にカルト宗教とみなされている(陰謀論者の)グループ」と説明する者もいる[10]。

この陰謀論は「事実無根」[32][50]で「証拠がない」[51]と広くみなされている。信奉者たちは「気の狂った陰謀論カルト」[15]や「インターネット上で最も常軌を逸しているトランプ支持者」[52]と呼ばれている。この陰謀論は主にトランプ支持者によって拡散されており、「嵐」(英: The Storm)や「大いなる覚醒」(英: The Great Awakening)などが唱えられている[12]。Qアノンの教義と語彙は、千年王国や終末論といった宗教的概念と密接に関連しており、新宗教運動との見方にも繋がっている[53][40][54]。Qアノン信奉者は、トランプをキリスト教徒としては欠陥があると見ている一方で、神が遣わした救世主(メシア)とも見ている[39][55][56]。

ワシントン・ポスト』でQアノンについて詳説している陰謀論研究者のトラビス・ビューによると、この陰謀論の本質は次のようなものである[12]。

この陰謀論の本質は「世界を支配している悪魔崇拝者・小児性愛者による国際的な秘密結社が存在し、彼らがすべてを支配している」というものである。彼らは政治家やメディア、ハリウッドなどを支配しており、存在を悟られないように隠蔽されている。ドナルド・トランプが大統領選挙で勝たなければ、彼らは世界を支配し続けていただろう。トランプは、この秘密結社による悪行をすべて知っている。トランプが当選した理由の一つは、彼らの悪行に終止符を打つことである。トランプとアメリカ軍による裏の戦いは、「Q」がいなければ誰にも知られていなかったであろう、というものである。そして「Q」とは一体何なのかというと、基本的には、この「裏の戦い」に関する情報を明らかにしている4chan投稿者(後に8chanに移行)である。彼は、秘密結社の悪行や、今後起こるであろう大量逮捕劇についての秘密を明らかにしている。


Qアノン - Wikipedia

ちなみに英語版はこちらですね。こちらも読んでみると、違いが面白いです。
QAnon - Wikipedia


ピザゲート(英語: Pizzagate[注 1])は、2016年アメリカ合衆国大統領選挙の期間中に広まった、民主党ヒラリー・クリントン候補陣営の関係者が人身売買や児童性的虐待に関与しているという陰謀論である。この疑惑は、コロンビア特別区首都警察(MPDC、ワシントンDC警察)など多数の機関によって虚偽であると証明されている[3][4][5][6]。

2016年秋、ヒラリー・クリントン候補陣営の選挙責任者であったジョン・ポデスタの私的なメールアカウントがフィッシングの被害に遭いハッキングされ、メールがウィキリークスに公開された。このメールに、アメリカ国内の複数のレストランや民主党の上級関係者が、ワシントンD.C.にあるコメット・ピンポンというピザ店を拠点とした人身売買や児童買春に関わっていることを示唆した内容が含まれている、という主張が喧伝された[7][8]。

児童虐待に絡めた偽物語は求心力が強く[9]、オルタナ右翼クリントン陣営を疎ましく感じる者によって疑惑は4chanや8chan、Twitterなどインターネット上で拡散され[10]、疑惑を信じた男が実際にピザ店にライフルを持って押し入り発砲するという事態に発展した。

ピザゲートは一般的に、Qアノン陰謀論の前身と見なされている。ピザゲートは主にQアノンによって、選挙の年である2020年に再び流行した[11]。


ピザゲート - Wikipedia


さて、ここからは、僕の個人的な話。僕、このヒラリー・クリントンが人身売買や児童性的虐待しているという、ありえないうわさを聞いて、しかし「すぐに連想して」ぐっと心に刺さったことがあるんですよね。これ言い換えればアメリカに住んでいて、アメリカのローカルの感覚がある人には、この、普通に考えればあり得ない話が、「もしかして…」と感じてしまう土壌があるということなんですよね。アメリカのローカルな文脈なので、多分普通の日本人には、この連想するもののイメージが、全然ないので、さっぱりだと思うのです。なので、ちょっと説明してみようと思いました。


■子供の人身売買のピザゲートの事件をすると、どうしてもジェフリー・エプスタインを連想しちゃうよね。


いやね、アメリカのローカルな文脈では、人身売買や児童性的虐待ったいったら、もうそりゃ、すぐにジェフリー・エプスタイン(Jeffrey Epstein)思い出すに決まっているんですよ。いまだったら。知らない人がいたら、ググってみてもらうか、できれば、ネットフリックスの『ジェフリー・エプスタイン: 権力と背徳の億万長者 (Jeffrey Epstein: Filthy Rich)』というドキュメンタリーはおすすめです。

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マジでやばいんですが、少女売買春とかよくある話だろとか思いがちですが、あまりに一時期ニュースで盛り上がっていたので、アメリカウォッチャーとしては、押さえておかなければと思い、ドキュメンタリーを見て記事で調べていたんですよ。これね、何がすごいかって、その規模と時間の長さです。こんな明らかな犯罪者が、なんで何十年も、、、30年以上とかにわたって、ずっと野に放たれているの?と驚きました。何度も裁判にかかっているし、明らかに犯罪者なのに、捕まえられないんですよ。そのお金の力と、権力者のネットワークの中にいるので。ドキュメンタリーが素晴らしいのですが、「権力のある大金持ちが本気で罪を隠蔽しようとしたら、こんなに簡単にできるのか!」と、驚きおののきますよ。しかも、30年以上とか、もうめまいがします。それだけでなく、このドキュメンタリーの凄いところは、その食い物にされた少女たちが、その後、何人も裁判を起こしているのですが、全然捕まらないので、さらに何十年もその苦しみのインタヴューが山ほど出てくるのです。あまりに生々しくて、胸がつぶれるほど苦しい話です。

関連はないのですが、この話と同時に、ハリウッドの大物実力者ハーヴェイ・ワインスタイン(Harvey Weinstein)の長期間いわたるセクハラや性的暴行の話とme too運動のことがどうしても同時期なので、連想しちゃいます。フェイミニズムの党派性や、寛容性のなさや暴発は、僕も好きではないのですが、この「圧倒的現実」を見続けると、なんというか、そりゃ暴発もするよねという気分になるんです。ひどすぎるんですよ、あまりにも。この見るに堪えないような過酷な現実を女性が生きているという体感感覚なしに、単純に世の中の文脈でフェミニズムをたたくとかは、やれないよなぁとしみじみ思うのです。アフリカンアメリカンの差別の歴史もですが、思想的戦争に入る前に、「この圧倒的な事実の積み重ねの歴史を直視して」尚、それでも、その言葉を言えるのか?というのは、常に自分に問いかけたいところです。大事なことは、理想やロジックではなく、まず事実です。事実を直視したうえで、体感したうえで、見ないとなんでも空っぽの空理空論になる。

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ちなみに、元英新聞王ロバート・マックスウェル(Robert Maxwell)氏の娘ギレーヌ・マックスウェル(Ghislaine Maxwell)とか、もうドラマすぎて、この辺りも、興味深いです。何なのこの人???って本当に摩訶不思議です。なんというか、お金持ちの世界の人々の、考えることの、トラウマの深さって、とんでもなくて、いつも驚きです。




そんで、話がずれましたが、このジェフリー・エプスタインという大金持ちの権力者が、トランプさんやビル・クリントンさんと仲が良かったんですよね。イギリスの王子までいるんですよ。ウッディアレンとか。もう、なんか、名前のラインナップみると、ああ、これはこの組織的的少女売買春に関わっているなとしか思えないじゃないですか。NYの拘置所でジェフリー・エプスタインが自殺したときも、陰謀によって権力者に殺されたんだという話が、当たり前のように話されていたし、みんなそうアメリカではそう思っている人、多いと思います。状況証拠から、どうしても連想しちゃう。この連想ゲームを踏まえてほしいのです。


クリントン夫妻をモデルにしたジョー・クライン原作「プライマリー☆カラーズ 小説大統領選」を思い出した!!!


さらに、深堀しましょう。僕は、このQアノンビリーバーの子供の人身売買で、エプスタインを連想して、ニュースでガンガン、ビルクリントンと一緒の写真が流れるので、クリントンさんを連想しちゃうんですよ。そしてら、ジョントラボルタ主演の『プライマリー☆カラーズ 小説大統領選』(邦題は『パーフェクト・カップル』)の映画が、ババババババ、、、、と思い浮かんだんです。10数年以上前に見た時の衝撃を今でも覚えている。物凄く衝撃に感じたことが二つあって、一つは、相当後ろ暗いというか、だいぶ人間としては問題がありつつも、とんでもない魅力を感じさせるビル・クリントン(ジャック・スタントン/ジョン・トラボルタ)の不思議な魅力だ。ビル・クリントンは歴代でも最も人気があったといわれるほどの魅力的な大統領で、自伝の『マイライフ』を読めばわかるが、アル中の父親に殴られながら過ごした極貧の子供時代から抜け出したサクセスストーリーは、彼のその後の様々な失敗すらも、あの生まれからすれば仕方がないなと思わせる魅力を感じさせる。


選挙戦はジャック対ハリスの一騎打ちとなっており、相手はジャック叩きに余念がなかった。そんな時、ジャックの友人ウィリーがヘンリーを訪ねてくる。ウィリーはバーベキューレストランを営む黒人で、娘のロレッタはジャックの息子のベビーシッターをしていた。そのロレッタがジャックの子供を妊娠したと打ち明けたのだ。
https://mihocinema.com/perfect-couple-23036

しかし同時に、今でもまざまざと恐怖とともに覚えているのだが、ジャック・スタントン(ジョン・トラボルタ)が、10代の黒人の幼い少女を妊娠させていた、それも父親のウィリーは彼の友人であり、、、、なんというか、選挙中にしかもあんな素晴らしい奥さんがいて10台の黒人の女の子を妊娠させちゃうというのありえないにしても、「そこまで」なら、まぁ事実として、そういうことあるかもしれない、、、と思う。しかし、その後のこの夫婦は、選挙のために、これを闇に葬り去る様々な工作をして、このスキャンダルが表に出るにもかかわらず、政治闘争を勝ち残って生き抜いてしまう。「いいかえれば」、こんなの氷山の一角で、もっとどぎたないことを、隠れていくらでもやり続けているんだろう!ということが、まざまざと見せつけられてしまうのだ。この「厚顔無恥さ」に当時の僕は恐怖した。そしてもっと恐怖を倍増させたのは、「にもかかわらず」、この作品で描かれたジャック・スタントンという政治家が、信じられ位ほど暖かく魅力的な政治家だったことだ。見ればわかる。僕は、あるシーンで、政治家として見事な資質を示すところで、落涙すらした。


わかるでしょうか?、つたわっているでしょうか?


