『珍妃の井戸』 浅田次郎著 マクロがミクロを愛するとき〜為政者はマクロの道具となり、「個」が失われやすく、「個」を失った人間は、世界を壊そうとしがち

珍妃の井戸 (講談社文庫)

評価:★★★★★4つ 
(僕的主観:★★★★★5つ)

蒼穹の昴』に続く清朝宮廷ミステリー・ロマン!
誰が珍妃(ちんぴ)を殺したか?愛が大地を被い、慟哭が天を揺るがす──荒れ果てた東洋の都で、王権の未来を賭けた謎ときが始まる。

列強の軍隊に制圧され、荒廃した北京。ひとりの美しい妃が紫禁城内で命を落とした。4年前の戊戌(ぼじゅつ)の政変に破れ、幽閉された皇帝・光緒帝の愛妃、珍妃。事件の調査に乗り出した英・独・日・露の4人の貴族たちを待っていた「美しい罠」とは?降りしきる黄砂のなかで明らかになる、強く、悲しい愛の結末。

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黒沢明監督の『羅生門』やエドワード・ズウィツク監督の『戦火の勇気』などを思い浮かべてもらえばよいのですが、基本的に「誰が珍妃を殺したのか?」というミステリーの謎解きがあり、様々な人物にインタヴューしていくことで話が進んでいきます。『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』『草原の虹』と続くこのシリーズは、清朝末期から中国の近代化を描いた作品で、日本でいえば坂本竜馬の幕末の志士達の話から日露戦争までぐらいを描いた話、維新の物語とその後の司馬遼太郎の『坂の上の雲』に似ている感じかもしれません。はっきりいって、この面白さ想像をはるかに凌駕します。全体でいうのならば、★6つを超えるウルトラマスターピース。エンターテイメントとしての分かりやすさ面白さを描きながら、にもかかわらず、非常になんかでなかなか小説になりにくかった清朝末期から近代中国の歴史を、、、これでもかってぐらい素晴らしい物語に作り変えています。もちろん、かといって歴史的事実が歪んでいるというほどのこともありません。はっきりいって、このシリーズ読まない人は人生を損しているといっても過言ではありません。しかも老若男女まったくその資格を問いません。浅田次郎さん、凄いですよ本当に。

とはいえ、もちろん面白いんですが、超ウルトラ大河ロマンにして傑作の『蒼穹の昴』と『草原の虹』に挟まれるにしては、なんだか不思議に小さい話だな、と初めて読んだ時その面白さにもかかわらず思ったものでした。けど、ああ・・・2回目を読んでいて思ったは、おれは何にも分かっていなかった!という思いです。素晴らしい作品は、ともすれば表面の理解で買えでも、ものすごく面白過ぎるが故に、「本質」に射程が、理解が届いていないことがままるものです。本当に素晴らしいものは、時間をかけて何度か読むべきだなーと僕はいつも思います。僕はこれを「こなれる」とか「寝かせる」とか「熟成」とか言います。いったんその本の上澄みの部分を身体に通しておいて、もう一度いろいろなものが熟成された後に、読み返すと・・・・今まで理解できなかった様々な概念が奔流のように脳髄を駆け巡って、理解をはるか深いところまで連れていってくれることがあるものなんです。この『珍妃の井戸』もそうでした。


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『ヴィンランドサガ』のクヌート王の「愛をめぐる理解」の話し、そして、よしながふみさんの『大奥』の権力の頂点にいるにもかかわらず「将軍」という「機関」を演じなければいけなかった個人の苦悩を描いた話を立て続けに読んで、理解が進んできたんだろうと思ういます。

よくマッチョと非モテのような2元的な対立軸で世界を動いているように見える。けど、仮にマッチョになって「勝って勝って勝って」世界の頂点に上り蔦ところにある権力者は、王であり、皇帝であり、将軍であり・・・としたところで、彼がらマクロの奴隷であり、システムのより強烈な歯車の一つであり、ミクロを徹底的に制限された悲しい存在であるということが浮かび上がってくるんだ。

結局、人は、孤独なものであるという「存在の本質」から逃れることはできないのだ。言い換えれば、成熟とは、決して「勝つこと(=成長)」でも「逃げること(=癒しと受け入れ)」でも成し遂げることのできない、第三の道があるのだ。

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