『MOON ―昴ソリチュードスタンディング』 2巻 曽田正人著 (1)全てを超えて帰るところ〜自己を見出すには本源へ帰れ

評価:★★★★★星5つ マスターピース
(僕的主観:★★★★★星5つ)


素晴らしかった。ぐっと来て、涙が止まらなかった。1巻は、新しいステージに入ってからの序章で、まだまだ「溜め」という感じだったが、2巻でそれが大爆発。胸が高鳴り、物語の世界に、鷲掴みにされて引きずり込まれるような、そんな凄いシーンが、思いつくだけでも1巻で4回もあって、時間が止まったみたいに、世界に引き込まれた。ああ、いい漫画に出会うと素晴らしいよ。


■「理解できない天才」を、理解できるように描く


この物語は、破格だ。


曽田正人さんは、自分のテーマをよく理解していると思う。マクロ的に距離を置いて理解分析できていないと、こうまでうまく物語を進められないだろう。また、アイルトン・セナのような人が共感できないようなレベルの天才をはっきりイメージして物語の動機を設計している(インタヴューでたびたび言っている)。「理解できない天才」を描くことは、エンターテイメントではタブー。なぜならば、見ている消費者の共感を得ないので、人気が出ないのだ。


こんなできないダメな僕、私が、もてたり成功したりする話を、みんなはみたいんだ。


そんな中で、「理解不能な天才」を物語の骨格にどんと据えて、ここまでわかりやすく作り上げてしまうのだから、見事としか言いようがない。作者が、いかにそうした天才たちに深く共感して愛しているかを感じてしまうよ。まったく、異なり次元ステージにいる天才を、その動機から解析して幼少時から追いかけることで、理解可能な物語に、等身大の物語に、仕立て上げる。・・・・天才のなせる仕事だな。

ニジンスキー寓話 (1) (秋田文庫)


少女マンガの世界などでは、感性でこの手の「理解されない天才」を描くパターンも結構ある。が、これを週刊連載のエンターテイメントのレベルで、描くというのは、非常に力量がいることだと思う。決して、高踏的になることなく、エンターテイメントの次元で描くとなると、ものすごく難しいと思うのだ。



■いい理解者に出会えるかどうかが、その人が「正しい成長の道」を歩んでいるかどうかの試金石


いい理解者に出会えるかどうかが、その人が「正しい成長の道」を歩んでいるかどうかの試金石なんではないか?って最近思う。この2巻で、昴は、パートナーであるニコ・アスマーに出会う。昴の動機の根源である弟の和馬の話に及んだときの、彼の反応が、しびれるほどかっこいい。ニコそのものがかっこいいっていうのだけではなく、昴というとても特殊な「求めるべきもの」をもった存在を、同じステージ、同じ世界にいる同類として、当たり前のように「受け入れている」ということが、はっきりと昴に伝わるシーンだ方だ。こんな雰囲気を見せつけられたら、男であろうが女であろうが、相手に惚れちゃうよ。だって、そこには当たり前のように自然に「自分の居場所」が肯定されているのだから。


「みんなそんなもんじゃねえの?


多かれ少なかれ、他人に“主張”するもんだろ。芸術ってのは。


他の仕事なら、いざ知らず、舞台に立つならエゴイストでなきゃ話になんね-----------------



おまえ、ダンサーとして極めて正常。」


MOON 第15話


こういうセリフは、同じステージにいる人間にしか絶対にはけない。人間は全然平等ではない。同じ言葉でさえ、同じステージにいなければ、全く理解できないということがままあるものだ。しょせん、理解できないやつには、どこまでいっても理解できない。住んでいる「世界」が違うこと、「ステージ」が違うことは、絶望的なまでのディスコミュニケーションがあるものなのだ。だからこそ、このように、それが、当り前のように伝わっていること、相手に理解されていることというのは、人にとても深い感動をと喜びを与えると思う。ニコに出会える、要所要所で昴の理解者に恵まれるというのは、彼女が、自分の本源を求める上で正しい道を歩んでいることを示しているんだと思う。自分には知らされていないが、もう既に決まっている「正しい」道を探り当てていくようなものが人生だと僕は思う。その道から外れたら、、、THE ENDというだけ。


昴は、全人生で、そのほとんどの時間に自己を理解されたという経験がない。「こんなこといってもわかんないか・・・・」というセリフは何度も出るが、それは、彼女がいかに自分の感覚や求めるものを、周りから無視されてきたかを物語るものだ。こういうのは、とても孤独なものだ。