この物凄く矛盾した「皮膚感覚」。まさに、ビル・クリントンという政治家の本質そのものだ、という感じがするのですよ。



パーフェクト・カップルの概要:クリントン夫妻をモデルにしたジョー・クライン原作「プライマリー☆カラーズ 小説大統領選」をマイク・ニコルズ監督が映画化。好色な大統領候補のスキャンダルに翻弄される選挙スタッフたちの奮闘ぶりと、選挙の裏側を描く。1998年公開のアメリカ映画。


ジャック・スタントン(ジョン・トラボルタ
南部の州知事民主党から大統領選挙に出馬する。少々頼りなく、かなりの女好きだが、人当たりの良さと口のうまさで民衆の心をつかむ。甘え上手。
スーザン・スタントン(エマ・トンプソン
ジャックの妻。元弁護士のやり手。ファーストレディを目指して夫の選挙活動を取り仕切っている。
ヘンリー・バートン(エイドリアン・レスター)
祖父が有名な政治家だった黒人青年。半ば強引にジャックの選挙チームに入れられ、中心となって活動する。
リビー・ホールデンキャシー・ベイツ
スタントン夫婦とは古くからの友人で選挙活動のプロフェッショナル。特にスキャンダル潰しを得意とする。18ヶ月前まで精神病院にいた。

映画『パーフェクト・カップル』のネタバレあらすじ結末と感想 | MIHOシネマ

Primary Colors | Rotten Tomatoes


ここから考えると、ビル・クリントンという政治家が、清濁併せのむような非常に闇と光のある政治家であるのが分かります。そこで考えてほしいのですが、その後の、セックススキャンダルのモニカ・ルインスキー(Monica Lewinsky)事件を思い出しますよね。そうすると、このような夫を持っても、それでも離婚せず、ビルを支え続けるヒラリーさんって、「偽善」じゃないの?と思う気持ちが出てくるのは、わかると思いませんか?。ヒラリーさん自体は、僕は素晴らしい人だと思いますが、彼女の最後の最後で足を引っ張ったのは、夫だというのも、また事実なんだろうなーと思います。バラク・オバマさんもですが、とにかく大統領になるほどの男は、本当にレベルの高い妻の選び方をすると、その選択眼の良さに驚かされます。

www.ted.com


えっとね、僕が何を言いたいのかというと、陰謀論というのは、いろいろなローカルな背景があって、「そのつらなり」の中であるものなので、「そこまで知らない」と、切り取ってみると、意味不明のものになるんだろうと思うんですよ。なので、笑って切り捨てるのではなく、「そこに至った動機や背景」を考えていかないと、本質にはたどり着かない。馬鹿だから信じた、などという上から目線で見ていると、何一つ真相にたどり着かないで悪化すると思うのです。対応策が、全然わからないから。人々が何に不安に思い、怒っているのかが、まったくわからなくなってしまうから。


■Qアノン信者とは、グローバルなネットワークにより管理する管理者・テクノクラートへの恐れ

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バイデン新政権の真の課題は単なる脱トランプではない/会田弘継氏(関西大学客員教授・ジャーナリスト)

この回が素晴らしかったのですが、宮台真司さんがグローバル化への恐れというのは、


本来、市場化してはいけないものを、すべて市場化していこうとするものへのNOなのだ


と、喝破されていたところ。これは、子供の人身売買に当てはめると、ストレートに当てはまると思うんですよ。エプスタインの話とかは、本来お金で売り買いしてはいけない少女を売り買いした話なわけですよね。そういうことへの、怒り、反発、恐怖がその背景にある。そして、物凄く局所的な見方をすれば、新自由主義ネオリベラリズム)的なもの、といえるでしょうし、もっと視野を広げていけば、近代社会の、市場化の力学そのものが「すべてを分解して分業にしてバラバラにして、個にしたものを市場で売り買いしよう」という運動になるわけです。これ自体は、世界を広げ、世界を豊かにしてきた動きですが、同時に、「本来市場化してはいけないもの」まで「市場化してしまえ!」という圧力が働いてしまうということも否定できない。


ここで「価値観」の問題が出てくる。つまり、「どこまで市場化して、金で売り買いしていいのか?」という線引きです。


リベラリズムが、徹底的に批判にさらされていくきっかけを覚えているでしょうか?。この「線引き」問題です。たとえば、プロライフとプロチョイスの問題は、女性の権利を拡大するために、「子供を堕胎する権利が女性にある」としたときに、身体の中にいる生命を「どのレベルで人間と認識するか?」という「線引き」の問題が、重要な論争になります。リベラルの考え方では、女性の権利のほうが重要視されるから、あるラインを決めて、堕胎を許容するわけです。「それ」は人間とはみなさない、と。人間とみなしたら、人権が発生するからです。でも「その線引き」ってなんなわけ?、凄く恣意的じゃないのか?というのが、カトリック福音派の人々からの問いなわけです。これは、ロジカルです。ここではたと、人は悩むわけです。女性の権利を取るのか、生命を取るのか?と。僕も、なんともわかりません。僕は、プロチョイス(pro-choice)の側の人間だなと思うのですが、しかし、プロライフ(pro-life)の主張は、非常に理解できる。そこで、実際にどうすれば、と苦しむのです。それが、現実世界です。


この「線引き問題」は、個々の共同体や世界観をベースに恣意的に決まっている。


その時、ある価値観に基づいて、市場化を拒否する、、、、、もっと言えば、グローバリズムを拒否する発想が生まれてきても、それはおかしくないどころか、まっとうです。会田弘継さんは、マルコ・ルビオのキリスト教民主主義が注目していましたが、キリスト教民主主義運動の原初に戻ると、これはなるほど、とうなずきます。リベラル派の中では、マルコ・ルビオの終わった人で、頭のおかしい奴というような感じの評価が多いですが、僕もそんな甘くはないと思っています。タイトルに戻りますが、「トランプ支持の7400万票の意味」を問わなければならないと思うからです。「それ」を支持する人の重さを考えなければ、何度でも、同じことが起きます。宮台さんは、イノセンティズム、ゼノフォビア(xenophobia)、ネイティビズム(nativism)、反知性主義などを挙げて、アメリカ人の持つ「世界には売り買いしてはいけないものがある!」といった感受性とリンクしたものを無視してはいけないとおっしゃるのは、さすがとうなりました。


最初に挙げた、保守思想の再編が行われていく中で、思想の系譜に立ち戻り、会田さんは、ジェームス・バーナム、サミュエル・フランシスに立ち戻ります。また、その展開として、第三党を作りだそうとした、パットブキャナンの反乱、2000年のロスペローの改革党を、注目します。トランプ政権の誕生は、この熱狂を、この支持を、 「共和党を乗っ取る形で展開できた」から大成功を収めたと分析していて、うなりました。この流れから、結局のところグローバル化に対する反発は、


資本主義であろうが共産主義であろうが、近代社会は、突き進むとテクノクラートの支配になる


ことへの恐怖、怒り、反発だと喝破していて、これには物凄いうなるしかなかったです。


そうしたグローバリズムが展開する世界では、最も重要な生き方は「ネットワーク社会の中で、その知恵を継続的気にキープしていくスキル、文化です」。しかし、それは、ディアスポラを経験しているような、世界中にちりじりに散っても、それでも「知恵の伝達が共有される」ネットワーク化に強い集団でないともっていません。ここでは明確に、ユダヤ人と中国人をいっていますが、このインターナショナリズムで生きていける集団(土地から離れても生きていけるグローバルエリート)への恐怖が、反ユダヤ主義や中国への反発を生むのだ、という説明は、なるほどーーー思いました。この二つが、ユダヤ民族と華僑が、インターナショナリズムの国境がなくなった世界に強い集団ですから。アメリカのトランプ現象は、もう逃げ道がなくなった白人労働者が、グローバル化やネットワーク社会で生きていけないから、「今、ここ」っから「どこにもいけない」という閉塞感、恐怖があり、それがナショナリズムに結びついている。そして、そのナショナリズムは、固有のもの、、、、「血と土」になるわけです。ナチスですね。会田さんは、これをアメリカのヨーロッパ化が進んでいるという表現をしていました。ここで初めて、ぼくは、WW2のナチスドイツと反ユダヤ主義と、ヨーロッパの土地が、リソースがないところで、「グローバルにも逃げられなくなった人々」が持つ恐怖というのが、その基盤になったということが、理解できました。


ちなみに、「これ」の連想なのですが、アメリカが世界をリードできたのは、アメリカ人自体が、モビリティな人々だったから、と言っていました。けれど、それがグローバル化で、土地に縛られるようになってきたので、ヨーロッパ化してきたと。逆に言うと、アメリカのフロンティア志向は、この「とにかく土地に縛られないで動き回ることの自由に価値を置く」意識にあるわけです。なので「広い土地」が重要なんです。という感覚から、アカデミー賞の重要候補である『ノマドランド』はぜひとも見てほしいところです。移動することの自由、というのが、アメリカにおいてどんな「感覚」をもたらしているのか、物凄く伝わる作品です。

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ちなみに、この辺のアメリカのヨーロッパ化の話、ぜひとも、この素晴らしいビデオニュースドットコムのをすべて見ると、解説されていますので、おすすめ。


ですが、僕が気になったのは、陰謀論が、土地から離れても生きていけるグローバルエリートの持つ、ネットワーク社会でも集団の共同性を持てることへの敵愾心からきている!と点でした。


これはなんなの?と。



■スクエアーアンドタワー、自分の読書の嗅覚に恐れ入る(笑)

昨年の読書部の仲間で読んだ本で、ニーアル・ファガーソンの『スクエア・アンド・タワー : 権力と革命 500年の興亡史』というものがありました。陰謀論イルミナティとか、ああいうものは、いったい何なのか?というのを追った本ですが、ファガーソンは、これをネットワークの運動としてとらえていて、この目に見えにくい「ネットワークのつながり」がどのように歴史に影響を与えてきたかを、調べていくという本です。


僕の嗅覚、凄くない!(笑)


つまりね、ネットワークの本質とは何なのか?、ネットワークは本当に世界を裏か支配できたのか?という問いです。恐怖は無知からくる。だから、それを調べよう!という単純なことです。



この話は、また後日(笑)。

The Road to 2024 - 米国政治を見ていくうえで背景として押さえておきたいことのまとめ-トランプ支持の7400万票の意味を問い続ける必要性(1)

■サンダースのミトンが象徴するものは?

時々、LINEやらSNSとかで、知り合いに、アメリカのトレンドとかの情報交換するんですが、なるほどなーと思ったのは、サンダースのミトン関連の写真を受けて送ったら、ほとんど日本の友人が???って感じだったんですよね。多分この「背景ある意味」が、ほとんどわからなかったんだろうと思う。そもそも米国に興味がない人には、サンダース自体も、サンダースが何を代表している人なのかの「政治的文脈」が共有されていないから、わからないのは当たり前なんだろうなぁ、と思いました。確かに、これInaguration(大統領就任式全体)を見ていないと、意味が分からないと思う。全体を見ていると招待客のセレブリティたちの、豪華な服装が、否応にも目に入る。Twitterなどで、カマラ・ハリス副大統領やヒラリークリントンさんの服装(紫のドレスを着るという)が話題になっていたり、数少ない招待客のセレブリティが、観客はほぼ白人お金持ちしかいない、という現実。閣僚など画面に映るところはバイデン政権はすごい多様性にあふれているのにもかかわらず。皮肉ですよね。これSNSとかで盛り上がりまくっていたんですよね。トランプさん、共和党への支持者、言い換えればバイデン政権へNoと思う人が、7400万人もいるわけですから、民主党や、これまでの世界を作り上げてきた中道派のスーパーエリートたち、その中心人物だったバイデンさんへの「偽善」を感じると人は、すさまじく多いんですよ。この背景文脈がまずないと、この写真に即反応はしないし、怒りを感じたり「ああ、バーニーはわかっている!」という気持ちにはつながらないと思うんですよね。ちなみに、僕らの年代は、バーニーといわれると「嘘だと言ってよバーニィー!!(ガンダムポケットの中の戦争)」をすぐ連想しちゃうけど(笑)。・・・バーニーサンダースさんは、このグローバリズムの中で格差が拡大していくことへの戦いのシンボル的な人で、生きていくのが難しいほどの貧困の拡大という背景ならば、豪勢な服を着て、大統領就任式に出るなんて、苦しんでいる人を馬鹿にした行為はないだろう!という怒りがあってのパフォーマンスなんですね。バーニーさんにはそういう政治的意図はもちろんありました。こうした支持者の手作り素朴なのミトンをつける行為は、そういうことへの怒り、告発を示しているわけです。重要なのは、こうしたサンダースさんの振る舞いに、激しく反応する土壌が、アメリカにあるということです。ちなみに、最初のころは、バーニーサンダースの、この素朴な格好で「大統領就任式に招待されておいて、あんなみすぼらしい恰好はないだろう!とあざ笑うコメントとか反応も結構あって、ああ、そりゃ、これ見て「そういう反応」する人が多いようじゃあ、「格差で苦しんでいる貧困層」のメッセージや共感は、まったく得られないよなぁ、と思いました。

