「宇宙の戦士」主義者〜社会契約は自然権の上位に位置するか?

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そこで「宇宙の戦士」主義者のLDが通りますよ?w


> つまり、ハインラインの魅力は「アメリカ的なるもの」をピュアに描いている点だと僕は思うのです。


なるほど〜。僕が「宇宙の戦士」に感じ入ってしまうのは「それ」が言い訳もなく確信的に綴られているからなんですが、それはやっぱり、何というかアメリカというものを大肯定する視点から来るものなんでしょうね。


しかし、そこで語られる思想というものは「アメリカ的」というよりは「社会契約」というもの考え方から来る必然的な結論であるとも思うんですね。
アメリカだろうが日本だろうが「社会契約」を政体に取り入れる以上は「自由のために自己を捧げきる」→「自らの選択するところの契約に自己を捧げ(=根源的な自由。当然契約しなくたっていい!)それによって“契約上の自由”を享受する」という考え方から逸脱するべきではないと思っています。
いや、つまりハイラインのあの世界はアメリカを描いているものではあるだろうけど、現在の我々にも当てはまる話だよねって事ですけど(汗)w


…社会契約に署名した以上(くどいようだけど署名しない自由は常にある)、その契約が(内にも外にも)正しく履行されている状態を保つのは、自らの生命の上位に位置する使命……のはずでw「社会契約論」ってすごくよくできたものの考え方だと思うんですけど、自然権説や憲法改正限界説やらとの背反の中で、極めてシンプルなはずのそのプライオリティがゆがめられている…と思ってしまう。僕の感覚では「契約は現実対処」だけど「自然権は神話(根拠の創造)」に過ぎないだろうと思ってしまうんですけどね…。



しかし、僕が「宇宙の戦士」を真に受けて「その共同体(契約組織)の運営に参加していいのは、その共同体に命を捧げられる者だけだろう?」という言い方をすると、どうしても「ちょっと待てw」と言われてしまい、ションボリしてしまった経験が多いですw


それは生命権(それにともなう自由意志)の認識が強いからと思っているんだけど、でも、僕はやっぱり自然権には幻想があると思う。人間には生命も自由も財産も有るだろうけど、それらが保障される、されなければならない装置は、宇宙開闢以来、一切「自然現象」の中には存在した試しはないと思う。生命・自由・財産を確保する権利は人類の「空想の産物」に過ぎない。人類が「そう言ってみただけ」のものだと思う。


本来「言ってみただけ」の何の効果もない、この呪文を、実現させているのは間違いなく「契約」だ。だから、この契約を超えたところに人権の保障はない。


この人権という考え方が発生した当初に「普遍性の裏打ち」をしたその意図は分かるし、それには意味があったと思う。でも今は、少なくとも日本の社会を見ていると社会契約の体系とその認識を“分かりづらい”ものにしているように思えます。



ペトロニウスさんは「武士道みたい」と引き合いに出されていましたがw自分の生命には本来、何の保障もない、ある日突然意味無く失われてしまう事が、何の不当もない当たり前の「自然現象」である事を思い知っているなら「どうすれば納得して死ねるか?」って話にしかならないと思うし、その中で「社会契約」は、かなりまともな死に方を提示したプランだと思う。


当然、自分の意志の全てを満たしてくれる夢のような契約(プラン)など世界のどこにも存在しないんですけどね。せいぜい自分で書くしかない(非現実的だけど)。…まあ、日本国憲法は相当に夢のような契約(プラン)の一つだと思いますがw


しかし、結果としてこのゆるゆるの契約書は「社会契約論」の継承を大きく阻害するものになっているんじゃないかとも思いますね。…まあ、ここらへんはまた別の機会でしょうか。


そういった込み込みの意味を込めて「俺…『宇宙の戦士』主義者なんだぜ?(ニヤリ)」とか、時々喋ったりするんですが(酒の場とかで)……あんまり、ウケた記憶がありません。(´・ω・`)ショボーン


脱線御免。


ああ、素晴らしいハインラインの文章で僕がいいたかったこと、真に議論したかったことは、「ここ」です。これだから、LDさんとの会話はやめられないぜ、、、最後のにちょろっと、社会契約の話を書いたことをこうも正確に読み取られると、、、うれしいですね。「ああ、わかってくれているんだなー」って。どうせこの話は、延々していくことになると思うし、そもそも凄く誤解される意見だと思うので、基礎概念から紐解いていかないと一概に言ってしまっていい端ではないと僕も思いますので、少し僕も脱線して周辺から考えてみたいのですが、そもそも僕は中学生ぐらいから「空白の日本近代史」と「統合と分裂で揺れ動く病めるアメリカ社会を見る」という大きなテーマで色々な情報を考えてきました。いろいろブログで派生テーマは増えましたが、実はすべてはこれに集約されるといっても過言ではありません。ちなみに、ハーバード大学歴史学者ニアル・ファガーソンを取り上げるのも後藤新平を何度も取り上げるのも、この意識の延長線上です。


