関係性の物語への既視感

ふと思う。僕は、初めて出会った時に、瞬間的に、LDさんを兄貴みたい・・・で、いずみのさんを弟みたい(これは二回目に真に出会った時にね)・・・と思ったんだが、ようはこれ、僕が「好きだ!」って思ったってことなんだろうねぇ(笑)。こういうのって、分析癖の果てにある勘みたいなものなんだけれども、会った初見で、自分とその人の関係性がどこまで進むかが、わかってしまう。・・・僕はたいてい気に入った女の子を「妹みたい」と思うのだけれども、実は、妻には一度も思ったことがない。・・・考えてみると、僕が好きが、ちゃんと愛に変わったのは妻だけで、、、そういう意味では、やっぱりちゃんと最初から、この子は妹ではない、恋人だ!とちゃんと関係性の果てにあるものが見えていた気がする。こういう勘って凄く有用かもな、、、と思う。


特にビジネスや友だちづくりには、弟か兄貴だ!と思った人とは、たいてい惚れこむので、生涯の友人になるパターンが多いので、忙しくてもその人たちに対しては惜しみなく時間を割く。なぜならば、それが僕の人生の豊かさにつながるからだ。はずれがないというのは、なかなか気が楽だ。無駄な時間を使わなくていいから。僕にとっては一番いい関係が、「兄貴と弟の関係(シモンとカミナ)」のようで、それが憧れでもあり、僕にとってりそうの「あるべき関係性」なんだろうって思う。人は、理想に思える何かを探し求めながら、ここの広漠とした現実を、つかの間の生で生きていくもので、そういうのに対する嗅覚が働くのは、歓迎すべきことだ。その二者の関係性のドラマツゥルギーは、種があっでも、、、それを本物にするのは、時間と惜しみなくその人と何かを共有することだけでしか、花には咲き誇れないからね。種を見つけたら、その関係性を本物にするかどうかは、意志の力と時間による試練だ、と僕は思う。相手の思いや言葉にどれだけ、深く感染できるか、、、また忘れた頃に、、、相手の顔が思い浮かぶか…だと思う。人生いい時ばかりではなく、、、、いろいろなことがあるものだもの。でも、いい友だちが、、、深く関わる奴がいない人生なんて、なんて味気のない人生だろうと思う。