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Why Kamala Harris, Michelle Obama, Hillary Clinton Wore Purple on Inauguration Day


■「おなじみのアメリカ政治の二分法」、つまり保守・リベラルの対決構図ではトランプ現象は読み解けない

いま米国で起きている事態を左右の「分断」の激化として説明しようとする向きが多いが、「おなじみのアメリカ政治の二分法」、つまり保守・リベラルの対決構図ではトランプ現象は読み解けない。評者も常々指摘してきたことが、最新のデータも援用しながら説かれている。おそらく連邦議会に乱入した暴徒らも含めて、トランプ支持者らは経済問題では従来リベラルとされてきた政策を求めている。貿易保護主義社会保障医療保険がその例だ。ところが、社会問題となると従来の保守の価値観を支持している。妊娠中絶が代表例だ。経済問題だけを捉えれば、米国民全体が左傾化しているのである。その理由は明らかだ。ユーラシア・グループの報告でさえ率直に認めざるを得ないほどのすさまじい格差が生じているからである。
https://www.suntory.co.jp/sfnd/webessay/essay/20210127.htmlwww.suntory.co.jp
2021.01.27.
保守・リベラルで説明できなくなったアメリカ ――普遍国家の幻想崩れ、普通の「特殊な国」に
会田 弘継 Hirotsugu Aida

リベラルvs保守の二項対立は、既に成り立っていない。これは重要な認識。左派も右派も、社会問題の価値観は対立していても、経済問題では、米国全体が、激しく左へ地滑りを起こしているのだ。だから、トランプさん支持者の白人至上主義とか、暴動とかを怒っても、告発しても、ほとんど意味はない。だって、経済格差への恐怖が、駆り立てている問題だから。キャピトルヒルに、突入した暴徒は、それなりに裕福な人が多かった印象があるので、その辺は、今後より深い分析を待ちたいところだけれども、「全体的に考えて」重要なのは、格差による「自分たちの貧困がどこまでも進んでいく」という恐怖が、すべての原因にあるというのは、間違いないと思う。いいかえれば、グローバル化が進んでいく、現在のアメリカの「進んでいる方向、構造」に対して、強い拒否感があるんだ。それを、だれが作ったのか?との問いに対して、明らかに答えは、民主党共和党の中道派の人々だ。もちろんその、中心人物が47年間だれだったかというと、バイデンさんなんだよねぇ。僕自身も、トランプさんはとてもじゃないけど支持できないけど、じゃあバイデンさんを支持するかというと、「お前らがこういう世界を作ってきた職業政治家だろう!」と叫ぶトランプさんの発言には、とてもシンパシーを感じてしまいますよ。共和党中道派、マケインさんや、民主党中道派の、アルゴア、ビルクリントン、ヒラリークリントン、ジョーバイデン。この辺の大きな「職業政治家が選んできた」グローバル化への道に対して、強い反発があるんだよね。ちなみに、なぜいきなりポッと外から出てきたバラクオバマさんとドナルドトランプさんが、熱狂的な支持を得たかといえば、まさに、この「職業政治家」じゃなかったから、希望に見えたんだと思う。このへんの、反トランプだから、やむにやまれずバイデンさんに入れたという人も多いと思う。なぜならば、僕も感覚は、この層に入るからだ。その感覚はわかる。


■監獄企業は大量収監問題の原因は、そもそもバイデン、クリントンさんでしょう!

このコメント、まさに、そうだよなぁ、と思いました。何人かのアメリカ人の友人と話していて、皆同じ反応でしたし、何よりも、彼らはみなリベラルな民主党支持者なので、「そうであったえさえも」、バイデンさんの対応に偽善を感じるくらいなのですから、いわんや共和党やトランプ支持者の人は、どれだけ不信感を持つかは、考えるまでもないでしょう。この辺りは、ぜひとも『13th 憲法修正第13条』 (2016) Ava DuVernay監督 systematic racismとは?を見てもらえると。大量疑獄のスタートは、民主党クリントン政権の時ですね。スリーストライク法です。このことの総括、反省なしに、大量疑獄をなくします!というのは、あまりに偽善でしょう。これアフリカンアメリカンへの人権問題を考えるときに、避けては通れない矛盾であり、苦しい戦いの歴史ですね。

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■米国の政治勢力をどう整理するか?

NBCのニュースでこれをやっていて、ああ!こうやって整理すると凄くすっきりする!と思いました。今後政局を見るのに、こういう区分けで、それぞれの政治家が、どこにいるのか考えながらだと、良く整理しやすいと思う。


A)Trumpian Republican

B)Party Republican

C)Biden Democrats

D)Sanders-Warren Democrats


多分切り口は、「グローバリズムに対する反応」になるんだろうと思います。


あきらかに、Trumpian RepublicanとSanders-Warren Democratsは、社会問題では対立しながらも、経済問題では、非常に似ている「結果」を求めている。「手段」と「支持層」が違うので、だいぶねじれるけども、目的は一緒なのだと思う。逆を言えば、Party RepublicanとBiden Democratsも共闘可能。というか、これまでずっと共闘してきたよね。こうやって4つのグループに分けて、支持層や思想などを分類してみると、だいぶわかりやすくなる。一番差異が出るイシューは、グローバリズムを受け入れるかどうか、という問題意識。いや、ちがうな、、、「受け入れるか否か」は問題じゃない。不可避なことなので。だけれども、それによって引き起こされる「格差の拡大・中産階級の没落」が恐怖なんだ。

Trumpian Republicanは、ベビーブーマの高齢の男性の白人労働者が主軸になるので、そもそももう「グローバル化にはついていけない」という見切りがある。だから、「アメリカファースト」的な「アメリカ人を守る」というテーマに飛びつきやすい。そしてこれは容易に、白人を特権階級化(=いいかえれば何とか守る)する白人至上主義と相性がいい。ここでは、彼らは「虐げられている被害者」として自己認識していることを、留意しなければならない。それは、プアホワイト、レッドネック、ヒルビリーといったカテゴライズのみならず、5大湖周辺やペンシルバニア州や、田舎に住んでいる白人労働者にとっては、職自体が消滅していく流れに乗っているので、人生や家庭が、崩壊して自尊心が奪われ続けているからだ。ここでは、「結果の平等」が、奪われ続けていると主張しているわけだ。もちろん時系列の議論になれば、その白人男性労働者こそが、マイノリティや女性を抑圧してきたわけだろう!という文化闘争になってしまうのだが、全体が成長していた高度成長時代では、余裕があった。しかし、リソースの奪い合いの時代になると、なりふり構っていられなくなったということだ。


Sanders-Warren Democratsは、特に、サンダースの支持者に、急進左翼、極左の白人の若い男性が多い。それは「機会さえあればグローバル化についていけるのに、機会が奪われている」という感覚なのではないかと、思う。つまり、なぜサンダースが「大学無償化」をあげるかといえば、もし若者に大学に行って学歴を確保して、「グローバリズムの勝者、テクノクラート(管理者)側」に立つ可能性は残されているからではないだろうか。多分、グローバリズムの不可避性は、受け入れつつも「機会の平等」が奪われているという意識なのではないだろうか?。ほぼ同じ問題意識を源泉に持ちながら、共同体主義に傾斜しやすいTrumpian Republicanと、多様性については前提として生きているジェネレーションXやその子供のジェネレーションZの世代、ジェンレーションYのMillennial GenerationのSanders-Warren Democratsでは、対立とシンパシーが重なり合って、とても外から不透明に見える。ただし、究極の設問である経済問題については、ほぼ同じ意識があることは、忘れてはならないことでしょう。まだこの辺は、自分でも分解しきれていないので、ざっくりになってしまうので、なにが、AOCやスクワッドを支えているのかは、勉強していきたいと思う。まだまだ、自分でもよくわかっていないと思う。けど、対立の整理の構造は見えてきた気がする。

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■今後を見ていくうえで、だれを信じれるのか?どういう風に情報を評価すればいいのか?~会田弘継さんの視点が、置く深くて鋭かった

出会ったのは、1615プロジェクトの紹介をしている記事を読んで、目からうろこだったことです。まだまだ僕の勉強量では、全然わかっていないと思うのですが、少なくとも「この人を追おう!!」と思うくらいに毎回、鋭い本質的な視点を提供してくれて、気にしています。今後の世界では、メディアが信じられなくなっていくポストトゥルースの時代の構図は、簡単には変わらないと思います。その中で、何を自分の情報のフィルターや選別方法としてみるかは重要だと思います。僕はやはり、「人」じゃないかなぁと思っています。もちろん一人や二人ではだめで、何人かの組み合わせになるんじゃないかなぁと思います。アメリカの今回の2020年の大統領選挙を見ていて、日本語で非常に「本質的なところまで射程が届いていて」かつ「米国のローカルな文脈がちゃんとわかっている」人というのは、だいぶ選別できた気がする。また、その人の政治思想というか、肌感覚は、それなりに長期間観察していると、感じ取れるものだと思う。ちゃんと自分なりのバイアスと解釈をかけて、「自分の言葉で自分の頭で考え」ないと、ただの盲目的な信仰や、陰謀論を信じる姿勢と変わりなくなっていまうので、こうやって自分なりに、つたないなりにアウトプット出して整理しながら、コツコツニュースを読んでいきたいと思います。ちなみに、会田弘継さんがすごいと思ったのは、2つ。一つは、やはりアメリカ政治を見るうえで、重要な視点は保守思想が再編成を迫られていることだと思う。それに手が届いている。もう一つは、トランプ支持の7400万票の意味が、ちゃんと問われているところ。バイデン民主党、反トランプ万歳的なお花畑志向でもなければ、トランプ的Qアノンビリーバー的な熱狂でもなく、静かに淡々と、そこに迫っている鋭さ。素晴らしい。もっと勉強したよう!という気持ちにさせてもらえる。

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toyokeizai.net

2021-0122【物語三昧 :Vol.104】2020年アメリカ大統領選レポート(12)46代Joseph Robinette Biden, Jr.の大統領就任式(Inauguration)-112

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2021年1月20日の朝。この日は、少し会社を遅刻というか、出社時間を遅らせて、子供たちと妻と一緒に、Joseph Robinette Biden, Jr.第46代大統領の大統領就任式(inauguration)を見る。NBCとFOXどっちで見ようか悩んだけど、いつものごとくNBCで見た。個人的な仕事とかで、土、日もなく働いてて、めちゃめちゃ追い詰められている感はあるけれども、なんちゃってアメリカウォッチャーとして、これはリアルタイムで見て感じておかないと、と思って、コツコツニュースを見たり、LIVEで見たりしている。150年ぶりに、大統領就任式に前任の大統領がいない、画期的な出来事。

Twitterでこう書いたけれども、僕は、アメリカに来たのは、2013年だからオバマ政権のまだ一期(2009-2013)からいるのね。ニュースの報道、TwitterやいくつかのSNSが僕の社会への窓口だけど、それが急速に「バイデン色」に塗り替わっていく感じがして驚いた。民主党支持のリベラル派人々は、急速に「新しい朝が来た」といった感じで、世界がまともな普通に変わったことを喜んでいたし、トランプさんの支持者の人たちは、戒厳令が敷かれるとか、トランプさんの再就任があるとか、Qアノンビリーバー的なカルトの雰囲気から、すっと脱色されるような、「普通の日常に戻るしかないな」的な雰囲気が(笑)出てきて、カルト脱退的な雰囲気を濃厚に感じます。しかし、これだけ対比が鮮やかだと、就任式を境に、がらっと変わる感じは、凄い振れ幅だと驚きます。

核のボタンです!


