この悲しい世界で家族を求めてさまよう物語類型〜スメラギ・李・ノリエガとソーマ・ピーリスちゃんの遍歴

■少数が反抗することの正統性〜テロリズムを肯定できるのか?

ルイ >> どうでしょうね。宇宙進出の段階に至っても、軌道エレベーターは三本生まれてしまった。そして国家的に宇宙産業に貢献できないなら、そこは切り捨てられていく・・そういう世界ではありますよね。まぁそれも眺めていれば数百年で解決、というか切り捨てられた国家が消えて終わるでしょうけど、今ある想いの話なんで、それは勿論マクロ視点からすれば糾弾されうるし、されたときに反論する言を持たないでしょう。でも、そこで声を上げる事をやめていいのかって・・・・・・・・・・・・・・・・・テロリズムの論理以外の何物でもないのは何故だw

中略

ルイ >> 最大多数の最大幸福、とやらに人間が皆迷いなく邁進できるなら、その種は人間なのかって話・・・なのかも。とにかく、CBがペトロニウスさんの理屈でもって論破されちゃうのは、さすがに意図してのものだとは思ってます。嫌いなのは、仮初の良い人っぷりをアロウズ作って演出してることだけでw



漫研より
http://www.websphinx.net/manken/


ここは、僕はどうかな?と思うんですよ。というのは、少なくとも1期は、もし論破されるのが意図されているとすれば、もう少し物語の作り方を考えても良かった思うし、なによりも、明確に「マクロの正しさに押しつぶされて、殺される少数が反抗するのは正当である」すなわち言い換えれば、「テロは正しいのだ!」というドラマトゥルギーを描かなければなりません。けど、そんな素振りを全然感じないんですよね。

コードギアス・反逆のルルーシュ』の第一期で、黒の騎士団という日本一国のナショナリズムレジスタンスが、世界国家運営に飛躍するためには、なんというか強引すぎる「飛躍」が必要でしたよね。レジスタンスの反抗的で武力闘争にコミットする100万人?近い人間が、国外逃亡するっていうような。あれが、土地に縛られない純粋な武力集団となって、いわゆる国連軍的な、ナショナリズムをいったん放棄した結社という形になったので、超合衆国という、ナショナリズムを超えた統合の契機になりました。あれはあれで、かなり飛躍があって、物語的に、おいおい???という感じでしたが、とはいえ、テロリズムを肯定するか?という部分を、大ウソながらにちゃんと課題として受け止めて物語を展開していると思うんですよね。つまりは、ナショナリズムによるテロではなくて、超国家・・・・地球の統一をかけての「正しい戦争」に変えてしまえ!という答えです。

現状は、テロリズムは犯罪です。が、国家間の戦争自体は、合法なんです。このへんの大ウソのかまし方としての先達は、『沈黙の艦隊』の海江田艦長ですね。基本的に、テロリズムが、ナショナリズムに対抗するときに掲げる大義としては、あれぐらいしか今のところ思いつきません。まぁ現状はおとぎ話のレベルを超えませんが、政治的にも、超国家軍隊の創設は、今後の人類の課題であることは間違いないです。

なんというか、近代化や資本主義のマクロの正しさが、証明というか、人類の成長という意味で多数に合意されている現状では、マイノリティの一番正しい対処の仕方は「じわじわ減らしていくこと」なんです。

LD >> そこはアローズもCBと同じ性急さを持っていて、それが失策な面がある。(戦略、政治的に考えるなら)本当はマイノリティは、生かさず殺さず、じわじわと減らして行くに限るんですよ。それが最も反撃を食らいにくい方法なはずでw

現代社会の厳しさというのは、100年前と違って、マイノリティを皆殺しにすることが、さまざまな意味で難しくなっていることなんですよね。だから、やるならば、表だって意見が出ないようにじわじわと、その人たちが寿命とかでいなくなって散逸するのを待つんです。それは、もちろん「切り捨て」なんですよね。アローズやCBは、それが我慢がきかないほど稚拙で早すぎるだけ。まぁ手段が拙速かどうかで、ジェノサイドとなんらかわりはありませんがね。少なくとも、ソフィスティケートされた形であるのは間違いない。

資本主義が怖いのは、貨幣と商品によって、強制的に自己完結型の共同体に、欲望をドライブさせることで割り込んで、完結した文化(=共同体)をじわじわ崩壊させていくからなんですよね。アフリカやニューギニアとかの未開の部族(ってこの言い方も失礼な言い方だが)自給自足の村なんかに、貨幣とお酒とタバコを持ち込めばてきめんに、壊せます。ちなみに、チベットやネパールぐらいのレベルになると、相当壊すのが難しいほど文化的な求心力が強いので、まぁ覇権国は、100年単位でインフラストラクチャーを自国の内需経済にリンクさせて、その「濃さ」を薄めようとじわじわやります。かつての米国のインディアンの強制移住法や日本のアイヌなどへの皇民化です。だから、文化防衛という形では、北朝鮮のように鎖国したり独裁などでグローバル資本主義とのリンクを強制的に遮断するって発想は、明らかに無駄であるし国民に重圧ではあるのですが、発想としてはナショナリズムに対抗する、切ない抵抗ですよね。

