本道から外れるな

最近思うのは、なにわともあれ、常に一番大事は、自分の本業。本業が前へ進んでいない奴に、何も言う資格なし、と。



ここで「以上」なんだけど、ちょっとわき道にそれるのは、確かにときどきは、アリなんだとは思う。あまりに真面目にやりすぎて、周りが見えなくなって、「自分が壊れる」のはいいことではないからね。けどやっぱり、全ては「本業」で測られるんだと思う。「そこ」が自尊心の源だもの、生きてく上で。ここが「進んでいない」というのは、その人が「人生を怠けている」と同じようなモノだと思う。それはやっぱり、周りにも、そして何よりも「自分自身」がそれを尊敬できないと思う。まぁー「本業」ってかならずしも、自分の仕事ってわけじゃないんだと思うんだけどね。その時の、ってことでいいんだと思う。何にも目的がないなら学生は勉強、、、というか受験だろうし、大学生なら就職活動?とか彼氏彼女ゲットとか、、、、自分探し(笑)とかー(せっーーせいしゅんじゃぁぁぁーーー)・・・ってまーなんでもいいんだけど、「その時」にやらなきゃいけないものって、自ずとわかる気がするんだよねー。「それ」が進まないのは、ダメなんだ。ほんとうにやりたいことを探すとか、、、そういうのは、なんか違う気がするんだよんー。「探してている」時点で、コーリングちゅーか、訪れてきていないんだから、ダメな気がする。。。。


ちなみに、なんでこーいうこと書くかというと、ここ数年なかなか仕事もしんどいなー微妙に「逃げ腰」になりながら(笑)、がんばっては、あきらめ(←基本すぐ心折れます)、がんばっては、あきらめ、、、、と、あっちなみに僕のモットーは「へこたれたらへこたれたまま頑張れ」なので、基本すぐあきらめて逃げてへこたれます(笑)。どーせ、超人じゃーねーから、集中しっぱなしはできない。


けど、それでも「とりあえず」は、「本業」が常に意識されてるし、そこを改善するために「小さな努力」とか「出来るだけのこと」はコツコツやっている。とにかく忘れないで、微妙に目を逸らさないのが重要。直視するのはしんどいので、少しセーブ(笑)。なぜなら「本業」が改善しなければ、人生が改善されないのは、もういやというほど知っているので。そんで、できないなり、コツコツやっていたんだが、ここんとこめっちゃくちゃ仕事でいいことがあってさー・・・・それも、3年越しの努力、、、下手すると入社以来の努力が報われるような出来事があってねー。しかも、無理をしてやったんではなくて、いろいろな家庭や趣味やいろんなものをバランスとりながら、ってんで、、、おれってよくやったなーと感心したんだよね(笑)←自画自賛。まぁ別に、そんな目に見えていいことがあったわけじゃーねーんだけどさー。


あんがい時間かけているし、華々しく成長したりしたわけではなく、じみぃぃーーーに改善してきたわけだけど、その「じみーで華々しくない感じ」が、あー実にいい形だなーと、成長というか、ちゃんと本業が進むって、こんな感じだなーって感じで、、、、。やっぱおれ、やってること間違ってないじゃん!みたいな(こういう感覚って重要だと思う生きてく上で・・・たいていは、自己否定と落胆の連続だからねー)、、、地味なエウレカな感じ。僕のよく飲み会でいう言葉だけど、2倍界王拳を使わないで、地味に自分をセーブしながら、「やるべきこと」をコツコツ抑えるといった感じ。時には、3倍界王拳も必要だけど、そればかりでは生きていけない。特に、僕はもう中堅の歳だしねー。30超えたら、もう20代とか10代のような、全力疾走は、ダメだし、変な迷いもダメな気がする。。。まっ無理だけどね。


趣味の領域であるこういう小説や映画、漫画なんかも、本業の傍らで「時間がない中」で苦しんでやるからこそ、輝くのであって、これ「のみ」だったらきっとすぐ飽きて輝きは失われていってしまうだろうと思う。わかんないけど。。。。「消費」ってのは、欲望だから、限りがないし、限界効用でどんどん効用が低減していくもので、ほっとくと不感症になるものだと思う。そういうのを僕的な表現で、「B級の喜び(=受身の喜び)」ってよんでいる。これはこれで癒されるし、重要なんだけどね。ちなみに「A級の喜び(=自分で作りだし主体的に関わる喜び)」かな。AとBで書いているけれども、優劣の問題じゃなくてバランスと質の違いの話。どっちも重要。A級バンザイ120%って人は、いるだけでうざいし、他人を利用して周りを結構踏みつけるんで、こればっかりが正しいともいえないと思う。また往々にして、A級ベースの人生の人は、それだけ動機に欠落・コンプレックスの穴が大きい場合が多いので、それはそれで劇的な人生だけど、幸せというと、それはちょっと違う気がする(笑)。とはいえ、B級「だけ」、ってのは、ちょっと厳しいけどねー。



さて、じゃあ「本業」っなんだ?というと、なかなか腹を据えて決められないよね、確かに。いろいろ定義(=覚悟を決める)レベルにはバリエーションがあると思うんだけど、僕の経験視点からいうと、やっぱり学校を卒業して「仕事」につくと、まずはそれが「仮」本業だよなー。生活するために「お金をもらう」ってのは本業なんだよね。ここが成立しないと、いつまでも自尊心がぐらぐらしてしまう。低成長のこの時代、自分のせいだけじゃなくともニートになる確率は高く、それなりに難しいことかもしれないけれども、「ここ」がないと近代社会の都市の中で生きていくときには「根」の部分がぐらぐらして生きるので、実存の不安に、生活や気持ちが左右されやすくてアップダウンしやすくなる。そういう人は、当然周りからも敬遠されるので、「友人」という対等関係をちゃんと結べずに、依存関係や快楽関係で繋がってしまう。セイフティーネットの議論だな。お金的にも精神的のも。こういうのは長期的には、孤独に悩まされることになるので、ここがゼロサムゲームの競争だとしても、まぁがんばった方がいいとおもなー個人的に。もともと「根」が安定して、家族関係に凄く恵まれたなナチュラルにハッピーな人格である自身がなければ、ね。まぁ、なかなかここって難しいところなのかもしれないけど。。。


そして、まーそうだなーあとは30歳代に入ったら、「分際をわきまえる」かなー。「出来ること」と「やりたいこと」は違うもので、20代くらいまでは、フワフワしたこと言っているのもありだと思うし、なかなかそんな簡単に生きていき本道を決められないと思うんだよねー。本当は「早く決めれば決めたほど」得なモノではあるけれども、けど、20を超えると、物理的現実的に「可能性が狭まる」ので、そのへんからは「既に持っているものベースのゲーム」が始まってしまう。「何もなくてもやり直せる」ゼロスターとのゲームは、人生の早い段階にしかないもんなんだよ。まー早い段階で、分際をわきまえることができたら、実は、人より遠くへ行ける可能性も高くなる気がします・・・。


とかとか、つれづれなるままに意味不明なことを書いてみました・・・。