卑近な例だが、、、自分のことに省みると、まぁ僕は、昴のような天才ではないが、僕も、仕事場でよく「君が何いっているのかわからない?」と、入社直後はよく言われたし、今も新しい職場に行くとよくこう言われる(笑)。僕に対する個人攻撃の批判は、このセリフが、うんざりするほど繰り返される。長期的な戦略を観照して、数字や戦略を見直せば、「こういう風になるしかないっ!」と思って苦言を呈するのだが、まず120%理解されることがない。あまりの「通じなさ」に、相手の反発を招くことがしばしばあるので、なるべく黙るようにはするが、、、、それが、事業の崩壊に結びつくんだよね(苦笑)。その文句を言っている人が、まっさきに首が飛ぶ(苦笑)。そして、それに関わるまわりの人の人生の崩壊にも・・・・。だから、わかってしまっているから、あえて苦言をいうのだが、全く通じない、理解されない・・・なんてバカなんだろう?っていつも思うが、人間、やはり「見る視点の違い」によって、まったく異なる感覚世界を生きているので、自分の感覚というのは、他人にはまず伝わらないものなのだ。まぁ馬鹿は死んでも治らないからね。まぁ、聞く耳持たないなら、必ず失敗するんで、知らないよ?っていつも思っています。・・・知らないって言っていいのか、倫理的に苦しみますが、権力で押されたらどうしようもない。


ちなみに、そういう時にどうするか?


簡単です。言葉ではなく実績、行動で示すだけだ。人生は結果だけ。言葉なんぞは、いくら重ねてもほとんどの場合は嘘が99%。リアル充足ではないが、書き手の、言葉を発する人の、人生そのものの充実しているかどうか、物事を現実的に動かせているかどうか、それで決まる。そして、それは、言葉で他人を説得する必要がないもの。・・・そして、その人が人生を楽しく充実しているかどうかは、継続してその人の行動自体をモニターすれば、まぁほぼわかるよね。100%って人はなかなかいないが、高いレベルで充実しているかどうかは、漏れ出てくる行動の断片で十分に推測される。そういう人は、余裕があるし、同時に強い衝動で激しく行動しているもの。こういうの見てれば、はっきり分かる。何かの過剰さがはっきり出てくるからね(笑)。


話が通じない時にどうするか?。もう一つは、諦める(笑)。ちゃんと自分が、その崩壊や失敗に巻き込まれないように政治的に振る舞って準備した上で、無視する。馬鹿にかかわれるほど、人生は長くない。僕は会社に勤める組織人なので、上司に明確にNOと拒否されたら、もうやりようがないもの。仮に、上司が自己決断ができない気弱な人であるとか、仕事ができなくてもその上司が人間的に好きな場合は、徹底的に組織の裏から動かして、事業をよくもっていく裏工作はすることはある。けれども、どうしようもない時は、仕方がないから、自己保身と精神的な安定のために、無視する。だって、それしかないもの。分はわきまえているからね。越権行為にも限界があるし。それに、・・・・馬鹿は死んでくれなきゃ治らないので、手を下さないで、死んでくれるのを待つ。組織では最悪は10年近くかかるが、馬鹿は確実に死ぬ(=組織に淘汰される)ので、その辺は仕方がないから待つ。もちろん、組織の内部での自分の力が強くなれば、この排除の論理を進めることもできるし、権力をうまく利用すれば、馬鹿に巻き込まれないことがどんどん可能になる…それが、権力を握ることだ。そして、権力の使い方が正しいかどうかは、結果で十分にわかる。実績がある人には、結果と人がついてくるんですよ。ちなみに、組織に関係ないところで、話が通じない人に出会った時は、「無視する」か「適当にあしらう」が常道ですよね。まずステージが同じで無い人とは、話しても建設的にならないので時間の無駄。それと、自分の家族や親友、仕事に関係する人以外と、無駄に本気でしゃべる意味はないからね。時間の無駄。無駄なダベリは、気の合う友人や、尊敬できる人としてこそ価値がある。馬鹿としても無駄。


けどね、、、これって、アソシエーションの世界での話で、、、つまりは社会人はこういうことができるんだけれども、この「理解し合えなさ」が家族で、かつほとんど無力な立場の子供であった時には、逃げようがなくなる。


また、家族というのは、ある種の「同じステージにいるもの」とか「子供は親の価値観に支配される従うもの」という暗黙の大前提で行われるゲームなので、、、これが、ちゃんと「同じステージ」である場合には、とても温かい同調圧力に満ちた、密度の濃いコミュニケーションが発生するんだけれども、「違うステージ」にいる場合の親と子というのは、最後まで理解できない最悪の修羅場になるものだ。


