『7SEED』 16巻 田村由美著

7SEEDS(セブンシーズ) 16 (フラワーコミックスアルファ)

この人の作品って詰まっているよなぁ・・・というのは、なんか物凄い遠くへ来たという感触がするのに、まだたった16巻!なんだよねぇ。まぁこの系統の作品としては、同時代で最高の作品なんで、安心して、苦しく読めます(笑)。ふと思ったんだが、安吾たち未来へ送る夏のAチームの養成学校って、ぬるい形だけど『放課後のカリスマ』と同じだね。

放課後のカリスマ 1 (IKKI COMIX)


■関連記事

『7SEEDS』 田村由美著 そうやって人生に差がついていくんだな
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世界が滅びたあとで、どう生きるか?/『7SEEDS 1巻』田村由美
http://ameblo.jp/petronius/entry-10001799579.html

優秀な人間とは?①/『7SEEDS 1巻』田村由美
http://ameblo.jp/petronius/entry-10006576614.html

優秀な人間とは?②/『7SEEDS 7巻』 田村由美
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テロリストになるしかない切実さ/『踊る教室』田村由美
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世界を無から創造する思考方法/『ハイウイング・ストロール小川一水
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アストロノーツ教育機関/『ふたつのスピカ柳沼行
http://ameblo.jp/petronius/entry-10001355684.html

ローマンエンパイアと中世のつながりが分かってくるとヨーロッパが立体的に分かってくる

海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈6〉 (新潮文庫)

いま同時に読んでいるが、このタイトルも物悲しい『最後の努力』は、ディオクレティアヌスコンスタンティヌス帝により、「ローマ的なるもの」が破壊されてゆき、中世の政治構造へ足を踏み入れる時期が書かれている・・・・ここへ至って、ついにヨーロッパ中世との繋がりが明確に感じられるようになってきた。なるほど、、、こういう流れだったのだ・・・。と感心。余裕があれば、もう一度全部読み返してみたい。あとは、古典ギリシアイスラム世界のこういう物語があればもっといいのだが・・・。

ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫)

貞本エヴァが面白い件について

ヤングエース Vol.3 2009年 10月号 [雑誌]

いずみのさんと、おもしろいよねー、、、と言い合っていたが、まわりになかなかそういってくれる人がいない。いやゲンドウの手だけではなくてさ・・・。けど、連載が長期にわたっているし、盛り上がる状況ではないと人ってなかなか言及しないんだよね。

皇帝ディオクレティアヌス〜間違ったものを目指してしまったかもしれないが、ではどうすればよかったんだろう?

ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫)

いま中巻まで読み終わる。田舎の貧農出身に生まれた青年が軍のたたき上げから、皇帝に成り上がり、自分と同じ境遇の仲間と300年にわたるローマ帝国の荒廃を食い止めた男。ディオクレティアヌス。彼は何を見ていたんだろう。なんの贅沢もない最前線でずっと戦い続け、、、ローマの男の最も高貴にして姿勢の義務である「国家の安全保障」を20年にわたり完遂した男。


自分が生まれた時から蛮族にほしいままに村が町が殺戮されるを見続けた青年は、軍隊を志し、、、そして何十年ものキャリアが彼を軍事のプロとして皇帝という役職まで到達した。彼が四頭政で目指したものによって、少なくとも彼の在位中の20年間劇的な安全を帝国にもたらした。


けど、中巻の最初に塩野七生さんが書いているが、何かを為すためには、「その本質」につながっていないと、どれほど偉大で優秀で頑張ってもだめなんだ・・・・・「ローマン・エンパイア」の本質を失っては、それは継続しないんだ・・・。


彼の晩年、、、コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認して、世界を変えていく姿を見て、、、彼はどう思ったのだろう。妻も娘も殺された報告受けて・・・・。

考えてみるとこれも並行世界ものなんだ。

友達100人できるかな 1 (アフタヌーンKC)

評価:★★★☆星3つ半
(僕的主観:★★★☆星3つ半)


