『ディバイデッド・フロント』 高瀬彼方著 「世界が絶望的な状況にあること」と「世界に絶望すること」の違い

ディバイデッド・フロント〈3〉この空と大地に誓う (角川スニーカー文庫)ディバイデッド・フロント〈3〉この空と大地に誓う (角川スニーカー文庫)
高瀬 彼方

角川書店 2005-02
売り上げランキング : 345892

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
ディバイデッド・フロント(2) 僕らが戦う、その理由 (スニーカー文庫)ディバイデッド・フロント(2) 僕らが戦う、その理由 (スニーカー文庫)
高瀬 彼方

角川書店 2004-04-28
売り上げランキング : 370389

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
ディバイデッド・フロント〈1〉隔離戦区の空の下 (角川スニーカー文庫)ディバイデッド・フロント〈1〉隔離戦区の空の下 (角川スニーカー文庫)
高瀬 彼方

角川書店 2003-05
売り上げランキング : 364356

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


評価:★★★★☆星4つ半(だが、傑作だ!)
(僕的主観:★★★★★星5つ)


□本好きは、紹介された本で、その人を評価してしまう悪い癖がある(笑)


sさん からのお薦めで、アマゾンの中古で何とか確保して読了。sさんが、熱狂的に好きなものだと紹介されたのだが・・・・こういうのは、とてもうれしい。熱上的に好きというのは、「その人そのもの」の思い入れも同時にプレゼントされるものだから。たぶんこの紹介する本が、これほどよくなかったら、わざわざsくんを個人認識しなかったと思う(笑)。というのは失礼だが、、、なにがいいたいかというと、やっぱり何を紹介してくれるか?、紹介し続けてくれるか?というのは、本好きの僕にとっては、その人の人格の評価を決めてしまうものだからだ。いや、ほんとはよくないんだが、どうしてもそういうのあるよね。ちなみに、たかがライトノベル、、、、という風には僕はとらえない。何度も言うが、カテゴリーなどは、表層の意匠に過ぎない。本質は面白いかどうか、なにが本質的に言いたいか?とかそういうことなんだと思う。


星の数にも表れているが、『ディバイディッド・フロント』は、素晴らしかった。といってから、1年以上たつんだなー。2007年の10月にこの記事を書きているからねー。特に、sくんに感謝したいのは、この本が、ウルトラマイナーであり、ほぼ絶版(笑)に近いような、あまり手に入りにくいものであったという点だ。メジャーなものは、いつかは出会うことはあったかもしれないが、こういうマイナーな傑作は、人に紹介されないとなかなか出合わないものだからだ。1年近くたっているが、既に、何か勇気がほしい時に、4〜5回読み返しているので、この本は僕にとって、何か大切なものを思い出させてくれる、大切な本の一つになりつつある。特に、感情的に好きだ!と僕個人にとって価値があるだけではなく、下記で描くように構造的にも、非常にオリジナルな部分があり、僕としては傑作として認定してもいい本だと思う。テーマが見事に秀逸だ。すべての万人が、確実にいいというかどうかは少し悩むところだが(ライトノベルの装丁だし)、それでも、ここで書かれた本質は、この限りなく孤独で過酷な都市文明の世界に生きる我々にとって、読む価値のある素晴らしいものだと僕は断言したい。



□「世界が絶望的な状況にあること」と「世界に絶望すること」〜世界が絶望的な状態で未来に夢も希望がなくとも、「それでも」僕らは生きてゆく


この全体を通しての、評価ポイントは、この作品の基調低音というか、ずばりテーマそのものだが「世界が絶望的な状況で、人間が生き続けるとはどういうことか?」ということとだ。作品全体の世界観、魅力である関係性などなどが包括して、3巻の最後まで継続していて、完全に一つのテーマを浮き上がらせている。そのため読了が見事に清々しかった。また作品のすべてのエピソードが、この非常に表現するのが難しい抽象的なテーマを見事に具現化していて、うぉってうなった。


最後のあとがきで、明確にそれを意識して書いたというコメントがあるので、この人はかなり才能がある作家なんだと思う。ただ、、、、大ブレイクするというよりは秀作として、ピリッと辛いマイナーポジションで終わってしまう可能性が高い。もう一つ何かが、ブレイクには必要だとは思う。これだけの物語をかければ、正直そういうのは不必要な気もするが、やはり素晴らしい作家には、儲けてほしいし、いい生活もしてほしいし、その代わりにもっと多作で素晴らしいものをたくさん書いてほしいと思う。

ちなみに素晴らしさの結論として書いて置くと、最後のあとがきにある言葉がそのままなので、引用。



「世界が絶望的な状況にあること」と、「世界に絶望すること」との間には巨大な隔たりがあると思います。


p420
「ディバイデッド・フロント3〜この空と大地に誓う」あとがきより

さて、もう少しこのことを敷衍してみよう。せっかくだし、また読み直した感動を、確認したく。いや、こんなふうに普通できないよ。完成度が凄く高い。ということで、「世界が絶望的な状況で、人間が生き続けるとはどういうことか?」ということを分解してみよう。「世界が絶望的な状況」というのは、どういうことだろうか?。ちなみに、僕のテーマである、マクロとミクロの接続というドラマツゥルギー類型の答えの出し方の一つとして、非常にオリジナルな感触を受けたので。

人はこの地を、「北関東隔離戦区」と呼ぶ! 新シリーズ、ミッション開始!


