『The Young Victoriaヴィクトリア女王/世紀の愛(2009米英合作)』 監督:ジャン=マルク・バレ 女性が自立するためには、男性の良き理解者が必要・・・・なの?

ヴィクトリア女王 世紀の愛 [DVD]

評価:★★★星3つ
(僕的主観:★★★3つ)

一言でいうと、描きたかったのはヴィクトリアという少女が、世界最大の帝国の君主として「自立していく様」を描きたかった、、、のだろうけれども、僕はずっと、彼女の一番の選択眼は、夫をアルバートに選んだことなんだなーということだった。ようは、女性が自立して生きていくには(&幸せに生きるためには)、男性の良きパートナーに恵まれる必要性がある、ということだ。


だから、物語の核心としては、僕は、まぁそうだよねーというふうな、そりゃー正しいですよ、という感想しか持てなかったなー(皮肉)。これって、通常の夫婦関係の「逆パターンを主張しているにすぎないん」だよね。男の幸せは、選んだ嫁で決まるの反対。女性の「自立」や「幸せ」を描くときに、これでは現状追認をしているのと変わらなくなってしまうし、現実的にも建設的な意見とは言い難いと僕は思うんだよねー。いや、別に現実的にいえば、事実だし、そりゃーそうなんだけどさ・・・・。



えっとね、僕は、核家族における一夫一婦制ってのは、近代産業社会に分業に集中する「労働者」を、出すための発明だと思っています。これは作られた制度なの。まぁ有名な学説ですよね。何を作ったのか?って言えば、社会に出て「仕事」に集中する労働者には、その再生産を管理してくれるバックヤード(=家庭と主婦)が必要だって事。もちろん子どもを産むってのもその「再生産」に含まれる。これはね、非常に確固として安定した仕組みのようなのだ。この核家族による「外で狩りをするもの」と「家を守るもの」のつがいのシステムに、「恋愛」というそれまでの人類史ではありもしなかった、一組の男女の純愛という幻想をくっつければ、このシステムは完成だ。岡田斗司夫さんが、このあたりを恋愛至上主義というような言葉で過去にいろいろ書いていましたね。これらの本は、本当に分かりやすくて現実的に効用があるように僕は思いました。


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さて、この「つがいシステム」が、分業労働者を管理し再生産させることに都合がいいシステムであることはわかったのだが、もう少し先を薦めると、このシステムのコアにあるものは、「社会の外で狩りをするもの」と「バックヤードを守る」という二つの機能からなりたっているわけで、これ、、、わかりますよね、男女が逆になっても成り立つってことなんですよ。通常は、「外に出るもの」が男だという前提で作られていたんだけれども、よくよく考えると、これって機能で考えると、出産することを除けば、性別は交換可能なんだもの。


いつも思うんですが、素晴らしく理解のある男性に出会えれば、女性が自立できるという幻想は、それこそ、このシステムの奴隷というかシステムの同じパターンの繰り返しに過ぎないってことが、案外よくわかっていない人が多いと思うんですよねー。なんか、こういう言説を見るとフェミニズムっぽいし、正しいそうに感じるけど、議論の根本に届いていない、キレイごとなんだよねーこれ。


僕の個人的な感覚ではありますが、男女が本当に正しく平等という夫婦というのは、余り続かないケースが多い。というか、知りうる限り周りにはいないなー。直ぐ離婚が関の山。夫婦というか核家族のユニットを機能で考えると、外に出ていく(=主)と内を守る(=従)という力関係が最も安定するからなんですよね。それを、平等にどっちも『外に狩りに行く』にするのは、バランス上成り立ちにくいんですよ。


だから女性が働いているケースは、物凄い高い確率で、男性の性格が弱く尻に敷かれているパターンが多いのは、そういうことだと思う。この主従のユニットというのは、現代の産業社会で生きていくのに、非常にマッチしやすいシステムなんだってことを、よくよく理解して考えないと、この呪縛から逃れることは僕はできないと思います。言葉(=理想や思い込み)だけでは簡単に覆らない。なぜならば、それは全体とリンクする制度になっているものだから。だから現実的な意見をいえば、自分が働きたい女性は、働く力のない(=出世の見込みのない)男性を選んでい支配してあげるのが一番よく働けるし家庭も円満になるんですよ。逆だってそうでしょう?。僕の先輩が、、、その人は凄く仕事のできる、人間的にもとても人格者だったんですが、「嫁は馬鹿な方がいい!」といっているのだけが、どうにも納得いかなかったんですが・・・10年以上たってみると、彼の非常に保守的な考え方が、凄く現実的なものであった!ということはわかりすぎるほどわかりました(苦笑)。彼は、自分のいうことをちゃんと聞く嫁さんをもらい今も素晴らしく幸せな家庭を築いています。。。。ああっっ、なん現実的な(苦笑)。保守ってのは、長い時間にさらされて残ったものを尊重するということなので、単純には馬鹿にはできないのだ。だから現実的に自分が本当に働きたいのならば女性は、外で狩りをする力の弱いやつを選ぶのがいいのだ。そうすれば、自分が狩りをする役割になる。・・・って、ようは、性別が違うだけで、「外に狩りに行くもの」と「内を守るもの」という機能はまったく変わっていないことが分かりますよね。悲しいことに。けど、機能的にはこれが最も現実的であり、呪いや呪縛も言っていいほど確固たる安定性を誇るものである!という「事実」は肝に銘じておいた方がいい。そしてこのような世の中の制度や安定性を誇るものと異なるモノや超えるものというものを求めることは、何かが犠牲になるほどの大きな努力と大商がない限り成り立たない特殊レアケースであるということを覚えておくべきだ、と僕は思うのだ。


