『ちはやふる』 末次由紀著 スターの物語

ちはやふる 7 (Be・Loveコミックス)


「真島は、こんだけかるたに時間をかけても、学年一位から落ちたことない。一位じゃないとかるた部辞めさせられるって言ってた。


やりたいことを思いっきりやるためには、やりたくないこともおもしっきりやんなきゃいけないんだ」
p53


この作品は、前に書いたけれども、一途な情熱の物語だ。それゆえに、ある意味「選ばれたスター」の物語でもある。この周りが見えなくなって、そこへ集中していく、スターダムのかけ登っていく姿をみると、相反する思いが去来する。「そういうの」って、やっぱり格好いいと思うし、成長して、勝って、選ばれていくことの「カッコよさ」ってのは、凄いものがある。僕もそうなりたいと、この歳になって(笑)なってもまだ何とか思えているし、やっぱり年齢が若ければ、よりもっとそう思うだろう。


けれど・・・・羽海野チカさんの『3月のライオン』とか、さっき読んでいた、南Q太さんの『ぼくの家族』を読んでいて思うんだが・・・やっぱり前にも戻るんだが「下り坂の自分を認める」ということや、、、なんというのだろう、「この世界と付き合いづらい自分」というのを見つめて生きていくものと、ちょっとずれると思うんだよね。ああ・・そうか、それって内面の物語やアダルトチルドレンの系譜になるのか。自意識を持ったり二重思考をすれば、どうしても、世界との違和感や「自分」を見つめる自分に出会わざるを得なくなるから、、、、なるほど、なんだかつながってきた気がする。

3月のライオン (1) (ジェッツコミックス)


ぼくの家族

いやいや、もちろんこの『ちはやふる』って、素晴らしい話で、綾瀬千早(主人公)の女の子は、たぶん、かるたがなければ、なにもなく生きていってしまうタイプの人間で、彼女のような天然タイプの人間が、「これ」というものに出会えて、、、よそ見をすることもなく、それに集中していけるのは、とても幸せなことだと思うし、成長していくことの苦しみと素晴らしがが描写されていて、ちゃんと「成長していくことの」「スターとしてあがっていくこと」の途中にある苦しさが描かれていて、マイナスの印象ではありません。ただ、成長にかけのぼる話をみると、少し揶揄したい気持ちが生まれてしまい、、、逆に「現実の共有」に走って行ってしまう「家族の物語」などの系統をみると、それでいいのか?もっと個人が成長していかなきゃいけないんじゃないか?って、、、ようは、反対の思考が垣間見れるんだと思う。

ここでは、何かを一途に目指して集中していくことに同時に存在する、それがゆえに周りを置いていって孤独の世界に入って行ってしまう、という頂点を真剣で目指す人間、、、世界から選ばれてしまった人間の孤独を、「仲間と成長する」というちょっと両立しがたいものを部活青春ものとして描いているところに、この作品の肝があると思う。

人間の幸せには、二つあると僕は思っていて、一つは、「成長していくこと」、、、それによって、新しい世界と自分を見ていけること、高く俯瞰した視点で世界を眺められ、そして周りの煩雑な現実を消し去って、神の高みへ到達すること・・・・・けれどももう一つ幸せの形ってのはあって、それは「今この時、目の前の手ごたえを愛すること」と「それを自分の愛しい人たちと共有すること」ってのがあります。これは、相反するものなんです。「今、この時を共有する」というのは、言い換えれば、「成長の同義である=今この時をひてして高みを目指す」ことと相反するからです。

部活モノ、ってのは、この問題点をチームでなければ解決できない形にするので、そういう意味では、とてもよい題材なのだなーと思います。