既に一番でないことの意識は重要〜2007年のシンガポールの一人あたりのGDP(国内総生産)が日本を抜くことが明らかになった

IMF国際通貨基金)がまとめた調査によると、2007年のシンガポールの一人あたりのGDP国内総生産)が日本を抜くことが明らかになった。シンガポールは3万5000ドルを超えたのに対して、日本は3万4300ドルにとどまっている。これまで半世紀にわたってアジアで1位をキープしていた我が日本だが、ついに2位に転落してしまったわけだ。

 世界で見れば1994年には一人あたりGDPで日本は世界一であったが、一昨年に17位に、そしてついに昨年の実績で22位に転落してしまった。もちろん為替の影響もあるが、日本の国民所得、すなわち国民のつくる付加価値の総和がこのところほとんど増加していないのだから、この数字は実態を表しているモノと見なくてはいけない。

 日本では、このことはほとんどニュースにもなっていないし、危機感がまるでない。政府の方も都合が悪いのであえて危機感をあおることはしたくないのだろう。しかしシンガポールに抜かれたということはやはり画期的なことなのだ


第137回/「アジアで最も豊かな国」から転落した日本/経営コンサルタント 大前 研一氏/2008年7月16日
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/140/

って、知っていました?。これって、とても大きなことなんですよね。




高福祉こそが経済競争力を生む――北欧社会の「逆転の発想」

グローバリズムに適応しやすい北欧社会

 新興国がどんどん力をつけるグローバル社会で勝ち抜くには、環境の変化に応じて産業構造を柔軟に変えていく必要がある。生産性の低い、つまり儲からない業種にいつまでもこだわっていれば、いくら働いても人も会社も国も豊かにはならない。こうした理屈は誰でもわかるが、実際に改革するとなるとたいへんだ。ひと言で言えば、大量の失業者が出るのもかまわず、弱い産業や部門の労働者をクビにするのはむずかしいからだ。
 日本でも、財政が逼迫し、「公共事業を減らせ」と言われていたが、なかなか進まなかった。建設業は長らく余った労働力を吸収する緩衝役を果たしており、公共事業を一挙に削減して関連企業がつぶれれば大量の失業者が出て社会が混乱する。

 しかし、失業者の生活も再教育も国が面倒を見る体制ができていれば、産業構造の転換をどんどん押し進められる。失業対策費用が一時は増えるものの、短期間で新興分野に労働力を移せれば、ジリ貧の産業を必死に維持するよりも、もっと楽に経済力をつけられる。つまり、このレポートのサブタイトルどおり、「リスクを共有する」体制ができていればグローバリズムは受け入れやすくなるというわけだ。

 北欧社会も90年代前半には経済危機に陥った。けれども、ITにリソースを集約させたことで短期間で立ち直った。携帯電話機メーカー・トップのノキアは、ITによって復活したフィンランドの象徴的な存在だ。

 アメリカ型資本主義の問題を感じている人も、グローバリズムの世のなかアメリカのマネをしないとやっていけないと思いこんでいる。ところがこのレポートは、アメリカとは別のやり方で経済競争力がつくことを教えてくれる


フィンランド経済研究所のレポート『北欧モデル――グローバリズムを受け入れ、リスクを共有する』(http://www.etla.fi/files/1892_the_nordic_model_complete.pdf)。

歌田明弘の『地球村の事件簿
http://blog.a-utada.com/chikyu/2008/08/post_ba53.html


僕は、これを読んで、いったいいま巷で言われるネオリベラリズムの政治・経済政策と何が違うのかがさっぱりわからないんですよね。


セイフティブランケットを厚くする代わりに、スピードのある産業の構造の転換を実施し、世界中で余っている金融資本を呼び込むことは、大前研一さんがものすごい前からいっている「貸席経済」ですよね。これって、北欧やシンガポールなどがやっている国家運営方法と、なんら変わるところがないでしょう?。

竹中平蔵さんにせよ小泉純一郎元首相の改革にせよ、徹底的な規制緩和とセイフティブランケットは、一体であったのはもう当然であって(だって経済理論的にそれしかあり得ないもの)、北欧の国家経済運営って、結局は、ネオリベラリズムの主張となんら変わらないじゃないですか。


