キャラクターへのあるべき姿とは何が決めるものなのか?-----「このせつ」と「せつあす」への思いを語る(笑)

玄馬 2009/06/03 21:49

突然失礼します。
この日記とは関係ないのですが、ネギま!と言うよりは、赤松健先生の漫画の描き方について書いてみたんですけど、
(一方的に私がペトロニウスさんを知っているだけですが)ペトロニウスさんに意見を聞いてみたいと思い、
コメント欄で書くのは場違いかな、と思いながらも、ブログのコメント以外でコンタクトをとる以外の術を知らないのでこの
ブログにコメントを入れさせて貰った次第です。
http://blog.livedoor.jp/tomablog/archives/51218006.html (該当する私のブログです)

客観的な意見を聞きたいです。よろしくお願いします。(人生相談みたいですねw)


えっと、ブログで答えるべきか、迷うのですが、公開で質問されたので、公開で返します(メールアドレスは公開していますので)。さらしものはいやだ、という場合は、メールなりコメントをくだされば考えるので、いってください。ちなみに、僕は海燕さんとかと違って、コメント返答するかは気分次第ですが(苦笑)、とても真摯な質問に感じたので、うれしかったでの、真面目に答えてみたいと思います。

キャラクターは誰のために?
とうま(玄馬)のヲタ街道 光の翼〜ALA LUCIS〜
http://blog.livedoor.jp/tomablog/archives/51218006.html


私は、今週の魔法先生ネギま!を読み、桜咲刹那を推している者として、桜咲刹那の言動に、大きな違和感を覚えた。

それはこのコマの
 


『お嬢様を養っていけるのだろうか』

である。

彼女の性格から、このような発想が飛び出すとは、どうしても思えない。

具体的に、どこに違和感があるのか?

それは、『養う』と言う、『百合的な発想』である。

魔法先生ネギま!の本編(原作)で、刹那が、『木乃香の幸せを願い、それを守りたい』とゆう描写は、今までも十分にされてきた。
だがそこから、彼女が『木乃香を養いたい』とゆう考えるに変わるに至る描写が、今までなされてきただろうか?*1

私の記憶の中には、残念ながら、無い。
つまり、彼女の今回の思考は『不自然』なのだ。


この感覚と問いは、とても重要なもので、ようは、玄馬さんは、



オレの愛する桜咲刹那は、こんなんじゃねぇ!!!


っていっているわけですよね。一言で要約すると。(だめ?)



うんとねー時間がないのであまりちゃんと書けないのですが、大きく二つのことを思いました。


1)エピソードと主題の関連の中から生まれるエピソード(=サブ主題)での物語の行き過ぎについて


一つは、キャラクターへの愛(=自分の中にあるべき像を設定すること)と、キャラクターの物語の中での「在り方」のズレについて。


えっとね、まずね、この玄馬さんの意見は、筋道も通っているし、非常によくわかる理路だと思います。


僕は感情的には、せっちゃんをきみのようにはとらえないけれども、いわんとする論理は、多分穴はないと思う・・・つまりそれなりに妥当性はあると思う。ちょっと言い切り過ぎには思うけれども、つまりは、刹那という女の子は、「養う」なんて言う非対等な関係を許容するような生き方はしないぜ!っつていいたいんだよね。また、これって神田川の夫婦の世界なんだけれども(笑)、これってのは、「従者として仕え、このかのために守って死ぬことを目的とした影の犬的思考」をする人格には、たしかに不自然この上ない。

これを僕的に分析すると以下のように分解できると思うんだ。


このネギまという物語の「メインの主題」は、「ネギ少年が幻の父親を追い求める」というところにあると僕は思っている。言い方や、これを魔法世界の戦争の謎など言い換える方法はたくさんあるが、これ以外のメイン主題は、あり得ないと僕は思う。まずはここが出発点。これが違うといわれれば、僕はその人と議論できないなー。これって、たぶんこれ以外の見解を出すのって、相対主義に走り過ぎだと僕は思う。まぁそれは置いておいて、、、、かりにこれをメインの主題と置きましょう。