ちなみに、この逃げようがないというのは、「学校空間」も同じもの。僕は、大学生になった時に異様な解放感を味わったんですが、それは「何をしても自由」という立場になったからだと思うんですよね。20歳ぐらいならば、最悪家を出ることも、自分で食うことも可能になる。ほんと、世界中旅したし、彼女や友達の家に転がり込んだり、やりたいようにやった(いま思うと陳腐な自由だが・・・)。何に比較するかというと、ものすごく強い同調圧力が、教室(だいたい40人くらい?)に押し込められたぎゅうぎゅうの空間で、偏差値とか、非常に極小の物差しで人間を評価する「学校システム的なもの」ですね。読書と部活に明け暮れていたし、成績も良かったから、あまり気づいていなかったが、卒業して見て自分がいかに息苦しい世界で我慢をしていたのかを、わかったもんですよ。人と違ったことがしたい!と思っていたり、何かを過剰に求める人にとっては、「平均値」に適応させられる「学校システム的なもの」とか「家族ゲーム的なもの」というウソ臭さは耐えられないものですよ。

似たような感想を、↓でもしましたね、そういえば。


さて、話は変わりますが、お見合いってどう思います?。


僕は何でそんなことをするのかわかりませんでした。恋愛以外考えたこともなかったので。親や親族に家柄だの学歴だの格式だの言われると、いよーに腹が立ちました。愛する人を選ぶのに、そんなこと関係なかろう?って。でもね、自分が結婚して、妹が結婚して、親友が結婚して・・・とその中身やプロセスを体験すると、、、実は、結婚って「二人だけの行為」ではないという側面がすごく強いのですね。家同士の結びつきという側面が凄く強い。もちろん、恋愛結婚は、この「家同士の結びつき」という側面を、切り捨てます。拒否します。僕自身も、親と妻を比べたら、重要さが勝負にならないので親のことなんか無視します。(あっ、これびっくりしたんだけれども、世の中では、妻より親の意見を優先する人の方が多いんですね!僕には理解できないが・・・・)。


でもね、それ(愛する人を個人として家族と切り離すこと)って幸せなんだろうか?。


結婚する…ある人と幸せなこれからの未来を重ねようとするということは、その妻(もしくは夫の)人格そのものを愛して共有していくことでしょう?。人格を愛するということは、過去も含めてその人を成立させてきた環境や関係性を愛することなんじゃないんでしょうか?。人格とは、物語でありドラマツゥルギーそのものだから。けっして、孤立したその人個人を愛するわけではないと思うのです。そこで、彼女を、愛する人を成り立たせている重要な要素である相手の家族や親友たちを受け入れることなしに、本当に愛していること…これらの幸せな未来の関係性を築くことになるのでしょうか?。愛する人が、すべて完璧に幸せな人ならばいいです。でもそんな人はいない。自分も含めて、何かしらの孤独があり、何かしらのコンプレックスがあり、何かしらの幸せを抱えて生きているのものです。それを、抱きしめて生きていくということは、やはり過去を知る…とまで言わなくとも、相手の(自分の)抱えている人生という物語(=ドラマツゥルギー)をよく理解していないと、とんでもない袋小路に陥ることがあります。

だから、そういう意味で、環境や思考形態が似ている・・・・また社会的にも無用の反発を招かない相手を選んだ方がいいというのは、実は社会の知恵なのかなーと思うのです。そうか、、、そう考えると、見合いという方法も、ありなんだ、と近頃は思うようになりました。無駄に傷つけあって、苦しむ必要なんかないじゃないですか。まわりの結婚した人が、そういった無知のためにどんどん離婚したり、うまくいかないのを見るにつけ(自分のいろいろな失敗も顧みると)、個人主義で自分だけの選択肢で生きている人の脆さを感じます。自分だけの選択肢で過去を断ち切ることができる人は、その分現在の持つている関係性が豊かな場合が多い。

だから、僕は、相手を愛するということは、相手のドラマツゥルギー・物語(=人格)を深く理解して、そして相手に理解してもらい合うことから、、、そのプロセスの積み重ねが愛なのではないかと思っています。


『しゃにむにGO』25巻 本当に大事なものは、なかなか見えないものだ、けれど人生は美しい②http://ameblo.jp/petronius/entry-10028227071.html

話がだいぶそれたんですが、これの大規模なものが、昴の人生を取り巻いている「孤独感」ですね。



「こんなこといってもわかんないか・・・・」



このセリフがまず基本にあること、「尊重されていきたい」というセリフは、彼女が、普通の人間では「体験することが不可能なもの」を求めて、体感して生きているので、そもそも相手には言葉では全く通じることがない、という無力感を前提に生きていることを示しています。ちなみに、「ダンスで開かれる世界を人に伝えること」が昴の求める根源であるとき、そのことが周りから認められない、「伝わらない」ことは、どういうことか?っていうと、