人類が謎のモンスターの攻撃を受けてから20年――この憑魔に寄生されてしまったがゆえに、隔離された戦場で戦い続けなければならない少年少女がいた!土岐英次、宮沢香奈たちの部隊に迫る巨大な危機とは!?


「あ、あの…頑張って、下さいね」それは土岐英次や楢崎イチルらが配属された陸上自衛隊部隊・通称「イコマ小隊」のありふれた一日。顔を真っ赤にした宮沢香奈の消え入るような言葉を背に、二人が未知の敵と遭遇することになる調査活動に出るまでは…。“憑魔”と呼ばれる異形の生物群に寄生されたがゆえに、完全隔離下の戦場に送り込まれた少年少女たち。人はこの地獄を「北関東隔離戦区」と呼ぶ!鬼才の新シリーズ、作戦開始。


これが、1巻の裏表紙にあった解説なんだが、SFというかライトノベルの良くあるマクロ環境なんですよね。人類が理解できない怪物が発生して、それとの絶望的な戦いが継続しているという設定。まぁ最近の作品でもアージュの『マブラブオルタネイティブ』も、永井豪の傑作の『デビルマンやまむらはじめの『蒼のサンクストゥス』、ガイナックスの『トップをねらえ!』、古いSFを考えると『幼年期の終わり』、ハインラインの『宇宙の戦士』、オースン・スコット・カートの『エンダーのゲーム』『死者の代弁者』、ウォシャウスキー兄弟の『マトリックス』とかあげればいくらでもあるだろうが、人類とコミュニケーションができない異生物相手に延々と戦い続けている・・・全面戦争中である、というのは、SFの考える想像力の基盤のようなものですよね。(・・・・なんでかな???)



蒼のサンクトゥス 5 (5) (ヤングジャンプコミックス)蒼のサンクトゥス 5 (5) (ヤングジャンプコミックス)
やまむら はじめ

集英社 2007-03-19
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
マブラヴオルタネイティヴ DVD-ROM版 リニューアルパッケージマブラヴオルタネイティヴ DVD-ROM版 リニューアルパッケージ

アージュ 2006-03-31
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
デビルマン (1) (講談社漫画文庫)デビルマン (1) (講談社漫画文庫)
永井 豪

コミックス 1997-04
売り上げランキング : 164281

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
エンダーのゲーム (ハヤカワ文庫 SF (746))エンダーのゲーム (ハヤカワ文庫 SF (746))
オースン・スコット・カード

早川書房 1987-11
売り上げランキング : 12382

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
トップをねらえ! Vol.1トップをねらえ! Vol.1
岡田斗司夫

バンダイビジュアル 2000-11-25
売り上げランキング : 9953

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
マトリックスマトリックス
キアヌ・リーブス

ワーナー・ホーム・ビデオ 2006-07-21
売り上げランキング : 6859

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)
池田 真紀子

光文社 2007-11-08
売り上げランキング : 3387

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


ただ、この『ディバイデッド・フロント』が特に秀逸だな、と思うのは、その仕掛け。徹底的に『北関東隔離戦区』という隔離された地域で「日常的に絶望的な戦闘が継続する」マクロ的な構造が設計されているところ。


かいつまんで説明するつと、ここでの怪物は、憑魔というのだが、これがどこからから突然現れる(テレポート?なぜだからわかっていない)のだが、これがある特定地域に集中して現れる。そこが密林化して異世界化するのだが、そこの怪物どもを軍の戦力や核ミサイルで焼き払うと、その発生ポイントが違う場所に移動するんですね。それが、大都市の真ん中だったりすると、もう最悪。そうやって、その憑魔たちを殲滅しようと大規模爆撃を継続した国は、滅びてしまったりしている。だから、間引きのように通常戦力でその地域の怪物を継続的に殺し続けて管理するという道を、人類は選んだわけだ。だから、日本では、北関東、、、、東京を含む群馬、栃木、埼玉周辺が高い壁で区切られて、憑魔発生ポイントととして、隔離され管理されている。大規模な戦力が投入できない、、、あまり殲滅しすぎると発生ポイントが、やっと復興し始めている東海地方や遷都した京都に来られては、日本が崩壊してしまうからだ。だから、壁で囲み、この地域は憑魔の巣とさせているんです。そして、このテレポーテーション?でくる憑魔は、時に人間の体の中に現れることもあり、その場合は高い確率で人間と同化してしまうのですが、そういった共生憑魔に冒された人は、いやおうなしに、隔離戦区最前線の自衛隊に強制的にほおり込まれます。この隔離戦区内に、非常に年齢構成がバラバラな人がいるのはそのためです。