ちなみに、僕は、この機能から見える「事実」に対して、正しいとか間違っているとかはどうでもいいんですよ。ただこういうマクロの仕組みは、少なくとも今この時僕の生きている目の前には「厳然とした事実」としてあるものなので、事実に文句を言っても仕方がない。それを所与の前提として、では「自分が本当に欲しいもの」が何か?どうすればいいのか?って考える必要がある、と言いたいのです。


たとえば、出世する自分をひっぱってくれる頼れる男と結婚したいけど、自分も働きたいとなれば、このシステムメチャ反するわけなので、何か大きな仕掛けとかがいるってことは、反射的に考えないといけないってことです。考えれば、、、と言うが「現実の過酷さ」を直視できれば、解決策は各個にいろいろあるんですよ。なんで物事の機能や役割の前提を考えると、「それに逆らう」ということがどれだけの軋轢を生むか、ってことが分かるはずなんで、「その壁の高さ」を注目してきちっと直視してあげると、実は総論ではどうにもならないようでいて、各論ではいろいろ逃げ道が見つけることができるようになる。僕はそう思っている。


というのは、僕もまた共働きの家で、かつ双子を抱えながら、それでも奥さんに「仕事での自己実現」をしてほしいという、ほとんどちょっと無理な要求を夫婦で持っているので、「そのための各論としての方法論」を探すために、日々悩んでいるからです。総論、一般論からいえば、まー難しいですよ(苦笑)。ましてや、僕が仕事での自己実現をあきらめていない時点で、どうしても家族的には僕が主従でいえば、「主」になるのに、もうひとり「主」をつくろうとするんだから、いろいろなことの優先順位に凄いバランスが壊れることになるからね。特に子育ては、頭では変えられない優先順位の高さがあるんものなんで、役割を平等にはなかなかできないものだもの。・・・・でもまー、総論の一般的な道を歩む人生がなんぞ!!それが安定であっても、と思うんで、すっんごい苦労するけど、世の中の「常識の壁」に逆らって、、、いや逆らっているというよりは、上手く「いなして」という方が正しい感覚だなー、、、そうやって生きていくのは、しんどいけどまぁ楽しいです。それは、意思が介在するオリジナルな人生だから。実際、安定的な「世の中の常識」や制度をぴなして生きていると、「しんどい」です。「しんどさ」は、夫婦の愛情的な感情交換を長期では確実に壊します。だって、それお互いにとってめんどくさいし労力がかかることなんだもの。この「しんどさ」自体が、ある程度、楽しくねぇ?というふうにマゾ的に(笑)変換できるような日常の感情回路を作りだすことや、物理的にその「しんどさ」を回避する様々なストレス回避策など、本当に現実的にいろいろな「仕組み」を作らないと、そもそも制度的な自然さに逆らっているので、なかなか難しいよねー。まぁ、「成り立つ」のは運ですねー。個人的な体験からいうと。


閑話休題


そういう意味で、徹底的に内助の功に徹っしているアルバートは、人間としては見事だけれども、物語としては、、、、あーいつもの男尊女卑の男の自立のコマでしかない女性というパターンの逆パターンですね、と僕は思ってしまった。いや物語の中の人格でいうのならば、アルバートというイギリス女王(しかも結構頑固でわがまま)の夫を、あれほど見事にバランスよくこなすのその才能と謙虚さに感心したんだけど、、、、物語として訴えたいことが、女性の自立のための必須条件が、アルバートのようないい男を選ぶこと!ということでは、男が出世する要件は、内助の功がある嫁さんをもらうこと!という論理とまったく変わらないじゃないか、と思ってしまった。


・・・それは、僕のうがちすぎる見方なのかなー。


これって、ようは物語の主人公であるヴィクトリアを「陰で支える」という覚悟がアルバートにあったことがよかったといっているにすぎない。つまり、嫁(=主人を支える役割)として覚悟があった人を選んだのがよかった、ということ。まぁ政治的に非常に優秀であったアルバートは、その能力にふさわしい充実した人生を送った模様なので、ほんとうは男性も女性も両方とも自己実現できた稀有な例のはずなんですが、、、、それを物語として表現するには、アルバートの自己見地欲や動機のあくの強さを示せていないので、やっぱりヴィクトリアのためのサポートだったわけね、としか見えない。この系統の物語としては、ちょっとなーと思ってしまう。


そういう意味では、アメリアの夫であるリチャードギアの役は素晴らしかった。同じ系統でも、ここまであると、おおっておもうよ。


アメリア(Amelia)』  監督ミラ・ナーイル(Mira Nair) 脚本ロナルド・バス(Ronald Bass)  どこまでかっこよすぎる『プリティーウーマン』なんだよっていうラブロマンスをやっちゃったリチャード・ギアを見よ!
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20100211/p4