世界を守ることよりもダチが侮辱されたことが許せねぇ…

最新刊出たうえに、連載再開ですね。僕は連載を読んでいなかったので、単行本派ですが・・・・素晴らしいですねぇ。超弩級の傑作ですよ。まだ話が途中なのに、これほどの凄さを感じさせるのは、なんか信じられないですねぇ。だって、ハンターって、まだ基盤のドラマツゥルギーである幻の父親を追うってのは、ほとんど片鱗さえ出ていないんですよ。それなのにこの濃さ、深さ、、、なんだよ、これって感心します。


これ一冊で言いたいことが、山ほどあるんですが、でも、こういう凄い作品を見ると、なんかそれ以上に言いたいパワーがないと容易に感想も書けないですよねぇ…。ちなみに、この作品って、何つーかものすごいなって思うのは、なんというか、個々の物語がが物凄い「ギリギリの縁」にあるんですが、それがいくつも並行して存在しているんですよね。普通の物語なら単体でしか描けないものが、同時に並列している。


幽遊白書』なんかも凄かったけど、あれはジャンプ的に、ドラマツゥルギーが、「勝ち負け」という一つの方向に、若しくは「善悪」という基準に収斂していって、「それ以外」を許容しない臨界点までいってしまって・・・・「臨界点まで行く」ということは、それはそれで素晴らしいのだけれども、それって、聖書のハルマゲドンでも、、、かの名作『デビルマン』でもいいんですが、物語の類型としては善悪二元論を「善と悪がどっちが勝つか?」というバトルで表現した対立の力学にした時点で、その終着点は、果てまでいってしまうものなんですよね。最近、ふと思ったのは、それってもう実は「出尽くしたパターン」なんじゃないのかなぁ、って思うんですよね。コードギアスグレンラガンで、ずっとLDさんと、「神殺し」の類型を考えたり、「戦争と殺し合いの果てにある世界統一と恒久平和をどう実現するか?」ってことを、ドラマのパターンとして分類して考えると、実は、パターンはもう掘り尽くしている感じがするんですよね。少なくとも、エンターテイメントで、普通の人が容易に理解できるというレベルでは、もう新しいものは、なかなか論理的に想定しにくい気がする・・・。

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けど、『レベルE』でしたっけ、この辺から、なんというか、、、、この「ぜなく二元論を対立の力学にして時間を進めていく」というデビルマン的な、ジャンプ的な思想の系譜を、大きな世界に取り込んで、その中でうまく消化していしまう・・・・・そんな感じを冨樫さんの世界観には感じるんですよね。まだうまく言えないんですが・・・これって、数年前にコンセプトを出した、時間の展開をするドラマツゥルギーと空間的な展開をするドラマツゥルギーの差異なんですが・・・このコンセプト、まだ説明しきれないので、今回もペンディングです(笑)。


ってのはね、あのね、他の物語ならば、今回のゴンの善と悪の基準のはざまに悩むことや、キルアの家族の牢獄からの脱出や、王が他者の存在を理解するってのとか、その前のゲームの世界に入ってしまう話だって、それ単体で成立してしまうほど、ものすごいドラマツゥルギーなんですよね。ところがそういったものが、全部同時に並存しているんですよね・・・・・。なんつーか、ジャンプ的世界観を超克した、日本のエンターテイメントのフルーツフル(成熟の果実)って感じだよねぇ。


それを端的に感じたのは、今回の、


「師匠 すんません!! オレ達 バカなんです 世界よりも大事なものがあるんです!!」

というナックルのp139の叫び。


感動で、死ぬかと思った(笑)。あのね、ナックルって小物でしょう。しかも脇役。なのに、なのに、なにこの凄さ、何この扱い!これって、完璧に物語の主人公級の存在感でしょう!!、ハンターの不思議な劇空間でなければ、こういう風に、個別の存在が重い存在感を持って、屹立しないよ。


あのね、、、これ、いま「世界の存亡をかけた危機」の中で、ゴンやその他の人物たちの「命のかけ方」って半端ない緊張感をものすごく積み上げているわけじゃないですか!、物語としては、究極のボルテージを保っているそのさなかで・・・・・・おいおい、そこでこのセリフかよっ!。いきなり週刊マガジンの不良ものの、バカみたいな「ダチとの友情がすべてだぜ!」みたいな、もう不良ものでさえストレートの言われたら、馬鹿にしてしまいそうな陳腐なセリフが、、、ここででてくるのかよっ!って、もう腰が抜けそうだった。


ああ、、、、世界はこうなっている!と、世界ってこういう風にわけのわからん風に多様なんだよなって、僕は感じてしまった。いや、バカみたいでしょう?、、、ナックルだって、いまのいままで、自分の使命や何をしなければならないかとか、そういうのって、全部心底腹の底まで分かっていたはずなのに・・・・


それでも、そう思うか!あっぱれ!!(笑)


って、涙が出た。うん、人間って、こういうものなんだと思う。マクロのドラマツゥルギーや目的では、「これしかない」というエスカレーターみたいな流れに追い込まれて、、、それでも、それでも、「オレはこれは譲れない!」みたいな、そういうものが出てきてしまうんだよ。そして、それが、実は、そのままの流れでは考えられなかったような可能性や展開に、人、世界を、人生を導くものなんだ。


世界はドラマのように、流れるようには展開しない。その登場人物の内部に流れている「物事の核あるドラマツゥルギー」みたいなものを、あさっり裏切るような、登場人物たちの内的な存在感の重さや、世界の多様性が、そういうものが、真に豊饒な物語にはあると思うんだよねー。


いや、なんかこーふんしてしまった。とにかくね、このシビアなバイオハザードの話とは、もうなんの関連しもないんだけど、あそこでナックルがああいいきってしまうところに、いやーハンターって、すげー作品だよなーと感心したペトロニウスでした。いや、ほんとこういう風に生きたいものだなって。ナックルって脇役なんだけど、明らかに自分自身の主人で、自分自身の物語の主人公として生きている。そして、たとえそれが世界と天秤になっても、裏切れないダチがいる・・・・なんか、すげーかっこいいよ。ああいう生き方ならば、誰にでもできる。・・・・うん、いいね、ほんと。