面白いアニメとは?〜少し考える手がかりをメモメモ

コードギアスを、僕は傑作認定をしたい。


その理由は、おもしろかったから!。とにかく楽しかった。この1年ありがとう!!!!ありがとう、谷口監督!!と河原で叫んでもいいです。


スザクは、最後までやっぱり僕には、ヒーローだったし。僕の愛するCLAMPの小狼くんの造形で、あれをやられると、もう震えるほど萌えます。それに、未だ胸にくすぶるアーニャのかわいさ・・・(笑)。CCって、あんなにすれているのに、最後まで、純情な少女だよねーとか(笑)。とにかく、整合性も、ストーリーも何でもいいのだが、おもしろかった。語ることが出くるほどの情報量があったのも僕のような教養主義的に物語を分析する人には、まぁ悪くはないのだが、まぁ正直言って、そんなのは刺身のつまだっ!!。なによりも、カレンの胸の揺れっぷりとか、そういうのが、よかった!。衒学的なことやメッセージ性の解読は、はっきり言って、僕は、自分が好きだからやっているだけで、面白さの本質では全くないと思うんだ。


だから、おもしろかった!に尽きるんだが、もう少し言葉のレベルで書くと、実は、魔法先生ネギまに対する僕の傑作だなーと思う評価とかぶるんだが、

1)オリジナル(=本編)が売れていること
(売れるの定義は様々あるが、明確に予算上の黒字が出ればそれで十分)


2)同レベルで二次創作(=同人誌)やメディアミックス、キャラ萌えなどの周辺の遊びが広がること
(その分の売り上げの裾野が広がれば申し分なし!)

この二つが同レベルで維持されないものは、僕は傑作にはならないのだと思う。理由は、売れることが、イコール正義であるということ、、、その産業に携わる人が「明日もたべていける」ということが、事業体が構造的に正しく回る基本なんだと思う。


もう一つは、これが、「みんなに楽しまれているか?」ということ。


ちなみに2)が、特にコードギアスにおける僕が凄い作品だ、と最終評価を下す理由。1)がかなり衒学的のこれまでのアニメの脚本のあり方を集大成していながらも、ついてこれない人がいるような展開の早さで人を置いてきぼりにしながらも、とにかく、「盛り上がること」「楽しくなること」そういうことにちゃんと、、、作り手側が最後の最後まで、その意識を失わなかったので、最終的には脱落する人が最も少なかったと思うんだ。僕は深読みするのが好きな人ですが、「このぼく」がターゲッティングの対象では全くなかった!ということが、素晴らしい(笑)。一部には凄く否定的に攻撃される作りかただろうが、明確な価値判断をして、ばっさりそぎ落としている潔さが、凄い。


みんな、というのは、たとえば、僕の感覚でいると、虎の穴?とか同人誌を売っているところに行くと、明確に「キャラクターだけで妄想が広がって二次創作が好まれる」かどうか?という部分。これ、歩いて眺めているとその多い少ないで、その作品の、大衆性の幅の広さがすごくよくわかるんだよね。CCとカレンが、すごく多いのが特徴的だった(笑)。



これって、遊びの揺らぎというか、見ている観客が広がりを持てて楽しめているか、楽しむ「幅」が広いかどうかを指示していると思うんですよね。よくここを指して、「記号」だけで売れると僕も書くのですが、実は、これって単純ではない。記号を媒介にして萌えるということをするにせよ、そもそも「記号にみんなの妄想を込めることができる器」足り得るように創作することは、実はとても難しいので、単純に、器だけ作ればいいというわけではないんだ。だから、その記号に市場流通を増加させるための「必要な質」というものがあって、その質を超えている限り、それはやっぱりすばらしい作品なんですよ。例えば原作つきでも『らきすた』も『ゼロの使い魔』も、僕は大好きで、決してアニメーションの質を下げているとは思わない。それが、オリジナル幻想という意味では、アニメがアニメであるというオリジナル性はないかもしれないが、、、、ここうまく言えないが、井汲さんの意見にここの部分でどうしても、同意できない感じがする。はっきりいって、どうなんだろう?こういった萌ブームとかは、記号を媒介にして、原作つきの話題を使用してアニメ化することは・・・僕としては、アニメが高踏化して古典芸能になり下がるのに歯止めをかけた素晴らしいことだったんではないか・・・と思っている。

ちっち考えがまとまっていないが、ふと思いついたのでメモメモ。