『化けの皮』 『唄う骨』 戸田誠二著 権力と自由というものの本質へ

化けの皮 (Bunkasha comics)

評価:★★★★★星5つやっぱりすごいよこれ(僕的主観:★★★★★+α星5つ)

一話読むのに、ものの10分。なのになぜ、こんなに心が震えるのか。


帯びのコメント 『ダ・ヴィンチ』編集長・関口靖彦


ちょっと読み直したら、感動で落涙してしまった。この記事は僕も好きなので、再掲です。とにかく、これ買って読んでみて下さいよ!(って・・・もうほとんど売ってないようですね・・・・僕の好きな本はすぐ絶版になるなぁ・・・すんません・・・・)。何度でもお薦めします。これを読んでいないなんて、人生損です。かみ締めるように読んだ。僕にしてはめずらしい。手元においておきたい作品だ。帯びにあるように、簡単に読めるのに、世界の本質に触れたようなおののきとともに引き込まれる。暗い、たしかに暗い作品だが、物凄い魅かれる。にもかかわらず、不思議な清涼感がある。ロシアや中国、朝鮮、アイヌの古典からインスピレーションを得た(といっても事実上骨子は、ほぼ同じ)作品なのだが、その時代背景の差異を、全然感じさせない。まるで、フィッツジェラルド村上春樹の最も暗い側面を読むときと同じ、感覚に引き込まれる。作者が抱える闇の本質が、現代都市文明のなかで孤独で震えて暮らす僕らの魂の孤独と共振するからと思う。


天才だ。天才だと思う。


春香伝の換骨奪胎〜見事な物語


春香伝は、朝鮮半島に古くから伝わる古典作品です。いってみれば、日本でいう赤穂浪士討ち入り忠臣蔵みたいなものです。CLAMPが漫画化しているし、日本でこそ知られていないが、あまりに有名な古典なので、たくさんの本が読むことができる。古典作品は、できる限り読んでおくと、読書体験の幅や奥深さが広がっていいですよ。

新・春香伝 特別限定バージョン (白泉社文庫)
新・春香伝 特別限定バージョン (白泉社文庫)

新編 春香伝
新編 春香伝


朝鮮半島は、500年近く李氏朝鮮によって、平和な国家を築いた日本の江戸幕府300年と並ぶ見事な平和社会を、近世に実現しています。中華文明の末裔であり周辺国である朝鮮・日本は、一流の中華文明の後継者であり、下手をすると、本家中国よりも見事な中華文明の実現をしており、同時にその『欠点』も見事に増幅して(笑)受け継ぎました。運良くというかレベルが低いというか、日本列島は、中華文明から比較すると、あまりに田舎な上に海によって隔絶され遊牧民の文化など大陸的な本質が入ってこなかったので、中華文明の最も正統な後継者で、かつその本質が完璧に根づいた東アジアの国家は李氏朝鮮といえるでしょう。だから、科挙システムと両班(リャンバン)という貴族制による、国家の官僚的腐敗は、本家中国を凌ぐ凄まじいものでした。中国ですら官僚腐敗で、国が何度も滅びているのです。ただし遊牧民との関係や易姓革命の概念、大陸の人口流動性の凄まじさなどなど、国が何度も革命がおきてブラッシュアップされる中国に比較すると、朝鮮半島は安定していました。だからその官僚システムと貴族制の結合による、アジア的停滞とあまりに流動性のなくなった暗く陰鬱した社会には、アメンオサ(これも漫画化されて有名ですね)のようないわゆる水戸黄門のようなシステムや、それを仮託した民衆の夢が広まりました。このあたりは『魔岩伝説』とか『新暗行御史』なんかを読むと、想像力が広がって面白いと思いますよ。


新暗行御史 1 (サンデーGXコミックス)
新暗行御史 1 (サンデーGXコミックス)

魔岩伝説 (祥伝社文庫)
魔岩伝説 (祥伝社文庫)





この有名な、春香伝は、そんな数百年続く陰鬱とした、貧乏人は貧乏人のままで、貴族はいつまでも肥え太るという社会での物語です。




粗筋はこうです。




春香(チュニャン)は、貧しいが美しく優しい少女。夢龍(モンニュン)という頭の良い少年と恋仲になります。そして、ある日彼は、都に上り科挙の受けるといいます。科挙は、戦前のスーパーエリート養成学校であった一高・帝国大学を何倍も難関にした東アジアの文明が生み出した、一大官吏登用任官システムです。もし、これに合格するれば、軽くて領主レベル、下手をすれば総理大臣、宰相も夢ではありません。ただ、物凄い過酷な試験で、試験勉強中に発狂する人も多く、同時に、合格率は、ほとんど奇跡に等しいレベルです。そんな試験を春香のために受けに入った夢龍と彼女の恋が、テーマです。ようは、都へ行って大出世して帰ってくる青年と、それを健気に待ち続けた貞節の鏡の少女の物語です。この作品は、数ある異説の一つで、粗筋は古典と同型です。夢龍は、科挙に合格し、その地域の最高官吏の代官として、赴任しに戻ってきます。しかし、夢龍は、元のやさしい夢龍ではありませんでした。民衆を食い物にする、厳しく過酷な、彼が憎んでいた権力者に成り果てていました。

