人は「グッドライフ」を求めている

人は「グッドライフ」を求めている


人間は民族紛争、宗教戦争を繰り返しているが、根本では「幸せになりたい」「グッドライフを得たい」ということが共通の目的である。これはわたしの20年ほど前(1990年)の著作「ボーダレス・ワールド」でも解説している持論だ。

 紛争の原因とされる民族や宗教は言い訳のようなものにすぎない。グッドライフが手に入る状況が目の前に来れば、誰でも紛争などやめてしまう。現在EU、そしてセルビアコソボキプロスで起こったことを見れば、つくづくそう思う。そうした大きな包容力を持った人類史上初めての「コンセプト国家=EU」がとにもかくにも機能し始めた、ということが21世紀で最も特筆すべき国家観の変化である。



第140回/領有権を巡る21世紀の解決スタイル/経営コンサルタント 大前 研一氏/2008年8月6日
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/143/

大前研一のさんのこのネットの記事は、ずっと読んでいるんですが、この140回の話はとてもよかった。ともすれば19世紀的な国家間に縛られがちな情報に日々接している我々に、非常に当たり前で、そしてだからこそ、イデオロギーという幻想に騙されて見えないものを見せてくれるような気がする。人文科学系の情報、、、新聞、雑誌、論文、、、どれをとっても、どうしてもそういったものは権力の力学や国家というものをある種の前提で描く性癖があり、ともすれば、ここで大前さんおっしゃっている、「人は「グッドライフ」を求めている」という考えてみれば、あまりに当たり前のことを、失念しているような気がする。どうしても、19世紀的な国家と権力のメカニズムに吸収される癖が、人文系の人間にはある、と僕は思うんですよね。


でも、よくよく考えてみれば、資本主義というものの目指すところは、「これ」なんですよね。一言で言うと、人間の個人の欲望の解放。


これが、19世紀的な国家感覚に結びつくと、すぐ帝国主義とかそういった概念に飛躍するんだが、まぁマルクス・エンゲルスの当時のイギリスの経済状況に絶望するのは、そりゃーわかるが、、、でも、よくよく50年単位で考えると、マクロ的には、本当に経済・・・資本主義自体が、そんなひどいものだったか?というと、そーじゃねーんじゃないの?とか思うよ。それを正しく使う権力のメカニズムと国家のモデルが存在しなかっただけ。そんな気がする。


まぁ、そこまで行ってしまうのは、言い過ぎかもしれないですが、そもそもこれまで大衆というかピープルの集約意見は、国民国家(ネイションステイツ)「のみ」を通してしか現前させられなかったのだが、そうではない方法(の可能性)が、世界に登場してきている、ということはよくよく理解しないといけないな、と思います。


また、そういった新しいコンセプト国家が、、、、まぁ旧態依然のブロック経済ともいえないわけではないが、、、、グローバリズムという資本のより広範で自由な移動を内包しているという新しさもよくよく見ておこなければならないなって思うんですよ。なぜならば、50年先の地球は、「それ」によって間違いなく支配されているはずだから。自分と自分の子供たちの世代を幸せに生きるためにも、日本人としても、企業人としても、アジア人としても、地球人としても、「これ」を念頭に戦略を考えて生きるべきだって思うんですよ。


すぐ、ネイションステイツのイデオロギー幻想に騙される癖が、普通の人にはあるという構造を、肝に銘じようと思ったペトロニウスでした。

The End of the Nation State