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「空白の日本近代史」とは、いってみれば、自分のルーツはどこから来たのか?そルーツを肯定するためには、どうすればいいのか?という発想の一形態です。もともと、僕には、とても強烈に日本人としての誇りがあります。理由はわかりませんが、基本的に子供のころから考えてみると右の意識は強かったようです。でも、同時に、外国人の友人は多く、とても外国に憧れて育ちもしました。アメリカも中国もそのどちらも(考えてみれば、僕が片言なりでもしゃべれる言語は、この二つだけですね)。


だから、そのすべてを包括して、過去の歴史と今ある自分を肯定できるルーツの確認がしたかったんだと思います。基本的に戦後の教育理念は、「日本が成長することは世界にとって害悪」ということや「国家意識や民族意識というナショナリティーを解体していく志向」というどちらかというとインターナショナリズムコミュニズム的志向が、強く戦後日本を覆いました。それ自体は歴史の結果でもあるし、その結果生まれた豊饒なものは、そのせいで歪められたものを見てあえ、僕は肯定したい。それは、「今の自分が幸せだから」。こうしてサブカルチャーに耽溺して、市民生活を謳歌し、そして使命と信じるシゴトに邁進できるということは、決して、世界は、日本は間違っていない!と信じるからです。これは感覚ですね。


でも、そのルーツがつながらない。いま僕がやっていることはすべて、近代の諸先輩方や祖先がやってきたことと面々に引き継がれています。僕は日本の大企業に務めるだけに、その意識は強く持っています。日本のほとんどの組織は、日本の近代のモダニズムの夢に成り立っているからです。その理想と意志はまだ消えたわけではなく、創設者らが死んでもその夢、意思はまだ組織に脈々と生き続けています。地政学上の環境もほとんど変わっていないのだから、当たり前です。ここのルーツを、「自分」と「組織(=仕事)」と「日本」と「世界」がちゃんと繋がるイメージを僕は持ちたいのです。なぜならば、グローバルカンパニーとなりつつある弊社では、アジア中、世界中から社員をとりつつあり、そのかれらと同じ夢を見、彼らの動機を上げ、そして世界の平和のために働こうと思えば、「それ」抜きに語れないじゃないですか。僕が組織を率いる時に、その「ことば」がなければ、なにをもってダイヴァーシティーを貫けばいいのだろうか?。経済だけで、金だけで人は動かない。そこに、夢と志がなければ。ちなみに、僕ははやくはやく『風雲児』を読みたいのはその理由もあります。


もちろん、近現代史というのは、受験の関係上からも、日本ではかなか教えないし、「何よりも定まった解釈」が存在しな曖昧な領域で、かつ、明治維新と1945年の敗戦で、大きな価値上の断絶が存在し、そこへの統一した歴史の流れへの感覚があまりに薄い。これが僕はダメだと思うのだ。たとえば、少し左寄りに、過去の侵略に対して「謝罪」とかいうのだけれども、なにを主体として、何に明確に謝罪するかは、そういった歴史意識の実態が伴わなければ、どうしても外交上のパワーバランスの駆け引きになってしまう。それはもう仕方がないのだ。だって、国家としての理念でやっているんじゃないんだもの。それでは、言葉に確信が持てない。ここでたぶん抜けているのは、健全なナショナリズムの部分や文明の使途してのモダニズムの評価などであるはずで、それは、アメリカが世界に先駆けてロックの社会思想で実験的に作った人工的な国家、、、その近代国家の成り立ちや目指すところの意味と歴史の流れを確認し、どんな世界へわれわれが向かっているのか?、理論だけに騙されないで、そこで現実的であるにはどうすればいいのか?という疑問です。

そう、「統合と分裂で揺れ動く病めるアメリカ社会を見る」というのは、近代国家や近代主義モダニズム・・・そして「帝国」という多様性の統合システムへの再評価、という意味が僕の意図の中ではあったんだと思います。おお、長くなったのですが、このテーマは、LDさんも、電話でしゃべっているのの100万分の1も話していないので、少しづつ作業をすすめましょう。でわ。これから出勤です。

追記

ちょっと遠くな話な気がするんですが、たとえば、この議論の時に、では「セツナ・F・セイエイの戦争をなくしたいという気持ちとどうつながるか?」とか、ガンダム00で、世界平和は、ソレスタルビーイングが存在しなければ、本当に達成されなかったのだろうか?。という、世界の統治や運営方法に関わる評価を、これで見事にできるようになっていくんですね。何事も抽象的な議論は、凄く強いのです。


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