読んでいて気付いたのだが、これって並行世界の物語に近い構造を持っているんだよね。だから面白いっ!って思ったのか・・・。ただ、、、どこへ着地するんだろうと読むと思う。楽しみだよ。この手の子供時代の1回生の体験を、読者に楽しませるのは数巻が限界だと思うんだ、、、それは、ただの「夏休みを体験する」というよつばとヴァージョンに過ぎないから。構造的に「よつばと」くらい目的LESSに設定すれば分かる・・・けれども、この物語には強い目的意識というか問題が設定されていて、「友達が百人できなければ地球は滅亡する」わけだから、そのマクロの縛りのドラマが進まなければ読者は早晩飽きるだろう。ふと思ったのだが、これって藤子・F・不二雄先生の傑作『ひとりぼっちの宇宙戦争』と同じ設定だな、、、と思った。

藤子不二雄少年SF短編集 (第1巻) (てんとう虫コミックス―別コロ版)
藤子不二雄少年SF短編集 (第1巻) (てんとう虫コミックス―別コロ版)

よつばと! 8 (電撃コミックス)

『君さえいれば 金枝玉葉』 アニタ ユン レスリーチャン主演

君さえいれば 金枝玉葉 [DVD]

評価:★★★★★星4つ半
(僕的主観:★★★★★星5つ)



一言でいうと、アニタ・ユンのボーイッシュな魅力が最高。めちゃめちゃかわいい!!。



日本のアイドル映画なんかでありそうな設定なんだけど、そこはやっぱりレスリーチャンの演技力は、流石だなぁ。



いわゆるドタバタコメディですが、日本の少女マンガによくありそうな設定ですね。沖田総司は実は女だった!みたいな。



アニタユン扮する新人の男性歌手(レスリーが好きで男に扮装してオーディションを受けにきた)に、惹かれていくレスリーチャンが、もしかして自分はゲイなのか?と勘違いで思い悩む姿は最高に笑える。



とはいえ、男であっても君を愛しているといいきったレスリーの姿は、単純だけど、かっこいー!!。


伝説のアジアの大スター。レスリーチャンは、見ないと損ですよね。

駄目だったら若者は海外に出ればいい

へこたれない
 これからいろいろなことが待っていますよ。60年間の戦後の問題がすべて出てきている。そういうものを改めることによって、日本全体の回復がある。あわてないことでしょうね。私は「イギリスは英国病でひどい状態があって、どうやって立ち直ったのか」と聞かれるたびに言うのは「英国病で大変だと言ったのは日本の人たちで、イギリス人はそう思っていなかった」ということです。良くなったり、悪くなったりすることもあるのだから、大あわてしなかったことがイギリスの特徴じゃないかと思いますね。日本も悲観論がありますが、先進国の中だってそうだし、まして途上国からみれば、日本くらい良いところはない。へこたれないことですよ。

 イギリス人が当時、大変だと思っていなかったもう一つの理由は、「駄目だったら若者は海外に出ればいい」という気分があったからですね。(日本の)若い人たちに外に出て行くことを教えてやりたいんですね。自分の国にいたら、駄目なことばかり見ていますから、非常にネガティブになります。閉塞(へいそく)的になります。外に出れば、日本の立場は良いのだとわかるし、もっと良くするにはどうすればいいかとか、力で日本が強い国になる必要があるかどうか、家族をもっと大事にした生活をすべきじゃないかとか、さまざまな見方が出てくると思います。マイナスをプラスに転じていけることがたくさんあります。(聞き手 田中隆之)


http://www.yomiuri.co.jp/feature/shinnen_interview/fe_sh_20080104.htm

海外で勉強して働こう/[渡辺千賀]テクノロジーベンチャーシリコンバレーの暮らし
http://www.chikawatanabe.com/blog/2009/04/future_of_japan.html


海外で勉強して働く・・・のは魅力的だけど、日本でマンガ読んでアニメについて友達とだべって希望なく生きる選択肢も、けっこう魅力的だよ?
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20090503/p5


