ありすが・・・ありすがかわいいんだよ・・・・

ボクを包む月の光―ぼく地球次世代編 (6) (花とゆめCOMICS (3306))

評価:★★★3つ
(僕的主観:★★★★4つ)


ふと思ったんだが、『獣の奏者』の3巻で、主人公のエリンの家族や、この輪とありすの夫婦を見ていて・・・どっちも物凄く奥さんがかわいいんだよね・・・。「その子」がかわいいだけではなくて、ちゃんと存在としての、「母親」と「自分の好きな子」とが、分離せず同居しているのが感じられて・・・何つーか、あっこれが「若奥さん」って感じかぁ(笑)。いや・・・たぶん僕は男性の視点で見ているので、自分の妻にも感じるんだけれども、男性の視点から見た「好きな女の子」としての彼女と、自分の子供の母親としての「その人」と、その二つが重層的に感じるんだよね。

それは、この物語の、ありすもエリンも女性の内面を深く追っている「前の巻」があるので、その子をその子としてちゃんと見ている積み重ねの歴史があって、そのあとに、「母親としてのその人」をみるので、不思議な重なりあいを感じるんだと思う。

一人の深くかかわる人の中に、いくつもの重層的なものを見つける、、、この感覚の豊かさ、、、。これは、愛することの時間の積み重ねで生まれるものなんだ、と今は分かる。若奥さんが、、、物語の中で、不思議な感じがあるのは、その奥さんが、主人公で内面を追った前作の積み重ねがある場合に限る。そうでないと、母親という「記号」で我々は見てしまっているからだと思う。ちなみに、僕の妻のは、「社会人としての彼女」という姿も明確にあって、、、というか、「あって」というのは違う・・・・そういう彼女守りたいし、そういう彼女でいてほしいので、それらの豊かさを一人の人間の背景に見る時に、とても不思議な気持ちになるんだよね。単純な話、いろいろ「役割」を重ねてみるということは、役割の間に共通する「その人自身」が見えるから、その人自身への深い関心になるんだと思うんだよ。通常は、あまりそんなにその人自身を見るのは疲れるものだから、人間は「役割」として、一側面を「その人自身」に捨象して理解して見ようとするものだから、これが起きるのは、長く深く多面的にその人を理解している場合にしか起きない感情だと思う。

こういう夫婦を見ると、いいなぁ、、、と思う。というか、僕の理想だもの。人間は生きる限り「役割」を越えられない。けれども、その背後にある、「その人自身」を見るには、やっぱり時間の積み重ねが、関係性の深さの歴史が重要なんだってことだろう。そうしてみると、長い物語には、一人の女性だったり男性だったりした人が、その後、結婚したり子供を持ったりして、いろいろな「役割」を多面的に見せることになり、こういう感覚が生まれやすい。ただし、『ボクの地球を守って』もそうだし、『獣の奏者』もそうなんだけど、夫婦になったり母親になったりする前の物語・エピソードが、よほど濃く深くないとこの感覚は起きない。そういう意味では、この2作品は、うむいい感じだよなー。人妻って僕にはほとんどファンタジーを感じないキーワードなんだけれども、エリンとかありすみたいな子なら、・・・うーむ、ぐっとくるなぁ。


獣の奏者〈2〉王獣編 (講談社文庫)