ときには、広く人類の歴史に思いを馳せて

人類最古の哲学―カイエ・ソバージュ〈1〉 (講談社選書メチエ)
人類最古の哲学―カイエ・ソバージュ〈1〉 (講談社選書メチエ)


仕事、子育て、勉強、、、、ともすれば30代になると、息もつけないような圧倒的な日常煩雑な作業の膨大な波に、心が摩滅し、目の前の小さな現実しかとらえられないようになっていく。特に責任が降りかかってくれば、もう「自分」に固執して、「自分の心を磨く」ということはほとんどできなくなる。それは、我儘だから。それを否定する気はない。自分が存する土台をという桎梏を正しい形で乗り越えた人だけが手にする本質的な自由というものがあると思うから。小さな現実を生きないことは、結局のところ人間として豊かに生きているとは言い難いことだから。

とはいえ、あまりにそれが続くと、時には、人類全体のこととか(SFとかね)、神話のこととか、そういった、益体もない、役にも立たないものに思いを馳せてみたくなる。

なかなか意識のチューニングが合わないので、こんな何日も連続で休日が続くときでもなければ、なかなか寸毫も思いを馳せることはないが、ふと手を手に取り、振り返ることができれば、それはとても価値のあることだと思う。どこかで言われていたが、振り返ることができることが人間の特権なのだから。成長と変化を求め、小さな現実と戦い、日々刻苦し、そうした中にも、天の星に思いを馳せる感性を失いたくないな、と思う(無理だけど(笑))。そうすれば、自分がいま集中していることだけが真理ではない、世界は多様で広いんだということを、意識を開いてみることが可能になるんだろうと思う。

「もはや存在せず、おそらく決して存在しなかったし、これからもたぶん永久に存在しないであろうが、それについて正確な観念を持つことは、われわれの現在の状態をよく判断するために必要であろうような一つの状態をよく知る」(レビィ=ストロースが好んで引用するジャン=ジャック・ルソーの言葉)ことを願って、神話の夢は紡ぎだされてきたのでしょう。


p25 はじまりの哲学 中沢新一


人は夢や空想ばかりでは生きることはできない。けれども、それなしできる人生も、また最低だ。もう一つ裏返せば、「それだけ」という人生も、また最低だと思うけれども(笑)。

人生、どこでもいつもスタート地点みたいなもの。いつどんな時点でも、チャレンジは許されているんだと思う。けど、きっと、それが許されるのは、「それまで」の人生をちゃんと生きている人なんじゃないかな、とも思う。なんとなく、感傷的になった今日この頃でした。・・・・たぶん、もうすぐ会社が始まるからだと思う(笑)。こういうときには、現実にも押しつぶされず、中年になってから宇宙を目指した宇宙飛行士の話を描いた、フレデリック・ブラウンの『天の光はすべて星』を思い出させる。

天の光はすべて星 (ハヤカワ文庫 SF フ 1-4)