TURN 25 『Re;』の感想(1)/全能感を感じることの気持ち良さと、その責任の取り方〜ラスボスは主人公だった!

■これまでの充実した時間をありがとう!〜素晴らしい物語でした!


いま見終わった(←これは当日リアルタイム直後の書いているので・・・)。ああ、物語の次元で、ちゃんとドラマツゥルギーを終息させてくれた、監督に多謝です。いやーちゃんと、物語を終わらせてくれた!、という感慨を感じます。僕は、『新世紀エヴァンゲリオン』をリアルタイムで視聴していた時に、もちろんあれはあの時代の本質を反映していたのでああで正しかったんだ、と今にしては思うが、それでも「物語の次元で話を終わらせてほしかった」という一エンターテイメントファンとしては、どうしても思い残した刺のようになっていました。今回のコードギアスは、それをちゃんと、物語の次元で王道で回収してくれたので、それは一アニメファンとして非常になんというか「ちゃんと終わった感」があって、それは一抹の寂しさがあるけれども、ありがとうございます、という気分です。その辺の「終わらせる」ことには、谷口悟朗監督のこだわりを感じました。


思ったのですが、やっぱり「シンプルに誰でもわかる」カタルシスを用意するというのは、ひとつの清涼感ある終わり方だなと見直しました。終わりよければすべてよしではないですが、かなり複雑に構成された脚本も、終わってみると、スッキリとルルーシュとスザクの二人の主人公の約束がまっとうされた形で終わって、仮に同人誌などで、この後を考えてもこれ以前を考えても、きちっと物語は収束しています。もちろん全部書いてくれるに越したことはないが、この作品では、そこは省略するのは、まぁ分りますよ。・・・・穴はかなりあるが、やりきった作品ですね。ちなみに、ENDとしては、たぶんちょっと頭のわまる人ならば、ほぼ予想の範囲内に収まる王道の終わり方ですが、これまでの過程を描いていて、こういう風に王道で落とすと、清涼感と充実した感じがあって、やっぱりENDは、発想の奇抜さではなく「積み上げたもの」なんだなーという当たり前のことを思いました。うーん、いい終わり方だと感激です。とはいえ、LDさんのいう情報圧縮論的なものの最前線にある「時代の徒花」的要素もあるので、トータルとしての評価は、「そこ」の部分を抜きには語れないものなので、なかなか不思議な作品と言えるでしょう。



■ゼロ・レクイエム〜世界の敵となることで、世界を統一させる物語の類型


前々から指摘していたことだが(って、だからどうって気もしますが・・・(苦笑))、これは、ファイブスター物語永野護)のアマテラスの星団への武力侵攻の物語と同型のドラマツゥルギーですね。自分が世界の敵になって、世界を武力統一し、憎しみのシンボルとなった上で、その憎しみを引き受けることによって、絶望的なまでにバラバラな国家や民族を、一つにまとめ上げる。『ヴァンパイア十字界』などこの類型は、かなり一般化していますよね。他にどんなのがあるかな?あったら教えてください。ちなみに、これはラスボス問題の有力な解決策の一つで、主人公こそがラスボスでした!というパターンですよね。かなり圧倒的なカタルシスがある。それは、物語上ではある(=現実には危険すぎる・・・)が、世界中に広がった紛争や混乱を、かなり理論的には回収するのに有力な手法だからだと思う。

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これは、これで、もう今となっては良くある落ちですよね。ただ、やるな、と思うのは、このファイブスター物語は主人公のアマテラスが、神様なんで、確かに超越的な目的を持つことが自然なんです。しかし、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、ただの普通の青年としての、個人としての視点を最後まで失うことがなかった、という部分が、してやってくれたな!という気分になりました。





■全能感を感じることの気持ち良さと、その責任の取り方


それでは、まぁよくある「世界の敵となって世界を統一させる」というドラマツゥルギーから逸脱している点として、上記の「普通の青年としての視点が失われなかった」ということの意味を考えてみましょう。僕はこの作品を、物語的には、非常に正しい王道の終わり方をしたと思います。王道とは、エンターテイメントとして、とってもわかりやすい「正しさ」を説いているところです。まぁ一言で言うと、「全能感」を満足させたこと、、、、人の意思を踏みにじって自分の欲望・意思で他者の命を踏みにじったことの、償いをしているという点ですね。自分の命を持って。



