国体と歴史の寿命

海の都の物語〈3〉―ヴェネツィア共和国の一千年 (新潮文庫)

第4巻をいま読んでいるが、この本を書くにあたって


国体を変えずに国が最も長く続いた国だからこそベネツィアの本を書く


と、イタリア人になぜフィレンツェの歴史ではないのか?という質問に返す言葉なのだが、これはなかなか秀逸。最近、10年くらい前の?小林よしのりさんの著作を読んだころからかもしれないが、それ以降戦前の話の情報を継続的に入れているからかもしれないが、国体護持とかそういうちょっと右翼がかった言葉とかにも、変な偏見なしに、何を言っているのか?ということが何となくわってきた気がして、そういうバイアスなしに見ると、なるほどーと思う。

ちなみに3冠で、作者が何をもっともこの政体が長く続いたかの理由として最も大きく取り上げているのは、議会を、、、いってみれば貴族院と民衆院みたいな二つに分けて、マクロの政策を持ち、長期の視野で物事をコントロールする人材を供給し続ける「貴族院的なもの」を成体に取り込んだが故、と考えているところ。うん、そのとおり。政治には、マクロを見通す人材が不可欠で、それとくさねデモクラシー的なポピュリズムとのバランス(戦時には、エリートに指揮権を移譲する)と、にもかかわらず独裁制に落ち込まない「仕掛け」が必要で、ベニスには、それがあったということなんだよね。その辺が口説く口説く説明されているのもも、この最初のテーマが塩野さんにあるからなんだろう。いまガンスリでちょうどベニスのテロリズムの話があったんで、凄く面白く読めた。こういうつながりがある読書は面白い。ちなみに、国体護持を日本で考えるとどうなるか?という問題は、もちろん天皇家の存在抜きには語れない。小林よしのりさんの本を物凄い久しぶりに手に取ったが、やっぱり一覧性があって、最初に導入ではいるのには、いいよねー。うんうん。

GUNSLINGER GIRL 11 (電撃コミックス)

ゴーマニズム宣言SPECIAL天皇論