■勉強になった!

ああ、2020年も、、、トランプ政権の4年間、2017年1月20日 – 2021年1月20日がついに終わったのだな、と感慨深い。3月のコロナによるロックダウンから、ジョージフロイドプロテストと、様々な事件が矢継ぎ早に起こり、映画を経験しているみたいだった。毎年のグーグルのしたのCMを大晦日に見たのだが、ああ、こういう感じだったなぁ、怒涛な体験をもいだしました。トランプ政権、特に、2020年の大統領選挙は、なんといっても、おっそろしいほど勉強になった、と振り返れます。劇場型のリアリティー所的「トランプ劇場」は、イシューの対立を極限まであおって、人々に動機づけを与えるので、とにかく盛り上がった。よく言えば、参加する意欲がすごい上がった。その結果が、8000万票のバイデンさんの史上最多の得票数だろう。もちろん史上二番目の7400万票のトランプさんも。これを悪く言えば、対立をあおり、分断を伸長させたという言い方になるのだろう。とにかく、煽りあおられ政治が盛り上がったので、今まで「隠されて見えなかった」断層が、これでもかと浮かび上がって、それはそれはエンターテイメントな期間で、めちゃくちゃ面白かった。もちろん、同時に、チャイナウィルスなどで、アジア系への差別はきつくなるし、暴動を意識しなければならないしで、物凄く不安でしんどい日々だった。よく政治でナチスなどの残対主義の台頭を「いつか来た道」とかいうが、なんというか、自分の人生ずっと生きてきて、こんなにも、「世界人類の平和」が、動揺しているというか、大丈夫か?とドキドキし続ける集中した期間は、人生で初めて。40代にもなって(笑)。「自分の人生に直接にかかわる」からこそ、シリアスに、まじめに、そして長いので、楽観的な気持ちをもってリラックスしないと生き抜けない。コロナ禍の不安な日々が、とんでもなく長期間続くことで、人生や家族の絆など、様々なものが、試され続けた気がする。あえていうと、悪くない、充実した日々だった。疲労困憊だけど(笑)。生き抜けたこと神さまに感謝。このサバイバル感覚は、物語の「新世界系」で話したことと、凄く重なる気がする。

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■トランプさんは支持できないけれども、かといって民主党のリベラルへの嫌悪はなくせない?

よく良く調べていくうちに、自分が政治的には古い共和党の在り方に近いんだなということと、日本人としてルーズベルトを生んだ民主党をあまり好きになれないという大きな指針が生まれた。子供に民主党共和党の違いを話しているうちにそれは鮮明になっていたので、それもよかった。家族の中でも、意見は半分に分かれたので、これもめちゃくちゃ楽しかった。・・・・しかし、「にもかかわらず」、トランプさんを支持するというのは、「ありえないわー」という気分だった。このねじれの感覚、マクロ的には、トランプ政権の存在意義はとても感じるけど、実際に「自分がアメリカ人だった?」もしくは「今ここに住んでいる当事者として」、もう勘弁してくれという気分が強かった。これがどうしてか知りたいというのが今の課題。Qアノン的陰謀論のラインとは、共感部分が違うので、あれはどうも自分の中にはないらしい。なんなのか?。

大野博人:社会の分断が各地で深刻化しています。米国のトランプ氏は国民を統合する指導者の役割を放棄して、分断し続けたように見えました。

エマニュエル・トッド:ちがうと思います。もしトランプ氏がもっと礼儀正しくふるまい、その経済政策がまっとうなものだと人びとに認められれば、むしろ米国社会を統合するのに役立ったでしょう。

 米国社会を分断し解体する脅威はどこにあるか。それは自らを少数者(マイノリティー)たちの政党と定義する民主党の政治の中に見ることができます。

 そこで示されているのは、高学歴で高収入の寡頭支配層の人たち、高等教育は受けたけれど貧しい白人の若者たち、そして黒人、ヒスパニック系、アジア系の大集団などが集まった米国です。これでは統合された社会像になっていません。

 もっとも、こんなきつい言い方をしてはいますが、もし私が米国人ならあきらかに民主党左派の支持者です。サンダース派になっていたでしょうけどね。

https://news.yahoo.co.jp/articles/521c7305bc28cd3caa24e1a6bed7a753e77fefb6

積極的なトランプ政権肯定の文脈では、加速主義者として「トランプ政権がいろいろなものを壊してくれるから」支持するという宮台真司さんの言説は、なるほどとうなうらされた。この人は、いつもさすが。そして一番、共感をもって、なるほどと思ってこれから追おうと決意した人は、エマニュエル・トッドさん。この人の意見は、明快かつ一貫性があって、背景の分析の明度も高い。Jアノンの人や、中国の侵略、拡大を恐れて日本のトランプ支持者の人々が、カルト的にくるって信奉する大きな文脈は、グローバル化によっておこるエリートによる寡頭支配層(よくいわれてたバラモン左翼(笑))に対して、「それが許せない!」という感情的反発に支えられているからだと思う。それを明快に言い当てているので、気持ちがいい。また、アメリカの、スウィングステイツの5大湖周辺の白人労働者階級が、なぜ没落して、中産階級が解体して、そして、まずは熱狂的なオバマ支持者になり、次の選挙ではトランプ支持になり、そして今回、バイデンさんに帰ってきているか?という構造的問題点と、一致する。グローバル化による都市部の適応した高学歴でgafa的な産業に組みする「グローバルな勝ち組」と、それに取り残された人々のルサンチマンの問題だからだ。それと、エマニュエル・トッドさんの分析は完全に一致しているので、説明の理屈が通る。この理屈は、今後を見通すうえでも見る価値があるものだと思う。

newspicks.com

https://news.yahoo.co.jp/articles/9dc1e0d725471dd908b618b217dd33dce664455fnews.yahoo.co.jp

トランプ政権の画期的な意義と意味の文脈は、僕も感じる。そして同時に、それでもアメリカに住んでいたら、最左派のバーニーサンダースを支持しちゃうだろうな、というのも、物凄く同感。まったく同じように感じるので、ああ、これだ、と思いました。グローバル化による格差の広がりに対する唯一の答えは、再分配なんだけど、それしかねぇだろ!と、ミレニアル世代の若者がバーニーを支持するのは、もっともな理屈だよ、と思う。下記のミトンがめちゃくちゃ盛り上がって、世界中に拡散しているのを見ると、バーニーさすがだなぁとしみじみ思います。今後も、AOCとともに、アメリカ政局で追わなければならな人ですね。個人的には、労働長官なってほしかったけれども、バイデン政権では外してきましたね。まぁ中道寄りのバイデンさんとしては、共和党と融和を図るには、バーニーさんら最左派はしんどいよね。

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■物々しい厳戒態勢

さて、少し戻ってみよう。キャピトルヒル。1/6と1/20の比較。同じ場所なんですよ。驚きませんか?。1/20までの間の深淵になってからのスピード感は、とんでもない映画を見ているようだった。というのは、暴動が起きるかもしれないから、外出は避けたほうがいとか、「ひたひたと恐怖を感じる毎日」だったからだ。この「切実な居住者としての切迫感「漠然とした不安は、当事者じゃないと感じないと思うんだよね。日本の、トランプ支持者の人々は、「この切迫感の背景」がないから、エスカレートしてQアノン的な陰謀論に飛び越えていってしまうんだと思う。

petronius.hatenablog.com


上記でも書いたけれども、いやはやこれは歴史に残る大事件ですよ。

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津山さんがこう書かれているが、1/6の暴動以来、20日に何か起きるんじゃないかと、ざわざわしていたので、何もなくてほっとしている。この感覚、住んでないとわからないと思うんだよね。もしくは、自分がマイノリティの立場で暮らしていないと、わからない。当事者じゃやないとすべてわからないとまでは言えないけど、かなり根源的なところで「感覚」やコモンセンスのずれを感じましたよ。もう少し、アメリカのローカルの文脈が共有されて教育されてもいいんじゃないのか?、日本の報道は、その意識が甘くないか、と凄く思いました。今すぐは無理にせよ、そういう意識した報道の体制はあってもいいと思うんだよね。BBCなアルジャジーラには、そういうのがはっきりある気がするよ。まぁそれだけ大手メディアの報道機関としての予算も含めた日本の能力はがた落ちなのかもしれないとは思う。ネット時代に適応できていないので。


元号が改まる?

今ふとおもったけど、inauguration(大統領就任式)の子の世界観が改まる感じは、日本でいうと、元号変更みたいな感じだ!、違う宇宙にやってきたみたい!(笑)。儀式になっているのは、大嘗祭とかそんな感じの位置づけの近代的なものなのかも、、、。とか、なんとなく雑感。

■儀式としての重さ

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ちなみに、ナショナルアンセムの部分は、アメリカ人でもないのに、思わず目頭が熱くなりました。ジェニファーロペスとレディーガガですね。

全体主義国家のSF的ディストピアの風景

ちなみに、この旗の風景が異様な感じがして、めちゃくちゃ興奮したんですが、これって全体主義ディストピア的な風景を喚起させるからだと思います。

■平和的権力移譲の伝統

ホワイトハウスの模様替えって、凄いスピードで行われるんだろうなぁ。


■ステイシーエイブラムス

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途中で書くの力尽きているけど(笑)、だいたいは、Yoputubeの配信でカバーできているので、そこで!(笑)。


これで、2020年大統領選挙レポート終わり!

2021-0106【物語三昧 :Vol.101】2020年アメリカ大統領選レポート(11)Trump supporterによるInsurrection(暴動)が発生-109

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1月6日が、あまりに凄い長い一日だったので、残しておきたくて日記を。子供たちと、夜中の1時までコードギアス反逆のルルーシュをみってて(止められなかった(笑))終わったところで、ちょうどペンス副大統領が、新大統領を認めるところだった。歴史の目撃者だ!と、子供たちとキャッキャ喜んだのですが、、、いやはや、凄い一日でした。これ歴史に残る日だなと思いました。

■承認の瞬間



さて朝に戻ります。



ジョージア上院選挙

朝、昨日からいつも見ているTWITTERなどのアメリカウオッチャーの渡辺由香里さんがそわそわしてて、ジョージアの選挙だなーと感じていました。今は忙しい時期だし、もうすでにバイデンさんに大統領は決まったので、自分の中では終わったことで、、、、というか、仕事とか毎日のルーティンに戻らないと、やばいじゃないですか(笑)、と思っていたんですが、、、というか、勝つのはさすがに難しいだろう、ジョージアだし、と思っていたんですが、まさかの2議席獲得で、驚きました。おお、これで最高裁以外は、すべてのブルーウェーブに飲み込まれたんだな、、、慶応の中山教授がいっていたのですが、むしろこれでまた、民主党最左派が傲慢になったり、民意を無視したりしないかなと心配になるのですが、、、でも、あきらかに、トランプ政権に対してのNOですよね。これ。



■Trump supporterによるInsurrection(暴動)

