といわれたのが、始まりでした。最初意味が分からなかったんですが、これは、サイレンススズカがアメリカに挑戦していて、このトウカイテイオーとメジロマックィーンのストーリでは、アメリカから見ているという設定なんですね。しかも、たしかに、僕は、サンタアニタやデルマー競馬場の近くに住んでいます!。途中でわかって、おお!そういうことかとつながりました。サンタアニタ競馬場にはいったことがあったんですが、デルマー競馬場(Del Mar Racetrack)はなかったんですよ。そしたら、ちょうど11月にブリーダーズカップがあるって、伯爵が興奮しているんですよ。最初は名前すら知りませんでした。でも、なんというかこの辺は、「新しいものを知るきっかけ」にいいよなって思って、無理がない限りは、いろんなところに直接に見に行くのは大事だと思っていて。物語は、「頭の中だけで体験している」と、途中で全然面白くなくなってしまいます。なんというか、新しい知識や体験を自分の中に蓄積しないと、面白さが摩耗していってしまうようなんですね。これは人生を楽しむうえでも真理だと僕は思っていて、ある程度、新しい知識や体験を継続的に積み重ねていないと、もともと「自分が楽しいと感じていた軸」みたいなものも失われて、飽きてしまいます。だから、せっかくレスター伯爵がリアルタイムに「二期を見るの付き合ってくれている」幸運の出会いを、無駄にしてはいけない!と、そこでブリーダーズカップを見に行くことを宣言しました。僕はこういう「偶然の出会いやきっかけ」は、物語の種だと思っていて、そういうのは大事にしようと思っています。何かアクションを起こして、人との関係性が結ばれていると、なんというか「何かを為すことに重みが生まれる」と僕は思っています。えっとね、僕は残りの生涯を物語を楽しもうと決断してかなりしぼっています(人生の優先順位をだいぶ絞っている)が、それでも選択肢はたくさんあるんですよね。なにも、アニメではなくても、競馬ではなくても、何でもいいじゃないですか。でもね、人には、何かしらの「理由」が必要ようだと僕はおもっています。そして、レスター伯爵くらい競馬の好きな人が、リアルタイムで付き合ってくれるような幸運ってなかなかないんですよね。僕は、アメリカで、なるべくいろんなものを見ようと思って、たとえば建国史を知らないといけないし、建国の父を知らないといけないな!と思ったら、ジョージワシントンの家であるマウントバーノンに旅行に行ったりします。実際に「その目で見る体験」をすると、その後の理解が飛躍的に上がったりするからです。僕は自分の頭の良さには自信がないので、こうやって体験を差し挟んで、理解度や感受を上げようといつも努力しています。
バイデン大統領は2021年8月30日、アフガニスタンからの軍の撤退が完了したと宣言した。その後、一月くらいは持つだろうと予測していて様ですが、アフガニスタンではイスラム主義組織タリバンが全土をほぼ掌握してしまい、20年間で2兆ドルを超えるコストをかけた「アメリカ史上、最も長い戦争」が終わりました。『Turning Point: 9/11 and the War on Terror』は、ネットフリックスのドキュメンタリーシリーズ。アメリカの対テロ戦争の20年間を網羅して、まさに「いま」のタイミングに見るべきドキュメンタリー。素晴らしかった。いま與那覇潤さんの『平成史―昨日の世界のすべて』を読んでいて、平成がついに歴史になったんだな、という感慨とともに、だからこそ、全体像を「歴史」として俯瞰して見れるポジションが獲得できつつあるという感慨を抱いています。同じように、2001年9月11日から始まるイラク戦争、アフガニスタン戦争と続く「同時代のアメリカ」というものが、生々しすぎて、しかも僕は2013年からは米国に移住しているので、なかなかバランスよく見れていなかったのですが、このドキュメンタリーと2020年のバイデンVSトランプの大統領選挙で、一つの区切りというか、まとまりを眺めることができるようになった気がします。こういう「区切り」を設けて、過去の帰結をまとめなおすことは、時々何かのきっかけをもとに行うと、世界が、同時代に生きながらちゃんと罪があっていく感じがするので、僕は好きです。アフガニスタン撤退は、ある意味、米国が中国との新冷戦体制にシフトしていく契機でもあり、新時代の幕開けでもあるので、いったいなぜこうなったかのまとめをしておくことは、とても価値があるタイミングだと思います。僕は、ミドルスクールの子供たちと、家族で見ました。米国が、今どこにいるのかの一つの起点として、これは見ておくべきだと思ったからです。
■『Turning Point: 9/11 and the War on Terror』が示す、対テロ戦の時代の米国の問題点~戦略目標を明確にできず、大統領に白紙委任を与えてしまったこと