ちょっと詳しく腑分けすると、


全世界の敵になることというマクロの流れは、人の上に立つ者の責務と罪を自覚する真のリーダーのストーリーです。えっと、かいつまんで言うと、全世界の敵となるほどの「大きな目標」を掲げる時に、しかもそれが「個人のレベル」で物事を達成しようとするときには、物凄い不可能性が伴うんですね。たとえば、僕らが、何とか世界から貧困や紛争をなくそう!と思ったら、それこそギアスのような力を持ったとしても、たぶん物凄い殺戮とか、凄まじい嘘でもつかない限り、そんなことを成し遂げるのは無理でしょう。物事に自然の流れがあって、その流れに逆らって、何かを意思で捻じ曲げようとすれば、どうしてもそれは、世界と自分の意志との戦いになり、その戦いの途上でたくさんモノのを踏みつけなければ「大きな目標」を達成することはできません。それが前提。けど、個人が、個人の意思(=欲望)で、他人の人生や意思を踏みにじるという行為は、必ず世の中から「償い」を求められるんですね。なぜって、倫理的うんぬん以前に、そもそも「踏みにじられる側の人々」がそんなことはいやだからです。

では、自分を超えたレベルでの巨大な「大きな目標」を持った人は、それなりに万人が納得できる結果を叩き出されなければならないという制約と同時に、もう一つの制約として「その目標のためになした罪を清算しなければ周りが納得しない」という制約も課されるわけです。さてそこで、大いなる目標のために、全速力で高みに駆け上がる個人、勝ち続ける個人が、その過程で感じるとは?というのが、物語上のポイントになります。


では、ここでいうルルーシュ


罪の自覚とは?


これまでのギアス(超常)の力を使って、個人の欲望のために、他者の存在を捻じ曲げたことを、

1)自らの死によって罪の責任を取り、



2)自らが求めた理想(=個人の欲望)を出発点に、より多くの人の平和が継続する構造を生み出す形で、結果を出したこと


ただね、、、、これは非常に論理的で、実は「エンターテイメント的には面白くない」話です。・・・行動の実績で結果を出すことと、自分の罪を自分の最も大事なもので責任をとる(=報われない)ということは、人の全能感を制限することだからです。・・・ところが、オール・ハイル・ルルーシュ!と叫ぶシーンに、全地球を統一した独裁皇帝ルルーシュに思わず感動したんですが、この物語が、ほとんどすべて「全能感」を感じる、「やればできる俺!」ということを満足させる、面白さや刺激を、継続し続けたという部分です。これは、このことを意識する、と日経ビジネスオンラインで谷口監督が語っていますよね。


「やればできる俺」という欲望
谷口悟朗監督「コードギアス 反逆のルルーシュR2」(1)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080820/168407/


この「全能感を感じること」が、いつの時代も子供が(僕は人間が、だと思う)求める本質的なものなんだ!という谷口監督の意見は非常に正しいと思う。もちろんその出方は、社会構造が変われば変わるだろうが、それでも本質にあるモノは、そうは変わらないんだと僕は思う。そして、ルルーシュのギアスの力やお手軽に、世界を動かしていく知力は、決断幻想の時代背景にあった、かつ非常に普遍的な、視聴者の欲求の本質を見たいしていたと思う。いや、何よりも、僕は確かにそこに気持ちよくはまって見ていたので。だから、ルルーシュが皇帝に即位するシーンとか、ギアスでがーっと人を支配していくところとか、物事をコマのように動かしていくことには、凄い全能感を感じて、感情移入しました。


それって、人の尊厳を踏みにじっているし、自分の我がままのためにたくさんの人を殺戮しているので、すべては罪なんですが、それでもね、それでもやっぱりそういった「なんでもできる!」というのは、素晴らしく楽しいんですよ。しかも、努力が要らない、楽ときている!。僕は、『マブラブオルタオルタネイティヴ』で、二回目の訓練の時に、何でもみんなよりうまくできるタケルのシーンを、ナルシシズムだ!って喝破したんだけど、実はあのシーン大好きで、何回もやっているんだよね。人間って、結局そういうのを、全能感が満たされることを求めているんだよねー。