しかし、そのあと、こんな暴動が起きると思わなかった。これ前代未聞ですよ。最も重要なのは、警官が、中に導き入れているシーンや、仲良く写真をとっえちるシーンが多数映像で残されている点で、これは公僕としてはありえないだろうと思います。それにしても、この絵面凄すぎる。こんなシーンを目撃することが、人生で生きるなんて。キャピトルヒルですよ!。アメリカの国会議事堂。ここ観光で何年か前に行きましたが、素晴らしい美しさの空間で、ここに暴徒がなだれ込んだなんて、ちょっと信じられません。いまだ「この事件」をどうとらえるべきなのか、自分で考察できていないですが、さすがに、これはないだろ、と思います。少なくとも、全然リーズナブルじゃない。トランプ大統領の煽りが原因なのは、ここまでくると、もうポリティカルコレクトネス的に中立保っていってみたところで、間違いないですね。これだけ分断を助長させるのは、本当にどうかと思います。一国の元首として。。。。といいたいところだけど、まさに「分断をあおって、対立軸を明確にする!」というのを、トランプさんの45代大統領選出で選んだわけだから、その通りのことが起きているだけなんですよね。

https://twitter.com/iamOzawaKenji/status/1346932726327173120?s=20

写真でたくさん写っているのが、QAnon believerですよね。いったい、どういう意図で集まった、どういう動機があって、こんなことをするのか、いやはや少し考えたいです。ちなみに、Insurrectionなんて言葉初めて知りましたよ。


ダブルスタンダードについて

ちなみに、これ友人とも会話になったのが、これが、アフリカンアメリカンだった、即撃ち殺されてるよね、という話で、あまりにダブルスダードだという話になりましたね。

トランプ大統領の反応


憲法修正25条の発動

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ちなみに、閣僚が全員サインすれば、大統領を職務停止に追い込めるので、もうそうすべきじゃない?という話が出ていました。まぁ、実際できるかどうかはともかくとして、これが、今後の共和党がどこへ向かうのかという試金石の一つであるのは間違いないです。さすがに、国会議事堂襲撃は、大きい出来事ですよ。これをどう解釈して、説明するのかは、今後のj共和党の目指すべき姿を示すと思うんですよね。まぁ、なかなか決断できなくて、こういうところまでずるずる来ちゃったわけだから、できないかもしれないですが。

■日本では???


■この背景を知るには?

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2020の振り返り

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■2020年はどんな年だったか?~ペトロニウス家の総意は、Crew Dragon missionの成功!

2020年は、何の年か?と問えば、マクロ的には、スペースXによるCrew Dragon missionの打ち上げ成功、コロナ禍、COVID-19による世界のロックダウン、そしてトランプVSバイデンの2020年の大統領選挙。ミクロ的には、まさかアメリカの大統領選挙が、VISAのステイタスなど自分の人生にストレートの直接影響を与えるとはおもいもよらず、アメリカのレジデンツとして、ガチで大統領のことや政治のことを考えた1年だった。それによって、人生も、もちろん家族も翻弄されるがゆえに、真剣にいろいろ考え、それはそれはそんどかったけれども、計り知れないほど新しくチャレンジに満ちた、新鮮な体験だった。子供たちと、CNN10を見ていて、2020年を振り返ったのだが、満場一致で、今年は、Crew Dragonが素晴らしかった!と、子供たち(双子の男女12歳、ミドルスクールの1年生)の発言。自分も漠然と、いろいろな不幸な出来事よりも、それを超えてアメリカが前に、人類が前に進む感じがして、これが一番印象に残っている。アルテミス計画とともにね。


Update on Artemis Program to the Moon at the Eighth National Space Council Meeting

How We Are Going to the Moon - 4K

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Meet Soichi Noguchi, Crew-1 Mission Specialist

野口宇宙飛行士の動画とか毎回楽しみにしているし、子供たちと見ながら、とても誇りに感じます。素晴らしい人がたくさんいて。

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■ブログとかYoutubeの配信とか~今年の1位は、ハンドレッドとクイーンズ・ギャンビット

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できれば、時間をとって2020年の、というか1年のまとめを、毎年残せたらなと思うのですが、今年もせわしなくなかなかその時間が取れず。ただし、アズキアライアカデミアの配信で今年のまとめをできたので、それはよかった。これから定点観測できるように、毎年の年末のまとめはルーチンにしようと思います。それに今回は、隠れボスキャラことまぎぃさんがついにラジオ初登場してくれて、それも僕的にはよかった。

物語三昧Channelということで、2018年の12/22から始めて、約2年が経ちました。明日で、配信回数は108回。番組としては、100タイトル目になります。目標がアーカイブとして、100個はやろうと志したので、これで達成です。1年でやろうと思ったのですが、2年になってしまいました。2020は、約54配信ですね。ざっくり見ても、なるべく僕のカラーが出るように、アメリカのドラマや映画を大目に配分しようと意識して、2020年は、大統領選挙レポートをという形で、時系列に沿って、主観的な感触をリアルタイムで残せたので、これも構想していたことが達成した感じで、なかなか「やった!」と小さく握りこぶしです。やろうと決めたことは、戦略というか、意識をもって「とにかく継続できること」が強さになると思うので、100タイトル配信は、成し遂げられて感無量。単品で、アメリカの作品多めで、まぎぃさんら個別にサシでの配信を残せたのもうれしかった。ちなみに、物語の物語は、既刊7巻ほぼ完売になって、販売を終了しました。これもうれしかった。批評系の本で、何千部って、結構な数量売れたと思うんですよね。もちろん、2019年までにちょっと燃え尽きた感はあって、2020年は不足していたインプットのクンフーに戻った感じでしたが、傷も(笑)癒えてきた気がするので、2021年は、もっと行ける気がします。

映画を見た本数は、約60本。2019年より、仕事で追い詰められている割にたくさん見れているのは(ドラマやアニメ以外だし)ネトフリやアマゾンプライムなどで手軽にアクセスできるようになって、時間をインプットに効率よく使えるようになっていることも大きいと思う。アクセシビリティという意味では、天国のような時代になったと思う。もっともっとスピードアップできると思う。2020年のランキングというのを、どういう形でやっていくかは、ちょっとコンセプトを考えなければなぁ、と思いますが・・・・・やれる範囲でいうと、今年は、ドラマではハンドレッドとクイーンズ・ギャンビット。映画では、フィンチャー監督のMankが、、、これ解説ないと全然わからないんですが、アメリカを深くえぐっている作品で、これはいいわーと思いました。『The Hate U Give』『13th』『When They See Us』など、ブラックライブズマター関連のアメリカの奥深さを一歩踏み込む作品に、リアリティに出会えたのは幸せでした。ディズニープラスで『ハミルトン』を家族で見れたのも感無量だった。


2020-1124【物語三昧 :Vol.81】『クイーンズ・ギャンビット(The Queen's Gambit)』その閉じられた世界からの解放~三月のライオンと読み比べたい-89


2020-1204【物語三昧 :Vol.91】『Mank/マンク』2020 デヴィッド・フィンチャー監督 『市民ケーン』-Rosebud(バラのつぼみ)の製作背景から見えるアメリカの今-99

ま、娘と鬼滅の刃、キャーキャー言いながら、泣きながら読んでいたんで、そうはいっても、これは抜けないかな、と思いますが(笑)

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■やはり2020年の大統領選挙をフルプロセスじっくりアメリカ居住者の立場から追えたのは幸せだった


US election: The crazy election campaign in three minutes - BBC News
US election: The crazy election campaign in three minutes - BBC News

この映像がとてもよくて、走馬灯?(笑)のように、この数年大統領選挙を追っていた出来事が思い出されて、、、。


2020-1103【物語三昧 :Vol.78】2020年アメリカ大統領選レポート(8)2020選挙直前まとめ-86


それとほんと時間かけすぎですが、やっとアメリカ人の物語が、終盤に差し掛かってきた。これもこつこつ読めていてうれしい。

ニューノーマルなのか、それとも・・・・しくなくとも家族との絆は計り知れないほど深くなった気がする

ニューノーマルアメリカにいたというのも関係あるのかもしれないが、ほぼ3月のギャビンニューサム・ガバナーのStay at home orderからはじまり、少なくとも8か月は、会社に出社することなく家で仕事をしていた。最初は楽できるかと思いきや、会社はリストラ一気に敢行するなど、仕事量は倍増する(表現じゃなく、ガチでフィジカルに2倍以上にはなったと思う)などしんどかったが、それでも、家族が「他に選択肢がなく家に閉じ込められている」ので、関係性の密度が異様に上がった気がする。うちの子供たちは、フルでオンライン授業でハイブリッドではなかったので、ほんとうに、家にいる。下のエレメンタリー2年の娘は、オンラインだと、机に座っていられないとかいろいろあって、もう妻と交互で授業を横に座ってて対応していたので、それも物凄くしんどかったが、、、、、逆に言うと、小学生の授業をフルで、全部聞き続けるというとんでもない稀有な体験だった。ましてや僕は日本で教育を受けたので、アメリカの教育がどんなことをしているか、本当に良い経験だった。

子供たちと、名画やパパおすすめ、息子おすすめとかのルールで、様々な映画を一緒に見て感想を言うようになった。これは一番の幸せだった。もちろん、鬼滅の刃約束のネバーランドとかもだけど、娘のチョイスで『Stranger Things』やリアリティショーの『ダンス・マム』などは、こっちの目線だから、教えてもらえなければ、あることも気づかなかったかもなー。子供たちの読書の精読とかにも付き合ったので、アメリカのミドルスクールクラスの子供の課題図書をいくつも読んだ。アメリカの重要な理念というか古典として、ディストピアからの脱出と自由が、物凄く深く根付いているんだ、というのは、これで実感した。ヤングアダルト小説などのエンタメも古典とかの課題図書も、みんなこのラインで解釈を求められるんだもの。ブラッドベリ火星年代記』『華氏451』など、こんなことでもなければ読み直さなかったし、精読読解なんかしなかったと思う。たかが、12歳といえども、根気よくアメリカや政治制度の課題を説明していると、双子なのに、実は政治の根本的な根っこの理念の部分で、真逆だったりして、、、、驚いた。人間は、同じものを見てても、遺伝子すら同じでも、こんなにも違ってしまうのか、、、としみじみ感動した。本当に楽しい会話ができて、幸せな一年だった。


2020-1228【物語三昧:Vol.97】『素晴らしき哉、人生!(It's a Wonderful Life)』フランクキャプラ監督 アメリカの国民的映画・人生やり直し系ループ類型の元祖-105

『クイーンズ・ギャンビット(The Queen's Gambit)』2020 Scott Frank監督 その閉じられた世界からの解放~三月のライオンと比べたいです

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客観評価:★★★★★5つ
(僕的主観:★★★★★5つ)


2020-1124【物語三昧 :Vol.81】『クイーンズ・ギャンビット(The Queen's Gambit)』その閉じられた世界からの解放~三月のライオンと読み比べたい-89

本日は、2020年11月23日。最近、ぬまがさワタリさんという方のTwiiterで紹介されていると、おおっと共感して見てしまうことが多い。ネットフリックスの『ビハインド・ザ・カーブ -地球平面説-』(Behind the Curve)2018』も思わず見てしまった。この人の持つ文脈感が、気にいっています。ちなみに、この人を見つけたのは、ブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter)関係の映画を紹介していて、それが素晴らしい網羅だったので、それ以来に留めるようになりました。2020年10月23に、ネットフリックスで全話リリースされています。