この話の続き。


僕は、渡辺千賀さんの言い回しには、非常にイヤな印象を受けたんですが、その理由がわかりました。「勝ち組になるために」海外に出よう!という言い方・ロジック組み方がイヤだったんですね。いっていることは、実は賛成だし、個人的には同じ発想で動くなんだが・・・(笑)。いやもちろん「勝ち残れ!」というサバイブのメッセージは、僕も否定しません。人生はなんだかんだ言って競争。世の中ってそういうものだもの。けど、この言い回しだと、なんというか「お金がすべて」系に感じてしまうんですね。「生き残れ」ではなくて「勝ち組になれ!」というのは、「勝ったやつが勝ち」をすべての条件で全面肯定し過ぎる。ましてや、スタンフォード出れるほどの人であれば、そもそものベースが相当上の位置にいるだろうと思うんですよ、いろんな意味で。そういう人が、「自分だけ都合よく生き残れ」的なメッセージ(となってしまう)をするのは、なんだかなー。「そうなれない人」とか「そもそも米国に行って勝ち残って日本よりも自己実現をできる人の確率がどれくらいあるのか?」っていうよなマイナスの側面の検討も言及もほとんどなしに、焚きつけるのが、僕にはあまりいい気持ちがしない。なんというか、メッセージに奥深さと多様性を強要する感じがしない。いや、もしかしたら、全部ブログを読むとそういう人なのかもしれないので、、、、何ともいえないけどねぇ。でも、、、ここにいたって、どこに行ったて、世界はそんない変わらないぜ!という前提で、「日本がボロボロでどうしようなく救いがないならば」、「同じ救いようがないならば」世界のいろいろなところでチャレンジするのはありじゃないか?という言い回しならば、凄くよく分かる。勝ち組になりたいからじゃない、、、海外に行ったて、全然変わらないかもしれないし、もっと金銭的に悲惨になるかもしれないけれども、それでも「さまざまな世界が見れる!」ってのは、なかなかワクワクしないか?というのならば、、、、、それはよくわかるよ。

有閑マダム 2009/05/08 07:08
こんにちは。
話題になっているブログの渡辺さんには、学歴・キャリア面では遠い存在ですが、住んでいるところも近いから(?!)好感を持っています。
今回の思い切ったエントリーは随分と反響を呼んでいますが、私は彼女の言わんとしている気持ちがわかるような気がします。

不況だ何だと言っても、結局日本は住みやすい国で、かゆいところに手の届くサービスもあるし、わざわざ外に出て行く必要ないかもしれない。
でも、若いうちから未知のものや未知の世界に一歩踏み出してみる好奇心よりも、心地の良い安全圏にとどまることを望む人が増えるというのは、どうなんだろう?? っていう気持ちですね。

国内とか海外に関わらず、慣れ親しんだ範囲から一歩外に出ることはストレスを生みますが、結果的に得るものが必ずあると思うんです。後に元いた場所に帰っていくとしても、その途中経過の体験は無駄にはならないんじゃないかな〜。その体験によって、元いた場所に一層貢献できる何かを身につけることもあるんじゃないかな〜。

シリコンバレーは、色々なバックグラウンドの人が複数の文化にまたがって、複数の基点をもって生活しているところなので、一つの場所にそこまで拘ることはないんじゃないの??という感覚になってしまうのかもしれません。ちょっと別のチャレンジをしてみることで世界が広がる可能性もあるよ、と。


もし日本の社会で悶々としているならば、そこ限定で考える必要なないのではないか、と。(渡辺さん自身、日本よりもシリコンバレーが肌に合うようなので、世界の中で今以上に自分が生き生き出来る場所がある可能性を考えてみるのもいい、ということでしょうね。)ペトロニウスさんのおっしゃるとおり、もともと本人が現実からの逃避としてとらえているならば、どこに移動したところで何の可能性も広がらないだろうし、どこにいても成功する人はする、しない人はしない、というのも本当だと思います。

日本にとどまっていても、広い視野で物事を見られる人もいれば、次々舞台を変えても内面的に変化を受け付けない人もいますし。また、成功とか大きな変化を求める前に、人としてごく普通の毎日の暮らしの楽しみや、家族を大切にして仲良くやっていくことの喜びなど、そちらを犠牲にすべきということでは、ないと思います。