ちょっと難しい話になってしまったんですが、この「課題」をどう料理するか、って部分は、今後こういったロボットアニメやガンダムサーガを作っていく上で、とても重要なポイントだってことが分かってきました。なぜかといえば、ファーストガンダムで冨野監督が、オリジナルを作った時点で、すでにこういったテーマは、今の極限レベルまで展開されているんですが、、、、現代は、物語に現実が完璧に追いついてしまっていること、また「そのこと」を市民一人一人のレベルで理解できちゃっていること、ってのが、さらに当時よりも問題を前面に押し出すことになっているんだと思います。

ちなみに、アメリカでこのテーマをおもいっきり追及しているのはFOXのドラマ『24』ですし、クリストファーノーラン監督の『ダークナイト』なのでしょうねぇ。

LD >> …でも、俯瞰してみると、セツナを中心とする「世界が平和的に一つにまとまって行こうとするから見捨てられる人々」ってのはいるんですよね。その彼らが「俺達を見捨てている事を思い知れ!」ってテロに走るのは実は分る話…だと僕は思ってしまう。


そうそう。「俺達を見捨てていることを思い知れ!」という少数マイノリティ切り捨てへのレジスタンスは、普遍の物語なので、思いっきり書くならばこれをこれで描くのはありだったとは思うのだ。ただ、世界が統一化に向かっているマクロ環境を設定した時点で、それへの抵抗が、「テロリズム以外の手段がない状態に閉塞している」こと、、、テロリズムの肯定は、資本主義で虐げられている国々から、東京のど真ん中でテロを起こされて家族を殺されても肯定しろ!ってことと、同義であることも、理解して書かなければいけないので、難しいのだ。

こういうテーマが日常に顕在化している以上、やっぱり第1期のCBは、ちょっちアホ(よくいえばカルト集団)だし、2期のアローズに至っては、視聴者が理解というか感情移入困難だから、物語上わかりやすいようにこうしました、見たいな安易感を感じてしまうんだよねぇ。仮に、最初から意図してこの構成を考えていたとしたら、少なくとも上で語ってきたテーマ的には、何にも答えていないので、僕としてはさびしい。物語は、もちろん「それ」だけではないので、だから駄目だとか監督や脚本家が下手だとは思わないけれども、少なくともぼくは、2度と見返したりしない作品だなぁ。いや、1度でもこの時間がない中、見ている上に、こうやって意見を言いたくなるくらいだから、決してレベルの低い作品ではないだけに、おしい気がする。



■偶然集まったアソシエーションが、家族(=共同体)に転化していってしまう物語類型


では、このガンダム00って、何を描いた作品なのか?少なくとも、面白いおって思えるのはどこなのか?って部分に話を進めてみたいと思います。あのね、この作品って、まったくもってロボットアニメだなぁと思えるのは、恋愛が皆無なんですよね。これって、意図なんじゃねーかなーと思うんです。

LD >> マリナがセツナの恋人じゃないってのは、すごくしっくり来る話で……セツナに必要なのは母親以外の何者でもないんですよね。…で、CBの思想の胡散臭さは僕は動かないんですが、セツナが「俺を見捨てるな!」とその道を行く事は分るんですよね。そこはルイさんの「取り入れた」と共通する所かも。…逆にいうとセツナがいないとイオリアはじめとしてCBのメンツは皆かなり胡散臭いわけで。


中略


LD >> スメラギ・李・ノリエガさん、何か知らんが味方を沢山殺してしまったから、思いあまってCB運動に参加しました?……甘えるなよ学生wって感じですし。

ルイ >> 味方を沢山ってか、大事な人が死んじゃったんですね。で、マクロ>ミクロの計算式に首肯できなくなった。香月博士が知ったら鼻で笑いそうな話ですが・・・wつけずに言っておきたいのは・・・皆が博士になれるわけじゃない。人間が人間である限り、その「甘えた」ルートを選ぶ人もいるし、それは甘えといわれたら言い返す言葉もないし、でも、選ぶ事にその人なりの理はあるんですね。そこに理屈でもって「アホじゃね?」って言うのは、正しいけれど、一方ではまったく問題と関係ない感想、という風にも思うんです。まあ、難しいトコですね。

