『ほしのこえ』 原作:新海誠 マンガ:佐原ミズ 

ほしのこえ (アフタヌーンKC)


評価:★★★☆星3つ半
(僕的主観:★★★★★星5つ)


長編アニメーションと新海監督の本質は↓で書いたが、もちろんこの評価はまだ変化はないです。
http://ameblo.jp/petronius/entry-10001626726.html

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メディアミックスで小説とマンガに展開されたようなのだが、マンガを読んでみた。

そして、これが物凄い良かった。



テイストもキャラクターの感じも、オリジナルに忠実で、よくデキているが、「それ以上」ではない感じが全編感じたが、唯一最後の結末のシーンでその印象がひっくり返った。凄い良かった。



上でいったことを繰り返すと、メディアミックスの意味があったのか?と思うほど、オリジナルに忠実で、絵柄は違うが、本質的なモノはすべてトーンが同じなので、違う作品を見る違うメディアで見ることの新奇さが全然ないほどの同じなのだ。こういうのは、いわゆるアウラがないので、いかにマンガの構図等技術的なものが水準を越えても、読後感がほとんど残らないので、残念ながら駄作に結論しやすい。

だから、連載されている頃に一話読んだだけで、見る気が失われてしまっていた。もちろん、アニメのほうを見えていなければ、そういう風には感じなかったかもしれないが、アニメーションの魅力、新海誠監督の魅力が


モノそのもののリアル感


にあるとするならば、アニメーション独得の表現方法だから、マンガにはそれが演出できない(しにくい)わけで、そういう意味では二番煎じ。




などと思いつつぐうぜん暇で読んでいたのだが、実はアニメにはない結末のシーンが加えられているんですよね。




その結末のシーン一つで、この作品の意味がまったく変わってしまっていて、凄いびっくり。




非常に端折っていうと、




これは、主人公のカップル・・・・恋人未満の中学生の片方の女の子が、国連宇宙軍の選抜隊にリクルーターされてしまいます。




その女の子が、ワープで遠くの宇宙に行けば行くほど、地球での時間との差が開いていきます。はじめは、携帯のメールが届く感覚は1日おきぐらいだったのですが、太陽系を出るあたりから1年ぐらいの期間が開き・・・どんどん間が開いていってしまいます。けれども、その女の子は、アインシュタイン相対性理論ですが、ほとんど時間がたっていないのですね。




これは、SF古典でいう相対性理論による流れる時間の長さの違いが人にどのような影響を与えるか、という話です。




日本でいうなら一番思い出深く、そして大傑作なのは、ガイナックスの『トップをねらえ』ですね。はじめのあまりのおバカな話の連続では、理解不能で信じられないほど、見事なハードSFの最高峰のようなラストの展開は、いまだこれ以上のSFアニメーションはないといっても過言ではないというくらいのハイクオリティ。なにしろ、監督が庵野秀明で、脚本が岡田斗司夫という全盛期のガイナックスの傑作ですからね。たった高速での数分のミスで、地球時間では半年以上たってしまっていたシーンとかは、あまりの残酷さに声も出なかったですよ。


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話を戻すと、




ほしのこえ』のアニメーションでは、外宇宙の敵性宇宙人の惑星まで到達した長峰美加子は、最後に異性人に襲われるシーンで、ノボルくんに会いたいと願うシーンで終わっています。


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ノボルくんは、実は、美加子を忘れることができないで、全てを投げ捨てて国連宇宙軍へ志願していました。東京の普通のアパートから、初めての配属の日が最後のシーンにはあって、もしかしたら、宇宙船へ配属されれば美加子似合うこともあるかもしれない・・・というニュアンスは残しますが、そもそも国連軍の精鋭の最前線の、しかも外宇宙で死に掛けている部隊に配属されている美加子と、配属されたての新米のノボルが出会えるわけないという絶望感のほうが、僕には強く残っていました。会える可能性はなくはないが、まぁほぼ無理だなと思うのが普通ですもん。




つまり、引き裂かれた恋人たちの『悲劇』に見えたのです。




そういう作品なんだなーせつなくて、と思っていました。




ところがマンガは違います。




マンガでは、敵に攻撃されてほぼ死にかけている艦隊に美加子は取り残されています。もう自力で動くこともできない巨大宇宙船は、ただひたすら敵ではなく地球からの救援(時間的に間に合うかどうか微妙)を待っています。


しかし、敵の真っ只中に少ない数で飛び込むという全滅覚悟で、救出用の先遣艦隊が地球から到着することが、通信で美加子のいる艦隊に届くのですが、そのリストには大怪我で途中で地球に戻った親友らの名前が多数入っていました。光速で船に乗れば残された地球では何年も、ヘタすれば何十年もたってしまうので、地上の全てを捨ててみんな戻ってきたのです。



が、その中に、ノボルの名前があるんですねぇ。




日本選抜の国連宇宙軍のエリートにまで登りつめながら、全滅確実の救出艦隊に志願したんですね。美加子に会いたくて。




そのリストの中に名前を見つけた美加子は、嬉しさで涙を流します。




そしてそのシーンで、マンガ版は終わります。




・・・・・・・悲劇ではなく、これってロマンチックラブストーリーでしょう?




ぜんぜん違うのです。だって、ここで終わっているけれども、美加子とノボルは100%会えるでしょうし、仮に会えなくとも、彼らの恋がホンモノであったことは、美加子が救出艦隊のリストのノボルの名前を見つけ出した時点で、証明されるわけですから。




でも、美加子はまだ16歳くらいで、ノボルは、すでに20代の真ん中まで来ているはずなんですよね。・・・・・ちょうどいいか?(笑)




これを読むと、凄い気持ちよくなった。




アニメは、通じないディスコミュニケーション・・・・愛し合っているけれども、あまりの距離の遠さで伝わらない思いという悲劇だったが、マンガは、それがついに届いたところまで描いているからです。



そのワンシーン以外99%同じなのに、受ける印象が全然違うんですね。これは読み比べると凄い興味深いと思いますよ。