実際に、60〜70年代の高福祉政策による、若手国民や優秀な企業の大規模な国外流出と、なによりも広範な国民のモラルハザード(=動機の消失)の徹底的な反省ににたって、80年代以降の経済運営はなされている。事実上、高福祉政策は、停止しているんですよ。このリスクの共有という言葉の中に、セイフティブランケットを与えるけれども、「産業構造の転換・・・・それに伴う自己変革と自己責任」に追いつけない人はある程度切り捨てるのが前提なんですよね。そうでないと、楽した人が得するという最悪の共産主義経済になるじゃないですか。北欧経済の凄いのは、そういった国民のリスク意識と自己変革を、徹底的に駆り立てる動機を形成するようにしていったことと、セイフティブランケットである高福祉体制を、それなりに両立させているということですね。切り捨てる規模が小さかったのは、それだけ自己変革を国民全部の意識に刷り込むことが可能なほど、国の規模が小さかったからだと思うんですよ。

国土が狭い、地下資源に乏しいという点では、シンガポールも日本も同じだ。にもかかわらず、どうしてこのような彼我の差が出てしまったのか。理由は明白だ。シンガポールでは積極的に外資、外国人の誘致策を展開し、世界経済を味方に付けて経済の活性化を図ってきた。それに対して我が日本は、市場開放が後手に回ったことから、経済の成長に大きな差が出てしまったのだ。世界経済の利用の仕方で差が出た、という点をよく認識しなくてはいけない。

第137回/「アジアで最も豊かな国」から転落した日本/経営コンサルタント 


大前 研一氏/2008年7月16日
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/140/

ちなみに、日本やアメリカとの、唯一の違いは、ネイションステイツ(国民国家)としての規模。そもそも人口が圧倒的に違う。国家としての規模が全然違うんで、舵の切り方が、そんなに早くできない。また、国民の意識の総入れ替えって、人口を一億を超えるレベルの国家では、内戦に近いような既存勢力との戦争になるんですよ。そのへんの難しさも加味しなければならない。


また、グローバル経済や自由に移動する金融資本との連携は、それだけ、「早い産業構造の転換」を迫るので、なかなか難しい。そもそも、アイルランドなど成功している国が、グローバルな共通言語である英語を母国語にしている、かつ変なプライドが持てないほどの小さな国家であったということも重要だと思う。そういう基盤がない日本の国民に、いきなり強烈な自己変革を迫るのか?って、、、ついてこれない人を切り捨てることとほぼ同義になるにきまっている。それをフルにケアできるほどの財政的な余裕は、国民意識の統一は、日本にはできていない。

社会保障の費用がたりないので、1パーセント消費税をあげます」といったことを少しずつ繰り返し、結局いつのまにか高い消費税になるぐらいだったら、この際10パーセントぐらいバッと上げて、その代わり、「年金はばっちり払います。失業しても生活費の面倒はもちろん見るし、再就職するための勉強や訓練も提供します。グローバリズムに適応するために、産業構造の転換はどんどんやりましょう。教育費も大学までタダにするし、子どもの保育の面倒も見るので、女性も安心して働いてください」とやったほうが元気も出るし、経済的にもプラスなのではないか。欧米に比べて消費税率がかなり低い今なら、こうしたことはまだ可能だろう。


歌田明弘の『地球村の事件簿
http://blog.a-utada.com/chikyu/2008/08/post_ba53.html


僕は、消費税率を上げるのは当然と思っているのですが、

福田改造内閣の特徴の一つは「小泉改革の否定」だ。小泉元首相がやろうとしていたことを全部否定してしまおうという、一種狂的な気迫のようなものすら感じる。それは例えば、郵政民営化反対議員であった野田聖子氏が消費者行政推進の特命担当大臣になっていることからも読み取れる。彼女は小泉改革の柱である郵政民営化に反対したために自民党から追放された、典型的な「アンチ小泉」だったからだ。

 小泉改革・スモールガバメントの象徴であった大田経済財政担当大臣に取って代わったのが与謝野さんだということも象徴的な出来事だ。与謝野馨氏は小泉元首相とはまったく逆の、対局にある考え方をする人物だ。財政が不足しているとなれば、普通の感覚を持った人間であれば「ムダを減らそう」と考えるものだろう。しかし与謝野氏は真逆の判断をする。すなわち「税金を集めよう、消費税を上げよう」とするタイプだ。そしてラージガバメントを志向し、官僚と仲良くすることが国にとって良いことだと公言してはばからない。


第141回/内閣改造で見えた福田首相の「恐ろしさ」/経営コンサルタント 大前 研一氏/2008年8月12日
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/144/

こういう反動勢力がいる限り、こういった財源は、旧態依然とした既得権益の勢力に吸い上げられてしまいます。それでいいのかってのは悩みどころ。