えっとね、なにが言いたいかというと、この絶望的なまでに「明日がない」状況というのを感じてもらいたいんです。共生憑魔に冒された人々は、ティーエイジャーで男女関係なく、一度はいったら死ぬまで出ることの出来ないこの戦闘地域にほおり込まれます。昨日まで日常を過ごしていた普通の人がです。もちろん、男女関係なく。1巻で、このイコマ小隊のメンバーの一人の宮沢香奈(15)は、気弱で引っ込み思案で、あまりに絶望的でバタバタ人が死んでいく過酷な隔離戦区に強制的につれてこられてしまい、それに適用できなくて周りとも打ち解けず、最後には戦闘中に自殺しようとさえ試みます・・・。(ちなみに、この宮沢さんの造形、性格ともに、ネギまのどかを僕は凄い思い起こさせる・・・というか、そのものじゃん(笑)とか・・・それはまーどうでもいいことだが)でもまーこの環境に普通の人がほおり込まれたら、そうなりますよね。

ネギま!パーティーBookネギパ! 2 (2) (KCデラックス)ネギま!パーティーBookネギパ! 2 (2) (KCデラックス)
赤松 健

講談社 2006-09-15
売り上げランキング :

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

銀色蜥蜴とか、体長3メートルはあって、対肉弾戦では、一匹で何百人の人間を殺しつくすような怪獣や、5メートルはあるようなカマキリが数百匹もいるようなところに、ほぼ対人レベルの弱小装備で突入していき、ほぼ毎日死人が出るような・・・それも怪獣に食べられたり解体させられたりするわけですよ、、、それも親しい人が目の前で。そんなところに抵抗できるわけないじゃないですか。しかも、報道管制が引かれていることもあり、隔離戦区の外とはほぼ連絡は取れないため、自衛隊の装備を縮小して復興予算に回せということで、この仕事は誰からも顧みられない仕事として外部の日本人にはよく思われておりません。


また、さらに厳しいのは、この戦闘には「終わりと勝利がない」ことです。そもそもマクロの設計上、絶望的な弱小装備で(予算がない!)で、年端もいかない子供たちまで含めてが、まったくコミュニケートできない怪物相手に、ほぼ肉弾戦を繰り広げるわけです。なぜならば、国家と人類の戦略的目的は「憑魔の発生ポイントを異動させない」ことにあるわけで、軍事力の投入はギリギリまで抑えられるからなんですよ。そして、戦闘でも「勝ち過ぎてはいけない」という制限があるわけです。


なにそれ???



□世界が絶望的であるのならば、生きている意味はほとんどない〜精確に云うと、マクロから生きる意義を引き出せない環境下


この環境で、先ほどの15歳の引っ込み思案な少女、宮沢香奈ちゃんの視点に戻ってみましょう。ちなみに、この作品の秀逸さは、各章ごとにすべてが、登場人物の主観で構成されており、それが組み合わせることにより、チーム全体の感覚を神の視点で見ることができて、かつ主観性による感情移入が強くできるという構成の妙です。・・・死ぬまで出ることのできない地獄に両親から引き離されて、毎日が殺し合い。目の前で友人が肉塊に解体されるのが日常茶飯事の環境ですよ。しかも、どんなに成長したところで、敵と倒したところで、この隔離戦区から出ることもできないし、装備だってリソースだってほとんど向上したり増えることがないんですよ。ほとんど奴隷ですよね。それ。



つまり、日常が生きるに値しないほど苦しい上に、目的がいっさい存在しないんです。



これって、一人の人間の生活や実存から考えると、もう悲惨を通り越して、言葉もありません。僕は、満員電車に乗って、日々ボロボロになりながら仕事をするさびしいサラリーマンかもしれません。客観的には。上司と部下の板挟みにあい、原油高で事業はボロボロになり、顧客とサプライヤーの板挟みで、どうしていいかわからず、、、みたいな(笑)。サラリーマンなんか、生きる上で何の快楽もないほど大変なものですよ。けど、仮にこれをもっとひどくしても、僕は、戦えますし、喜んでこの地獄に耐えます。それは、未来に勝利があるかもしれないという希望があるからです。目の前の苦しさをクリアするたびに、僕は出世に近づきます。出世とは、偉くなることではなく、よりワクワクするような大規模で、世界を変えるようなキラキラした凄い仕事を、自分の手で独力でまわしきる権利が与えられることです。しかも、勝てば勝つほど、予算が増え、周りの人間に賞賛され、苦しいことも比例的に大きくなる代わりに、見える世界が変わり、喜びはそれこと乗数効果で増えていきます。世界を変えられるかもしれない!という希望があるんですよいつも。そう、未来への希望があるからこそ、、、それが嘘であっても、その「可能性」があるだけで、人は、生きていけるのです。ニンジンがあれば、馬は希望をもって、意味のない競争でもやれるんです。人間の動機とはそういうもの。



