ムラ社会への参入方法と指揮官として引きを率いること

最近、いろいろ考えていて、思い至ったキーワードがある。


ムラ社会への参入方法


だ。僕は後輩にも先輩にも、前後数年〜10年ぐらいの世代には、仕事でものすごくよく相談を受けるんですよね。なんでか知らないけど。僕は、しょうじき感情にムラはあるし、はっきりいって、ニュートラルに人を眺めるときには「悪いところの告発」ばかりする癖があるし、そんなに相談してもいいことないんじゃない?とか思うんだけれども、よくされる。まぁ、言いたい放題言うのは好きなのと、やっぱり頼られるのはうれしいので、思わずいろいろしべってしまう。


僕の中に、仕事を、実務をやる上で大きなテーマがあって、ずーっと思っていたのは、小さな部隊を率いる最前線の指揮官であるためにはどうすればいいか?というものです。これは、新入社員の時に、仲の良かった先輩が、

「俺たちは、軍隊でいう陸軍大学とかウェストポイントを出たての少尉任官なんだ。鬼軍曹とか古参の兵士に比べれば、現場を仕切る能力も現実に仕事をする能力も全然ない中で、自分より年上の人間たちを率いるリーダーとして認めさせなければならない。それを自覚しないとだめだ。」

といっていたことが、胸に深く残ったからです。実際、戦争の映画や本を見ると、そういう話はたくさんあります。映画『ビルマの竪琴』で、ビルマ熱帯雨林を駆け巡る小部隊の指揮官は、音楽の大学を出たばかりの若造(たしか石坂浩二)だったし、京極夏彦の本に出てくる榎津礼二郎も、帝国大学時に学徒動員で南方戦線のゲリラ戦の指揮官を、召集されてにやっていた。いや、なんでもいいのですが、大学出たてのペーペーの若造が、それでも、いきなり「指揮官」として人を率いて、信頼され、しかも目的を達成して、かつ部下の命を守らなければならないというものすごく重責を担うんですよね。これって覚悟いるじゃないですか。そして、そういう覚悟を、引き受けるのがめんどくさいという人は今の時代はたくさんいます。課長とかになりたくない、という人は掃いて捨てるほどいます。だって、責任ばかり増えるうえに給料も残業つかなくなれば低くなることばかりですもの。


でも、僕は、僕が・・・憧れる人は、「決断ができる人」なんです。


給料とか大変さとか、そういう功利や小利口なことではなく、「人間としてかっこいい生き方は何か?」と問うた時に、責任と義務を果たして、決断を下し、この現実を変えることができる人、なんですよ。いや、なぜって、そういうことが、ぜんぜんできない、ヘタレクンだったからですよ、僕が(笑)。いやまー世界を放浪したり、やりたい放題やったけど、「人の中で生きること」「人の世界で苦しんでたたかうこと」以外に価値があるものを見いだせなかった気がするんですよね。


って、話がウルトラ脱線した。


いやこの話がしたいわけではなくて、相談される時に、僕の理想像は、「決断ができる人」ってのがあって、僕の前後のような若手のレベルだと、それは少尉任官した部隊の前線指揮官として、いかにちゃんと成長できるか?ってステージが主題になるんですよね。いままでの僕のビジネスの話は、新入社員から30代前半までのくらいのステージの中での話が多い。それも、たぶんそれなりの中規模以上の日本的な典型の組織で適用できる話だと思うのですが、時々概念が複雑になっえちて、語っていることの純度が悪い気がしていたんですよね。最近それが、明確に峻別できてきている気がして…。というのはね、上記でいうような、日本社会の典型的な組織で20代から30代前半というステージを考えるときに、二つの大きな壁があるんですね。これは現実には密接に絡まっている話なので、分離できないんですが、実はぜんぜん別物の概念。