しかし、外に出ているものがこういうことを言うと、得てして


「国を出て行ったものにそんなことを言われる筋合いはない」


という反応が出てくるものですね〜。 いくつかそういう論調のコメントを目にしました。


別に私たち、日本を見限って捨てたわけではないんですけど・・・・
渡辺さんがこういうことをわざわざ言うのも、日本に対する気持ちが強いからこそ、と思うんですが・・・・どうでもいいやと思っていたら、わざわざ反感を呼ぶことを承知で、言わないでしょうし。


有閑マダムさんお久しぶりですっていうか、コメントあまりに遅くてすみません(苦笑)。ちなみにねぇ、、、「国を出て行ったものにそんなことを言われる筋合いはない」とかいうバカは無視しましょう。少なくとも、日本で教育受けたり日本語で思考をする人は、どこへ行こうと、何をしようと、日本人です。たとえ敵対行動をして国家に反逆したとしても。血とか民族すらも関係ない、と僕は思います。自分の家族と友達と子ども時代の住んでいた記憶があれば、もうそれって「刻印」ですもの。そういう人たちは、どこまでいっても仲間であって敵ではないんです。もちろん他民族だってそうだろうけど、そもそもそういったコミュニケーションコストが劇的に低い人は、ようは同じ記憶と歴史をバックグラウンドを持っているんだから、、、そういうのは、いっぱい話し合って、いろいろ考えればいーじゃねーかって思いますがねぇ。もちちろん、国家の運営という一時期の組織運営として、税金を払っていないというのはあるかもしれないけれどもねぇ・・・。いまは、さまざまなコミットの方法があるわけだし、むしろそうコミットのインフラストラクチャーを用意するのが、国家の役目であるとすら思うんだけどなー。

多様な人を多様な方法でコミットさせるだけの器と度量こそが、ほんとうに共同体やネイションステイツのあるべき姿だと思う。自由を保障するインフラをつくること「こそ」が国家の役目なんじゃないの?、とか思います。

まぁもちろん共同体にほすいがない人間を共同体の参加メンバーとして認めないのは、国家の基本ですがね。レスプブリカ。ローマの強さは、自国の共同体に自己を捧げることを至上の名誉としたことと、多民族や敗者でも平気付け入れていく同化する懐の深さ・・・という排他性と流動性がセットになっていたことによります。国であるからには、名誉と規範と、強い求心力と排他性を持つことは悪くないんです。けどどれだけその反対のダイヴァーシティーへの流動性が激しく強烈に開かれていくか、ということも同時に重要なんですよね。

僕はどんなに小さい領域でも、、それが家族でも、友人メンバーでも、自分のチームでも、自分の課でも、、、、どんな小さな集まりでも、この排他性と多様性を強くしようと思っています。求心性や強制がないと人は駄目になる。けど、それは目的のためであって、そのためにはそれ以外のコミットの方法は多様であるべきだし、多様な手法でこそ追求されないとだめだ、ともうんですよね。凄く抽象的で分かりにくいですが。たとえば、ぼくはかぞくはなかよくなきゃいけあない!、いつもたがいのことを深く思っていなければいけない!という強い「MUST」感覚があります。人間の集まりで「MUST」って全体主義的で強制でよくなくて、だいたいがうまくいかないんですが、こういった「幻想」なくして人はベクトルがそろわないと思うんですよ。その「幻想」を物理的に維持できてしまうような戦略的な場を作り出すことこそが、これからのリーダーや人の中心にいる人の目指すべきことだと僕あ思うんです。「場」の設計者。けれでも、その場は、、、、つまり空間は作ることができるし、ベクトルはある程度マインドセットできても、そこでどのように振る舞うのか、またそこからいつでも出ていけるということは、自由が保障されて・・・というか、自由というよりは、多様性が保障されていなければいけないと思うんですよね。そういう空間が作れる人でありたい、と僕はいつも思っているし、自分がいるところはそういう風であってほしいと思います。

などなどつらつらと考えました。

ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫)