『カルバニア物語』7巻32〜34話 タニアⅠ〜Ⅲ TONO著 人間らしさを失わずこの過酷な世界で生きていくこと〜カルバニア女王タニアの幼少時代

カルバニア物語 7 (7) (キャラコミックス)カルバニア物語 7 (7) (キャラコミックス)
TONO

徳間書店 2002-08
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評価:★★★★★星5つ
(僕的主観:★★★★★星5つ)


■正しさの中に安住するものは、真の意味で人の上に立つことはできない〜シルヴィアはなぜああなってしまったのか?


なぜか、この話が読み返したくなって、カルバニア物語を読み返した。読んでいて、この巻で理由がわかった。先日、グインサーガの最新刊122巻の『豹頭王の苦悩』でケイロニア皇帝家の直系で、ケイロニア国王(グイン)の王妃であるシルヴィアのやるせなくも陰惨な物語を読んでいて、ずっと、「なんでああなってしまったんだろう?」って思いが高まったからだと思う。理由は、簡単に説明がつく。けど、理屈とは、しょせん言葉にしかすぎなくて、体感と実感・・・納得をもたらしてくれない。その理由と納得を探していたんだと思う。そして、この疑問は、次にこういう疑問をもたらす「そうならないためには、どうすればよかったんだろう?」と。


http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20080808/p5



僕は、登場の最初からシルヴィアのことがとても好きで、ちょっと小生意気でわがままなかわいい女の子にしか見えなかった・・・つーか、あきらかにツンデレだろう、あれ(笑)。でも、ここから10年近く後を描いた外伝『7人の魔道師』の中で、国を傾ける毒婦シルウィアとして描かれていることから、この可憐でさびしがり屋の少女が、道を踏み外して、腐った畜生道へ落ちていくことは、最初からわかっていた。そして、もう本当にこの121〜122で落ちる限界まで落ちていっている・・・・なぜそうなるのか?、何が違ったのか?その答えの一つが、この『カルバニア物語』のタニアの生き方にあるのだ。


そして、派生の疑問としてもう一つ、あれほど優秀な司政官であり宰相であるハゾス・アンタイオスが、なぜああも無能に見えてしまうのか?
が、たぶん官僚としても政治家としても、巨大国家を統治するにふさわしい才能と気高さを持ったものであることは、これでもかと描かれている・・・にもかかわらず、ああ、、この人は、指導者たりえないな、と見限ってしまえたのはなぜか?ということだ。正しさの中に安住するものは、真の意味で人の上に立つことはできないと僕は思っているのだ。



さて、ではカルバニア王国の女王タニアの物語に分け入ってみよう。



■カルバニア女王タニアの幼少時代のお話〜人間らしさを失わずこの過酷な世界で生きていくこと

カルバニアの女王であるタニアがまだ10歳にも満たない頃、国王(=父親)は亡くなっている。この物語の時制は、タニアが17歳の女王即位直後ぐらいから始まっているので、7巻までなぜ彼女の家庭背景がそうなっているのかは読者は誰も知らなかったと思う。


しかし、男尊女卑が当たり前の世界で、有数の大国である由緒ある王家の唯一の直系として前代未聞の女性でありながらの登極。そういったマクロ政治的な過酷な状況下でありながら、見事なくらいナチュラルに自然体に、普通の女の子として振舞うタニアは、その若さにもかかわらず非常に成熟している。7巻までのタニアのキュートな振る舞いったら、たまらないものがある。あのかわいい顔に、Dカップだし(笑)。そして、国王として政治指導者として、表に出していないが、直向きに努力しているのがよおくわかる。


が、不思議に誰も思わなかっただろうか?この性格に。このナチュラルな成熟さに。これほどのマクロ的に過酷で味方がない環境で、しかも10歳になるやならずで父親は死に、母親はどこかに幽閉されている・・・・人生すべてを食い物にされてもおかしくないような、悲惨な環境とはいないだろうか?。大国の唯一の直系だぜ!。いかに、有能な大貴族であるタンタロット家がバックアップに強くついたとはいえ・・・・。それにしても、あまりに人間として出来すぎている。