それ以外にはいくつかの理由があって、アメリカのドラマだと長すぎて終わっていないものは、よほどのことがないと躊躇してしまうのですが、これは、7話という短いシリーズで完結していること。もう一つは、これを見た友人が、まるで『3月のライオン』のようだったと語ったことです。一言で言えば、チェスの天才少女エリザベス・”ベス”・ハーモンが、世界の頂点へ向かって駆け上っていく話です。典型的な成長物語でビルドゥングスロマン。年若いしかも「女」(これは1960年代のお話しの上に、男がメインといわれた当時のチェスの世界)が、ばったばったと自信かの男性をなぎ倒していくというのがすぐ想像され、痛快な物語であるのはすぐ想像できます。けれども、同時に、彼女は孤児院の出身で、彼女が「チェス以外の方法で自分の人生を生き残る」ことができなかったであろうことは、想像に難くありません。これは、なんだか見るべき物語!という匂いがしたのです。ちなみに、ポスターやトレイラーを見ると、アニャ・テイラー=ジョイの、この目の大きな女性が、とびっきりな存在感を放っており、また1950-1960年代の衣装、意匠、風俗を感じさせるスタイリッシュな映像も、とても引き込まれます。ちなみに、これは、ポール・ニューマンの映画「ハスラー」の原作作家ウォルター・テヴィスの1983年の小説の映像化です。


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■この苦しい世界から世界にのし上がるビルウングスロマン~三月のライオンとの比較を

一気に数日で全話見た。止められなかった。まさに羽海野チカさんの『三月のライオン』のチェス版という感じで、これを比較した人は慧眼だと唸ります。簡単に成長物語=ビルドゥングスロマンと書いたのですが、事はそう単純じゃない。なんというか僕の中で最もさわやかなビルドゥングスロマンというのは、例えば『ダイの大冒険』のような作品で、そこに陰はない。全くないとは言えないが、成長するにあたって、桐山零やベス・ハーモンは、少なくとも将棋かチェスかの違いはあるにせよ、「生き残るために選択肢がない」状態で、自分が選択肢を考えられるほどの余裕も能力もない幼少期から「それ以外の道を選ぶことは死につながる」ような究極の視野狭窄の中から、偶然運よく才能があったため、わき目もふらずその世界を駆け上ることになる。それは、「成長ではある」にしても、「自ら選んだこと」でもなければ、楽しくてやっているということでもない。ただ、「生き残るため」には選択肢がなかったというだけ。ベスや零くんのような「選択肢がなかった子供たち」が、その後、どのように人生を追いつめられていくか、どのように彼らは「自分自身」を取り戻すのか?は、ぜひとも両方とも大傑作なので、比較して見ていただけると、このテーマやモチーフの深さが感じられていいと思います。

ほかには、『ストレイト・アウタ・コンプトン』(Straight Outta Compton)2015、ギャングスタ・ラップ(Gangsta rap)の伝説のグループ、N.W.A.(Niggaz Wit Attitudes)の映画ですが、このコンプトンというのが全米一治安が悪く殺人発生率が高いといわれるような過酷な場所で(ちなみに、筆者ペトロニウスは、このそばに住んでいました(笑))、ここから「抜け出すこと」の意味は、全く同じだろうと思います。アフリカンアメリカンが、「ここ(=最貧困のループになってしまっているゲットー)から抜け出すには、ほとんどの場合、天才的な才能でバスケやテニスのスタープレイヤーかラップのミュージシャンになることぐらいしか思いつきません(言い換えれば、不可能、という意味です)。これも同じテーマですね。ちなみに、この映画の主人公の一人イージー・Eや、セリーナ・ウィリアムス(テニスプレイヤー)も子供の頃ここで暮らしていました。何を考えてほしいのかといえば、「そもそも生きていることが不思議なくらい」の「貧困や苦しみの連鎖」の中で、当然家庭とかコミュニティは崩壊しているわけで、何一つ希望がない世界なんです。そこでは、どうやって今日を生き延びるの?ということしかテーマになりません。そんなふうに人生が制限されたら、一体どうなるのか?というイメージをもって物語を見てほしいのです。この飢餓感、絶望感、未来を考えることなんか不可能な余裕のなさ、、、そうした切迫感が、生涯消えることなく、彼を、彼女を駆動し続ける子供時代なのです。ベスには、ほんとうに、「それ」以外の生きるための手がかりがなかったのです。


このテーマで重要なのは、「この貧困と苦しみに囲まれた閉じた世界からどうやって脱出するか?」なんです。


それは、チェスの才能により、勝って勝って勝って!!!!


でもそれでも「そこ」から解放され抜け出ることができないんです。物理的には、裕福になった。選択肢も増えた。でも、彼の、彼女の心が、「失われた子供時代」が解決されない限り、ずっと苦しみ続けるのです。だから、ベスは、ずっと薬物と酒の中毒で、依存して生きています。


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3月のライオン 1 (ジェッツコミックス)


この「生き残るためには選択肢がない状態で決断を迫られる」というのが、2010年ぐらいから続く現代(2020年代)の特徴のように僕は思っています。僕がカバーしたいと思っているアメリカと日本のエンターテイメントでは、たとえば『7SEEDS』(2001-2017)、『鬼滅の刃』(2016-2020)『約束のネバーランド』(2016-2020)、『ハンドレッド The 100』(2014-2020)、『ハンガー・ゲーム The Hunger Games』(2012年映画スタート・小説初版は2008年)、あとは、Lois Lowryのディストピア小説『The Giver』(1993)を映画化した『ギヴァー 記憶を注ぐ者』(2014年)などが、さっと思い浮かぶ作品群です。ちなみに、1990年代から2000年代までは、たくさんある選択という幻想からどのように自らを選び取る決断を為すかという問いかけが大前提にあったので、ハーレムモノ(沢山の女の子がマーケティング的に用意される=けれども本物が何かわからなくなる)や、幻想のディストピアからの脱出という『マトリックスThe Matrix)』(1999)などなどが思い浮かびます。

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このあたりの物語を読む上での大きな文脈感は、僕等の毎月のyoutube放送のアズキアライアカデミアというチャンネルで話しています。物語を読む上での鳥観図、最新の文脈はどうなるのか?などを議論しているところで、セカイ系に対するぼくらの用語で「新世界系」のという考え方によります。まぁこの辺りは、我々の勝手な思い込み(笑)のジャーゴンなので、興味ある人がいれば、過去の記事やチャンネルを検索してみてください。単純に、「その物語単体」を読むだけでなく、背後にある「時代の空気を共有する問題意識」のレイヤーや、逆に、時代を超えてさらに多くクリエイターたちが共有している文脈のレイヤーなどを、ああでもないこうでもないと考えながら見ると、物語が、より深く楽しめるようになると僕は思っています。ちなみに、各時代の文脈ごとに既刊7巻で本も出しています。

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■時代と土地のイメージをもって物語を見よう!~ベスの生まれが南部であるケンタッキーであるところに注目してみよう!

原作者は、カリフォルニア州サンフランシスコで生まれ、ケンタッキー州マディソン郡で11歳から育ち、大学もケンタッキー大学で、死後埋葬されたところもケンタッキー州です。いろんな情報がある中でなぜここに注目しているかといえば、もちろんのこと、主人公のベスが、ここで生まれて、ここの孤児院で育ったからです。アパラチア山脈の西側に位置し、「ブルーグラス・ステート」と呼ばれる穏やかな牧草地帯が広がる土地です。僕はよくするのですが、ぜひとも物語の中に出てくる場所をグーグルマップで検索して、映像や写真を見て、主人公たちがどこに住んで、どこからどこへ移動しているのかを見ながら見ると、より具体的にイメージができていいと僕は思います。


アメリカの南部や中西部などハートランドは、日本人の感覚では、ほとんど明確なイメージを持っている人は稀だと思います。我々、日本人は、圧倒的に、サンフランシスコやニューヨークなどの海岸の大都市部の、政治的に言えば、真っ青なブルーステイツ(民主党支持のリベラルで多様なアメリカ)が思い浮かび、このアメリカのコア中のコアの部分は、なじみが凄い薄いのです。もちろん人によりますが、少なくとも、アメリカに住むまでのペトロニウスは、イメージでしか知りませんでしたし、住んで何年もして、英語がわかってきて、知り合いも増えてきて、何度も旅行して、あれ、あの辺は、同じアメリカでも、全然違う異世界みたいな土地だぞ、というのがうっすらわかってきました(笑)。今回それが明確に言葉で意識できたのは、2020年のアメリカの選挙の分裂をずっと追っていたが故です。お暇があれば、下記の記事もおすすめです。

owlman.hateblo.jp

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『クイーンズ・ギャンビット』は、ペトロニウスには説明できないのですが(笑)、意匠が大事な映像です。彼女が来ている服が、格子柄が多かったりするのは、チェスの版を意識ている感じがしますし、さまざまな1950-60年代の空間演出が光ります。このあたりは、僕の知見ではさっぱりなので、いろいろ検索してもらえれば、より深く楽しめるはずです。


僕が気づいた重要な視点は、ベスが、ケンタッキーの生まれ育ちであることだと思います。


というのは、南部が、とんでもない田舎で、保守的で、物凄い古い伝統や慣習、因習で雁字搦めの世界であるということを理解してみないと、さまざまな物事の意味合いの深さが、分からないからです。彼女、そしてたぶん彼女の母親が直面したであろう男社会の壁や、頑迷で保守的な社会は、いまのわれわれの想像を絶する上に、さらに言えば1950-60年代まだまだ50年代の順応主義(コンフォーミズム)というアメリカの中でも、更に保守的でかつモラルが激しく生きていた時代の匂いが、濃厚に香ります。この「因習的な感覚の匂い」を、言葉だけで理解しないでほしいのです。映像、雰囲気、味、匂い様々な「体感感覚」が複合的に思い浮かばないと、「この意味の深さ」がまるで分らなかったりします。僕も住んでいるわけではない、にわかのなんちゃってですが・・・それでも、たとえばジェニファー・ローレンス主演の『ウィンターズ・ボーン(Winter's Bone) 2010』やMartin McDonagh監督の『Three Billboards Outside Ebbing, MissouriTaylor』、Taylor Sheridan監督の『ウインド・リバーWind River 2017』ヒルビリー、レッドネック、プアホワイト、ホワイトトラッシュ、このあたりの言葉で情景が思い浮かんで、あの感覚が共有できないと、彼女が住んでいた世界の深みは理解しきれていないと思います。映像で見ているので、そもそもあそこ暑いよね?とかの感覚も想像しながらでないと、なかなか深く感じれません。いや、物語なんで、そんなに重曹的にわかる必要はないのですが(笑)、それがわかればわかるほど、彼女が置かれている環境の鋭さがわかり、彼女が何に打ち勝っていくのかが、その凄みがわかると思うのです。

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ジョリーン(モーゼス・イングラム)が後に、彼女の住んでいたトレイラーハウスを見て、「あんたまじでホワイトトラッシュガールなんだ」としみじみ黒人の孤児の彼女に言われるくらいですから、どんだけ酷かったかがわかります。また、彼女を導いてくれるチェスのUSチャンピオンのベニー(トーマス・ブロディ=サングスター)が、自由な象徴のようなニューヨークに住んでいることも、ちょっと考えちゃうところ(なのに半地下の薄暗いところに住んでいるところも、なんだか象徴的)。また、この作品は、フェミニズム的な、男社会の中で、少女がガラスの天井を打ち破っていく物語になるんですが、僕は「それでもなお」だいぶ、いい男たちと出会っていると思います。よく見えるのは、たぶん、彼らも彼らで、「自分の世界から自由になれない」という感じが、凄くするからだと僕は思います。この男たちは、南部の保守的な土壌の中で生きている「大前提」があるので、彼女の器、才能の大きさを、まったく支えきれないんですね。なので、どうしても、結婚してめでたしめでたしみたいなよくあるルートにならない。そんなことは、不可能なことに感じてしまう。そもそも結婚などのシステムが、女性にとってまともに幸せに直結していないのは、ベスの実の母親や義母を見れば明白ですしね。最後の最後で、彼女に出会った男たちが、集まって(笑)、彼女のサポートする。町山智浩さんは「ドラゴンボールの元気球」(笑)と評していましたが、このシーンは、しびれたんですが・・・なんで、男社会の中で、少女のベスに打ち負かされて男のマッチョな尊厳をずたずたにされた野郎どもが、彼女を助けたいと思うのかは、、、、最初は、マンスプレイニングだと思うのですが、長く付き合って、それでも「そう」思うのは、僕は、やはり、彼女が男女の二項対立で見ていない、才能だけで、この世界の「閉じられたしがらみ」をけなげに戦う、、自分たちの同士だって感じるからじゃないのか、と思うんですよ。南部の保守的な田舎に住んでいたら、彼女を支えるだけのことはできない、、、でも、そばで見ていたり、何かあった時に駆けつけるぐらいはできるじゃないですか。これって、「閉じられた世界」で生きざるを得ない、「選択肢を奪われたもの同士」には、絆が生まれるっていう、僕等がずっと話してきた時代の文脈感とつながると思うのです。

