『とらドラ!』 監督長井龍雪 シリーズ構成 岡田麿里  積み上げ型描写とメジャー級の人気のバランス

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いま放映中の、最新話まで見ました。いやーよいですねー。とるてあ以来、こういった日常の「積み上げ」の部分にえらくセンシティヴなようで、なんか、癒されました。ちなみに、何を良いとみているかは、↓のルイさんとのコメントを、抜き出してみました。


ルイ 2009/02/09 04:28
!ここで今こそ、「華麗なるカンダ・ガワー」ことフタコイオルタナティブの周期ですよ!ここしかない!
…ってのは冗談ですけど(笑)。

とらドラは、逆に1話をご覧にならなくて良かったんじゃないかなぁとも思いますね。
いえ、作演出的には素晴らしい1話で、僕は好きなのですが…この作品の出だしにある
「記号発・脱記号」の、線引きの了解・確認を取るような回で。
そういった確認事項をすっ飛ばして、今あるままを見て「青春」を感じ取るのは美しいと思います。


Gaius_Petronius 2009/02/09 20:24
うむ???どういう意味ですか?<「華麗なるカンダ・ガワー」。解説求む。

ちなみに、「記号発・脱記号」の、線引きの了解・確認

これ、もう少し説明していただきたく・・・いや、とるてあとか、「日常をめぐる世界の描写」について
少しづつ書いているんですが、とるてあ鑑賞のおかげで、この辺の「観賞へのマインドが蒙を開かれた」感じがあって、
それがあるからこそ、とらドラもいいなーと思うんだと思うんですが、この辺がうまく言葉にならなくて。

LDさんの言葉を流用して「積み上げる系」と僕は仮称しているんですが、同じ日常を描く場合には
に傾倒ジャンルというか手法があって、


1)積み上げ系

2)記号系

と二つある感じがしているんですよ。この1)の演出手法が、「モノそのもののリアル」と僕が呼んでいる
岩井俊二新海誠的なものだと思うんです。

たぶん、ルイさんは、このへんの感覚に僕よりも嗅覚がある感じがするので、
少しづつ教えていただければ嬉しいです。ちなみに、とらドラは、1話から学園祭編の終わりまで
いまのところ見ています。

フタコイは・・・もう少し待って(笑)。




ルイ 2009/02/10 23:56
「華麗なるカンダ・ガワー」につきましては、えらく単純な話でして…
LDさんはフタコイオルタナティブを指して「神田川」だ、といい

僕はフタコイオルタナティブを指して「華麗なるギャッツ・ビー」だ、と言ったと。合体(笑)!
フタコイをそのうちご覧になる時、とりあえずこの言葉の響きと、更に

”元はシスタープリンセスに連なる萌え記号消費シリーズの中で
「双子に挟まれてモテたら最高だよね!」という、素直すぎる企画にすぎなかったものを
「本流は他社がアニメ化するから、そちらはちょっと独自でどうぞ」とユーフォテーブル社にパスしてみた結果
生みだされたものだ”と…その「企画の根っこの生まれ」を認識して頂けると、色々味わいがあると思います。
特にお気に入りの人物はできないかもしれないのですが、作者(脚本の金月さん)の主張で読む、正しくパーソナルな作品です。

>「記号発・脱記号」の、線引きの了解・確認

これについては、ペトロニウスさんがまず「とらドラ!」を

1)積み上げ系

2)記号系

のどちらと感じながら鑑賞しているか?というのと関係してくるかもしれませんね。

僕は「2→1(2寄り)」の作品だと思っているのですが、元が2なので、出自は変えようがなく1にも限度があって

よく言えばハイブリッド、悪く言えばどっちつかずの作品なのかもしれません。

ただこういう作品って受け手の包容力を要求するような所があって



※気付かずに完全に記号オンリーで完結して楽しむ分には、何も引っかからないでしょうけど
例えば、少なくとも1話の「ラブレターを取り返しに金属バッドもって不法侵入・器物破損」という行いを
→「恋に一途な女の子で、脇目も振る事ができないんだな」というように、記号を消化した上でスムーズに変換できないと
どこまでも引っかかる人は引っかかってしまうみたいなんです。

ペトロニウスさんにその心配はまるで杞憂だったわけですけど、この認証のプロセスでしくじって

批判的になる方も、結構いるようですね。



そういう意味で、1話ってちょっと試験紙のような側面があるな、と思った次第です。

岡田磨里さんも、少し前にtrue tearsという「積み上げ」に特化した作品を書かれていたわけですけど

とらドラ!という作品自体、極めて造形などは記号的なのに、中身は80年代少女漫画のような所もあり…



自分の得意とする因子を見つけやすかったんでしょうね。因みに3話と4話が岡田さんの完全オリジナル脚本ですが
いかにも、彼女の「背骨を通そうとする意識」が見えて結構お気に入りです。



ふむふむ、よーくわかりました。僕も、「2→1(2寄り)」の作品として見ています。とりわけ、15話?くらいからふと録画していたものを見たので、その感が強かったのかもしれません。こういったのハイブリットなものは、おっしゃるとおり、受け手の包容力というか、解釈力の文脈に依存するところがありますね。僕は世界とのチューニングと呼んでいるんですが、自分の感覚が、どのタイプの側面にチューニングがあっているかで、見える世界の様相が全く異なってしまう現象をよんでいますが、そういったもので、とるてあ以来、ずーっともんもんと「あれ」って何だったのか?と考えているんで、そこに焦点があったんですね。おっしゃる通り、こんな見事に記号的なものなのに、なんで、こんな風に積み上げ感を感じるのか不思議な感じがして、、、って、とるてあとシリーズ構成が同じ人なんですねぇ。おっしゃるとおり、とるてあのような熱狂は感じません。それは、積み上げに限界があるからで、どんなに積み上げても、確かに出自が出自なので、記号として処理して、見るという部分が抜けきらないからです。ああ、、、はやく、とるてあの記事書きあげなければ・・・あまりに膨大になって(苦笑)、、、まとめるのがしんどくなってきました(苦笑)。


にしても、これ、売れるというポイントを抑えながら、うまく描いている作品ですねー。