日本人はいつまでも変わらない日本人なのか・・・・

明治以来100年以上たっても日本人の「古層」は変わらない、という晩年の丸山のあきらめにも似た宿命論は、おそらく正しい。進歩的知識人が、晩年にこうした「日本的なるもの」に回帰するのも近代日本の特徴だ。それが何の解決にもならなかったこともわかっているのだが・・・



丸山眞男を読みなおす
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池田信夫 blog

最近、郷原信郎さんの『思考停止社会〜「遵守」に蝕まれる日本』をゆっくり読んでいて、空気を読んで、主体性を放棄して、成り行きに流されていく日本社会の有り様を、もっというと自分たちの自身の有り様を、突きつけられている気がして、なんか、むーーーと暗い気持ちになっていたんだが(不況で大変だし)、池田さんのこういう感想とか読むと、さらにいっそう暗くなるなぁ。ましてや、自分の所属する大組織でも、自分の仕事でも、自分が観察するこの社会もネットも、同じものが透けて見えるんだもの。


・・・まぁでも、これって事実なんだろうね。そして、僕はすごく暗い気持ちになってしまったが、日本社会というものは、そういうものであって、それは、決してマイナスでもプラスでもないだとは思うな。あまり暗くなって絶望しても日本が滅びるわけでもないし(まぁわからないが・・・(苦笑))。事実は事実として見据えるしかないんだよね。良さも悪さも表裏一体だもの。そこからシステムを考えて、マクロの制度を設計し、それに魂を入れるようにミクロの実存の問題を鍛え行動することしか、ないんだもの。たとえ変わることが期待できなくても。


それにしても、コンプライアンスという「ただ形だけ守ればいいと考える」形式的遵守の問題にみられる本義を見失う組織の盲目的迷走、流されやすい腐った報道システムとマスコミの暴走、裁判員制度に見られる目的を失った組織の暴走、、、、うん・・・まさに「日本的なるもの」だよね。『風雲児たち』や司馬遼太郎の小説なんかで、日本のかっこいい側面を、キラキラ目を光らせながら考えていたけど、その同じ物語のぴったり裏側に、全く同じこのシステムというか本質が張り付いているのが見えて、なかなか度し難いなぁ、と思うよ。この腐りきった、つーかどーしようもなさは、それがマクロの現象だけに、ため息が出るね。そして、かっこつけて外から眺めたふりをしながら、まさにそういう行為や言説こそが、この「日本的なるもの」だったりして・・・(苦笑)。なかなか難しい。しかし、不況の時は、こういうことをちゃんと見つめるいい機会かもなぁ、とか思う。

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