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けど、最終的に、その罪を自らの命で責任をとって、しかも世界に平和の基礎土台を作り上げたという「行動の結果」は、ルル、やりきった、男だと思うよ。そして、それは「正しさ」だもの。マブラブオルタやエヴァンゲリオンのように、内面を告発して、動機を切り刻んでいくこともなく、かといって物語のエンドとして、ちゃんとそれを自覚的に収束させている、いい物語だわーと思う。


えっと、最初の問いに戻ると、このコードギアスという物語は、最後までルルーシュという青年の個人の悩みの次元から逃げませんでした。話がものすごいスピードで展開する割には、彼の内面を描ききれていないので、それが故に薄っぺらな印象を与えるのですが、それは、いまの視聴者が話の展開をどんどん先読みしてしまうというマクロの病をもっているので、そういった連中をうまくだますには、ついていけないほどの情報量と展開のスピードを演出しなければならないという構造の上の問題があったが故で、その辺は過渡期の作品なのかも、と思っています。えっと、しかし、基本は、ルルーシュという極東の島国の植民地に逃げだした無力な兄妹のまだ少年とさえいえる兄の悩みだけなんですよね。最後までそこの次元を失わず、グレンラガンとかのような「神はなんだ!」「世界は滅びろ!」みたいな「向こう側に行ってしま次元」ではなく、一人の等身大の人間が、等身大のままで考えた結論という形で、全能感で力を実感し、その行き過ぎた力が故に、あらゆる大切なものを失い、失って初めてその罪に気づき、それへの贖罪を、自分の最初の求めたものを完全に成し遂げ・・・いいかえれば、自分の罪を貫き通すことで、贖罪をするという・・・・物語としては、ナルシシズムの脱却としては、パーフェクトな構造だと思います。


これって、とっても勧善懲悪なんですよね。最後の倒すべき真のラスボスが自分であったという設定をすることで、ラスボスがその罪には手に作り上げた世界の平和(=のような何か大きな果実)だけ頂いて、それを為すために働いた罪を、主人公(=ラスボス)が背負うことで、世界には結果だけが残る。その果実を主人公が得ないことで、、過程の全能感で視聴者の楽しさを担保し、最終的には、その欺瞞と偽善を告発する。よくできたストーリーです。


さて、たぶん、通常にこの物語を見ている人は、ここまでが普通に感じて到達するところなのではないかな?って僕は思います。実際は、これ以上の整合性や追求をする人は、稀な気がするんですが…。どうなのかな?。感情的に、ルルは、ちゃんと責任を取ったよね、とかそういうことかな、と。そして、彼が責任をとって潔く死んだからこそ、きもちよく「死なないでほしかった!」とかほざけるわけなんですよね(←うわ、いやな言い方(苦笑))。


けど、もう少し考えると、実はかなり複雑な、投げかけがされていると思います。そこは、この物語を楽しむという表層の次元より、一歩踏み込むので、どこまでの人が感じる足り考えたりする意義があるのかはわかりませんが、進んでみましょう。・・・・えっと、いいかえれば、これ以上は深読みしすぎなんで、この辺が理解できなくても、大多数の人にカタルシスを与える物語展開ができないと、エンターテイメントにならない、と僕は思います。




ちなみにこの続きの、(2)と(3)もすでに書いてありますが、この記事の「ルルーシュが罪故に死んで贖罪した」という物語とは、真逆の話になります(笑)って、LDさんの言っていることと同じですが。まぁ正確にいうと、いったん反転したが故に、もう一度戻ってくるという感じですが。この記事は明日?(くらいに)アップするかな???。

TURN 25 『Re;』の感想(2)/全能感を告発して暴き立てるのが好きな批判屋さん

TURN 25 『Re;』の感想(3)/ルルーシュが世界にかけたギアスとは?〜罪の十字架にかかることで世界の仕組みを変えること