主人公の刹那が唯一、物語の中では、LDさんがおっしゃるとおり「世界を憎んでもいい子」だと思います。彼は、少年兵としての過去はカルトにだまされたかわいそうな子供で、さらにもう一回ソレスタルビーイングというカルト集団にだまされて入信しちゃった子(苦笑)なんですが、けれども、2期の刹那には、僕もルイさんの意見に同感で、セツナは、「そのこと」がよく分かっていながらも、自分の意思で選択してCBとしての行動にコミットしています。そういう意味では、彼の動機は、とても正統性あるものとして、僕は感じます。逆に言うと、そのほかのメンツの動機ってかなりひどい(苦笑)。スメラギさんとか、最低ですよね(苦笑)。戦術予報士という戦争を職業に選んでおきながら、マクロ>ミクロの覚悟がないなんて、甘えるなよ!ってホント心底思うよ。・・・・まぁけど、こういう方が人間らしいし、こういうダメダメさのほうが、人間らしいかもしれないですがねぇ。まぁルイさんのおっしゃるとおり、香月博士の爪の垢でも煎じて飲ませたいですね。


さて、けれども、このスメラギさんの自己遍歴ってのが、実はこの系統の物語類型のもっともパターン化されたものなんじゃねぇの?って、実は思ってきました。これは、恋愛がこの物語のほとんど無くて、特に主人公のセツナの対になっているマリナ姫が、恋人ではなくて、明らかに母親か姉といった対象としてみなしている部分とリンクすると思うんです。


ようは、これって、この悲しい世界で、家族を探そうという物語になっているんだな、って思うんですよ。


元超兵さんのソーマ・ピーリスちゃんが、まったくの無主義になって、「好きな人がいるから、そばにいる」となるのも、同じこと。そして、これが、もっとも根深いナショナリズムテロリズムインターナショナリズムへの抵抗の論理であることもまた事実なんだ。つまりは、マクロがどうなろうと、知ったことじゃねぇ!俺は、おれの家族(=親密圏)をまもるんだぁぁ!!!ってこと。

ルイ >> そんなに「世界を憎んで」はいないと思うんですけどね。>スメラギさん ただただ、切捨てに耐えられなかった。そうしたら自然とCBに行き着いて、今度はCB自体がその「切り捨てられたくないもの」になった。そういう流れだろうと思います。   但し、二期までの間、ビリーカタギリのとこでただれてたって事は忘れてはいけないだろうと思います。その間、フェルト達は歯を食いしばってCB地下活動していたはずです。・・・ロックオンやクリス達を失った事で、また簡単に「やっぱダメだ」と思ってしまったんですね。そういう弱い人間ではあるのでしょう。


LD >> 今度はCB自体がその「切り捨てられたくないもの」になった >成る程。その流れは納得できます。今のルイさんの指摘でスメラギ・李・ノリエガさんが「観えた」気がします。


これってマッチョイズムに対抗する「道端の花を忘れるなよ攻撃」みたいなもので、人類の最前線の進歩の舞台で、マクロ>ミクロを前提として挑み続けるってのは、選ばれた・・・というか少数の頭がおかしな人でないと(笑)なかなかできないものです。積極的に、マクロ的には正しいと分かっていても、それでも「切り捨て」には耐えられないという人は、かなりいるものなんだと思います。そうでないと、ファシズム全体主義ばかりになっちまいますからね、人類。

けれども、マクロ的な正しさというものはあって、政治的には、これに対抗しようがないんです。また対抗しても、手段としては今のところテロリズム以外はなく、それは、自分が最もしたくなくてテロリストになった根源の「切り捨てたり大事な人を奪われたりしたくない」ということを、再度、拡大再生産することだけにしかならなくなってしまう。


だから、理由もなく抵抗するだけ、、、「しか」できなくなって、何のために戦っているのかわからなくなる。


けど、そうやって、抵抗するために、理由は何でもいいから「集まった仲間」が、最初は目的のための同志であるというアソシエーション(=結社)であったものが、時間を経て苦しみを共有していくことで、家族(=共同体・親密圏)に転化してしまうんです。だから、自分の所属する組織と仲間を守るということが「自己目的化」していくんです。運動家が、運動が終わったんで、また問題を自分で自己生産して運動を続けるようなもの。


「僕にも帰るところがあるんだ!こんなうれしいことはない!」(byアムロレイ)


みたいな。こういったアソシエーションのコミュニリタリアンのへの転換みたいのは、日本社会の文化的作法・伝統みたいなので、これがすぐ世界的に受け入れられる作法なのかは、わからないのだけれども。ただ、、、、、ミクロ的には、非常にわかる生き方だし、対処できないマクロの流れの中で「大事なな人を守ろうとする」ことをしていると、どううしても行きついていく流れなんだよね。

これは、ある種の大きなマクロの流れを描きながら、ミクロで関わるキャラクターたちに、答えが出ないけれども生きる目的を与えるためには、秀逸なドラマトゥルギーなのかもしれない、と思う。そもそも答えがない(=マクロ的には)世界で、それでも生きる意味を見出すにはどうすればいいのか?という。

最初は「主義」「イデオロギー」や「民族」「国家」のために戦い始めるだけれども、途中から大事な人と戦友を守る自衛闘争と化していく、これが世界の真実なのかも。ただ、それはミクロに生きる人間にとっては正しことだよね。だって、生きる意味は、一番は、愛する人と一緒に時を過ごすことだもの。