これ、このドキュメンタリーの軸となることです。というのは、もし映像を見て、1. The System Was Blinking Red、2. A Place of Dangerを見れば、911のテロのすさまじさに、言葉を失うと思います。その臨場感。僕は見ているだけで涙が止まりませんでした。正直言って、これだけの出来事が起こってしまっては、この深い悲しみ、怒り、その激しい感情が「どこかに拳を振り下ろさなければ終わるはずがない」というのは、見ていれば「実感として」感じられてしまいます。ここで理性的に、ソ連の侵略を退けるためにアメリカがCIAを投入して、ゲリラン戦術と暴力を教え込んでいき、それによって911よりはるかに多い数の死者が生まれたなどの怨念を比較したりは、人はしません。とにかく、アメリカを攻撃し、アメリカ人を殺戮した!責任を取らせなければ、ならないというのは、自明のどうしようもなかったことだと思います。世界は、そんなに甘くはないので、ここで平和を叫んでも、むしろアメリカが舐められてもっとひどいテロが起きるだけでしょう。だから、アフガニスタンに、テロリストを倒し、捕まえに行くために侵攻するということ自体は、もうここまでのことが起きてしまったのだから、止めることはできなかったでしょう。
ブッシュJr大統領が、America Is Under Attackと閣僚によって、エレメンタリースクールの子供たちと話しているときに、伝えられた時の表情が、凄まじかった。あんなクリティカルな場面が、映像に残っているんだと感心する。
アルカイダを倒すのか?、アフガニスタンの新国家を建国するのか?、それすら、行ったり来たりしていて、よくわからない中で、兵士たちは戦い続けます。なぜ、アフガニスタンで、米軍が、だらだらしているように見えるのか?。簡単です。アフガニスタン以外に戦線が拡大しすぎていて、アフガニスタンに米軍の兵士が集中していないからなんです。一番わけわからないのは、アフガニスタンが中途半端になったのは、米軍がイラク戦争を始めたからでした。このあたりは、イラク戦争に4度従軍したクリス・カイルが著した自伝『ネイビー・シールズ最強の狙撃手』( American Sniper: The Autobiography of the Most Lethal Sniper in U.S. Military History)の映画化『アメリカン・スナイパー』(2014)や『バイス』(Vice)2018年の第43代ジョージ・W・ブッシュの下で副大統領を務めたディック・チェイニーを描いた映画、『グアンタナモ、僕達が見た真実』などを見ると当時の雰囲気が伝わってくるのでお勧めです。ここで映画かれているのは、白紙委任を与えられた権力が、なんだかんだ理由をつけて、権力を濫用していくさまがよく見えてきます。効果的に暴力を使うのではなく、党派性、私利私欲に歪んでいくのは、「白紙委任」されているからですし、「白紙委任」されているので戦略目標をクリアーにして評価される必要がないんです。
ちなみに、歴史をさかのぼると、帝国の墓場(Graveyard of Empires)、アフガニスタン問題が、ソ連による侵略からはじまって、ねじれてねじれていくのが、よくわかる。このあたりは話すと長くなりすぎるので、僕のおすすめは、下記。ロシアの軍事・安全保障政策を専門とする東京大学先端科学技術研究センター特任助教小泉悠の意見。この人は、ロシアの軍事戦略の視点から、この地域をロシアがどのように考えているのかを説明している部分があって、おおーとうなりました。素晴らしいのでお勧めです。ロシアという大国の戦略を、長く深く追っておいて、それをわかりやすい言葉で平易に網羅的に説明できる喜住さんらしい素晴らしい視点でした。
こういう機会なので、いくつかの物語をお勧め。『生きのびるために』( The Breadwinner)2017は、ノラ・トゥーミー監督による、タリバン政権下の少女の物語です。また、このあと、ウサマビンラディンをオバマ政権の時代に暗殺するわけですが、それを描いた2012年のキャサリン・ビグロー監督の『ゼロ・ダーク・サーティ』(Zero Dark Thirty)などもおすすめです。
