明晰で老獪な老中の阿部正弘と英明なる島津藩主斉彬が目指していたもの〜徳川を盟主とする有力藩主による合議制

風雲児たち (幕末編1) (SPコミックス)

やっぱり素晴らしいので、また読み返している。


明晰で老獪な老中の阿部正弘と英明なる島津藩主斉彬をみていて、ふと思いついたことがある。


先日、『マブラブオルタナイティヴ』というゲームをやったんだけど、、、って、内容を知らない人は、僕のブログの読者にはいないはずだ、ということで、ネタバレで話すんですが、この中に出てくる煌武院悠陽というキャラクターは、日本帝国の現・政威大将軍、という設定になっている。うろ覚えで、ほんとかどうかはっきりしないが、この世界の日本帝国には、皇帝(天皇?)がいて、そこから任命される形で、政威大将軍・・・・つまりは、国家の行政権をすべて握る将軍職に就任するという仕組みがある。これは、徳川幕府が、大政奉還を実現させ、その時の選ばれた5つの家が持ち回りで皇帝家から、国の主権を委託されるという歴史を経たためらしい。


・・・こういう、帝国の日本が継続したら、とか、歴史のifは、たくさんあるので、まーよくある仮定なんですが・・・ふと思ったのですが、もし大政奉還が成功裏に終わって、徳川幕府を中心とする有力外様大名による合議制で、、いや連邦制か?で、日本が国家運営されたとしたらどうなったんだろう?って思ったんです。


この1巻を読むと、老中の阿部正弘島津藩主斉彬などの関係や政治力を見ると、この時代は、ゆるやかに徳川家が絶対権力を手放して、開国・近代化していく方向に、明らかに進んでいる。なぜ、どうして、あんなにも激しい血で血を洗う内戦に突入したのだろうか?。もちろん、世界の革命の例から見ると、ほとんど奇跡のような政権交代ではあるにしても、にしても、この有力藩主による合議制と大政奉還は、政治的に見ても、物凄い名手だ。そして、なにもそれを妨げるように見えるものは、ないんだ・・・。少なくとも、『風雲児たち』を読んでいると、そういった緩やかな近代化は、あっても決しておかしくない・・・なんか霧が晴れるように、なぜ坂本竜馬大政奉還などの一手を考えだしたのか、この時代の人々が何を見出していたのかってことが、わかってきた。なんて、偉大な政治家であり、なんてモノの良く見えたやつらだろう。なんというか、これほど流れを断ち切らなければならない、いったい何があったというのだろう?、、、うーん、読むたびに発見やいろいろな気づきがある。一度歴史として認識してしまうと、有力外様大名による徳川幕府の壊滅なくして、明治維新はあり得なかった・・・と思いこみがちだが、本当は、徳川を盟主とする連合政権で、緩やかに開国をし、近代化を目指すというのが、ありえた選択肢だったんだ・・・と感心する。


決まってしまった過去から、賢しらに訳知り顔に、「こうなった」と結論だけを説くのではなく、、、当時の選択肢のギリギリのラインで、彼ら彼女らが何を見ていたのか?現実的には、どんな選択可能性があったのか?ということを見ないと、歴史の面白さは分からないし、何よりもその時代のギリギリの決断を迫られて生きてきた人たちに失礼だ、と思う。

以前はその内政・外交姿勢から「優柔不断」あるいは「八方美人」な指導者として見られて低い評価をされがちであった。実際、ペリー艦隊来航から日米和親条約締結に至るまで1年余りの猶予があったにもかかわらず、朝廷から全国の外様大名まで幅広く意見を募った挙句、何ら対策を打ち出せず時間の引き延ばしを図ろうとするなど、老中としてリーダーシップを発揮しようとする姿勢は見られない。しかし、これは正弘のというより幕府の体質といえるもので、正弘の前に老中であった水野忠邦は強硬路線に反発を受け失脚しているし、後に正弘の路線を否定して安政の大獄に代表される強硬策を取った井伊直弼は幕閣どころか朝廷や国内各層の反感をも買って国内を混乱に陥れている。こうした事を考えると、正弘の協調路線は幕政を円滑に運営する有効な方策であったといえ、幕府の威光よりも混乱回避を優先した姿勢は一概に否定しきれない。ただし、その程度は明らかに度を超えており、「幕府を亡ぼす者は阿部伊勢守なり」とあるように幕府瓦解の原因を作ったのも事実だといえる。評価としては、よく言えば柔軟な人物であり、悪く言えば主体性のない人物だといえる。ただ、慣習にとらわれない人材登用についての評価には異論が少ないようで、正弘の政策を「安政の改革」として、いわゆる三大改革に次ぐものとして扱うこともあり、早世を惜しむ声も多い。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E6%AD%A3%E5%BC%98

ちゃんと調べもしないで、漫画だけで鵜呑みにするのも、、、と思うことは思う(笑)が、、、、まーいーじゃねーか、何も知らないよりは思い込みや幻想があると、もっと世界が広がるぜ!って思うことにしておきます。こういう人物の把握は、本質と人生の立体感みたいなものを感じることがまず先だと思うんだよね。そういうイメージを持って読まないと、散漫に情報を受け取って、耳を通り過ぎて行ってしまう気がします。歴史とか教科書情報みたいな公知のイメージは、基本的に、後の政府にとって都合が良い、もしくはその「帰結」からさかのぼって評価するため、「その時」の環境がどういうものだったか、ということを失念することが多い。最終的に開国し近代国家を樹立した明治維新の側に立てば、阿部正弘の改革や政治手法は、非常にぬるま湯のなあなあ主義であったといえる。関裕二さんの『なぜ「日本書紀」は古代史を偽造したのか?』という、半分トンデモ本・・・といっては失礼か(苦笑)・・・が、いったい誰の手で歴史がつくられたのか?という視点から、その人に本当に都合が良かったのは、どういう過去を捏造することか?というふうに考えていくと、いろいろ繋がるものが出てくる。確かに、僕らは「後の歴史」を知っているので、その事実に縛られていて、当時の状況がどんなものだったかということ、その前の時代からの接続という観点を忘れしまいやすい。阿部正弘という政治家・・・・・25歳から39歳の間に、実質的な徳川幕府の家康以来の鎖国をすべて破壊し尽くしている・・・ことを考えてみると、それにもかかわらずたくさんの勢力のバランスを取りきれたことは、非常に優れた政治手腕であったのだと思う。とりわけ、仮に彼が、ソ連邦を解体に導いてしまったゴルバチョフのような徳川幕府の最後の解体をになったとしても、彼の業績として、「その後」の世界を動かす人材を登用して育て上げていたことを考えれば、この時、この立場にあった幕府の最高司官としては、文句が付けられない功績なんじゃないかな、、、と思う。もし彼が長生きして、政治に関与し続けたいれば・・・・大政奉還徳川幕府からの新政府へのもっと緩やかな政権交代があり得たかも知れない・・・と思うよ。

いやーそれにしても、ほんと凄い人材が綺羅星のごとくなんだなー。凄いよ、歴史って。

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