絶対悪とは、時間軸のない(弱い)物語であり、目的はテンションの転換であって世界を再現することではないのでは?

ダークナイト 特別版 [DVD]


本日友人と、映画『ダークナイト』のジョーカーの話で盛り上がった。絶対悪を描く時に外部帰属(=悪になった理由)を描くと陳腐になるという話をしていて、レクター博士の二作目は最低につまらないし、『モンスター』のショボさったらなかった、という話になった。まだちゃんとした記事が書けていないのだが、この問題提起にいろいろ思うところが生まれたので、これだけでは読んでもわからないと思うけど、とりあえずメモです。

Monster (1) (ビッグコミックス)
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羊たちの沈黙 (アルティミット・エディション) [DVD]
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絶対悪というのを描く種類には、すぐ僕が思いつくのは、パトレイバーの一作目の映画のほばえいいち(漢字忘れた)と、奈須きのこの「現象」というパターン。


機動警察パトレイバー 劇場版 [DVD]
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空の境界〈上〉 (講談社文庫)
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この二つは、絶対悪を描くのでなかなか練れているスタイル。大傑作でありこれほどのモノはそうはないと思うパトレイバー映画の1は、そもそも悪をなす自身の人間が、事件が起きる前に自殺してしまい、その悪意だけが宙ぶらりんになって、その責めるべき個人がいない中でその「悪意」と戦わなければいけないという物語にして、外部帰属かを事実上拒否した形で、悪を描く。絶対悪を、その悪がなされる理由を語ったらつまらなくなる類型と考えると、この手法は秀逸。なぜならば、物語語れば、「なぜその悪が生まれたのか?」という部分を触れずにはいられなくなる。そりゃそうでしょう?その理由説明なしに済ませるのは物語・・・という時系列の展開を是とする形式では、語るしかないもの。そうでないと、おかしいし、その他の登場人物の動機の正気さが疑われてしまう。


けど、それをするとつまらなくなる、とすると、この手法は秀逸な手法だ。この意味不明の悪、というのは、非常に現代的なテーマで、なかなか興味深い。これについて、ちゃんと説明を与えているのが、奈須きのこの現象という概念。長いの端折ると、これってSFでいうコミュニケーション「齟齬」の話なんだろう。これは友達がいっていたのだが、つまりは、言峰綺礼のような存在で、脳が器質的に壊れていて、人が苦しんでいる姿に喜びを感じるという、普通ではあり得ない「齟齬」があって、本人はそれを普通に人間らしく追及しているだけなのに、それが「結果」として、犯罪や世に対する悪となってしまうというやつ…それが、ミクロの個人を超えて、その祖語の部分だけが、大きくなってしまって・・・それ自体が自己目的化した「現象」になる・・・・。これも絶対とまではいかないかもしれないが、根拠を焼失した悪というべきものの類型だと思う。


しかしながら、こういった「絶対悪」とは何を目指して描かれたものなのか?、そして、こうした「絶対悪」を消費しようとする観客であり消費者である我々は、何を消費しているのだろうか?という問題提起がここで生まれてくる。


・・・・・疲れたので、また続きを書きます、、、いつか・・・。