それと、僕はこの話を見るときに、映画『アメリア(Amelia)』を思い出しました。アメリア・メアリー・イアハート(Amelia Mary Earhart)のお話。1927年のチャールズ・リンドバーグに続き、女性ではじめて大西洋単独横断飛行をした人です。この映画では、アメリアのパートナーは、彼女の才能を支えるにふさわしい素晴らしい男性でした。でも癒しがないって(笑)、もう一人違う人も愛しちゃうんですね。二人に男を手玉に取る。しかし、あまりにアメリアの器がでかいので、それは全然ありだなーと納得してしまう。これはとても興味深かった。ようは器の問題なのか、と思ったからですね。『バトル・オブ・ザ・セクシーズ(Battle of the Sexes)』2017、などもおすすめです。キング夫人で有名なビリー・ジーン・キング(Billie Jean King)という天才女子テニスプレイヤーと男性テニス選手ボビー・リッグスの間で行われた試合のお話です。彼女はレズビアンで有名ですが、結局、男とか女とか、おおざっぱな属性でくくっていると「その人自身」や「その人自身の持つ器や才能」という個別性が全然見えてこない。物語を見るときには、「その人自身」がどういう人だったか、もちろん、その他のモブになる人たちも、その人自身はどうだったの?という繊細さをもって見つめたいものです。

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男性でも、女性でも、性別に関係なく、僕は「自己」を「自己」であらしめるために、自己実現していくことは、とても難しいことだと思っています。その「難しさ」は、たいてい時代や世の中の常識と戦わなければいけないことが多いので、「その実現の仕方」は、個別性にならざるを得ない。僕は男性ですので、もちろん「男性の視点」に偏りがちになります。なので逆に「女性から見た視点」で世界を眺めると、こんなにも違うのか!というセンスオブワンダーにいつも打たれます。2020年の現代は、物語好きの人であれば、このジェンダーによる性差の視点の違いには敏感になって当然です。この辺りの背景を考えていけば、更に物語が楽しくなると思います。あ、ちなみに、いつも大前提のことですが、僕はイデオロギー(何が正しいかを決めつける)姿勢は嫌いなので、重要なのは、すべて物語を楽しむために、背景を、文脈を、ちゃんと理解して「体感」していきたいとおもっています。自分と異なる属性と、視点が一体化することができることこそが、「物語」のすばらしさだと僕はいつも思うのです。

やはり、特殊な才能を持った女性パイオニアの苦悩を描いた作品としても見ることができます。その才能を誰もがほめたたえるわけですが、その特殊な才能がゆえに、本当に自分の思っていること考えていることを自分と同じ目線で受け止めてくれる人物に出会うことができず、孤独を深め、ドラッグやアルコールで、自滅的に自分を癒そうとする。時代性が一致することもあって、僕はジュディ・ガーランドジャニス・ジョプリンを思い出したんですけど、そういうタイプのものとして見ることもできます。

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THE MAINSTREAM(沢田太陽)
2020/11/19


この天才には理解者がいない、という視点は重要だと思います。



■薬物異常症~薬や酒によるごまかしは続けられるのか?それとも、それによる人格の底上げは、その人自身なのか?


も一つ見るべき視点は、「薬物をどうとらえるか?」という問題意識です。


主人公のベスは、60年代に処方されていたベンゾジアゼピン系鎮静剤の架空のXanzolamを処方されて、その中毒になっています。孤児院で、孤児たちをうまく制御すために投与されているんですね。白い孤児院の天井に、チェスの駒が見えるシーンは、見事な創造性のイメージで、かっこいいです。これって、ぼーっとすると見えるといっているので、ダウナー系の薬物の状態を指しているんだと思うんですよね。その後、酒にもおぼれていきます。


何を言っているのか?というと、彼女が、母親と無理心中されたことや、生きる上での様々な困難を逃げるため、制御するために、酒や薬物が必要だっていってるんですよ。


これをテーマとして考えると、


薬物と酒から解放されることは、彼女が自立して自分の自己を成業できるようになった!(=幸せになれる、この閉じられた世界から脱出できる)ことを意味するはずです。


しかし、往々にして、その人の才能というのは、薬物に依存しているがゆえにまわって制御できているので、「それ」を失うと、「自分自身」のよって立つチェスの才能を失う可能性がある。


どうするのか?というテーマです。


ちなみに、2010年代くらいまでは、こうしたアダルトチルドレンとか心の闇や、家族(特に母親)のトラウマは、すべてを壊して、人生が破壊されて、ジ・エンドという悲劇に結実しやすかった気がします。それくらいに、子供時代のトラウマは、生業不可能な闇で、どうにもならないという無力感が常識としてあった気がします。


では、これをこの物語はどう料理したのか?、いいかえれば、ベスは、救われるのか?、救われるとしたらどうやって?

最終話の最後10分間で、彼女はついにずっとはっきりと示されていたことを明確に口にする。「私に必要なのは薬物。お酒。勝つためには頭がぼーっとしていないといけない。それがないと私はゲームが見えない」と彼女は、その前の数話にわたってトレーニングしていた大試合の前夜、友人のD.L.タウンズ(ジェイコブ・フォーチュン=ロイド)との会話で言う。「マジで?」と、もっと早くに示されるべきだった不信感を彼は口に出す。「キミはそれがあったからここまで来たと思ってるの?」

彼女は薬がなくてもよくやってきたことには同意するが、「とにかく今すぐ必要なの」と繰り返す。すると、この瞬間までシリーズ全体を通して染み込んでいたことを否定するぶっきらぼうなセンテンスを言い放つ。「っていうか、そう思ってた」。


主人公が薬物依存症のNetflix注目ドラマ『クイーンズ・ギャンビット』…「才能と薬物」の危険な神話について【ネタバレ注意】(ハーパーズ バザー・オンライン) - Yahoo!ニュース


このYahooでみつけた記事が秀逸なので、読んでほしいのですが、ようはこのタウンズとの会話のシーンに、「彼女自身の才能」は、何にも依存していないんだ!ということが、示されているんですね。だから、最後の対局のここ一番の時に、天井にチェスの駒が現れる。薬を捨ててしまっているにもかかわらず。ただ、この解釈に沿うと、このライターさんは、非常に納得がいかないというんですね。しかし、なんで「ここ一番」という時に、一気にくするを捨てるとか危ない真似をするんでしょうか(涙)。僕は今、『THIS IS US』のシーズン3を見ているんですが、そこで、自殺未遂の過去があるケイトの夫のトビー・デイモンが、妊活をしている奥さんのためにいきなり鬱の薬を捨てちゃうんですが(トイレに一気に捨てるのは全く同じ構図)、それって、奥さんのためとか言っているけど、、、自殺しちゃうじゃないか!そんなこと考えろよ!もっとゆっくりやれよ!と、叫んじゃったんですが・・・・なんで、ああも性急なんですかねぇ。そんなの離脱症状が、「ここ一番」で出ちゃうから、最悪の悪手じゃないか、といつも思うんですが・・・・

現実では、回復途中にあるクリエイティブな人にとっての最良のシナリオは、ラッパーのエミネムのストーリーのような感じだ。彼は2008年に処方箋薬の中毒から抜け出して再び音楽を作り始めるまでにどれくらい調整が必要だったか率直に語っている。

「もう一度曲を書いてラップすることを学ばなければならなかった。薬物を断ち、100%クリーンになってやらなければならなかった。最初はいい気分じゃなかった。文字通りの意味でね。実際、歌詞をどう言えばいいのか、どうフレージングしてフローさせるか、どう強調して自分が意図した通りに聞こえるようにするか、勉強し直す必要があった」とMTV Newsで語っていた。

こうした自らの再教育を経なければならなかったが『Recovery』を名付けた2010年のアルバムはトリプルプラチナのセールスを記録し、2011年のビルボードミュージック・アワードの最優秀ラップアルバムとグラミー賞を受賞した。

主人公が薬物依存症のNetflix注目ドラマ『クイーンズ・ギャンビット』…「才能と薬物」の危険な神話について【ネタバレ注意】(ハーパーズ バザー・オンライン) - Yahoo!ニュース

8マイル(字幕版)

ようは、これだけあっさり書かれていると、彼女が創造性を発揮するためには、やはり薬物が必要だったんだ、となってしまうじゃないかといっているんですよね。

失踪日記【電子限定特典付き】

アル中や薬物中毒は、物語の中では、「その人自身の心の闇、トラウマの解決方法がない」ことへの具現として描かれてきています。僕は医者ではないので、軽々しく言える内容ではないのですが、これがものすごい身近に、そして、本当に難しい問題なんだ、と分かったのは、吾妻ひでおさんの上記のエッセイマンガ(物凄い傑作です!)を読んでからでした。薬物やアル中の話は、すべてが壊れていく救いようがない話ばかりなんですが、このエッセイは、ご本人の人柄もあってか、妙なおかしみがあって、コメディとして成立している。なので、けっこう全然違う世界を体験するセンスオブワンダーとして読めます。なので、おすすめです。けれども、いったん軽快に読んで読み終わると、じわっと、「このこと」の恐ろしさが、胸にしみます。


あとは、2012年のロバート・ゼメキス監督『フライト』が、この問題を真正面から取り上げていて、僕的にはおすすめです。Denzel Washingtonがめちゃくちゃかっこいいんです。

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とはいえ、この問題意識を突き詰めると、


薬物や酒を利用して底上げされた「自分」は、本当に「自分」なのか?(自己制御できることが正しいことなのか?)


という問題と


何かに「依存」しなければいけないほど、「自分」にとっての苦しみを救済する方法は何なのか?


