理想の物語

ルイさんとLDさんと、ハーレムメイカーについて議論を深めるにつれて、少しづつ考察を書いているんだが・・・なんとなく気分で、『マヴラブオルタネイティヴ』を少しづつやりなおしているんですが、、、、これ、本当に素晴らしい物語だな、と感心の中にも感心をします。超ド級の物語です。本当に。

僕は、ハーレムメイカーの議論の終着点を奈須きのこさんに、そして骨格を、赤松健さんの『魔法先生ネギま!』で話していた「日常」と「非日常」の対立と包括したドラマトゥルギーの在り方に置いて、話を進めているんですが、・・・・そう考えると、この設定を、究極まで展開したのって、この作品なんだよね。当時、初めてやった僕が、気が狂ったように熱狂した理由が、今ははっきり分かる。2回目でさえ、桁はずれの感動が襲ってくるもの。はー素晴らしいよなー。

なんか、ふと思ったんだが、ほんとクソゲーなんだけれども、ファンディスクの『オルタードフェイブル』が、もう死ぬほど素晴らしく輝いて感じたんだよね・・・。まったくもって、ただの楽園の日常をがいたエロゲーオブエロゲーなんだけど(笑)。理由は簡単で、日常と非日常を、言い換えればハーレムメイカーとしての仕組みを徹底的に追求(=消費者の視点では体験)した後では、マクロの感覚と、各キャラクターの実存がはっきり自覚されているから、キャラクターが生きていると思えるような実在感があるからなんだよね。ふと思ったのだが、テキトーに流してやった『マヴラブ』(無印)をもう一度やってみたいな・・・とふと思い返す今日この頃です。つまり、そういった存在感を受け手に感じさせてしまうと、もう何をやっても、OKなくらいな感じになるんだよねぇ。

・・・・にしても、物凄い脚本構造です。並列世界の中で唯一性を獲得する(スミカ)ことと、虚偽問題の中に唯一性を見出すこと(メイヤ)とかって、もう信じられないレベルのマクロ構造だよなぁー。そういった、80年代以降に生まれてきた、日常に戯れるための装置としての「恋愛原子核」、すなわち、物語を等値構造にして、時を止めて「止まった時を戯れる」手法を逆手にとる部分なんか、もう・・・・。こんなメタ的な視点が、具体的な物語になってしまうなんて・・・・感心を通り越して、ため息が出ます。いやー素晴らしい物語に出会えてよかった、としみじみ。


ただ乗りを許すな、責任を全うし、手を汚すこと厭わず、現実とのリンクを持て、その先に、深い実存が訪れて、そして選択肢に見えたものの中に、唯一性が現前する・・・・か。。。まさに90年代と00年代の総決算のような物語。相対主義の中らから絶対性を獲得すること。

マブラヴ オルタネイティヴ(全年齢版)