とすると、この物語の「展開がどう進むか?」ということとと「このメインの主題の本質からそれぞれのキャラクターがどう振る舞うべきか?」ということがかなりの確度で、決定されると思うんですよね。えっとねーどういうことかっていうと、


僕のイメージではこう。


このネギの父親の関わる戦争のレベルは、世界の趨勢を決めてしまうほどのマクロの大きな物事なんだよね?、、、、ネギの村の何百人という人間が石になったり、大戦争で死んだり難民になったりすることから考えても、「この出来事(=メインの主題の一部)」に関わるということは、ほとんど個人的な幸せや思いを全うできないほどの圧倒的な「マクロの流れ」に巻き込まれることを意味すると思います。

たとえば、戦前の日本に生まれてれば、一個人では好きも嫌いも何にもなく戦争に巻き込まれるでしょう?そういうのと一緒です。個人の思いなんか消し飛ぶレベルなんですよね。だとすると、このメインの主題の謎の解決にとって、近衛木乃香という魔術師の卵は、キーになるほどの人材なんだよね?(そういう設定になっている=極東最大の魔術師になれる可能性&村レベルの大規模な石化を解ける唯一の才能の持ち主という伏線)、、、、この子を、命をかけて守るというのは、マクロの命題から「絶対に必要なこと」になるわけなんだ(まだわかんないけど、そういう感じはする)。


だとすると、このかを守るために、「命を投げ出す従者」ってのは、必然的に物語として招来される。


だって、そうでないと主題の物語が、正しい形でエンドに全うしないよね。つまりね、、、、このメインの主題である「物語」が「早く鋭く」展開すればするほど、当然に、このかの命ってのは危なくギリギリの争いに巻き込まれていくはずなんだよね。


そうすると比例的に、それを「守るもの」の立場ってのは、選択の余地がなくなって、個人の自由意思や自由が制限されていくはずなんだ。

凄く抽象的な次元でモノを語っているので、伝わっているか分からないんですが、そういうメインの主題の構造(主題のドラマツゥルギーと僕は読んでいる)から、このネギまの物語で、ほのかという人物に命をかけて守るものがつき従うというエピソードレベルのサブの物語ってのが生まれてくるものなんだと僕は思うんだよね。それが、桜咲刹那というキャラクターのポジションで、その物語の構造上の力学が、彼女の人格を作り上げている。


さて、こういう構造ができている以上、主題の物語が早く鋭く妥協なく進めば、それだけサブの位置にあるほのかとそれを守るモノのサブの物語は、従者が主人を守って死ぬという力学に傾くはずなんだよね(本当に死ぬかどうかとは別の話ですよ?)。


このエピソードレベルのサブ主題を、仮に近衛木乃香(=主人)と桜咲刹那(=従者)の物語と名付けよう。


構造上は、このサブの物語には、構造上主人を守って死ぬ従者という、メタレベルの構造があるので、だからこそ、最初に出会った時の刹那が、「思いつめたような抜き身のピリピリ感」を持って登場した。彼女は、この厳しい世界で、このかを守るということの意味が良くわかっていたんだ。


これが「マクロが招来するドラマツゥルギーの構造」って感じのもので、物語ってのは、「水が低きに流れる」ようじゃ面白くなくて、、、、というか、現実も神様がプレゼントしてくれるように、死ぬ気で主人を守るために人生を捧げて剣を学んだ刹那には、愛する主人と対等な関係(構造上主人と従者なので、対等にはなり得ない・また捨てゴマになる覚悟がなくては守れないほど厳しい目標)に、なれるチャンスが与えられてしまう。しかし、それは、つまり「守ることの放棄」もしくは「守れなく成る危険性」を孕むもので、従者として自分のアイデンティティを定めた刹那には、あってならないこと!なんだ。


そして、その「あってはならないこと」を軽々と飛び越えた発言をするからこそ、刹那は、明日菜のことを深く信頼し尊敬しているんだと思う。


けれども、この「近衛木乃香(=主人)と桜咲刹那(=従者)の物語」というメインの主題にとっては、1エピソードにすぎないサブの位置づけのものでも、こういったドラマトゥルギーが隠されている。