1)ムラ社会にエントリーする技術



2)前線指揮官として人を指導して結果を出していく技術

ぼくは、この二つを混同して…というのは言い過ぎか、この二つをワンセットにしすぎて語りすぎているきらいがあると最近思い始めてきたのです。というのは、物語的に説明すると、ある人が、日本の組織に若手で入ったとします。そうすると、仕事ってまともに任せてもらえないし、わけのわからないイニュシュエーションで試されてばかりだし、いじめにあうし(=出るクイは打たれる)、OJTとかいってまともに仕事も教えてくれないという現象が、ほぼ確実に起きます。これなんであろう?っていつも思うのですが、これって、要は、ムラ社会に新しい構成員が入ってきたので、ムラ人の序列階級に位置付ける作業を、周りがするから起きることなんですね。


ここで、本当に苦しい思いをする。難しいのは、前線指揮官だ!(=おれはエリートだ!)って、いくともう、見事なくらいに鼻を折って、プライドをすりつぶそうとしてくるんですね、このムラ社会的アクションは、体育会系の先輩の後輩への指導と称する無駄で非合理的ないじめと全く同じと思っていいのですが、要はムラ人の年功序列の構成員が、


1)ストレス解消のため

2)自分が先輩にやられたこと後輩にやり返す、

そして

3)ムラ社会や業界(=さらにでかいムラ)でそういうエリート意識は、百害あって一利なしなんで、徹底的にそぎ落とそうとするからなんですね。


そうやって、ムラ人のふさわしい造形に作り変えて、洗脳する、されるということが起きる。ムラ社会は、業務の標準化をしません(=ムラ人をリストラするなんて行為はしない)ので、どうしても師匠と弟子の一子相伝になるので、日本的組織のこうした親分子分による強烈な同調圧力は、文化的伝統なんです。


僕の成長の話や奴隷の話は、ここで「受け入れられる」方法論を語っているものが多いんですね。ここを抜けられないと、そもそも、メンタルになって崩壊したり人間関係が苦しすぎてすぐ逃げだす癖がついてしまいます。ただ、これは、日本社会のものすごい大きな伝統なので、一部の強烈な個人主義的競争市場でのプロフェッショナリズム以外は、99%この伝統は付いて回ります。いいかえれば、普通の人生で、これを無視できる日本人はいないということです。また、実際、僕は海外も会社を見ていますが、まぁあまりかわらないですよ、どこも(苦笑)。


こういったムラ社会への早い参入方法が、僕がいつも語っていることです。


ただし、ここで「ムラ社会同調圧力に屈する」ことは、僕の上記の2)前線指揮官として人を指導して結果を出していく技術という目的から外れてしまうんですね。ムラ社会は、同調圧力に屈して、その秩序に従って、空気(ニューマby山本七平をよんで、ムラ共同体(ゲマインシャフト(独:Gemeinschaft))の維持のためだけに生きる人間を作り出すことをその成立の本義としているからです。日本社会の組織は、アソシエーション(結社:目的のために集まった集団)が、自然と共同体(ゲマインシャフト)に転化していくという文化的伝統をもつので、どうしてもこういう、水が低きに流れるような「暗黙の力」が原理的に働いているんですよね。


この暗黙の掟に逆らわないと、プロフェッショナルな人間にはなれません。


が、この暗黙の掟に逆らうやつは、消されます。文字どおり(苦笑)。この矛盾をどう解決するか?、自分の実務の中で、どうやってこの1)と2)を両立させるか?ってのが、僕のテーマなんだって、最近わかってきました。ちなみに、共同体ムラ社会の悪い面に側面を当てましたが、日本の組織には、ボトムアップの伝統があるので、うまく機能すると、実は2)がものすごく見事に成立する場合もとても多いのです。徹底的な中央集権の欧米(とくに米国?)の伝統と異なり、日本は、若手が、、、このムラ社会の論理を利用しながら、権限もないのすべての権限を暗黙に握って人を動かすという現象が、実力がありこの1)のムラ社会の空気をコントロールする技術にたけていると、することができるのです。


なんか、そういうことを思いました。議論の区別のためにとりあえずメモメモです。