しかしそれが、なぜかは明らかになります。

科挙の試験は、物凄く過酷なもので、貧乏人の彼にはその過酷さは、凄まじい苦しみを与えました。しかし、来る日も来る日も、試験に合格しません。その、ボロボロの姿の回想シーンは、胸の突くほどに、ボロボロです。

「・・・何をやっているんだオレは 母親が託した想いはどうなる 春香だってもうもうほかの男と幸せに暮らしているんじゃないのか・・・怖くて手紙も出せなかった」



p37春香伝


浪人の経験や受験をしたことがあるならば、この焦燥感の何分の一かでもわかるはずです。世界から一人だけ取り残されてしまったような、絶望感。先へ行った人、残した人々が、みんな人生を謳歌しているような疎外感。才能もあり、凄まじい能力をしているにもかかわらず彼は不合格し続けます。


そんなとき、ある男が声をかけます。

「私の養子にならないか?」

それが、彼の養父となる貴族の父でした。

「わしは見てたよ おまえは真面目だし仕事の仕方もかしこい・・・どうだ養子にならんか? わしには息子がおらん」



「おまえがいくら成績が良くても科挙には通らん下級貴族でコネもないからだ そういうときは役人に金を握らせるんだ わしもそうしてきた・・・・・わしが親父になってやる」



p37春香伝

このときの慈愛に満ちた養父の顔は、感動すらする。しかし、彼はその慈愛を一族と養子にしか向けません。中央で出世するために、民衆に苛酷な税の取立てをする最悪の代官でした。ただ、どれほどヒドイ為政者であろうとも、一族と養子の夢龍には、本気で期待をした素晴らしい男でした。

この矛盾。

この矛盾をみて、

美しい音楽をこよなく愛しながらも、アウシュビッツ収容所で残酷な人体実験を行っていた医師であり遺伝学者でもあるヨゼフ・メンゲレ。「死の天使」と呼ばれ、特に双子に興味をもち、被害にあった双子は3000人に及ぶ。(引用:『千の天使がバスケットボールする』)

マイ・ファーザー 死の天使 [DVD]
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映画『MYFATHER』のことを書かれていた樹衣子さんのブログで話していた内容を、強く連想させられました。これが、世界の真実の一つなんだと思います。すみません、引用させてもらいました。そして、僕が大前研一の書評で書いた、なぜ構造改革が進まないのか?という疑問 に対して、鈴木宗男元議員のことを例に出した答えも思い出しました。これが、人間というものの矛盾の凄まじさ、そして世界というものの難しさ、なによりも権力というものの本質を描いていると思いました。


この男の最後の



「おまえならもっと上を目指せたのに!」



というセリフに、彼の養子への期待と愛が感じられ、僕は、胸を突かれました。涙すらでます。





そんな矛盾にまみれる彼を見て、春香は叫びます


「・・・夢龍!! こんなの最低だわ!」


「これでも!! キミのことを想ってがんばってきたんだ・・・・じゃあどうすればよかったんだ!!」


・・・・・本当に、どうすればよかったのだろう?。ここでは、安易に養父への告発(昔、政治家である父を告発した唐沢寿明の演じた『愛という名の下に』も連想した)という形で、物語を終わらせています。これはこれで、大きな決断で、とても素晴らしい簡潔だと思う。

愛という名のもとに DVD-BOX
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・・・・・・が、物語の本質(ドラマトゥルギー)は、ココでは終わっていないと思う。



描こうと想えば、もっともっと巨大な悪と戦うためもしくは、隣国からの侵略と戦うために涙を呑んで過酷な圧政を引くという設定にしても良い。一族と息子を愛した過酷なる為政者も描けたと思う。その矛盾で、死ぬほどの苦しみを味わう後継者である夢龍ももっと突き詰められたと思う。そして、そういった過酷な政治と戦うレジスタンスのリーダーとしてもし、春香が成長し、個人としては死ぬほど愛し合う春香と夢龍の戦いを描ければ、最高の物語となったはずだ。そうすれば、

たぶん、


『支配(=権力)というものの本質』



『自由というものの本質』


が描けたのではないか、と思う。そこまで描かれていないが、その熱気を十分に感じとれる作品でした。その他の全ての作品も最高で、マジでいいです。


唄う骨 (Bunkasha comics)