『月光条例』と『ボクを包む月の光―「ぼく地球」次世代編』  幸せになって、何が悪いんだ?〜00年代の90年代の問題へ解答の一つ

月光条例 4 (少年サンデーコミックス)

シンデレラの話が、凄く良くて、涙が出た。なんというか、、、シンデレラという物語にずっと思っていた、不満感を鮮やかな形でまとめあげてくれて、凄く感動した。ボクタマの次世代編であっ!ともったセリフがあったんだけど、



「幸せになって、どこが悪いんだ!」



と、輪が叫ぶシーン。この次世代編のおもしろさは、あの名作『ぼくの地球を守って』の幼き輪の問いはまだ生きていて、あの深刻な問いに対して、成長して大人になった輪が答える・・・・という構造にこそ肝がある。その構造が出来上がりつつある、後半は、優れて面白くなっている。これほどの傑作、、、読んでいないとは思えない!ということで、説明もなしに説明すると、あの限られた閉鎖空間での悲惨な出来事を体験しているメンバーは、自分たちが生きていること、大義を果たせなかったこと、、、、などなど様々な後悔を深く深く抱えている。

「だから」自分たちは幸福になる権利はない、、、という流れに、すぐに話を持っていってしまう。これって80−90年代的感性だともうんです。けれど、、、子供時代にあれだけ、それを告発した輪が、こう叫ぶんです。「幸せになって何が悪い!」って。。。これって、00年代の90年代の問題へ解答の一つなんだと思うんだ。キリスト教的な原罪の観念だと思うが、アダルトチルドレン的なもの、非モテは、すぐ、自己のを悲観して、「そんな権利なんかない」的な議論に陥ると思う。けど、、、、そんなに人間存在が悪いのだろうか?って思う。いいじゃないか、ちっぽけな個人が幸せになっても・・・って思うのだ。

ちなみに、この『月光条例』のシンデレラの話は、もちろん、、、、あの恵まれて、ただ「待っているだけ」のシンデレラという受け身の女が、受け身でいる自分の罪悪感を感じるという話なんだが・・・・それに対して、「それで何が悪い!」と喝破するストーリー展開は、素晴らしかった。恵まれているのならば、そのめぐrまれている立場を享受して、その「恵まれている分」を義務と責務と考えて、世界にないに抱えそう!という話に、僕は涙した。ただ、王子様に選ばれて安楽に暮すシンデレラ王妃は、、、、、無知を憎み、教育を貧しい人が受けられる仕組みを作り、そのために働きまくって、、、、、そして貧しいものがいない、、、、自分と同じ貧しさでチャンスを当たら得られない人がいなくなるためのマクロの仕組み作りに人生をささげた・・・・という話、、、、涙なしには見れなかった。


ボクを包む月の光 7―「ぼく地球」次世代編 (花とゆめCOMICS)