それほどに、タニアは、キュートでナチュラルだ。


いや、物語のご都合主義と考えて、まぁしょせん少女マンガだから!どーせそこまで考えていないよ、と思って見るわけにはいかない。なぜならば、コンラッド王子にあの劇的なプロポーズの背後に隠れたダイナミックなマクロ構造を見れば、この人が意識であれ無意識であれ作家としてそれを持っていないわけはない。そこで、この32〜34話のタニアの幼少期のエピソ−ドだ。


まだ若き王である彼女にはまだ生きているはずの母親はそばにはいない。それは、タニアが小さい頃に、心弱き彼女の母親は、占い師や宗教に騙される問題のある女性で、長老会議で告発されたためだ。


そして、その母親であるプラティナ王妃の罪を告発し、最後に隠遁に追い込んだのは、幼きタニアだった。自分の母親の罪を告発したのだ。


「何者おまえ!?」(タニア)


「う・・・・占い師です・・・・」(占い師)


「手を放せ、無礼者!!」


僕はこのシーンが鮮やかに胸に残って、ずっと忘れられないのだ。それは、、、、まぁネタバレしているのでもっと細かく書いてもいいのだが、読んでいる前提で書いているので、そのつもりで読んでください・・・・えっと、心弱きかわいい・・・本当に優しくかわいいだけのプラティナ王妃は、13歳で王の妻になり、14歳でタニアを産んでいる。まだ子供といってもいい、、そして凄く弱い人だった。心から愛する国王は、優しくしてくれはするけれども、実は国を挙げての大ロマンスだった人に結婚直前で死なれており、その面影が忘れられないという大きな悲しい背景がある。けど、こんな10代前半で嫁いで宮廷に来ているが故に、人の愛し方も、悲しみの癒しかたも、頼る方法も知らなかったんだろうね・・・・占い師に傾倒していくことになる。


あると大きな事件があって、タニアとプラティア王妃は強い諍いをするのだが、小さなタニアが心弱く苦しんでいる時に、声をかけてきたのが、母親の信頼厚い上記の占い師だった。


・・・あのね、タニアって、全編通してお人好しの人を信じやすい普通の女の子として書かれているんですよ。しかも、大貴族中の貴族である尊い血統でありながら、身分にもわけ隔てがない。偏見もほとんどない、、、という不思議な子。逆に言うと、恵まれて育った、世間知らずとしか見えない。


そのタニア・・・まだ10歳になるやならずの泣いているタニアに声をかけてきた、



「私を信頼してください」



と囁く母親の信頼しきっている大人が声をかけてきた時に、彼女は全身に怒りを表して叫ぶのです。


「何者おまえ!?」(タニア)

何が言いたいかというと、ここにタニアという一人の人間の気高さが凝縮しているからです。彼女は、馬鹿みたいに優しい・・・・心弱すぎてく貴族として公人としての務めが全く理解できない母親を心から愛して、彼女がどんな仕打ちをしようとも、彼女がどんなに心弱かろうとも彼女、タニアは深く愛しています。最後の最後まで。そして、その愛は、揺らぎません。10歳の子供であるにもかかわらず。


しかし、彼女が何もわかっていないお人好しのバカだから。ではありません。この「何者おまえ!?」と鋭く誰何する、視線、意思、気合そのどれもが、ノーブルな貴族として、公の存在、世界の複雑な仕組みを、深く理解していること、、、その「誇り」、、、「世界の理不尽さと戦いそれを統治する」という意思が、はっきりと10歳であるにもかかわらず垣間見えるのです。


別にむずかしいことが書いてあるわけではありません。政治も絡みません。ただの家庭の内紛です。しかし、タニアには、家族を、自分の大事な人を、最後まで愛し抜く、、、「自分の心だけで人を愛しきる」「他人の意見やマクロ環境に左右されない」という強いミクロの愛情を持ちながら、そのミクロの愛情にひと時も溺れることがないし、そのことの苦しさに十全と深く浸りながらも、そこに逃げ込むことがないんです。