さて、背景の道具はそろってきた。


つまりね、この「近衛木乃香(=主人)と桜咲刹那(=従者)の物語」を、どの角度で眺めるか?によって、、もう少し具体的にいえば、メインの主題との距離関係を考えることによって、その価値観というか「在るべき姿」が全く逆転して評価されるんだ。


つまりね、メインの主題がより重要だととらえている人によっては、基本的に、刹那が「脇道を見る(=このかを守れなくリスクを増やす)」ということは、刹那の性格と本気度合からいうと、「ありえない!」ことなんだよ。貴兄が思ったのは、敷衍するとこういうことのような気がする。


ところがね、これを逆転して見よう。


近衛木乃香(=主人)と桜咲刹那(=従者)の物語」こそが、メインの物語、で最初にあげたネギの父親を追う(=戦争の謎を解くとか世界を救うとか)というメインの物語よりも上位にくる、と仮定したとしよう。


「このせつ」メインの読み込み方、というのは、この逆移転現象が起きていることだ、と僕は思うんだ。


つまり、「世界を救うより、このチャンのことが好きなの!(BYせつな)」って、おもったっていいじゃないか!と思うことは、これは、まーうん、ありだよね。刹那にも自由意思がある限り、こういうことだって常に選択肢にあるんだ。言い換えれば、主題の優先順位を入れ替えて、世界のすべては、この二人の愛にある!(笑)と読み替えてしまえば、ネギ君とか戦争とか、そんなことは、どうでもいいことなんだよね。これって、価値観の選択肢としては、ありな発想だよね?。僕は、絶対主義と相対主義の戦いといういい方をしたけれども、そもそも、僕はネギまという作品の、中心のドラマトゥルギーは、「幻の父を追う」ということに在るということを大前提に置いているので、その逆転現象を許容する読み方は、否定するしかできないんだ。この否定は、最初のメインの主題はなんであるか?という前提を共有しないと成立しないものなのだが、僕はこの部分は、ある程度、絶対化できると踏んでいるんだ。


とすると、せっちゃんが、こういう個人幸福を追求したりすることは考えいない、という違和感は分からないでもない。


ここでパクティオーして、月詠アーティファクトの力で倒してしまっては、人として勝つ決意をした刹那が、自分で成長し、月詠に勝ったことにはならない。


ちなみに、これは、ここは僕には違和感がある。僕の描く刹那という人格は、お嬢様を守れれば、はっきり言って「その他はどうでもいい」と思うタイプで、彼女が闇の稼業に関係していたのも、基本的には彼女は手段を選ばないかなり残酷な人間なのではないだろうか?と僕は思う。彼女は、そもそもこのかを守る以外の「自分の考えを持たない」泥人形であり、このかのそばにいる時だけ人間らしい発想を抱くような、機械のような空虚な人間なんだと思う(もともとの造形は)。


そういう刹那は、口ではいろいろ言うが、ほんとうのほんとうであれば、「手段は選ばず、どんなドぎたない手を使ってもこのかを守れればそれでいい」という発想をするはずだ、と僕は思う。


だから、「人として勝つ」とか、そういうことは、方便にすぎない(お嬢様の近くにいるのでいいごぶっているだけ)。


僕は、刹那の過去の描写が、あのエヴァの告白時になかったのは、たぶん彼女の幼少期の悲惨で鬼畜な体験(苦笑)は、書くにかけなかった(ネギまのラブコメ的要素から)と思っているので、僕の思い描く彼女は、こういう発想をするはずだともう(もちろんものすごい思い込みに過ぎません!(笑))。



閑話休題




ちなみに、赤松健的手法という風にいっているけれども、これは、とても普遍的な問題で、現代の物語作家はこの「サブの物語」と「主題の物語」の関係性において、多様性を維持しながらも主題の物語による全体の統合を試みて物語り展開をしなければならないという非常に重い課題を持っており、、、、、というのは、ここでいうサブの物語、エピソード、個別の関係性(このせつとかせつあすとか)、ガジェッドとか呼び方はいろいろあるけれども、そのサブの塊ごとにファンができて感情移入してしまい、全体の統一感を重視するという統合感覚がなきまま(=主題文脈に優先順位を与える発想が欠如している)に、、、、、人気投票がなされるという非常に基部しいマーケティング環境化の中で、評価される仕組みになっている。いってみれば、セグメント(=買う人の好みの層)が物凄いバラバラで多様性があって、ある程度統合しないと市場が獲得できない(=人気がない)けれども、統合しすぎると、そもそも多様な嗜好を満たせないという非常に縛りが大きいのだ。