けど、この隔離戦区には、希望がないんです。がんばれば、未来が変わるかもしれない、という希望が。



この作品の最も秀逸な部分は、人間が日常的に生きて生活していかなければならないシゴトのレベルで、目の前の日常のレベルで、いっさい救済ののある未来が提示されていない、、、構造的に生きる動機が調達できない、暗闇の世界で生きなければならないというマクロ環境を設定したところにある、と思います。凡百の小説では、主人公が凄いことをやってのけるもっとも大きな理由は、実は、「大きな動機があり」、その大きな動機が普段の日常ではサルベーション(=救済)されないのだが、その小説世界のある非日常のドラマツゥルギーが動き出すことにより、「その動機が全うされる可能性がある」というシュチュエーションが用意されています。もう少し言うと、マクロ的な環境から、「それを命を賭けてでもやる意義」というものを引き出すことが可能なんです。使命感がある時、人はどんなことでも出来るものなんです。


だからこそ、ニンジンが前にぶら下げられるからこそ、人は頑張れるんです。




□動機と救済がない世界で、人はいったい何を糧に生きていくのか?、何をよすがに成長するのだろうか?


が、高瀬彼方氏が描くこの『デバイディツドフロント』の世界は、構造的に、この動機と救済が拒否されいるんですね。ここがものすごく秀逸。しかも、それを意図的に設計しているというのはこの人が、素晴らしい小説家であることを示していると思います。この、、、生きるる目的と意義がない世界、、、というのは、僕は、僕らの生きる都市文明社会の基本だと思っています。


自己実現!とか、目的を設定して自己を高めよ!とかいうメッセージは、合目的な近代社会の基本・基盤です。また、こういう設計されてしまった、既にアリエネーション(=疎外)されてしまっている我々近代社会の住人にとって、マクロとミクロを止揚する実存を輝かせるなかならかに魅力的で合理的な選択肢です。これは自己実現と合目的主義に貫かれて設計された近代資本主義社会の構造的な帰結なんですよね。また自己を高めることは、人類という種の推進力の本質のようで、ここのフロントランナーとして生きる生き方の輝きは否定できません。・・・が、しかし、このように設計されているにもかかわらず、同時に成熟した高度資本主義社会というのは、自己実現がとてもしにくい社会でもあるのですよね。構造的に。また、大きな物語が消失する後期近代社会は、そのことの意義が拡散してある種の価値として確立することもできない。そう、いまの先進国といわれる国の住人にとっては、生きることの自明性が失われているんですよね。そもそも、「食べるために生きる」という人間の種としての基本が、制約としてかなり失われてしまうような(ほんとは幻想だが・・・)、真綿にくるまれたように楽な都市生活者のコンビニエントな空間は、実は、わかる人にわかる、高瀬彼方氏が描くこの『デバイディツドフロント』の世界と同形の社会なんです。



そして、だからこそ全世界の文学者、小説家がこう問うんです。



世界が絶望的な状態で未来に夢も希望がなくとも、「それでも」僕らは生きてゆく、その意味は何か?と。



そして、もちろんこの小説には、抽象的な答えはなく、「それでも」ただ単に生きていくという世界がただ淡々と描写されます。劇的な勝利も栄光もありません。またこの世界の構造的な問題点は、相変わらず一切変わりません。世界は相変わらず絶望的であり続けるので、マクロ的には生きる理由がありません。けど、その中で、僕は読み終わるとき、大いなる勇気と生きる気力をもらえるんです!。つまりは、言葉ではなく、物語として、ちゃんと作者はこのことを答えているんですね。世界が絶望的であっても、この小説世界の主人公たちは、世界に絶望しないんです。素晴らしいです。なぜかは、この物語の中にあります。ぜひご一読を。


ちなみに最後の宮沢香奈ちゃんの成長っぷりに、ぼかぁ涙が出たよ。見事なビルドゥングスロマンだよ。でも、この作品が凄いのは、最後の最後まで、世界が絶望的な状況であること、物語の登場人物の人生がすべて絶望のままであるにもかかわらず、成長することに、生き残ることに何の意味もないにもかかわらず、それでも、見ごとなまでの成長物語なの。世界が前向きでなくとも、絶望に満ちていても尚、世界に絶望しないで生きられるんだっていうことを見せてくれる。うまいなぁ。