となると思います。ちなみに、このテーマ問題意識に、実は、ベス・ハーモンの物語は、ちゃんと答えていないと思うんです。上記のYahooの記事の意見もまさにそうですね。ようは、薬物が彼女の才能に寄与してたかどうかの描きは弱い。また、母親に無理心中されたという「母親に否定されて捨てられて殺された」というトラウマの対体験は、一体何によって癒されたのでしょうか?。世界チャンピオンになったからということは、理屈に合いません。だって、「世界チャンピオンになれた」のは、薬も酒も捨てても彼女が才能を発揮できたからなので、時系列的には、彼女が既に何らかの救いを、自立を成し遂げていなければ、理屈に合いません。


一言でまとめると、救われた理由も、自立で来た理由(依存を克服した)も、明示的には描かれていないように感じるんですよね、僕は。ないですよね?。まだ一回しか見てないから、見過ごしているのかも、、、。


そして、「それ」に対して、、、、、ここが重要なのですが、僕は、とても「納得」しました。


感覚的に、この物語が2020年代の最前線の物語だな、と感じるのは、明示的な理由を描かないのに、「心の闇・トラウマから抜け出せない」という救済のなさに「行くべき」という圧力を感じないからです。さきほどいったように、解決方法がない依存のサイクルに入ったら、「自滅するまで突き進むしかない」というのが、これまでの2010年代くらいまでの物語の基調低音でした。なのに、ベスの物語は、なんども人生が破滅するがけっぷちに立ちながら、とてもご都合主義的に、それを回避していくのです。


それは、なぜか?といえば、いくつか僕の仮説的に思うところ書いておきます。


一つは、「選択肢がない子供たちの物語」と書いたのですが、2020年代は、既に、そういったサバイバルが大前提の「希望がない世界です」。未来が、前より良くなるという進歩史観的な感覚は、すでに失われて久しい。なので、すでに「選択肢があるなんて言うことは贅沢」なことなので、それが「ない」からといって、子供たちは絶望しないんですね。僕等は、新世界ネイティヴと呼んでいます。リソースがない、希望がない未来がない世界に「生まれながらに住んでいる」ので、逆に絶望しないんですね。その世界が当たり前だから。


ベスは、母親が自分に無理心中を図って、彼女自身を否定して捨てたことに、あまり拘泥していないように見えます。もちろんそのトラウマはありますが、だからといって、究極的に「それ」によって自己を壊すほど、恨んでいないように見えるんですよね。あまりこだわっていない感じがする。


なぜこだわっていないか?と感じるかというと、こだわりすぎると、自己破壊衝動とか自殺につながっていくと思うのですが、「そこ」までいかないんですよ、いつも。むしろ、そういった自己破壊衝動よりも、「生き抜いてやる!」というサバイバルの、捨て鉢な(笑)感じですが、生きる意欲(モチヴェーション)が強いと思うのです。


なぜ、そう感じるか?というと、彼女が、ベスが、チェスを見つけたからです。生きたいから、そこに縋ったんですよね。そして、それにこだわって、戦い抜くのですが、、、、、たぶん、これね、ベスはね、チェスのことが好きですよ。チェス「そのもの」を楽しんでいるように僕には見える。そういう表現は一切ないので、勝手な受け取る僕側の解釈ですが・・・・


まとめるとですね、彼女にとって


1)母親に捨てられたというトラウマを追求していくこと



2)チェスをやってとにかく、この選択肢がない世界でサバイバル(=生き残ってくこと)すること


を比較した場合、あきらかに、2)が重いんですね。それはつまり、「生きる意欲」の方が、母に自己否定された過去の子供時代のトラウマより勝るんですよ。


だからこそ、破滅にいたらない。


そして、自己破壊的「ではない」彼女だからこそ、出会った周りの人々には、「同じ選択肢が奪われている世界で出会った」仲間、同士に感じるんですよね。


えっと、説明がいるな、、、、、自分のトラウマに拘泥する姿勢は、「僕って何?」みたいな感じで、「自己の尊厳のみ」にこだわっているエゴイスティツクな人なんですよ。そういう人は、どこまで行っても、「自分を!救ってくれという」受け身の姿勢で、自分自身のみが大事な人なんですね。そういう人には、友達も同士も生まれない。ナルシシズムの世界で、自分自身しかいないからです。


でも、ベスは、そうじゃない。なので、出会った男社会の男たちも、ジョリーンのような黒人も、「ベスは、この選択肢が奪われている閉じた世界で何とか戦っている対等な仲間なんだ」という感じがしちゃうんですね。少なくとも僕にはそう見える。ようは絆が生まれているんですよ。ああ、同じ「選択肢がない過酷な世界に産み落とされちゃった」んだなって。この絆が生まれたら、男だとか女だとか、白人だとか黒人とか言っててもはじまらない。だって、どのみち世界は地獄なんだから、そんな枠組みの話にこだわっても、どうにもならない・・・・それほどに、逆に言うと、所与の前提としての絶望が深いんですね。


それで絶望が深すぎるので、、、、、、、楽観的になるんですよ。だって「なにももっていない」から。「捨てる怖さがないんですね」。


この楽観的な感じ、、、、世界が過酷で地獄で選択肢がないのに、「まっとうに生きよう」と考える感覚。これが、僕は「新世界系」の後に来る、倫理の確立の話なんじゃにかとおもっています。『鬼滅の刃』の竈門炭治郎の、とてもすべての人への紳士的な態度や、深い理由があると心底わかっていても道を外した鬼に対して容赦なく抹殺する姿勢は、サバイバルを前提とする世界では、そんな「悪にも理由がある」なんて、考えて一呼吸置く余裕がないからだと思うんですよね。でも、みんな同じ苦しい世界にいる対等な仲間だという感じがあるので、けっして上から目線の失礼な態度にならない。


とにかく「生き残るため」に、目の前にあるものに集中していく・・・・ベスの場合は、チェスですね。それに対して疑問があまり浮かばない。たとえ、母親に殺されたというようなトラウマでさえも、「生き抜く」という優先順位からすると下がるので、、、、むだなことにこだわらない。そして、それが「生き抜く」ことにつながる。


過去のトラウマにこだわっていられるのは、世界に絶望していない「甘え」があるんだ、ということを、僕は2010年代までの物語を振り返ると感じるようになりました。ほんとうに、生きるのにギリギリになると、そんなことは構っていられなくなる。この話は、『ハンドレッド』のドラマの時も、同じようにしていますね。

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ベスは大事な試合で緑色のワンピースを着用しており、特に、終盤で着用している薄い緑のワンピースの名前は「エンドゲームドレス」。「ママはあなたのことを愛している」で始まり、「エンドゲームドレス」で物語を終える時、ベスが抱えていた母との思い出と心の傷はどうなったのかも見逃せないポイントです。

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■対立構造ではなくて、その先へ

なんか、凄いベスに出会った男たち(彼女にけちょんけちょんに負けた)が、彼女を助けるじゃないですか。「おれが教えてやる」っていって。ほんと、男たちは教えたがる!(笑)。これ、マンスプレイニング(mansplaining)をわかっていると、とても笑えます。でも、なんというか、清々しいくらい、ジョリーンもベスも、男のマンスプレイニングを利用するのに躊躇がないですよね。これって、「搾取する男性」という視点で彼女たちが見ていないからなんだと思うんですよ、それぞれの男性くんたちを。前に書いたように、「選択肢が奪われている世界」を前提にすると、生き残るためには、「何でもする」のが世界なんで、そんなマクロの大前提のことにこだわっても仕方がないという、清々しい、楽観的なあきらめを感じるんですよね。絶望が深すぎて、ミクロの個人の人生では、優先順位が低くなっちゃっているんですよ。

そして、「ここ」の解釈は、僕が男が故に歪んでいる可能性があるんで、女性はどう思うのが聞いてみたいなと思うんですが、僕は「ベスの視点に感情移入してて見ていると」、マンスプレイニングしてくる男どもが、「かわいいな」って思えましたよ。だって、実力で彼女に及びもつかないから、尊厳守ろうと必死じゃないですか。そして、対等なチェスプレイヤーで相対していると、いつしか友達になっていくんですね。

そして、うまいっ!!!と唸ったのは、「このベスの実力に及びもつかなかったかこの男たち」が、彼女にいろいろ教えたがるんですが、「実力至上主義のランキングトーナメント」で考えると、全米チャンピオンのベスにとっては、格下のカスの負け犬のルーザーどもじゃないですか、それらの男って。でも、「そうじゃない」ですね。世界に君臨するソビエトのボルゴフは、仲間内に研究して協力してチームでたたかってくるんですね、ここ一番の重要なところで。アメリカは個人主義なので、そういう協力ができなくて負けた、という伏線がある。


そこで、彼女に「負けてしまった負け組」もチームとして彼女と一緒に戦う、意味ある参加者になっているんですね。そこでは、負け組・勝ち組、搾取する・されるような二元的な対立構造から自由なんですよ。


最後の電話がかかってくるシーン、素敵ですよね。ベスも、負けた男たちのサポートチーム(笑)も、自然体で対等で、かっこいい。


この辺りは、過去のいろいろ考えたものと接続されて、とても興味深かったです。1983年に書かれた作品だけど、映像で見ると、とても同時代性を感じる。

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そして、ジョリーン(モーゼス・イングラム)まじ、好き。この子、めちゃくちゃ、かっこいいし、いい子!。なので、僕は、ジョリーンが、cracker(訳は白んぼと訳されていましたね)、この名詞は白人への侮蔑擁護なそうですが(奴隷主の鞭の音とかそういうのらしい)、ずっとそう呼び掛けているんですよね。孤児院の頃から。ベスは、めちゃくちゃ白い白人、白人しているので、ベットで並ぶと、その色が本当に際立つ。そりゃ、たぶん養子になりやすくて孤児院を出ていきやすいだろうな(実際そうなった)と思って揶揄もしますよ。でもね、この侮蔑用語を、最後の方で、本当に本当に、ほんとうに!!!!愛おしそうにつぶやくシーンがあるじゃないですか、、、、、あそこ泣けましたよ。


最後の方で、ジョリーンがやってきて、ベスが「なんでこんなことまでしてくれるの?助けてくれるの?」と聞いたら、


「そりゃ、家族・・・・みたいなもんだからじゃない」(うろ覚え)


みたいに返すじゃないですか!、、、、南部の、ド田舎の、超保守的な、差別がどぎつい世界でさ!!!!


ベットで横になって話している二人は、人種的には、まったくの対立ですよ。白と黒。鮮やかに違う。でも、、、、たしかに、二人の雰囲気には「家族」を感じるんですよ。


なぜ?って、それは「選択肢を奪われた世界」で一緒に戦ってきた同士で、仲間だから。ですよね。


用務員シャイベル(ビル・キャンプ)さんのエピソードもまさにそうですよね。あの人も、なにも、、、、何一つない、普通に言えばごみのような無意味な人生でした。葬式で、話すことがなんにもないんです。誰も悲しんですらいない。ただの孤児院の雑用係として、何一つ残したものも、友達すらいない感じの、、、、でも、そうじゃないですよね。彼がいなければ、エリザベス・ハーモンという世界チャンピオンは生まれなかった。彼女が生きる術を見出すこともなかった。誰よりも深い「家族」じゃないですか。。。。世界チャンピオンをかけて戦うところでの記者からの質問で、「誰に教わった」と聞かれて「孤児院の雑用係のシャイベルさんに」答えて、「ここ絶対載せてね!」と何度も念を押すじゃないですか。。。。泣きましたよ、、、、。あの、だれも、存在すら忘れさられて死んだシャイベルさんは、冷戦下のソビエトの威信を打ち砕いたアメリカの世界チャンピオン、エリザベス・ハーモンのの師匠として全世界に報道され、歴史に残るんですよ、、、、名前が、、、、。あれ思い出しただけでも、泣ける。。。。


何もない時に一緒に「生きる」ことは、それだけで、絆を生むのだなぁ、としみじみ。


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本当に同時代的な、最前線の作品に感じました。


まぁ、理屈どうでも良くて、好き。世界がめちゃくちゃなところで、そこで、何とか生きているうちに、生きるすべが見つかって、仲間がいて、、、、、そういう物語でした。


■この閉ざされた地獄から抜け出るためには何が必要か?~約束のネバーランド

約束のネバーランド 1 (ジャンプコミックスDIGITAL)

もう気力がつきそうなので、、、、、この世界、、、、選択肢が奪われた「選択肢のない世界」で生き残る方法は、おわかりですよね?。こっちの方に、物語の最前線はあると思います。そして、この解釈のラインでいうと、、、、オルフェンズがどんだけ素晴らしかったんだ、と唸ります(笑)。

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いつものごとく、誤字脱字の、日本語になっていない文章ですが、できればこれを機会に、いろいろな作品を見る手掛かりになれたら、と思います。


最近アメリカの2020大統領選挙のレポートばかりで、物語の記事を書いていなかったので、久しぶりにがっつりかけてよかったです。推敲したり手直す暇ないので、適当ですが・・・・。