「出来ない人との圧倒的な才能の差」による「特権」をこの世界に返しなさいという圧力

眼鏡をかけた知的そうな感じの女の子、好みなんだよなー。メガネはいいよ。特に、時々かけるけど普段はコンタクトとかが最高かも(意味不明)。

先日のレールガンの記事の続き。

えっと、ちょっと言葉足らずだったなーと、、、「出来ない人との圧倒的な才能の差」による「特権」をこの世界に返しなさいとい圧力ってのは、「弱い者の味方になれ」とか「才能がない人に返せ」という意味ではない。まったくない。そんな道徳では全くないんだ。そうではなくて、能力とかポテンシャルというものは、「開放すべきもの」という意味が強いんだよね、僕の中で。たとえば、極端な話、その才能が殺し屋とか倫理に反するものであっても、、、、って、それは良くないことだとは思うけれども、、、、その才能・ポテンシャルをフルに使いきることが、それが使命であり責任だって思っているんです。それが人や道徳に支持されないものであると、悲しいことだとは思うけれども、、、、。えっと、ようは、才能・ポテンシャルの開放は、倫理に寄って枠がはめられるものではない、純粋なエネルギーで、それは解放・放出すること「こそ」が義務って思っているんだ。これは現実面でもそうもうことだけれども、物語のドラマツゥルギーにおいても、想定されるポテンシャルが、正しい形で表に出てこないと、物語の展開として納得がいかなくなってしまうと思うんだ。それは、現実世界でも、自分中にある物語の種(=ポテンシャル)を使い切らないのは、なんか間違っていると思うのと同じ。とかと。

まったくこの画像意味不明。