またもう一つ言いたいのは、こうした「骨太」の、いいかえればキャラクターのドラマトゥルギーを主軸とした脚本は、確かに「古臭く」感じることはあるかもしれないと思います。アニメやSFを見慣れたり読み慣れている人からすると、「新奇さ」がないからですし、SFの本質を「科学的な考証を踏まえて、どれだけその先を見れたか?」というポイントで評価すると、「見たことある」というのは、それだけで大減点になってしまうでしょうから。しかしながら、じゃあ、この作品はダメなんでしょうか?。僕は、そうは思いません。一つは、骨太の年代記的な脚本構成が、素晴らしい出来だからです。そして同時に、この作品がとても、安定した傑作足りうるのは、まぁ見れば誰もがわかるでしょうが、この作品の本質が、歌姫「ディーヴァ (ヴィヴィ)」の歌を聞かせてくれる、聞く物語になっているからです。数々の素晴らしい歌は、とても魅力的でした。この辺りは、『超時空要塞マクロス』シリーズを思わせます。『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』の歌もまた、物語の設定上重要なポジションを占めていましたよね。「Sing My Pleasure」「Fluorite Eye's Song」「Harmony Of One's Heart」などなど、本当に良かったです。僕は、脚本ばかりの出来を見てしまう癖がある「頭でっかちでものを見る」評論家チックな鑑賞をするタイプの人間ですが、映画と並んでアニメは、総合力で構成された芸術、エンタメなので、この音楽の素晴らしさを、取り込む演出は、というか歌がメインといってもいいくらいの魅力は、やはり評価しなければならない点でしょう。
単純に映画を見ていると、カウボーイ仲間から「早く復帰しろよ」という圧力が何度もかかり、主人公時代も、それ以外に生きるすべが知らず、父親から「Be a man!(男らしくあれ!)」とのみ育てられてきた、激しい同調圧力が垣間見ることができます。カウボーイ物は、基本的にこの米国にお「男らしくあれ!」という同調圧力の強さの象徴として描かれてきており、その激しさのアンチテーゼとして、アン・リー監督の『ブロークバック・マウンテン(Brokeback Mountain)』などが描かれているのです。これは、男らしさの協調であるカウボーイの男性の同性愛を描いたところに物語に力点があります。
が、、、、僕は、この話を、Be a man!(男らしくあれ!)の同調圧力の犠牲者の物語、とはとれませんでした。
これ、難しい問いかけだと僕は思いました。なぜならば、このBe a man!(男らしくあれ!)の同調圧力と、オグララ・スー族の馬とともにあるアイデンティティは、重なっているものなので、都合よく櫃だけ抜き出して帰るというのがむずかしいからです。キャンセルカルチャーに代表されるような、ポリティカルコレクトネスが、正しく左翼の末裔なのだと思うのは、「一部分だけ人工的に考えて」それを変える為ならば、その他はすべて専横したり皆殺しにして、一旦更地にしてしまってもかまわないという激しい暴力性があるからです。これを、若い、女性の、しかも中国人のChloé Zhaoが作っているところに、凄みを感じます。彼女を評して「マイノリティに寄り添う視点」といいますが、まさに「寄り添っている」のであって、人々の生きる「生」がそんな単純じゃないことをまざまざと見せつけてくれます。
しかしながら、主人公のブレイディ・ブラックバーン(ジャンドロー)の生活をどう考えればいいのだろう?。というのは、物質的な視点、「白人中産階級の都市生活者」の視点で考えると、最底辺も底辺ですよね。多分、これを告発して否定するというのがリベラル的な視点になるんでしょう。その視点で見ると、彼は教育を受けに外に出ていくか、仕事を探して居留地を出ていくのが正解になってしまうでしょう。『Songs My Brothers Taught Me』が、まさにそういう話です。しかしながら、それはすなわち彼らが、「馬とともにあり」「綿々と親から同胞から伝えられてきた」生き方-----アイデンティティが消滅するという意味でもあります。つまり、ちゃんと物質的な生活の豊かな世界に行けという話は、アイデンティテェイを殺せ、消せということと同義なんです。これ近代化とともに消えていく「その土地に住むことであるアイデンティティ」や「近代的な都市生活にフィットしない慣習」をどのように考えるかという大きなテーマと結びつくと思います。僕は、2011年の傑作台湾映画『セディツク・バレ』を連想します。
また、この文脈でアメリカのものであれば、有名な2009年のジェームスキャメロンの『アバター(Avatar)」ですね。『セディツク・バレ』を、洗練化したというか、「怖さ」を抜いたような脱色した感は否めないですが、同じテーマだと僕はお考えています。この文脈で、全部見同時に連続で見ると、描き方の違いが、受ける印象の違いが面白いですよ。日本人にとっての『セディツク・バレ』と同じをアメリカ人でいうならばたぶん1990年のケビンコスナーの『ダンス・ウィズ・ウルブズ(Dances with Wolves)』に当たるのではないかと思います。