昴の存在の、、、、全存在の否定なんですね。



ようは、常時、「おまえはいらない」もしくは「死ね」っていわれているようなものです。



この地獄を、昴は、9歳の時から生きています。ふつうは、つぶれて廃人になるものですが、、、彼女の才能は、彼女の強い動機は、その周りの壁をぶち破るんですね。13歳でローザンヌ、14歳でアメリカ、17歳ではヨーロッパのプロとして居場所を獲得しています。かなりあぶなかっしい人生ではありますが、「止まったら、そこで終わり」なオリジナルな人生を生きているんです。こういう人生を、オリジナルっていうんだと思います。内なる動機の衝動だけをベースに、現実に体当たりして、常識という壁をぶちやぶっていくこと。そこに「その他大勢」とか「世間」との比較の視点は存在しない。体験だけがすべて。体験だけがすべてという世界は、恐ろしいです。比較して、安心することが全くないということですから。デイヴィッド・リースマンのいうところの「他人志向」がまったくないということですから。


「あたしにはダンスしかない」



自分の根源の動機を見据え、そのためにすべてをそれにささげること。これが、世界でもっとも高貴な生き方だと思う。そして、「そうしなければならない」というものは、火のような感動や充実とともに、オリジナルを生きるが故の、理解されなさと孤独感を、人は生きることになります。何かを為す人は、常に、孤独なのです。なぜならば、自己の世界への解釈が、他者の反応に優先して発生する人しか、オリジナルな人生を生きないからです。



■全てを超えて帰るところ〜自己を見出すには本源へ帰れ


この2巻の凄いなってことは、ほかの物語であれば、終着地点であるはずの「自分の居場所が見出されたヨーロッパ(=日本でない場所)」に、まだ人生のスタート地点で、もう到達しているのが昴なんです。「そこ」まで、行きついていながら、、、自分で自分の才能を解放できるところまで実力で到達していながら、動機の根源まで引き戻されるんですよね。もうそんな必要性はないところまで来ているのに。

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『しゃにむにGO』もそうなんだけれども、母親とか父親がスタープレイヤーだとか、いろいろ過去に大きな欠落を抱えている物語に主人公って、かならずマスコミにそれを暴かれて、精神的にぼろぼろに追いつめられるっていうストーリーになるんだよね。これって、あまりに類型的で、昔からなんでかな?と思っていたんだけれども、ようは、「本当の自由」とは、自分動機の根源、、、「自分が逃げたかった家族やトラウマ」を見据えて乗り越えてこそというある種の縛りがあるんじゃないかって思うようになってきた。もちろん、欠落を抱えた主人公たちが、なぜそこまでスポーツに全存在をかけるか?というと、それは、彼らには、そういう「選ばれた使命(=コーリング」があったということと、同時に、それ以外の全てを失って、そこに逃げるしかないような、状況に追い込まれまれるからなんですね。樹なつみさんの『朱鷺色三角形』『パッションパレード』って僕大好きなんですが、ここで、スラム育ちの黒人少年のジョーカーというバスケの天才がいるんですが、彼は、将来のNBAのスタープレイヤーになるほどなんですが、、、彼がある事件で、バスケが好きか?と聞かれて、


「あんな球遊びなんか、うんざりしている・・・けど、おれにはそれしかなかったんだよ、くそスラムからぬけだすには・・・・」

というような話をするんです。人がいい主人公は、ジョーカーが好きでバスケをしているとばかり思い込んでいて、衝撃を受けるんですが、、、僕も、ああ、、、そうか、、、そうなんだ、、、と感心した覚えがあります。才能がある人は、「選ばれた(無理やり)」わけで、それが幸せかっていうと、常に何かに駆り立てられているような、追われる感覚で生きていくわけで、幸せを何に定義するか?にはよるんですが、それって火の出るような充実があっても、穏やかさがない。「それ」しかないんだよね。


そうやって駆り立てられている人は、逃げでそこにいるのに、逃げることも許されないほど追いつめられていく。何かの表現を追求することは、ましてや「自己」を表現することですからね。自己を追及され、暴かれ、攻め立てられていく。けど、真の解放、、、真の表現者としての到達点に至るためには、「そこ」に、、、、本源に帰るしかないんですよね。常にそれを見つめて生きるしかない。自己を見出すことが、人間が生きるということだもの。それを躊躇なく描く、この2巻は素晴らしかったです。


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