上司は3人経験しないと分からないよ〜上の人だからといって軽々しく信じてはいけないよ

新入社員時にある上の人からこういう言葉を送られた。


上司は3人経験しないと分からないよ〜上の人だからといって軽々しく信じてはいけないよ

僕は気に入った言葉やフレーズをずっとメモして取っておく経験があって、時々読み返して今の自分で相対化したり、受ける感覚を見直したりしています。最近この言葉の真の奥義というか意味が分かってきた気がします。



これはある価値観を絶対化して受け入れないで相対化しなさい、といっているのだと思う。



最初に聞いたときから、これが絶対化や思い込みを排せ、というメッセージだとは気づいていたのですが、、、そんな当たり前のことをなぜ重要な信条という風に持たなければいけないかがよく分かっていなかったんだといまさらながらに気づきました。いま、僕は、僕のひとつ上ぐらいの世代で、最高の出世頭という先輩の下で働いているのですが、この人のシゴトの出来方が尋常でないんですね(笑)。もう、すごいのさ、さすが!!、としか言いようが無い。僕は信服して、いったいいつまでに彼と同レベルに上れるか、ということを・・・もちろん1年かかる気はありませんが、、、、考えているのですが、こういった状況で、孤立無援の新しいセクションに、やったことの無い仕事で、熟練のメンバーに囲まれて即戦力を期待される時に、自然と起きる現象があります。




それは、郷に入れば郷に従え



というやつです。まずは「今のやり方」が120%できないと、人はその村では認めてもらえません。村は、排他的でムラ社会の悪い原理があるからこそ、共同体としての結束力があって早くいいアウトプットを出せるという矛盾を抱えたもんなんです。ビジネスのオペレーションレベルのでの実戦部隊は。ところがですね、大体で、いかにうまく回っている部隊でも問題点はあります。新人には、①「今までのやり方を絶対遵守120%効率化する」ことと同時に、②「その部隊の抱える問題点を見つけ出し告発して変化指させる」という二重のダブルバイドの矛盾した命題が要求されるものなんです。意識されようが無意識だろうが、望もうがの望まれなかろうが、です。


とすると、、、、


具体的に、ここでの方法論は、ある程度パターン化こそできますが、共同体のムラに入り込む儀式参入(=イニュシュエーショイン)と、そのムラで、ある種の改革派として発言権を持つという非常に、個別性の要求されるミッションがここでは要求されます。

そして、どのムラでも、よほどのマネージャーレベル・・・プレイイングでない課長とか部長級で無い限り、指導力や課員のモチヴェーションや業績管理だけではなく、オペレーションの実態を実務的にまわせることが要求されてしまいます。もちろん、企画とか俯瞰した視点なんて言った瞬間に撲殺されます。そんな偉い人の考えることやっている余裕はねぇんだよ!ってね。オペレーションは、そういう俯瞰次元の話ではないので、評論家的な態度に受け取られてしまいます。


だから、新人が新しい部隊に入るときには、そのムラのしきたりに対する絶対遵守が要求されます。これをして、「郷に入れば郷に従え」という意味になるのでしょう。社会学でい言うのならば、これは共同体の同調圧力と呼びます。が・・・・少なくとも、ビジネスには、旧態依然としたことをやっていれば言いなんて馬鹿な話はありません。また新人には、戦力以外の「何か」が無いと、バカにされてしまいます。だって、ベテランが、1秒でやれることを説明されてすらなかなかできないものでしょうから。


ここで、いわゆるムラの論理として、その村の長としての上司は、新人に対して「まずは、今までのやり方が120%できるようになってくれ」という指示を出します。そしてこれは部下や新人のような、何も背景の無いまっさらな人には、ある種の信仰にも近い絶対化として、受け入れざるを得ません。ポーズとしてでも。


ここで、しかも毎日の習慣が強制されて、この価値観に絶対化されて帰依していくことで、その人は「その子の村人の資格」を得ていきます。そして、たいていは、相対化の契機を失ってしまうんですよね。


また相対化の契機(=将来の改革)なんかはまだかっこいい高次の話で、もっと俗に言うのならば、人間は、同調圧力には生理的に拒否と嫌悪感を抱くものなんです。「自分が変われ」と他者から強制されるわけですから。そこで、しかもムラの圧力・・・・その村の今までうまく入ってきたやり方(=かといってこれから正しいなんて誰もいえない)を、強制的に周りから叩き込まれます。拒否は、無視村八分ですから。その時点で、とてもメンタル・・・・・




続きはまたとで書きます。