こういう中で、主題と各エピソードのあるべき姿との関係性については、どうしても揺さぶらざるを得ないし、揺さぶれば、貴兄のように落胆して、これは俺の考える○○ではない!という風に思われてしまうし、また当然人気を出すために、ある程度、他のセグメントの人にとっては、非常にどうでもいいエピソード(サブの物語り群)にも、スポットライトを当てる必要がある。そういうのをマーケッテイング的なおもねりだ!と批判する人は、絶えないだろう。けれども、それは、作家に対して酷ってモノだ。だって、サービスして顧客のためにそのバランスを死ぬ気で考えているわけだから。人気によって食べているわけだから、それは批判の余地はないと僕は思う。


もちろん、それが物語全体にとって、どういう効果を及ぼすか?は、個別に論じられるべき問題だとは思う。




2)僕がせっちゃんをどうとらえるか?



さて、ちなみに、僕は、玄馬さんの意見を読んだときの最初の印象は、、、、うーんとね、



せっちゃんにとても厳しい意見だな


と思いました。


僕の理解からすると、せっちゃんにとって、唯一の光は、このかなんですよ。


このかがそばにいればいるほど、彼女は「人間としての自分を認識できる」んですよ。そうでなければ、意思も目的もない、泥人形(byキルア)なんですよ。



たぶん、このかがそばにいなければ、彼女って、不感症で、刺されても痛みすらあまり感じないような感覚の持ち主なんだと思うんですよ。もう絶対に、幼少時に虐待経験あると思っているので、僕は(苦笑←僕の理解は鬼畜だなぁ・・・))。


彼女にとって、このかのそばにいて、彼女と話すことは、人間としての感覚を取り戻す、


「当たり前のことを当たり前に妄想したり考えてみる」トレーニングの機会なんですよ。これがなければ、彼女はそもそも、未来という概念を持たないでしょう(←うわ、いいきった、どんだけひどいねん!)。だからこれらの妄想は、すべて、そういった自分を取り戻すためのトレーニングなんですよ。


でも、ほんとは、せつなは知っています。


このかの危機が迫れば、そんな悩みをすべて捨てて、虚無な機械に戻ってしまう自分の魂の本質を、、、、



そんなかわいそうなせっちゃんが、一番自分にはありえないような(=一番遠いと思っている)ことを頭の中で妄想することぐらい、、、許してあげようよ!と僕は思いました。


ちなみに、だから「このせつ」の愛は、僕は美しいけれども、出口のない関係性だと思っています。


このかがどんなに思っても、刹那がどんなに思っても、この二人の関係性には、主人と従者、守るものと守られるものという刻印があって、外部環境度合いで、どんなに積み上げても、刹那はあっさり、このかのために、命を捨ててしまうんです。対等ではないから。


それは、真実の愛ではない!と僕は思う。



しかし!!!!



しかしだぁ!!!!!!!!




だから、刹那には、明日菜とであったことに意味があるんだ。


つまりね、明日菜と出会うことによって、刹那は、「自分の意思を持つこと」を知り始めているんだ!!!こういうところは、赤松さんは芸が細かい!。そして、わかりますよね???


明日菜こそは、自分の意思を持ったことがない人形だった、んですよね。


その彼女が、自分の意思を持つこと、は、刹那にとっても、自由意志をその出自にかかわらず持つことができるものなんだ!と思えるまさに例なんですよ!。だから終始、明日菜に対して下から目線なのは、それを刹那は魂で理解しているからでしょう。


この3人は、ほんとうにいい友達なんだと、僕は思います。

魔法先生ネギま!』14〜18巻〜172時間目① 楽園願望と救済・・・・・そしてもう一度永遠の日
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そろそろ限界です・・・・・たぶんぴんと外れていると思うけれども、一読して、僕はこんな印象を抱きました。


真摯な質問ありがとうございました。

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