リベラルへの強烈な嫌悪の眼差しを知ることなくしてアメリカ社会は分からない

■リベラルへの強烈な嫌悪の眼差しを知ることなくしてアメリカ社会は分からない

アメリカのブログ、特に共和党系の支持者の意見を読んでいると、強烈でハッキリとした「リベラル(彼らのニュアンスではかなり悪い意味)」への嫌悪が広範囲見られることがに気づいてきた。そして、この「リベラル」への強烈な嫌悪は、どうも世界的に強いサイレントマジョリティー的に隠れていることも分かってきた。というのは、日本のマスコミなんかが典型なのだが、基本的にマスコミ、ジャーナリズムは、強烈に「リベラリズム」にコミットして、ほとんどそれとの対極的な政治勢力の言説については、封じ込めに近いような報道規制が行われている感じなんだよね。意識か無意識かは別にして。たぶん国際的なものとアメリカのリージョナル的な意味は微妙にずれていると思うのですが、歴史手的に発信源は、アメリカのような気がする。60年代の行き過ぎたリベラリズムの反映から、アメリカ社会は、「リベラル」という言葉に強烈な嫌悪感を抱く層がかなりの比率で生まれたんだよね。アメリカには、連邦政府の中央集権に対して激しく拒否をする分権的なものを信奉する思想的伝統があって、そういったものや、サイレントマジョリティーや共和党的な保守層からすると、リベラルという名のもとに「何でもかんでもを自由にする」言い換えれば道徳心や正しさの感覚の崩壊を助長する勢力に対して激しい怒りがあるようなのだ。このへんは対立軸が、同性愛を認める認めないや、プロライフVSプロチョイスや、公民権運動や宗教の自由をどう考えるか?、連邦派と州権派とか、いろいろ対立軸が混ざるので一概には言えないが、「大きく分けると」、リベラルなものは限定付けにせよ重要だというというリベラルの推進派と、そういったものを何でもかんでも解放したら国も人の道徳も崩れてしまうのでだめだ!という否定派の二つにアメリカは分けられる。それが、ぴったりではないにしても、デモクラティック(民主党)とリパブリカン共和党)に分けられるようだ。