『ゴーマニズム宣言SPECIAL昭和天皇論』 小林よしのり著 おもしろかったです。

ゴーマニズム宣言SPECIAL 昭和天皇論

1928年から1989年まで在位した歴代最も在位の長かった天皇陛下。いや、おもしろかった。何が?って、、、、なんというか、あまり歴史に詳しくないので、個々のエピソードを走知っているんだが、とにかく終戦から今までの「昭和天皇から見た風景」を一貫してフルセットで見れるので、おお、あれってそういう文脈なのか?と、全体のまとまりとしてわかって、非常に分かりやすかった。歴史書って、とにもかくにも一人の手で、特定の視点から書かれないと、ほとんどあまたに残らないんだよねー。この本と、山本七平さんの本や宮台真司さんの本を読んでおくと、なんとなーく全体像で、何が問題で、どういう議論のポイントがあるのか、とかって大体分かると思うので、お薦めです。特に山本七平さんの本は、本当に今まで良くわからなかったことがすっきりして、素晴らしかったです。このへんのことがよくわかっていないと、そもそも日本近代史はまったくわからないんですよね。山崎豊子さんの『二つの祖国』の東京裁判のくだりも全く意味が分からなくなる。

それにしても、確かに、、、この人は君主としては、ある意味、日本史上はじまって以来の歴史的難局を、とにもかくにも乗りきったんですよね。だって、あれだけの大戦争をして国がボロボロになっても、、、、自分がまだ生きているうちに、全世界第二位の経済大国に上り詰めるまで経験しているわけじゃないですか。彼の手柄かどうかはともかくとして、君主としては素晴らしい実績だもの。そう考えると、なんとダイナミックかつドラマチックな、君主だったんだろう…と、なんというか、亡くなって20年近くたった今から、「歴史」としてみると、よくわかる。たぶんイデオロギーとかなしに冷静に見れるから、というのもあるんだよね。国が無条件降伏して、廃位されなかった、というのも考えてみると、非常におかしな話で、、、王朝としてはとても特殊なあり方ですよね。

ちなみに、この本で、戦後の御幸の意味がよくわかった。それが興味深かった。沖縄に行けなかったことをなぜあれだけ悔やんでいたかも良くわかった。こうやって、人生の軌跡を追うと、やっぱり君主としての責任感が強くあったんだなーと感心する。そして絶妙なバランスで、君臨している。いや難しいよ、国が滅びて占領されているわけだしさ、、、。

あと、いろいろ本を読んだ中で、どうも立憲君主として強いポリシーがあったことは間違いないことで、そのへんは、さまざまな意味で近代化とは程遠いこの日本という国で、ギリギリあそこを振る舞えたというのは、僕は、さすがだな、と思うんですよ。同時に、ある種、憲法の立憲意思や建国の父と同じ機能だと思うのですが、天皇という存在は、何に責任を負っているかというと、どうも皇室の先祖に責任を負っているようなんだよね(日本国民や臣民に対して直接ではないみたいなのだ)。これも何となくわかってきた。天皇陛下という日本における唯一無二の特殊なポジションの「動機」のメカニズムの中心は、なんといっても、皇祖に対する責任なんだよね。これ、倫理学でいうところの未来世代への責任を持つってことと同じなんだよね。えっと、憲法憲法として意味ある機能を発揮するには、立憲意思や建国の父たちの「本義」が何であったか?ということに常に立ち返ることにより、その時、その時代の特定の利権屋や集団の利益だけが反映されることがないように管理する必要がある、と憲法学では考えるみたいなんだよね。メカニズムとしては、皇祖への責任というのは、同じ機能を果たすんじゃね?って思うんです。つまりは、「今その時の利益や現状」だけに左右されないで、時系列的に長いレベルでのマクロの調整を果たさなければならない、ということ。このことと立憲君主制と日本の幕府・将軍との並列に二重権力の伝統など、なるほど、天皇陛下というポジションが、どういう動機で支配されるのかが、わかってきた気がする。いやーそれにしても、歴史というのはおもしろい。それにこの辺が分かってくると、いろいろなモノが、本当にクリアーになってくる。日本近代史のキーなんだよね、ここ。

裕仁天皇の昭和史―平成への遺訓-そのとき、なぜそう動いたのか (Non select)
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天皇と日本のナショナリズム_神保・宮台マル激トーク・オン・デマンドIV