彼女は、タニアは、ミクロで人を愛することの苦しみと喜び、同時にマクロでそれを俯瞰してみなければ、すべてが壊れてしまうことのそのバランスを、ちゃんと一人の人間として統合して世界を見ていることが、このシーンの一言だけで表現されてしまうのです。この話、素晴らしかった。胸にぐっときた。若くして即位し、英明な君主の片鱗を見せるカルバニア初の女性の統治者の幼少時代が、見事に書けている。


それに引き換え、ケイロニア王グイン王やケイロニア皇帝アキレウス、そして宰相にして選帝侯ランゴバルド・ハゾスそのだれもが、マクロのことを優先しきって、人の心が醜くて弱く、、、そして、「だからこそ愛すべきものである」というミクロの世界での深い喜びと悲しみを、それがもたらす自由を知らないのです。逆に言うと、シルヴィアは自分のミクロ世界のみに閉じこもり、それがいかに個人としては対抗しようがないマクロの外部環境によるプッシャーであったとしても、それを一度も戦うことも利用することも考えず、ミクロの世界のみに埋没した。


結局、、、タニアの母親プラティナ妃は、ただ単に弱かっただけだが、国王暗殺未遂で処刑されかかるギリギリの状況に追い込まれ、なにもなければ、陰惨なよくある王家の醜聞となっていくところであった・・・・が、そこを逆手をとって、まったく異なる罪科で、王妃として公人としての至らなさを、、、国の財産を、夫の薬(という新興宗教団体のまやかし)を買うために売り払ってしまったという罪で、告発する・・・それも王族として正式に議会に告発する手順を踏むことによって、世の中の政治的マクロの流れを一気にひっくり返してしまいます。


これによって、次のような結果をもたらしています。


・自分の母親の国王暗殺の罪による処刑をまぬがれた
(母親を追い込んだ貴族たちへ裁判の場で堂々とバカだと告発してのける!)


・二度と一緒に暮らせなくなった代わりに、母親は静かな山荘で大貴族として暮らすことが許される


・そして、追い詰められていた母親が、それでも娘から愛されているのだという確信で心の平安を得る
(裁判で堂々と告発しながら彼女への愛情を宣言するのだ!)


・その見事な誇りある王族としての行動に対して、議会、長老に女性でありながら後継者としての地位を認めさせる



・・・これらが、ミクロとマクロを同時に見事に解決する行動であることが、わかるでしょうか?。彼女は、国家のマクロと、母親の精神と、タニアの幼少期の大事な家族のきずなのすべてを、守りきったのです。あえて、母親の罪を告発して、その罪で裁くことによって。



これが、本物の指導者、貴族、為政者の姿だ、と僕は思うのです。こういうミクロ(=個としての自分の生活世界)と、マクロ(=公けを律する外部構造)を等しく同じ価値だとみなさない為政者は、権力の名のもとに平気で弱者や一部を切り捨てる。時には、マキャベリのように、大をとるという選択も為政者としては必要だ・・・が、それが、ミクロの価値を深く理解している人が行うのと、そうでない人が行うのでは、大きな違いが出るではないですか。これが、僕のグインサーガ122巻への感想です。最初の問いの答えになっていると思います位。




・・・・・人間は弱い。




その弱さに、宗教や占いや、さまざまな弱さを食い物にするものの影が忍び寄る。




けど、生まれながらにして、どんなに追い詰められても、「そこ」から逃げないで現実を見据える人がいる。




この魂の高貴さは、万人に要求できるものではないと思う。




弱いことは罪ではないのだ。




そんな弱さを持った母親を、最後の最後までタニアは心から愛している。




けれども、あれだけ追い詰められて、不安にさいなまれながらも、




「無礼者!!」




と叫ぶタニアの魂の高貴さには、打たれるものがある。




ああ、、、これは、貴族だ。確かに、彼女には、人の上に立つ資格がある、と思わせるものがある。




弱さに逃げてはいけないと思うのだ。




けれど、弱さ罪ではない。




そんな大きな包み込むような視点い、この巻の物語は溢れていて、僕はぐっときた。


豹頭王の苦悩 (ハヤカワ文庫 JA ク 1-122 グイン・サーガ 122)豹頭王の苦悩 (ハヤカワ文庫 JA ク 1-122 グイン・サーガ 122)
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■参考記事

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